浅田真央VSキム・ヨナ・・・・・410

~ 今 日 の 雑 感 ~


浅田真央VSキム・ヨナ



    今回のバンクーバー五輪から、フィギュア・スケートは、男子も女子も、正に異種格闘技の様相を呈して来た。

    今日のショート・プログラム(SP)を観ていると、浅田真央選手の演技とキム・ヨナ選手の演技は、まったく別の五輪競技のようであった。

    これは、昼のワイドショーでも語られていたことであるが、たとえば、同じ山の頂を目指す二人がいるとして、その登山ルートが全然違うということである。

    さしずめ、キム・ヨナ選手は、何人もの登山家がアタックしたルートをそつなく登り、山頂を目指しているのだが、浅田選手は、その逆側の切り立った断崖絶壁をロック・クライミングして登るようなものだというのである。

    キム・ヨナ選手のスケートは、やはり、完璧であり、トリプル・ルッツ―トリプル・トーループをまずは無難に成功させ、カナダ人コーチのブライアン・オーサー氏に師事しているだけのこともあって、地の利を得て、ショート・プログラムは、78.50という驚異的な高得点をたたき出した。

    そして、浅田真央選手は、こちらも、トリプル・アクセル―ダブル・トーループを確実に決めて、73.78と二位につけた。

    しかしながら、男子フィギュアのライサチェク選手とプルシェンコ選手の競い合いにも言えたことなのだが、これは、舞踊家対スポーツ選手の戦いというようなもので、果たしてジャッジがどちらの選手にルールを合わせて採点するかで順位が決まるという、極めてあいまいな競技となってしまっているような感さえあるのだ。

    わたしのような素人の目には、キム・ヨナ選手の演技は、確かに素晴らしい芸術性があると思えるものの、身体にシナをつくり、色気を漂わせてクネクネと演技をすることが、果たしてスポーツといえるのだろうか?-----との、素朴な疑問がないわけではない。

    「キム・ヨナと浅田真央のフィギュア・スケートは、はっきり言って、まったく競技種目が違うものだ。芸術フィギュアと、スポーツフィギュアとに分けて、試合をした方がいい」と、話す番組コメンテーターもいた。

    この色気とか妖艶さというものは、天性の素質であり、顔立ちや体つきから生まれつき滲みでて来るものでさえある。キム・ヨナ選手の素顔は、未だあどけなさが残るが、化粧映えのする顔で、切れ長の東洋的な目が、流し眼の効果をより際立たせているが、それに比べ、同じ童顔でも、浅田選手の場合は、素顔が既に整っているために、化粧があまり意味をなさないという不利な点もある。

    さらに、浅田選手のよいところは、天真爛漫な可愛らしさであるから、シナを作った真央ちゃんなど、むしろ不気味でさえあるのだ。

    今回のジャッジは、天真爛漫で元気いっぱいの浅田選手よりも、妖艶で大人びたキム・ヨナ選手の方に軍配を上げた訳だが、どうも、最近の採点方法は、この情感あふれる表情や表現力の方により重きを置くようになっているようである。

    これは、日本にとって、男子には有利だが、女子には極めて不利な傾向にも思えるのだ。なぜならば、日本人は、幼い時から人前で男らしさや女らしさを、ことさらにアピールすることを下品なことだとして成長する。

    社交ダンスの国と盆踊りの国の違いが、ここにはっきりと表れてしまっているではないだろうか?

    安藤美姫選手もこのショートでは、三回転―三回転が、回転不足に取られてしまった。しかし、まだ、四位には付けている。フリーでの逆転も夢ではない。

    鈴木明子選手も、最初のコンビネーションジャンプを失敗したが、すぐに立て直して満場の拍手を浴びていた。SP十一位は、大健闘と言えよう。

    また、日本人の両親を持ちながらも、今回アメリカ代表として出場している長洲未来選手は、途中、鼻血を出すというアクシデントにもめげず、シーズンベストの63.76を出した。

    そして、専門家の中には、キム・ヨナ選手のピークは、正しく今なのだろうが、浅田選手は、これからも技術、芸術面において、かなりの伸びしろがあると、見る者も多い。

    日本人選手たちがフィギュア・スケートの頂点に君臨する時代は、まだしばらくは続きそうだ。
 
    そのプライドを胸に、ぜひとも、フリーでの巻き返しを果たしてもらいたい。icon21  


    
    ***   写真は、安藤美姫選手    続きを読む


占いを信じますか?・・・・・409

~ 今 日 の 雑 感 ~



占いを信じますか?



    わたしの二月の運勢は、「細かいことにイライラせず、マイペースで前進あるのみ」だそうです。

    ラッキーアイテムは、「カブ」-----。カブって、あの野菜のカブですよね。カブのクリームシチューなんかもおいしそうですね。

    それにしても、占いって、星座占い、血液型占い、干支占い、手相占い、タロット占い、トランプ占いなどなど、種類はいろいろありますが、たいていどれも、当たっているような、いないような、微妙なものですよね。

    そして、こういう占いを信じたり、信じないにしても興味を持つのは、女性が多いのだそうです。わたしも、占いには興味のある方かもしれませんが、信じることといえば、自分にとってラッキーなことだけ。アンラッキーなことは、聞き流したり、読み流してしまうのが常です。

    まあ、占いなんて、そんな信じ方で調度いいのだと思うのです。だって、星座や誕生日占いなど、同じ日に生まれた人が、全員同じ運勢なんて、どう考えても不自然ですし、ましてや、同じ月、同じ年などという広いくくり方でしたら、なおさら妙なことになってしまいます。

    それでも、女性たちは、雑誌などの占いで自分の運勢を知るのが好きです。良いことが書いてあれば嬉しいし、悪いことが書いてあれば、気を付けようと思うからだとか-----。実に、そういうところは、前向きで、楽しんで占いを活用しているといえます。

    ところが、これが男性となると、あまり、積極的にそういうものを読もうとはしないようです。まあ、中には、抵抗なく信じる人もいるのでしょうが、若い男性会社員たちにアンケート調査をしたところ、「占いは、読まないし信じない」という答えがかなり多かったということでした。

    その理由は、「自分のことは自分が一番よく判っているので、他人にアドバイスされても意味がない」と、いうものだったそうです。

    確かに、自分のことは自分が一番よく判っているものですが、彼らのそれは、「自分の非力が判っているので、努力など無駄だ」と、いうことが前提にある答えだということでした。要するに、女性たちとは逆に、極めて後ろ向きな諦めが、占い嫌いのベースにあるのだというのです。

    もしも、占いを見てしまうと、よいことが書いてあっても、そのように頑張れるわけはなく、また、悪いことが書いてあれば、なおさら落ち込むことになる。それならば、最初から見る必要などない。

    これが、男性たちの占いに対する消極的態度の本音なのでしょう。

    ところが、女性たちは、反対に、良いことが書いてあればそうなるように努力し、悪いことが書いてあっても、そうならないように気を付ける。

    あくまでも現実主義の男性と、夢追い人の女性。占い一つを取ってみても、面白い相違が見えてくるものです。

    あなたは、占いを信じる方ですか?その答えが、すなわち、人生を如何に楽天的に過ごすことが出来るかの、目安にもなるように思います。face02  続きを読む