一匹オオカミ?・・・・・385
2010年02月11日
~ 今 日 の 雑 感 ~
一匹オオカミ?
わたしは、昔から他人と徒党を組むのが好きではない。
誰かと一緒に何かを成し遂げるということに、達成感を得ることが苦手なのである。

達成感なら、自分一人で何かを成し遂げた時だけに感じることが出来、他人と一緒の時は、どうしても、「あそこはもっとこうしたかった」とか、「あとでこっそり行って、直してしまおうかな」などとの思いがどうしても気持ちに引っ掛かり、すっきりしないのである。
スポーツにしても、観戦するだけなら何でもいいのだが、自分で行なうのは、やはり、個人競技に限ると思っていた。負けても勝っても、自分の責任。他人を恨まずにすむからである。
行きたい所があれば、人を誘うことなく、自分一人でも行ってしまう。
食べたいものがあれば、周りが同じものを頼んでも、自分だけはそれに合わせることはない。食べたくない物を無理して食べて、お金を支払うほどバカげたことはないからだ。
高校時代の制服のオーバーコートの襟を、ただ一人だけ開襟にしていたのは、わたしだ。
その方が、断然恰好がいいと思ったからである。だから、これまでの人生でも、流行という言葉とはほぼ無縁の生活を送って来た。人真似が嫌いで、常に独立独行。
だから、付き合いは幅広いが、心底信用できる人間は、ごく限られた人々に集約される。
そのせいか、逆に自分が書く小説は、ほとんどが集団物である。仲間で何かを成し遂げることを主題におくことが多い。
そういう題材の方が書きやすいし、その中で登場人物一人一人を描き込んでいく方が楽しいのだ。我がままと言えば我がままだが、他人に遠慮しながらの人生など、だいいち面白みがないではないか。
人からいい人だなどと褒められることを望み、また、そうあらねばならないと思い込んでいるうちに、月日は矢のように過ぎるものである。
生きるとはどういうことなのか?それは、決して他人に迎合することではない。
どれほど親しい間柄でも、その他人が自分の人生を生きてくれる訳ではないのだから------。

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インターネット・アレルギー・・・・・384
2010年02月11日
~ 今 日 の 雑 感 ~
インターネット・アレルギー
政治家たちの間で、今、ツイッターが大人気だという。
民主党の原口総務大臣や蓮舫議員、自民党の山本一太議員、そして、鳩山総理もツイッターを活用しているそうである。
もはや、政治家は、インターネットを自由自在に操れないと、お話にならないという時代が来たようである。しかしながら、そういう政治家たちが相手にしている有権者の中には、まだまだ、インターネットなど何処の国の話か?----と、いう世代の人たちも多いのが実情である。
わたしも、この一年ブログを書いてみたことで、ようやく、インターネットの玄関口をのぞかせてもらうことが出来た。パソコンという物体に触って、たった一ヶ月でブログを書き始めた訳だが、最初は、正直、何が何だかまったく判らず、ブログに画像を入れることも、コメントを書き込むことも、恐る恐るの手探り状態であった。
しかも、未だに、日々試行錯誤の連続である。
そんなわたしの両親など、まったくもってインターネットやパソコンなどというもの関しての知識は、ほとんど皆無である。上記のツイッターのニュースを観ていても、それがどういう代物なのかなど、さっぱり判らない。
それらを想像するためには、その土台となる言葉や物体に対する知識がないとならないものだが、それすらない人間は、外国語を聞いているようなもので、イメージを組み立てることさえ出来ないものなのである。
だから、こちらがそれについて説明しても、もともと覚える気がないし、興味がない訳であるから、たった一言、
「面倒くさい!」
と、いうことになってしまうのである。
ところが、そんなインターネット・アレルギーの世代ほど、政治には関心がある。民主党が政権を取ったことで、その関心は今まで以上に高くなっているといっても過言ではない。
民主党政治に対しての賛否はともかく、小沢幹事長の資金管理問題や、鳩山総理の財産贈与問題、また、八ッ場ダム、日本航空、沖縄アメリカ軍基地、地球温暖化、子供手当と、あらゆる問題についても、これまでの自民党政権では隠されて来たようなことまでも次々に表面に出て来ていることで、国会中継なども、興味深く観るようになってきたのである。
しかしながら、そこで見える政治家たちの姿がすべてではなく、インターネットの世界では、また、別の素顔を見せる政治家たちがいる訳で、そういう彼らの別の側面に接することが出来ないインターネット・アレルギー世代は、そのことが不満でならないようなのである。
これから、もしも、ブログなどでの選挙活動が可とされるようになり、選挙演説会などの開催が少なくなったり、選挙カーが街を行き来することがなくなるようなことにでもなれば、インターネットの世界からはみ出すことになる人たちは、極端な話、政治への参加も出来なくなるということになるのではないかと、懸念される。
たとえ、インターネットが判らなくても、パソコンや携帯電話の操作が出来なくても、地デジの意味が理解できなくても、国民全員が参加でき、知ることができる、そんな政治のありようを、望みたいものである。 続きを読む