ブログは、年配者のツール?・・・・・379
2010年02月08日
~ 今 日 の 雑 感 ~
ブログは、年配者のツール?
今日は、実に、想像通りの反応が返って来て、思わず笑ってしまいました。(爆)
やはり、人間、まっとうな生き方をしていないと、常に足元を気にしなければならないものなのですね。
どれほど、明るくふるまってみても、本心は隠せないものです。

先日、インターネットのニュースを見ていたら、「ブログは、もはや、時代遅れ」というような記事が目にとまった。
時代遅れなどといわれても、わたしなどは、ようやくパソコンという便利なものの存在に気付いたばかりだというのに、いったいどういうことなのだろうかと、記事を読み進めると、どうやら、十代、二十代の若者世代は、ブログのように長々と文章を書くことに、既に飽き始めているというのである。
それよりも、ツイッターのように、短い文章で端的に意思を表し、簡単に文字会話が楽しめるようなシステムの方が、コミュニケーション・ツールとしては使い勝手がいいというのである。
そもそも、若者世代は、携帯電話での会話などでも判るように、短文に絵文字などを入れての感覚会話が主流である。
そういうところでは、最も大切な要素は、反応であって、思考ではないのだ。
彼らの会話には、主義主張はむしろ邪魔なのである。そこに存在する物は、すべてにおいて同調以外の何物でもない。同調出来ない者は、会話に加わる資格がないといってもいいくらいである。
しかも、その同調も、即座に反応しなければならない。投げかけた言葉に、24時間も間を開かせて答えたのでは、そんなものは答えとして認められないのである。
つまり、そういう意味からしても、ブログのように長々と自身の主張を展開し、そこへコメントとして書き込まれる反応を辛抱強く待ち続けるような悠長なことを、若者たちとしては、とても我慢がならないのであろう。彼らには、一分一秒も惜しいのである。
その反対に、30代以上の世代は、もちろん、短文会話も魅力的ではあるが、やはり、これまで自身が培ってきた経験や知識を、第三者にも聞いてもらいたいという気持ちが強い。
そのため、とても、短文では伝えきれない話も出てくる訳で、そういう彼らにとってみれば、ブログは、これからもなくてはならない意見発表ツールであるといえるのだ。
もちろん、そういうブログを書いている人たちの中で、ツイッターなどを併用している人は多いという。やはり、彼ら年配者も、ブログ上での主張は続けたいが、即座に返って来る会話も楽しみたいというのが本音なのであろう。
こうなって来ると、これからの日本の中には、三つの世代が混在化するような気がする。
パソコンや携帯電話などとは一切かかわりを持たない実社会のみが現実の世代。パソコンや携帯電話も使うが、実際の社会とはあくまでつながり続け、ブログなどの長文でコミュニケーションを図る世代。そして、バーチャル世界だけでも生きていけるツイッター世代。
各世代間の壁は、今後、ますます高く、厚くなって行くのだとしたら、それは、実に寒々しく恐ろしい時代だといえるのかもしれない。
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タグ :認知症で免許不交付
非公開で見えたこと・・・・・378
2010年02月08日
~ 今 日 の 雑 感 ~
非公開で見えたこと
先日、二日ほど、当ブログが非公開扱いとなりました。
たった、二日のことでしたが、お問い合わせなど頂き、常にご愛読頂いている皆さまには、誠にご迷惑をおかけしました。
この時の皆さまからの励ましのメールやコメントは、大変心強く、ありがたいものでした。改めて、感謝申し上げます。
その一方で、この非公開を、当ブログの閉鎖と勘違いした方もおられ、わたしがブログをやめたことを友人に伝えるべく、嬉々として連絡を取り合ったという人もいたと、聞きました。
しかし、その連絡を受けた方の一人は、そうした相手の態度に呆れ、
「そういう配慮に欠けることを言うものじゃない!」
と、諫めて下さったそうです。が、その方も、よもや、「愛」とか「親切心」とかをいつも口に出している人から、そのような中傷めいた言葉を聞くとは思いもかけなかったと、落胆しておられました。
他人がブログを閉鎖するということは、そんなに嬉しいことなのでしょうか?相手をやっつけたような高揚感を得られるものなのでしょうか?
その間、これまで全くつながりがないと思われていた人同士が、実は、水面下で連絡を取り合っていたという事実も、垣間見せて頂きました。
そして、再び、当ブログが再開した時の、その人たちの驚きや悔しさは、想像に余りあるものだと実感しました。これまで、一年間、一日も欠かさず閲覧してくださっていた方が、パッタリと訪問されなくなったり、中には、如何にもと思われるほど挑発的なコメントを書き込まれた読者の方もいました。
本来ならば、削除もやむを得ない内容でしたが、そこは、こちらも一応大人の対応を取らせて頂き、きちんとお返事を差し上げました。
それにしても、わたしは、常々思います。
どうして、それほどまでにブログの世界ばかりを重視する人がいるのだろうかと。もしも、わたしがブログを閉じたとしても、わたしがこの社会から消えてなくなる訳ではありません。
わたしという人間は、やはりこれまでと同じように、その人たちの近くにいるのです。
サイトから排除してしまえば、すべてが終わりだ、これで清々すると、本気で考えているのでしょうか?もしかしたら、街でいつも顔を合わせている間柄なのかもしれないではありませんか。
ブログは、単なる意見や近況発表のためのツールにすぎません。わたしの足は、いつも実社会の方にウェイトを置いているのです。もしも、ブログの中だけにしか生活の意義を見つけられない人たちがいるのだとしたら、それこそ奇異なことだと言わざるを得ないのです。
たった、二日間の非公開ではありましたが、実に、さまざまな人間模様を見させて頂いた、貴重な二日間だったと思います。
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タグ :志賀高原硯川の雪崩事故