あるエッセイを読んで・・・
2011年11月30日
あるエッセイを読んで・・・

これまで特に気にすることもなかったのだが、近頃気付いたことがある。
まあ、ど~~でもいいと言えば、ど~~でもいいことなんだけれど・・・。
新聞や雑誌に掲載されているエッセイを読むと、どうして、こういう寄稿文の筆者には、これほど贅沢な生活をしている人が多いのか----と、いうことだ。
この間は、バリ島で夫婦ともども体調を崩したというエッセイを読んだのだが、そこには、バリ島の医師や看護師の献身的な治療について感激したとの筆者の心情が記されていた。
しかし、そのエッセイを読むにつけ、初っ端から驚いたのが、まずエッセイの舞台になっているのが薄給の一般庶民にとっては夢のリゾート地のバリ島だということである。
その旅でのエピソードが、特別気取ることもなく淡々と始まっているのだ。
まるで、バリ島などこれまでも何度も訪れた隣の県へ行くような感覚で、「別に驚くことでもないでしょう」とばかりに、その文章は書かれている。
そこで足の感染症を患い、駆け込んだ現地の病院での手厚い治療ぶりに感心したということに加え、帰国後に受診した皮膚科の医師までが東南アジアのリゾート通であったという記述にも、唖然であったし、そのあまりの世間一般の感覚とのズレに戸惑いすら覚えた。
しかし、次を読み進めると、その旅行の帰りの機内で腹痛を訴えた妻を、帰宅後に近所の内科医院へ連れて行ったところ、そこの医師が、
「現地で病気になるのは自己責任」
と、言ったとの一行に、ようやくホッとした気分になれた。
筆者の妻は、診察後、「バリのお医者さんとはずいぶんな違いよね」と、愚痴ったようだが、その近所の内科医の言葉は一般的な日本人の感覚そのものであろうと思う。
おそらくその内科医にも、外国旅行へ行き遊んできた人間が胃腸炎になったところで同情の余地なし、身のせいだという気持ちがあったに相違ない。
もしも、この妻が家計を節約するあまり、つい賞味期限切れの食材を食べて腹痛になったというのなら、医師もこうした厳しいもの言いはしなかったはずである。
そして、こうも思った。
バリ島の観光協会としては、日本人観光客は大のお得意先であるから、現地の医療施設に対しても外国人観光客には丁寧に接せよとの依頼をしているのかもしれない。
帰国後にかかった内科医のきつい発言は、そんな筆者夫婦の浮かれた生活に対する戒めだったに違いない----と。
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不適切発言の裏側
2011年11月29日
不適切発言の裏側

一川保夫防衛相は29日夜、那覇市内での記者団との懇談会で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設に関する環境影響評価書の提出時期をめぐり、不適切な発言をしていたことが分かった沖縄防衛局の田中聡局長の更迭を決めた。(ヤフーニュース)
ある心理学の本を読んでいたら、ほとんどの不適切、または勘違い発言の裏には、それを言った人の無意識の思い込みが隠れている----と、書いてあった。
たとえば、ある自治体が作った「雪国はつらつ条例」なる言葉を、つい思い込みで、「雪国はつらいよ条例」と、書いてしまった人がいたそうだ。
その人は、「雪国は寒いので、きっと冬はかなり辛いに違いない」という先入観から、そんな書き間違いをしてしまったと思われる。
ある漫画には、一人の登山者が疲れのために早く何処かで休みたいと思うあまり、「もうすぐ頂上、ガンバロー」と書かれていた立て札を、「もうすぐ頂上、バンガロー」と、読んでしまった----との爆笑シーンが描かれていた。
田中局長の失言も、不適切という表現を使ってはいるが、そもそも本当に不適切だと思っていたら決して口から出るはずのない言葉である。
この発言が事実だとしたら、おそらく、彼は、常にこうした類の話を身の周りの人たちと交わしていたのではないかと思われる。
つまり、生活の中で、そうした類の話題が日常的に行なわれていたがために、たとえ非公式の場とはいえ、無意識のうちに発せられてしまったのではないだろうか。
まったく頭にない言葉が、つい口をついて出るなどということは普通の人間心理ではほぼあり得ない。
失言の裏側には、たいていにおいて、その人自身の本音が隠れているといっていいのである。

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他人の健康が妬ましい
2011年11月29日
他人の健康が妬ましい

「人の不幸は蜜の味」
とは言うが、自分が大病を患っている人の中には、時にこうした感情が強くなる人もいる。
知り合いの高齢男性は、重大な病気を抱えているせいか、友人が大病で入院したなどと聞くと、途端に元気になり、
「あいつは、もう、長くないみたいだな」
などということを平気で口に出す。

しかし、その入院した人が病気が回復してしまうと、その悔しがりようではないのだ。
また、ある男性は、自分が病気にかかると、友人たちも同じ病気にかかってくれないかと、日々望むようになったという。
そして、その男性の友人の一人が医師から検査をした方がいいと言われただけで、
「あいつは、おれと同じ病気だそうだ」
と、早合点して周囲に言いふらした。
ところが、検査結果は異常なし。
「まったく、脅かされたよ」
と、苦笑いする友人に向かって、
「そんなはずはない。絶対に異常個所があるはずだ」
と、無理やり疑ってみせ、不安感をあおり立てたのだそうだ。
そういう他人の不幸を望む傾向は、どうも高齢者に多いようだ。
若いうちは、病気になっても治る見込みがあるので健康な人をうらやむ気持ちは薄いのだが、高齢になると、完全回復の確率も必然的に下がるので、常に持病のことが頭から離れず、どうしても、同病の仲間が欲しくなるらしい。
今日、ワイドショーを観ていたら、昔、名子役と呼ばれた斉藤こず恵さんが出演していて、現在、彼女は甲状腺がんを患い、抗がん剤治療中だと話していた。
その際、斉藤さんがこんなことを言った。
「こういう病気になると、本当に気持ちを判りあえるのは、家族でも友人でも恋人でもない。同じ病気で苦しんでいる人たちなんですよ」
病気の人にとって、心から信頼し語り合えるのは、やはり、同じ病気と闘う患者同士しかいないというのである。
だから、上記の彼らもきっと、自分と同じ病に苦しむ人たちが身の回りに大勢いてくれることが安心であり、自分はまだ大丈夫だという確信のよりどころにもなるのだと思う。
病気になって心細いのは良く判る。
どうして、自分だけが・・・と、思う辛さも悔しさも当然のことだ。
だからといって、健康な人を妬むようなことは言って欲しくないし、そんな言葉を聞かされる側も快くはない。
どんなに人を妬んでも、現実の自分から逃げ出すことは出来ないのだから・・・。
病気とうまく付き合いながら、そこそこ生きていければそれでいい----そんな、ある意味前向きな諦めも悪くないのではないだろうかと、考える昨今である。
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ある商店主の悩み
2011年11月27日
ある商店主の悩み

それでも、晩秋の休日ともなると、大勢の観光客が街の中を歩いている。
しかし、ある商店主の話では、そんな観光客が店へ入って来ても、ほとんど商品を買おうとしないというのである。
では、観光客は何が目的で店を訪れるのか?
「おしゃべりですよ」
と、店主はため息をついた。
店主が言うには、入店して来た客が、店内の雰囲気を一通り眺めたあとで、
「最近の、こちらの景気はどうですか?」
と、いうようなことを言い始めたら、この客はなにも買う気がないな----と、即座に判るらしい。
そこで、客の話に乗ったら最後、延々と身の上話が続くだけで、結局買い物などせずに立ち去られるのが落ちだという。
とにかく、相手は話がしたくて旅に出て来るのだから、端から買い物などする気はないのが普通なのだそうだ。
また、買い物は、別の場所で既に済ませて来ている場合もあり、そのあとの商店には、だいたいにおいて子供自慢やこれまで旅行して来た場所の思い出話などを聞いてもらいたいためだけの目的で、立ち寄るのがせいぜいなのだそうである。
もしも、本当に買い物が目的ならば、客自身が真っ先に商品を購入してから、なりゆきで話を始めるのだという。
そこで、その店主は、そういういわゆる「冷やかし客」を見極めるために、ある方法を考案した。
店舗へ入って来て世間話をし始めた客に対して、わざとこう言うのだという。
「お話は、あとでうかがいますから、お買い物を先にされたら如何ですか?」
話だけが目的で入って来た客は、その一言で出鼻をくじかれたと思い、渋々店から出て行くというのである。
長々時間をとられて話に付き合ったあげく、何も買ってもらえないのではあまりに腹が立つ。
しかも、その一人の客につき切りになることで、別の客への応対が出来ず、そちらも逃がしてしまうことになり兼ねないというわけだ。
実は、コンビニの従業員もこうした話し好きの客には悩まされていると聞く。
コンビニの従業員は、原則、長い時間客の世間話に応じることは禁止されているそうで、道案内や商品説明などには丁寧に応じるが、身の上話を聞くようなことは出来ないのだという。
とはいえ、近所の常連客がレジカウンターの前に立ったまま、孫が、息子が----と、話し出すのを無下に無視することも出来ず、いつも困惑するのだという。
もしも、そこで、話を聞かずにいれば、あとで、
「あのコンビニで働いている〇〇さんちの娘、薄情だよね」
などという噂を流されることだって考えられる。
そういえば、以前、一時間いくらで身の上話を聞いてくれるという商売を始めた人がいるという話題をニュースで取り上げていたが、あの商売はどうなったのだろうか?
その後の状況は耳にしない。
話は聞いて欲しいが、料金を支払ってまでは・・・と、いうことなのだろうか?
とにかく、昨今は、話を聞いて欲しくてたまらない人が異常に増えた。
つまりは、自分がここにいるということを誰かれなしに知って欲しいという、孤独な人が増えているということなのだと思う。
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こんな季節だから・・・
2011年11月25日
こんな季節だから・・・

こんな季節だから、我が家はここのところ毎日クリームシチュー三昧だ。
しかし、連日のクリームシチューは、確かに飽きる。
で、ちょっと、目先の変わった食べ方をしてみようとアレンジすることを思いついた。
まず、お皿にご飯を盛り、そこへクリームシチューをかける。
その上にとろけるスライスチーズを一枚載せ、電子レンジでチン。
チーズがとろけたらレンジから取り出して、粉チーズを少々ふりかけて食べる。
とにかく、熱々なので極力火傷に注意のメニューだが、腹もちが良いわりに安価でドリアっぽさも味わえるお得レシピだ。
クリームシチューは、野菜たっぷりなので栄養的にもあまり偏りがない。(と、思う)
先日、弟に作ってやり、味はどうかと訊いたら、
「熱くて、しゃべれねェ・・・」
と、言いながらも、しっかり完食していた。

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スマートフォンって、本当に必要なの?
2011年11月24日
スマートフォンって、本当に必要なの?

新聞を読んでいたら、東日本大震災で被害に遭った人たちが、本当に欲しかったのは紙に書かれた活字、もしくは手書きの情報だったという記事があった。
「新聞をもらった時、そこに書かれている記事の信頼度や紙やインクの匂いに癒された」
と、感じた人たちも少なくなかったそうだ。
が、今や巷ではスマートフォン・ブームが花盛りである。
スマートフォンを買った人たちは、そのことを称して、「スマホ・デビュー」というそうだ。
スマートフォンは、携帯するパソコンとでもいうべき多機能携帯電話のことで、この小さな端末一つで様々な用途を網羅してくれるのだという。
電話、メール、ワンセグTV、写真、辞書、書籍、検索機能、音声付録画、翻訳、ゲーム、音楽、ショッピング、医療などなど・・・。
ありとあらゆるアプリケーションを取り入れるだけで、その機能性は無限に広がるのだという。
近未来には、スマホでお湯まで沸かせそうな勢いである。
しかし、それほど便利なスマートフォンだが、果たして、それだけの多機能を毎日徹底的にフル活用している人が何人いるのだろうか?
人間には、日々最低限行なわねばならない生活の基盤があるはずだ。
それを無視して、インターネットの世界だけで生活出来る人は皆無だと思う。
今は、珍しさも手伝って連日スマホ三昧という人もいるだろうが、何もかもを指でタッチするだけで事足りてしまう日常が、人間の脳や身体に良いとはとても思えないのだが・・・。
人間は、いつしかそうやって、これまで膨大な時間をかけて培い育てて来た人類としての能力や可能性を自ら放棄して行くのかもしれないと考えると、ある程度の便利さを手に入れたところで、一定の区切りを設ける勇気も必要なのではないかとさえ思う、この頃である。
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女に嫌われる女
2011年11月23日
女に嫌われる女

今、ヤフーニュースのトップページを読んでいたら、「女に嫌われる女とは?」という項目があったので、ちょっとのぞいてみました。
どうやら、皆さんが感じている「女に嫌われる女」の性格として、もっともポピュラーなものは、いわゆる『ぶりっ子』だということのようです。
男性の前でカワイ子ぶる。
男性の前だけ態度が女っぽくなる。
男性の前だけで気遣いを見せる。
男性の前では、途端に悲劇のヒロイン気取りになる。

まあ、ざっとこんなところだと思います。
時には、声のトーンまで変わる人もいるようですから、女性から見れば、「なによ、あの豹変ぶりは?」と、いうことになるんでしょうね。
しかし、そういう女性は案外多いもので、よほど男性に気に入られたくないとでも思わない限り、わざわざ地金を出そうとする人はいないと思います。
他にも、ガサツで気の利かない女性は、やはり、女性からの評判はいま一つのようで、あまり身なりに構わない不潔な女性もNGだそうです。
そういえば、わたしの過去の知り合いにもそういう女性がいましたね。
それほどの『ぶりっ子』というほどでもないのですが、彼女は、とにかく男性陣の前ではお嬢さまオーラ全開で、お寿司屋へ入ってもにぎり寿司を箸で半分に割って食べたり、如何にも小食を装っていたものです。
今風に言う女子会の時は、平気で大口開けてバクバク一口で食べていたのに・・・ですよ。
でも、結局は、そういう女性の方がさっさと結婚してしまう世の中なんですけれどね・・・。(>_<)
おそらく、ご主人になった男性は、結婚してからの彼女の本当の食いっぷりに愕然としたに違いありません。(ー_ー)!!
いずれにしても、『ぶりっ子』の正体なんてそんなものなんですよね----。
因みに、最も「男に嫌われる男」とは、自慢話が多い男性だそうです。
家柄自慢、学歴自慢、役職自慢、子供自慢、女房自慢、モテ自慢----と、いったところでしょうか。
要するに、『ぶりっ子』でも『自慢話男』でも、度が過ぎると周囲を不快にさせるということですね。
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バッグよりも靴
2011年11月22日
バッグよりも靴

「足元を見る」----と、いう言葉がありますが、これは弱みにつけ込むという意味ですね。
では、弱みにつけ込む時、どうして足元を見なければならないのでしょうか?
一説には、昔、駕籠かきや宿屋の主人が、旅人の草履のくたびれ具合で足の疲れ度合いを見抜き、駕籠代や宿賃を請求したからだと言われます。
そんなこともあり、現代でも接客のプロは、客が身につけている洋服やバッグがたとえ高級ブランド品でも、それに惑わされることなく、むしろ客が履いている靴の方に注目して、その客の素性や社会的地位、経済力のあるなしを見極めるのだそうです。
何故なら、洋服やバッグは借り物でもすみますが、靴はサイズや履き心地などの理由からも、そう簡単に借り物というわけにはいきませんし、履き慣れた靴か否かはプロが見れば一目瞭然です。
手入れの状態などもその人の生活レベルを知る手がかりになるそうですし、だいいち、本当に経済的に余裕がある人でなければ、靴にまでお金をかけるようなことは出来ないからだと言います。
しかし、その靴がどんなに汚れていてくたびれていても、それがむしろ格好良く見えた人がいました。
女優の真野響子さんです。

地元の某駅で真野さんを見た時、こう言ってはなんですが、そのファッション・スタイルは実にオーソドックスで飾り気のないものでした。
靴も白く砂埃がかかっている長年履きなれたような革のブーツだったと記憶していますが、その擦り切れたよれよれ感がまた素敵に見えました。
まだ、寒い時期だったので、真野さんも黒系統のオーバーコートを着ていました。
そのさりげなさが、すらりとした長身に良く似合って、本当のおしゃれが出来る人というのは、こういう人を言うんだろうな・・・と、感心したことを覚えています。
因みに、高級靴に対する執着心がやたらに強い人は、いわゆる野心家タイプであり、上昇志向の強い人で、社会的に成功する確率も高いのですが、反面、思いもかけないところからの横やりで地位を失う可能性が無きにしも非ずの人生を歩む----と、いうことのようですね。 続きを読む
ブロガー心理の妙
2011年11月21日
ブロガー心理の妙

あなたのブログの内容は、陽と陰に分けると、どちらのタイプに近いでしょうか?
ブロガーには、色々なタイプの人がいて、自分の心情など二の次とした世間一般の考え方を書き連ねる人や、自分にとっての楽しい話題だけをチョイスして書く人もいれば、不安や心配事などをストレートに書く人もいますよね。
また、自分の生活態度に対する言い訳ばかりを並べる人も中にはいます。
自分にとって楽しい話題ばかりを書き連ねる人は、どちらかといえば小心な人が多いのだそうですね。
そういう人は、反面、かなりの神経質でもあるので、いつも気持ちの中に何かしら不安やコンプレックスを抱えているのだとか・・・。
ために、それを隠そうと、わざと明るく見せたり、時には偉ぶってふるまうこともあり、その態度が存外不遜に見えて、時には敵を作りやすくもなるのだそうです。
その反対に、ブログにはいつも怒りや不満、世の中への疑念ばかりを書く人もいます。
わたしなどもおそらくこのタイプだと思います。(^_^;)
しかし、こういう人は、意外や性格的には秘密主義者の面があり、あまり本心を明かさないのだとか・・・。
(つまり、見かけによらず腹黒い・・・のかな?)
考え方や意見、苦言はどんどん言うのですが、いざ、自身の心の問題となると一気にトーンダウンしてしまい、それが殊に自分にとって嬉しいことだったりすると、なおさら無口になってしまうのだそうです。
確かに、わたしもそういう傾向がありますね。
本当に嬉しいことや楽しいことは、ほとんどブログには書きません。
そういうことは、自分だけで納得していればいい話だと思っていますから----。
以前、「ブログから寂しい気持ちがよく伝わって来る」という匿名のコメントが入ったこともありましたが、思わず失笑しながら、丁重に削除させて頂きました。(苦笑)
また、ブロガーの中には、常に自分を一段高い位置に据えて、他のブロガーを上から目線で見なくては自尊心が保てないという難儀な人も少なくありません。
そういう人の文章は、一度読めばすぐ判りますよね。
常に、自分は門外漢を気取りながら、そのくせコメントで痛いところをつかれると、笑ってごまかそうとするような「なんちゃって紳士淑女」です。
でも、ことさら飾り立てることもなく、真正面から意見や気持ちを正直に吐露しているブロガーもいる。
そんな記事からは、書き手の真剣で素直な性格が伝わって来て、自然と好感が持てるように思います。
さて、あなたのブログはどのタイプに属しますか?
あなたが書くブログの内容こそが、実は、現実のあなた自身が、本当になりたい自分なのかもしれませんよ。(ー‿ー)!!
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青春リアル
2011年11月20日
青春リアル

NHK教育テレビ(今はEテレっていうのかな?)で放送している『青春リアル』が、案外面白いので時々観てしまう。
観てしまう---と、いうのは、観たいと思って観るのではなく、チャンネルを替えたらたまたまやっていたから観てしまった・・・と、いうこと。
この『青春リアル』のユニークなのは、青春というぐらいだから、悩み多きニキビ顔の十代の若者たちがメールを通じてトークするという番組なのかと思いきや、参加者が二十代や三十代のとても青春とは呼べないくらいの年齢の人たちだというところだ。
中には、既婚者もいる。
つまり、今や若者という単位は、精神的な問題でしかなく、実年齢的にはあまり関係がないという時代なのかもしれない。
昨日の放送では、流行りの『腐女子(ふじょし)』なるものについて参加者が投稿メールで語り合っていた。
わたしも、この『腐女子』という言葉は最近聞いたのだが、どうやら、漫画や小説などに書かれている若い男性同士の恋愛物を読むのが好きな女性のことらしい。
自分は『腐女子』であると告白する女性参加者は、現在25歳。

彼女は、美しい男性同士の恋愛にのみ関心があり、男女間の恋愛や自分が対象となる恋愛には、関心がないどころか嫌悪感さえ覚えると、訴えていた。
人ごととしての架空の色恋は、客観的に楽しめるが、美しくもない普通の男女が現実に恋愛をするなどということは許せないというのである。
おそらく、その美しくない男女の恋愛の果てに生まれた自分自身をも、許せない存在のように感じているのではないかと思うほど、彼女の悩みは深刻だった。
もちろん、彼女は、この25年間一度も男性を好きになったことがない。
自分は、このままでは一生『腐女子』を捨てられず、しかも、そのことを周囲の人に告白することも出来ず生きて行くことになるのだろうか?でも、一人は悲しい。誰かに抱きしめてもらいたくなる時もある----と、携帯片手に呟く。
ところが、そんな彼女の悩みを一気に吹き飛ばすメールが、参加者の一人の女性から入った。
そのメールを送ってきた女性も実は『腐女子』で、しかも、既婚者だという。
「夫も自分が『腐女子』であることを知っているし、そんな漫画を一緒に見ている」ということだった。
『腐女子』であっても、彼氏は出来るし結婚も出来る----と、知った彼女は、目からうろこが落ちた思いで、途端におしゃれや化粧もするようになり、初めて女性としての自分をアピールする決心がついたようであった。
このメール投稿参加者の中には、アドバイザーとして三十代の大学の准教授も加わってはいたが、彼の知識や感性では、この25歳の女性の悩みの根本を追究することは難しかったようだ。
それにしても、現代人心理の特徴なのだろうか?恋愛を他人事としてしか受け止められないという人が実に多い。
まあ、確かに、ひと山100円クラスの器量の自分が、恋をするなんて滑稽きわまる---と、感じる気持ちは、当然といえば当然だろう。
その彼女も、「男性を愛するという感情が判らない」と、答えていたが、しかしながら、「気が付いたらその人を好きになっていた----と、いう感情が恋というものなのではないか。恋愛に理屈はないのだ」と、番組は教えているような気がした。
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それでも、夫について行く
2011年11月19日
それでも、夫について行く

プロ野球・巨人軍(どうして軍なのか未だに良く判らないが?)のコーチ人事などをめぐって渡辺恒雄球団会長(読売新聞グループ本社会長・主筆)を批判し、18日に解任された清武英利前球団代表兼ゼネラルマネジャー(GM=61)の話題を取り上げたワイドショーで、あるユニークな統計を発表していた。
「もしも、あなたのご主人が清武前球団代表のように、会社のトップのやり方に不満をぶつけたいと言い出した場合、あなたはどうしますか?」
と、巷の奥さまたちに緊急アンケートを実施したのだという。
奥さまたちの反応は、
「愚痴を言うぐらいなら聞いても良い」
「子供もまだ小さいし家のローンもあるんだから、少しぐらいのことは我慢して欲しいと、説得する」
というようなものが多かった。
まあ、中には、
「好きにしたらいい」
という、やや投げやりな回答もあったようだが、どちらかといえば、夫の行動にブレーキをかける現実的意見が多数を占めていたようであった。
ところが、

「もしも、夫が本気で思い詰め、クビになる覚悟で上司を糾弾すると決意した場合は?」
との質問には、逆に、「それでも夫に軽率な行動はやめて欲しいとブレーキをかける」という、妻の答えは激減したのである。
「夫が決めたことなのだから、妻として応援する」
「本当は、反旗を翻すようなことはして欲しくないが、夫にも考えがあるのだと思うので、あえて止めない」
「やめて欲しいと言っても、たぶん、夫はやめない」
などという意見の中でも特に際立った回答は、
「わたしが選んだ夫が、間違っているはずがない!」
と、いうものであった。
つまり、奥さまたちは、心の底からご主人を信じているということが統計で示されたのである。
世の夫たちにとってみれば、何とも心強い反応といえよう。
おそらく、清武前球団代表の奥さまも、ここで球団内のねじれた役員構成を正さねば、ジャイアンツは元より、日本のプロ野球界に未来はないとの信念から、思い余って陰腹を切ったご主人を、心から信頼し尊敬しているのではないだろうか。
そんな最強の応援団がいるからこそ、前代表もこれほどの決断が出来たのであろうと思われる。
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またまた『"DOCTORS"~最強の名医~』の感想
2011年11月18日
またまた
『"DOCTORS"~最強の名医~』の感想
『"DOCTORS"~最強の名医~』の感想

『DOCTORS~最強の名医~』----高嶋政伸の演技には、毎回脱帽だ。このドラマは、彼のあの奇々怪々な演技なくしては語れないような気さえする。
沢村一樹の演技もそれなりにユニークではあるが、過去に妻を病気で亡くしているというトラウマ設定が邪魔な気がして、やや魅力薄のきらいがある。
わたしは、個人的に、主人公が重いトラウマを抱えているというストーリーがあまり好きではない。
「結局は、そこなのね」

と、主人公の型に嵌った生き方の着地点が見えてしまうからである。
では、『チーム・バチスタシリーズ』の白鳥圭輔はどうなんだ?ということだが、相棒でありメインの主人公である田口公平の方に、今のところそれがないので気に入っているのだ。
で、四話目で初めて伊藤蘭扮する内科医が総合診療科の医師であるということが判った。(三話目をまだ観ていないので、それまでに判っていたのかもしれないが・・・)
それにしても、ストーリーにあったように、もしも患者に受診料や入院手術代を支払う目処が立たず、家族もそれを拒否した場合、一体誰が費用を負担することになるのだろう?
沢村演じる相良医師が、どんな極めつけのアイデアを出してくれるのかと期待したが、結局最後は長年離れて暮らしていて支払いを拒否していた患者の家族が現われてハッピーエンドとなってしまった。
出来れば、そこは、もうひとひねり欲しかったような気がするが・・・。
とにかく、この病院の医師でまともな常識的神経の持ち主は伊藤蘭扮する女性内科医だけのようだ。
とはいえ、まあ、最初の出だしの何処かで見たようなエピソード構成から、ようやくこのドラマ独自の描き方に発展しつつあるようで少し安心した。
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腰痛は気の持ちようで治る
2011年11月17日
腰痛は気の持ちようで治る

昨夜のNHK「ためしてガッテン」では、腰痛を取り上げていたが、激しい腰痛に悩まされている人の85パーセントは、原因不明の腰痛で、普通、腰痛原因の代名詞のように言われていた椎間板ヘルニアは、わずが5パーセントにすぎないということであった。
しかも、その原因不明の腰痛の中でも、70パーセント近くの人は、日々のストレスが主な要因だという。
つまり、腰には何の異常もないのに、長年激しい腰痛に襲われ続けている人の中には、ほぼ気の持ちようで治る人も少なくないということなのであった。
これはいったいどういうことかというと、普通は、ある時突然原因不明の腰痛に見舞われても、その痛みをこらえるうちに、脳にある側坐核という部分から脳内麻薬であるオピオイドが出て、それ以上の痛みを感じないようにしてくれるのだそうだ。
そのうちに、痛みは引き、腰痛も軽くなってしまうのだという。
ところが、毎日多くのストレスを受け続けている人の中には、その側坐核の働きが鈍り、オピオイドが出にくくなっている場合があるのだそうだ。
すると、脳が痛みをコントロールできず、激しい痛みが四六時中ダイレクトに感じられるようになってしまうのだという。
これでは、日常生活はおろか、歩くことすらままならなくなり、ある患者さんは自殺さえも考えたほどだったそうである。
では、その激痛の原因となる日々のストレスとは何なのか----?
別に対人関係に悩むとか、多忙を極めていて精神的に疲れているということばかりがストレスではなく、話し相手がいない寂しさや子供が手離れてしまった張り合いのなさ、そして何をしても良くならない症状に悩むあまりの医療不信なども、れっきとしたストレスになるのだという。
腰が痛い→医師を頼る→原因が特定できない→激しく悩む→痛いので家に閉じこもる→身体を動かさない→さらに痛みが増す
こうした地獄の悪循環が、果ては自殺を考えるまでに患者を追い詰めてしまうのだそうである。
ところが、番組が例にあげた女性患者は、痛み止めも効果を見せないほどの腰痛だったにも関わらず、夫がそんな引きこもりの彼女のためにもらって来た子犬の世話をするようになったことで、徐々に回復し始めたのだそうだ。
つまり、彼女の意識が腰痛にばかり向かず、子犬の方へも向き始めたことで、自然と身体も動かすようになり気持ちも晴れ晴れとして、側坐核が活発に働きだしたのではないかと、番組では説明していた。
わたしは、以前このブログの<今日のおまけ>で「病気になったら恋をしよう」と、いう記事を書いたことがあったが、正にその論理がここにも当てはまるのだと感じた。
腰痛で受診し検査をしても原因が腰には見当たらないような場合、真犯人は脳ということも大いにあり得るのだとしたら、この患者さんのように子犬を飼うとか、絵を描くとか、大好きなアイドル歌手に夢中になるとか、何か心が躍るようなワクワクした思いを持つことが大事なのだということなのであろう。
殊に、女性の場合は、寂しさやつまらなさ、気持ちの張り合いのなさが痛みと強く結び付くような気がする。
それだけ、女性は男性に比べて感情に支配されやすい生き物なのだろう。
女性は、宝石のキラキラや豪華な花の香りが大好きである。美しく着飾りたいという願望も、もしかしたら女性の身体の免疫力や抵抗力に大いに関係しているのかもしれない。
原因不明の痛みや不定愁訴に襲われて悩んでいる奥さまを持つご主人などは、たまには夫婦そろっておしゃれなレストランでディナーを食べるというのも、回復を促す近道になる可能性もあるのだ。
もうすぐ、街はクリスマスのイルミネーションに包まれる一年で最もおしゃれな季節である。
夜の長い冬の心理的ストレス緩和のためにも、楽しいクリスマスデートを計画してみては如何だろうか? 続きを読む
何じゃ、そりゃ?2
2011年11月16日
何じゃ、そりゃ?2

ヤフー知恵袋には、実に奇妙な質問や相談ごとが投稿されるが、これもまた、そんな投稿質問の一つだった。
投稿者には、24歳になる会社員の娘さんがいて、その娘さんがお見合いで一流企業の29歳のビジネスマンと知り合い、相思相愛になった。
娘さんは、いわゆる深窓の令嬢として育てられた箱入り娘なので、会社へ就職したのも社会経験を積むためという理由だったそうだ。
そんな娘さんと付き合うことになった青年は、デートの際も門限をきっちりと守り、二人で旅行へ行くなどということもしたことがない、実に真面目な関係を続けていたのだという。
ところが、ある日、青年が投稿者夫婦の家庭を訪れ、大事な話があるというので、「これは、きっと娘への結婚の申し込みに違いない」と、喜んでいたところ、青年の口から出た言葉は、驚くべき内容だった。
「自分の兄は結婚に失敗している。それは、相手の女性が結婚に向いているか否かを事前に見極められなかったからだ。自分は、兄のような失敗をしたくはないので、お嬢さんとテスト同棲をさせて欲しい」
テスト同棲という言葉を聞いて、投稿者は愕然とした。いったい、これまで手塩にかけ可愛がって育てて来た自慢の娘に対して、何という無作法な言い草か!
特に投稿者の夫は、娘を侮辱されたも同然だと大激怒し、「もしも、その同棲がうまく行かなかった場合は、娘を傷物にして捨てる気なのか?そんな無礼な奴に娘は任せられない」と、二人の付き合いをやめるよう娘さんを説得。早くも新しい見合い話を持ってきているということだった。
しかしながら、娘さん自身は、青年が同棲したいというのならそれでも構わないと思っているようだとのこと。
そんなわけで、投稿者は、どうしたらよいものか悩み続けているというのである。
この質問に対する回答は、「同棲ぐらい、今時少しも珍しいことではないのだから目くじら立てる方がおかしい。しかも、24歳にもなる娘さんの将来を両親が決めるという方が不自然で過保護」というものが多かった。
「同棲は今時珍しいことではない」という考え方が当たり前のようにまかり通る世の中にも、何処か古くからの日本人の美意識のタガが外れているような危機感を持つのだが、そんな中でも、一つ面白い回答があった。
それは、「同棲は女性の方にリスクがあり過ぎるので、同棲を認める代わりに、その青年から10億円ほどもらっておけ。そして、同棲が失敗したらその金は没収。成功したら、返すということでいいのでは?」というものだった。
まあ、10億円は少し高額過ぎると思うが、なかなかいいアイデアではないかと思う。失敗したらお金を没収されると思えば、男性側も軽はずみな真似は出来ないと、生活態度を自重自戒するのではないだろうか。
また、もしも、どうしても同棲したいと娘さんがいうのなら、その同棲を投稿者の家で行なうという手もあるように考える。
お互いに結婚に向いているか否かを確かめるための同居ならば、娘さんの実家で行なっても何ら問題はないはずだ。青年は、娘さん宅から会社へ通えばいいのである。
そうすれば、両親の目の届くところへ二人を置いておくことが可能なので、青年も下手なことはできないし、真摯に結婚を考えるのではないかと思うのだが。
それにしても、「テスト同棲をさせて欲しい」などと、良くも平気でそんな相手の神経を逆なでする台詞が口から出たものである。
回答者の中には、「青年が誠実な証拠だ」などという者もいたが、わたしには、単なる物の言いようを知らない世間知らずとしか思えないのだが・・・。
それでも一流企業へ勤めているということの方が、「何じゃ、そりゃ?」である。
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何じゃ、そりゃ?
2011年11月14日
何じゃ、そりゃ?

今しがた、ヤフーの知恵袋への投稿を読んでいて、思わず「何じゃ、そりゃ?」と、口走ってしまった。
投稿質問をかいつまんで言うと、
友人夫婦が二人で出掛けたいので、投稿者に5歳になる子供の世話を頼んだ。
その際、子供に補助輪なしの自転車の乗り方を教えてやって欲しいと言われ、子供と一緒に自転車も預かったので、投稿者は父親譲りの自転車攻略法を使い、20分ほどで乗りこなせるようにしてしまったのだという。
ところが、その後、友人の夫が「子供を自転車に乗れるように指導するのは親の役目であり、楽しみだ。それを奪われた」と、激怒。
友人との仲も気まずくなってしまったのだという。
回答者たちの反応はといえば、
「自転車に乗れるようにしてやって欲しいと頼まれた投稿者は悪くない。友人の夫が言う、『親子だからこそ判る楽しみを奪われた』という気持ちも理解できるが、本音は、自分が子供に教えても出来なかったことを、投稿者がいとも簡単にやり遂げてしまったことが悔しいのだろう。気にすることはない」
と、いうものだった。
これを読んでいて思い出したのだが、わたしも弟から、当時まだ幼稚園へ通っていた甥っ子が補助輪なしの自転車に乗れるように訓練して欲しいと頼まれたことがあった。
後日、甥っ子の自転車乗り訓練をしようと近くの学校のグラウンドへ張り切って行ったのだが、何のことはない、甥っ子はグラウンドへ着くや否や、訓練するまでもなくスイスイ乗りこなしてしまったのである。
つまり、わたしが教える前にも彼は何度か弟と練習をしていたようで、おそらくは既に乗り方のコツを掴んでいたに違いなかった。
子供が新しい運動能力を体得するのは、大人が考えるよりもずっと早い。
その投稿者に激怒したという友人の夫の知らないところで、子供は既にほぼ自転車の乗り方をマスターしかけていたのかもしれないのである。
その子供がそれ以前にも自転車の乗り方を練習していたとすれば、投稿者が乗り方を教えるまでもなく、乗れていた可能性だってあるのだ。
親が子供の成長をその目で見たいと思う気持ちも判らなくはないが、ほとんどの子供は親の見ていないところでいつの間にか成長しているものなのだ。
因みに、わたしの甥っ子がいともたやすく自転車に乗れた一番の理由は、
「熱血おばちゃんのしごきに対する恐怖心」
だったのかもしれないが----。(爆)
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手術着の色は・・・
2011年11月13日
手術着の色は・・・

今から50年以上も前のこと、ニューヨークの外科医が、手術中にやたらに目が疲れることを気にしていた。
しかも、手術室の白い壁を見ると、そこに青緑色の影のようなものまで浮かぶので、外科医は、色彩の専門家にこの状況を相談した。
色彩専門家が説明することには、
「それは、色対比という現象で、手術室で赤い血液ばかり見ているために、視線を白色の壁へ移した時、その残像が映るのだ」
との話であった。
色対比とは、混ぜ合わせると白になるという光の色の現象で、血の赤色の補色が青緑色なのであった。
そこで、手術室の壁の色や手術着の色を白色から青緑色に替えたところ、この現象はなくなった。
ついでに、極度に明るい手術室の無影灯の光が、白い手術着に反射して起こる目の疲れも軽減することが出来たのである。
しかも、この青緑色は、手術の際の緊張までも緩和する効果があったというのだから驚きである。
因みに、会社やスーパーなどの苦情処理を扱う部屋の壁も、クレーマーの気持ちを和らげるために青緑色にするところもあるそうだ。
色には、人の気持ちをコントロールしたり、目への刺激を緩和するという役割もある。
地デジテレビの色が圧倒的に黒が多いのも、画面を見ている時の目の疲労を少なくするためと、信頼性の高い無機質な重厚感を消費者に感じさせるためなのだという。
*** 資料参照

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彼女の本気度を見抜くには・・・
2011年11月12日
彼女の本気度を見抜くには・・・

あなたには、社内に好意を寄せる女性社員がいます。
その女性社員を食事に誘いたいと思い、ある日思い切ってこう訊ねました。
「ねえ、今度の休みだけど、何か用事あるのかな?」
「どうして?」
「もし、良かったら、一緒に映画でも観て、その後食事でもどうかなと、思って・・・」
「ごめんね。その日は、ちょっとやることがあるの」
「そうか・・・。じゃァ、いつならいい?」
「このところ仕事が立て込んでいるから、判らないわ。また、機会があったらね」
この会話では、女性社員にはあなたと食事をする気持ちはほぼないと考えてよさそうですが、それが判るのは、彼女が二度、あなたの誘いを断わっている点です。
「その日は、ちょっとやることがあるの」
「このところ仕事が立て込んでいるから----」
しかも、「また、機会があったらね」と、あいまいな返事をしていて、あえて具体的な日にちをあげてはいません。
しかし、もしも、彼女の返事がこんな具合だとしたら、
「その日は、ちょっとやることがあるの。でも、次の休みなら、たぶん空いているはずよ」
「このところ仕事が立て込んでいるから----。でも、また、気が向いたら誘ってちょうだい」
これなら、案外脈ありだと見ていいようです。
女性社員に少しでもその気があるのなら、誘いを一度断わっても必ず自分から都合のいい日を指定したり、再度の誘いを促すはずなのです。
相手の言葉をよく観察すると、ささいな違いにも答えが隠れていることはママあるようですね。
*** 資料参照

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じっくり派、テキパキ派
2011年11月11日
じっくり派、テキパキ派

あなたは、自分の性格を考えた時、次のどちらのタイプに近いと思いますか?
A 携帯電話が手放せない。
いつも仕事に追われていないと不安だ。
一つの仕事に長時間かけるよりも、幾つもの仕事を短時間ずつ消化したい方だ。
日に何度も友だちからのメールが入らないと不安だ。
B 携帯電話を家へ置き忘れて来ることがある。
一つの仕事に没頭すると、他のことは眼中になくなる。
一度にいくつものことが出来ない無器用な人間だ。
友人からのメールは、一日一回確認すれば十分だ。
Aのタイプだと思う人は、明らかにテキパキ派人間ですね。
同時に幾つもの仕事をこなし、一日に何人もの人間に会わないと世間から取り残されているのではないかと焦るタイプです。
こういうテキパキ派の人は、時間を有効に使うことばかりを考えるあまり、とかく感情面がおろそかになりがちだそうです。
つまり、相手との気持ちのやり取りが出来ていないのに、上辺だけの付き合いは多いということで、本当の友情や恋愛を手に入れることが難しい人だといえるのです。
たとえば、一人の人と長い時間をかけてじっくり話をする術を身に付けないと、結婚生活もままならないことになりかねません。
週に何回も恋人と会ったとしても、一回の出会いで会話をする時間が短い人たちの恋は、結局破綻する確率が高いのだとか・・・。
それよりも、月に数回しか会うことが出来なくても、会った際の時間をゆっくりと有効に活用するBタイプの、一見、生き方が無器用に思える人同士の方が、案外、恋愛も長続きするようですよ。
*** 資料参照

ところで、冬は極寒になる長野県が県民幸せ度ランキング7位というのですから、驚きです。
高齢化は進み、物価もそれほど低いわけではなく、医師不足も深刻な長野県で暮らすことが幸せだと思える理由は何なんでしょうね。
確かに都会に比べれば食べ物はおいしいし、水もきれいだとは思いますが・・・。
温泉が豊富だからでしょうか?競争がない分、高望みをする必要もない----と、いうことなのでしょうか?
犯罪が少ないということもあるようですが。
不思議ですね。
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近頃気になること
2011年11月10日
近頃気になること

このところ、テレビコマーシャルを観ていると、少し気になる言葉がある。
それは、「ギュッ!」という言葉だ。
シチューのコマーシャルでは、「おいしさギュッ!」「ぬくもりギュッ!」と、言っていて、ある自動車のコマーシャルでも、やはり同じく「ギュッ!」を連発しているのだ。
他にも有名子役を起用して、この「ギュッ!」を使っているテレビCMがある。
ここまで「ギュッ!」を連日聴き続けると、この表現の裏に何か経済界や産業界の特別な思惑があるのではないかと、疑いたくなってしまう。
この「ギュッ!」という表現は、文字通り人や物が縮こまる意味を持っているわけで、良い方へ考えれば連帯感とか協調、結束、温かさ、思いやりなどを連想させる言葉だといえよう。
しかし、一方、あまり良くない方へ考えると、束縛、固執、頑固、行動的でないというような感覚にとらわれる言葉だともいえる。
3月11日の東日本大震災から早八ヶ月が経ち、今も多くの日本人の気持ちは国外よりも国内へ向いているといっても良いだろう。
国際社会へ目を向ける余裕などなく、自分の足元の生活地盤を固めることに精一杯なのが現状である。
そんな人々の内向きな気持ちに殊更に心地よくひびくのが、この安心感を詰め込んだ「ギュッ!」なのではないのだろうか。
映画やテレビドラマでさえ一頃の海外物一辺倒から、国産の映像へと国民の視点が移り始めている。
日本人の底力を鼓舞する南極冒険物や家族愛物が視聴者に受けるのも、今こそ日本人は日本人としての誇りや愛に回帰するべきなのだというコンセプトが、制作者の意識の中に強く反映しているからだとも思われる。
言わば、その象徴的表現が、「ギュッ!」なのである。
テレビが視聴者に向かって、「ギュッ!」を言い続ける理由は何なのか?
国民の目を内に向けておくために唱える、ある種の呪文なのではないだろうか?
そんな穿った見方さえしてしまいそうな、昨今のテレビCMである。

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逆境に強い人、弱い人
2011年11月09日
逆境に強い人、弱い人

あなたは、仕事や人間関係で行き詰った時、簡単に諦めてしまう方ですか?それとも、状況を打開しようと踏ん張る方ですか?
あなたは困難な状況に立たされた時、どのような考え方をするか、次の項目に当てはまるものを選んでください。
A 友だちが自分の考えを理解してくれない。
わたしに問題があるのではなく、友だちの方に個人的な問題があるに違いない。たとえば、奥さんとケンカをしたとか・・・。
B 大切な人と口げんかをしてしまった。
きっと、わたしの言い方が悪かったんだろう。もう少し、言葉に配慮すべきだったな。
C 会社の重要な仕事から外されてしまった。
たぶん、この仕事だけはわたしに向いていないと上司が判断したのだろう。わたしの能力が劣っている訳ではないはずだ。
D 仕事が押して、新幹線に乗り遅れた。
わたし自身のスケジュール管理が間違っていたのだ。もう少し、効率よいやり方で時間短縮をするべきだった。
E 誕生日に友人からのお祝いメールが届かない。
きっと、わたしの誕生日を忘れているに違いない。「おめでとう」の一言ぐらい言えよと、電話してやろう。
これらの項目に多く当てはまる人ほど、逆境に強い人と言えるのだそうです。
つまり、逆境に立ち向かうことが出来るか否かの違いは、その人の考え方の違いにあると言われ、困難に直面した時、次のような思考をすることが大切なのだといいます。
1 傾聴----逆境に直面した時は、まず、自分の反応に耳を傾け、自分がどのような状態かを客観的に把握する。
2 探究----どうしてそういうことになったのか、逆境の発端を知り、自分にはどのような責任があるのかを考える。
3 分析----逆境の原因を見極めたうえで、それは今後コントロールが可能なものか否かを判断し、コントロールした場合の自分の人生への影響を計算する。
4 実行----逆境を打開するうえで必要な情報を集めたり、自分に出来ること、他人に手伝ってもらわなければならないことを整理し、行動する。
こうして、今、自分が置かれている状況を冷静に判断しつつ、今後行なわなければならないことを決断する力を身につけることが、すなわち逆境に強い精神力を養うことになるのだそうです。
そうはいっても、いきなり思いがけない試練に直面すれば、誰でもパニックに陥ってしまうのは仕方がありませんよね。
それが普通の人間の反応というものです。
まあ、早い話が、「バカは風邪ひかない」の論理と似ていて、自分に甘く他人に厳しいポジティブ思考の人ほど、実は逆境に強い人と言えるのかもしれませんね。
*** 資料参照

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