別れの手紙
2012年06月19日
別れの手紙

ここに二通の手紙があります。
どちらの方が、彼と別れたいと思う気持ちが強い女性が書いた手紙だと思いますか?
<A子さんの手紙>
「お久しぶりです。最近、お互い忙しくて、前のように頻繁に会うことが出来ませんね。あなたからのメールや電話も仕事の話題ばかりだし、二人の間にはもう共通の会話はないに等しいようなものです。このまま、ずるずる付き合っていても単に無駄な時間が過ぎるばかりだから、この際、これまでの関係にピリオドを打って、お互いに新しい一歩を踏み出しましょう。今まで、本当にありがとうございました。さようなら」
<B子さんの手紙>
「最近、あんまり会話ないよね、あたしたち。このままじゃ気持ちも中途半端で、イライラするばかりだし・・・。こういうずるずるした関係って、嫌いなんだよね。もう、この際、きっぱりと別れた方が良いんじゃないのかな?その方が、お互いすっきりするだろうし・・・。このままじゃ、ホント、良くないと思う。もしも、もう一度本気でやり直す気があるのなら、また連絡してよ。あたしも、きみのこと嫌いなままで別れたくないし。でも、その気がないのなら、もういいよ。あたしもメールしないから。これを限りに、別れよう」
さあ、どうですか?
本気で彼と別れたいと思っている女性は、A子さん、B子さん、どちらでしょう。
答えは、A子さんです。
その理由は、
1 手紙の言葉が敬語である。親しい間柄同士が敬語を使うようになったということは、何らかのけじめを付けようと覚悟した証拠。
2 手紙の文章が、簡潔で短い。しかも、短文にもかかわらず、どうして別れたいのか、別れたあとはどうしたいのか、そうしたことがしっかりと踏まえられた書き方になっている。
3 最後に、相手への感謝と「さようなら」という別れ言葉がはっきり書かれている。本心では別れたくない相手には、「さようなら」は、出来れば言いたくない言葉だから。
つまり、これを逆に考えれば、本音では別れたくないと思っているのはB子さんの方ということになります。
1 B子さんの手紙は、「別れよう」と言いながら文章が未だに会話言葉。しかも、「きっぱりと別れた方が良いんじゃないのかな?」と、判断を男性側へゆだねている。
2 さらに、「もしも、もう一度本気でやり直す気があるのなら、また連絡してよ」と、二人の関係がもはや修復出来ないものだと、断定はしていない。
3 また「あたしも、きみのこと、嫌いなままで別れたくないし」と、矛盾したことも書いている。別れるということは、嫌いだからで、好きで別れるということなどあり得ない。
4 そして、文章がやたらにダラダラと長い。これは、まだまだ彼に未練たっぷりな証拠。
5 締めくくりに、「さようなら」と、告げていない。本心は、出来れば別れずにすむ方法はないかと、一縷の望みを文末に託しているのである。
文章とは面白いもので、ささいなことからもその人の人柄や本音が見えてしまうもののようです。
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ブロガーが背負う歴史
2012年06月19日
ブロガーが背負う歴史

ブログと一口に言っても、それを書き続ける過程には、さまざまな歴史が積み重ねられるものだ。
ブログを始めたばかりの頃は、大勢のブロガーたちと華やかにコメントのやり取りをして、それは楽しいこともあるだろう。
ところが、長期間書いて行くうちに、次第にブロガー同士の間に派閥なども出来て、自分の意見が素直に言い出せなくなるという弊害が起こるようにもなる。
こういうことを書いたら、あのブロガーとの関係に支障が出るのではないだろうか?
あんなことを書いたら、あのブロガーの考え方とぶつかることになるな・・・。
ブロガー同士の関係が濃くなればなるほど、自分の書きたい意見がどんどん狭められて行くのだ。
コメントをもらえば、相手のブログにも書き返さなくては失礼にあたるのではないか?----とか、毎日一度は相手のブログを訪問しないと、へそを曲げられるのではないか----などなど、気苦労ばかりが多くなり、ついには、
「今度、コメントをやり取りする親しいブロガー同士で、実際に会いましょう」
などというブログ内回覧が回れば、何があっても参加しなければ仲間外れにされてしまうかも・・・等のプレッシャーに負けて、ついにはブログをやめざるを得なくなるブロガーも多々いるのである。
現実社会で顔を合わせる分には、それなりに相手の立場に配慮する大人の対応がとれても、ブログというバーチャルの世界に入り込むと、一気にそうした理性がままならなくなり、執拗に自らの要求を突き付けなければ気が済まなくなるという、ある種の「ブログ病」に陥りやすいのも、また事実なのだ。
つまり、多くのブロガーには、そんなこんなの苦難の歴史が少なからず付きまとうわけで、ごく最近そのサイトでブログを書き始めたばかりのブロガーには、そうした過去の経緯(いきさつ)は、ほとんど判らない。
ただ、コメントのやり取りが嬉しくて、楽しくて、ついつい一人はしゃぎしてしまいがちなのだが、そういう新人ブロガーのコメント相手にだって、艱難辛苦を乗り越えたり、逆に脛に傷持つブロガーも多いのだ。 (そして、脛に傷持つブロガーの方が、何も知らない新人ブロガーとのコメントをより頻繁に行ないたがるという習性があるようだが、これは心理学的に言えば自己弁護の習性とイコールのようだ)
「みんな仲良く、和気藹々(わきあいあい)にブログを楽しみましょう」
は、確かに理想だが、このたった二、三年の間にでさえ、そんなバーチャルの世界の限界に疲れ失望して、ブログを閉じて行った大勢のブロガーを、わたしは見ている。
結局、ブログを長年続けているブロガーたちの多くは、諦念と達観を自分なりに消化し、悟り切った人々だと言っても過言ではないのかもしれない。(中には、過去に自分が犯した過ちはすっかり忘れて、開き直りの態度で書き続けているブロガーも少なからずいるが・・・)
ただ、我が身に翻(ひるがえ)っておもんばかれば、未だそれが出来ているか否かは、はなはだ疑問ではあるが・・・。


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釣り合わぬは不縁のもと
2012年06月18日
釣り合わぬは不縁のもと

少し前から気になっていたのですが、何故か、わたしの撮影する写真に良く似た写真を掲載するブロガーさんがいます。
このブロガーさん、以前は、こんな接写技法はあまり使わなかったように思うのですが・・・。
出来れば、もう少し独自の撮影方法やアングルを選択されることをお勧めします。
人真似しても、面白くないでしょうから・・・ね。(~_~;)
例えばこれは2011年6月26日当ブログ掲載の写真
ヤフー知恵袋に、近く医師との結婚を控えた20代後半の女性看護師さんの質問が投稿されていた。
「結婚相手の医師は、5歳年上で、父親は大病院の院長。彼の兄も医師で既婚。病院は彼の兄が継ぐことになっているので、彼はこのまま勤務医を続ける予定。
わたしは、幼い頃両親が離婚し、親の都合で施設で生活したこともある。でも、奨学金をフル活用して、看護大学を卒業し、今の仕事をしている。
先日、その彼の実家へ結婚をする挨拶に行ったところ、彼の母親から『お母さま』ではなく『奥さま』と呼ぶように注意された。兄嫁は、『お母さま』と呼ぶことを許されているのに、どうしてわたしだけ使用人のような扱いを受けなければならないのか?
彼は、『結婚後は実家との付き合いは最小限にするから気にするな』と、言ってくれるが、今から姑とどう付き合って行ったらいいのか不安だ」
と、いうものだった。
まあ、いつの時代も医師と看護師の結婚には、波瀾万丈が付きものなのだろうが、これについての回答の中には、
「わたしも実は医師である夫と結婚した元看護師だが、結婚の挨拶に行った際、お姑さんから、『女医さんなんだから、結婚したらお仕事を辞めるなんてもったいない』と、嫌みを言われた。医師の家庭は、看護師を嫁に迎えるなんて、とんでもないと思うところも多いもの。それなりの覚悟を決めなさい」
と、いうものがあれば、
「男友だちが代々続く医者の家の子で、友だち自身は医者ではないのだが、一般家庭の女性と付き合っていたら、おじいさんに、『もう、下界の者とはいい加減付き合うな』と、言われたそうだ。こんなことろへ悩みを質問するくらいなら、結婚やめれば?」
と、いうものもあった。

しかし、大半の回答者の反応は、「とにかく、彼を信じて頑張れ!」と、いう応援的なものが多かったように思う。
これを読みながら、ある人のことを思い出した。
わたしの母親の知り合いに、もう今から数十年前に、やはり医師と結婚した女性がいる。
彼女は、看護師ではなかったと思うのだが、ある開業医院で医療関係の仕事をしていたことで、その医師と出会ったのだった。
結婚生活は、東京で始まった。
ところが、義理の両親や医師仲間などとの会話について行けず、次第に孤立感を深めて行った彼女は、ついに離婚。
その孤独感が彼女を精神的に追い詰めていたことで、離婚後も精神科への通院を余儀なくされ、症状がひどい時には行くあてもないのに、毎日早朝にカバンを抱えて急ぎ足で街中を歩きまわるという奇行までも引き起こしていたのだった。
現在は、すっかり症状も落ち着いて、元気にパート勤めをして生活しているが、ある時わたしの母親にこう言ったそうである。
「釣り合わぬは不縁のもと----って言うけれど、ホントだよ。結婚は二人だけの問題じゃないからね。その時はよくても、必ずあとから災難はもちあがるものだから・・・」
障害は大きいほど愛は深まる----などと俗にいうが、結婚とはそんな甘い理想ばかりで続けられるものではないことを、この質問者もしっかりと肝に銘じておいた方がいいのかもしれない。
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AKB48指原莉乃報道について
2012年06月18日
AKB48指原莉乃報道について

長野朝日放送で今日のお昼のニュースを担当した女性アナウンサーさん、「梅雨(つゆ)」のイントネーションが変ですよ。
もう一度、イントネーション辞典でよく調べましょう!
★ AKB48の指原莉乃(19)が福岡市を拠点とする姉妹グループHKT48へ移籍することが16日、発表された。
そうですね。
とはいっても、AKB48の指原さんという女の子が、どういう子なのかもまったく知らないのですが・・・。
(正直、名前の読み方も定かではない)
ただ、どうもマスコミ報道を掻い摘んでみると、この指原さんという女性の元彼が、過去の彼女との交際についてかなり踏み込んだ暴露発言を、週刊誌に売った----と、いうようなことらしいですね。
AKB48というグループは、男女問題にはやたらに厳しいということなのかな?

まあ、タイミングがタイミングなので、巷ではスキャンダル発覚による福岡への「左遷」という見方が一般的みたいです。
それにしても、この指原さん、どうして元彼の暴露発言を、こうもあっさり認めてしまったんでしょうね。
何か動かし難い証拠でもあったんでしょうか?
もしも、証拠があったとしても、過去のことなのだから、「いいえ、そんな事実はありません」と、最後まで知らぬ存ぜぬを押し通せば良かったのでは・・・?と、思ってしまいます。
また、これがアイドル全盛期の30年前ならば、よほどのことでも事務所が裏で手を回して、面倒なことはすべてもみ消してしまったはずなんですが。
時代が変われば変わるもので、今は、スキャンダルの後始末まで、タレント自身がしなければならないなんて、これが現代に真のスターが生まれない最たる理由なんでしょうね。
AKB48にも、有名なプロデューサーがいるのだから、本来ならば彼がすべてをひっ被って指原さんを庇うのが道理のはずだと思うのですが・・・。
「彼女は寒ブリ。もまれて大きくなる」
何だか、責任はすべて彼女にあるかのような、如何にも丸投げ的発言ですね。
何処かの政治家みたいで、AKB48も結局は大人の道楽仕事に付き合わされている感がありありです。
さっさと卒業した前田敦子(字、これでよかったかな?)さんは、意外に先見の明があったのかもしれませんね。
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自信があり過ぎる女性の裏側
2012年06月17日
自信があり過ぎる女性の裏側

初夏となれば、そろそろ「怖い話」なんかも読みたい時季かも・・・。
当ブログには、拙作ながらそんな類のお話が多数アップしてあります。
よろしかったら、カテゴリーの「不思議な話」をクリックしてください。
ちょっと、こわ奇妙な世界がのぞけるかもしれませんよ。

「噂の東京マガジン」という番組に素人が料理を作るコーナーがあるのだが、今日の料理は、「回鍋肉を作る!」だった。
要は、キャベツと豚肉の味噌炒めなのだが、料理を作るギャルたちは、相変わらず凄まじい代物を創作していた。
彼女たちに共通することは、料理の最中にほとんど味を確かめないということだ。
豆板醤と一味唐辛子を大量に鍋へブチ込んだ女性は、
「まだ、甘いかも・・・」
と、言っていた。

そして、もう一つの共通点は、「この料理、作れる?」と訊かれると、おしなべて、
「出来る、出来る。いつも、家で作っている」
と、如何にも自信満々に答えることである。
「あまり、食べたことがないので、よく判らないのですが、作ってみます・・・」などと、謙遜気味に答える女性は皆無と言っていい。
そして、その自信たっぷりの言葉とは裏腹に、とてつもない創造物をでっちあげるのである。
では、彼女たちは何故、出来もしないことを、如何にも得意げに語るのだろうか?
心理学的にいえば、この極端な自信は、すなわち彼女たちのコンプレックスの裏返しであり、そのコンプレックスが大きければ大きいほど、「自分は出来る。簡単だ」と、公言することで、その自信のなさを払しょくしようと躍起になっているということなのである。
つまり、彼女たちは、これまで誰からも料理を褒めてもらったことがないということを、暗に自ら証明しているも同然なのだ。
こうした心理状態は、さまざまなケースに当てはまるわけで、たとえば、自分が美人ではないと知っている女性ほど、「自分はモテる」と言うし、相手のことを愛しているか自信がない人ほど、相手に対して「好き」を連発するということにも、つながるのである。
となれば、合コンなどで出会った女性が、もしもいきなり、「わたし、料理が得意だから、あなたにいつも美味しいものを食べさせる自信がある」とか、「茶道も華道も、習い事はほとんどやったことがある」などと言い出したら、「ちょっと待てよ」と、一考する必要があるかもしれない。
本当に自信がある女性は、自ら進んで危険な賭けなどに踏み込むような発言はしないものなのだから。
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サンデル教授の5000人授業
2012年06月16日
サンデル教授の5000人授業

テレビでマイケル・サンデル教授(英: Michael J. Sandel、1953年3月5日 生、アメリカ合衆国の 政治哲学者、コミュニタリアン。ハーバード大学教授。コミュニタリアニズム<共同体主義> の代表的論者)の「五千人の白熱教室」という番組を観た。
観たといっても、ほとんど掻い摘んだだけなのだが、それでも、意外に興味深い討論がなされていた。
会場に集まっていたのは5000人の日本人学生(だと思う)。
その学生たちに向かって、サンデル教授はこんな質問を投げかけていた。

会場の意見は、賛成と反対が同じぐらいだった。次に、
「病院での診察を受けたいのだが患者が多くてすぐには診察してもらえない。患者たちは診察の順番待ちをしているが、診察のチケットを手に入れるためにはお金がかかる。その場合、ダフ屋が患者のふりをしたホームレスを診察待ちの列に並ばせ、手に入れたチケットを高値で売ることについては、賛成か反対か?」
と、訊ねたところ、今度は反対意見が圧倒的に多かった。
レディー・ガガのコンサートチケットはダフ屋が売ることを許すが、病院の診察チケットを売るのは許されない---と、いう学生が多かったわけだが、この理由を訊ねられた学生の一人は、
「レディー・ガガのコンサートはこれからも見ることは出来るが、病院にかかることは命の問題なので、そういうことに市場原理主義を持ち込むべきではない」
と、答えていた。すると、教授は、この学生に、
「では、医療ではなく、これが学問だったらどうするか?」
と、質問したところ、学生は、「学問にも市場原理を反映するべきではない。貧しい人も等しく受けられなければならない」と、答えていた。
続いて、教授はこんな質問もした。
「大学合格者の中に成績は悪くとも、多額のお金を積んだ者は加えていいか?」
すると、一人の学生は、「その多額の入学金の一部を優秀な教授を雇うお金に使うのならいいのでは?」と、言ったが、
もう一人の学生は、「教育をお金で買うようなことは絶対にしてはいけない。それは私立でもそうだ。もしも、そのお金の一部が貧しい学生の奨学金に充てられるとしても、それはやってはいけない。奨学金や勉強環境の充実は、税金で賄うべきだ」と、真っ向から相手の答えを否定した。
つまり、サンデル教授が言いたいことは、
「資本主義は社会を成り立たせるために必要だが、市場原理は全てにおいて優先されるわけではない」
と、いうことなのだろう。
社会には、売っていいものと、売ってはいけないものとがある。
人の生命や尊厳、知識や情報に関係するものは売買の対象としてはならないはずだ----と、教授は説くのだ。
学生の一人が面白いことを言っていた。
「(成績が上がればお金をもらえるというアメリカの試験的教育導入に関して)お金をもらうことが勉強の面白さに目覚めるためのきっかけに使われることは、悪いとは思わないが、お金をもらえれば何でもやる、もらわなければやらないというような間違った考え方を子供に植え付ける可能性も考えられるので、あまり賛成できない」
確かに、教授の話では、シカゴのある小学校が本を一冊読むたびに2ドルをあげていたところ、本を読む児童は増えたのだが、皆薄い本しか読まなくなったそうだ。
また、ニューヨークでは成績向上のためにテストの点数が良い子供にお金をあげていたのだが、結局、子供たちが頑張ったのは最初の頃だけで、その後の成績には特別の進歩は見られなかったのだという。
このサンデル教授の提唱するコミュニタリアニズム(共同体主義)は、今後、日本が進もうとしているTPPなどのメリット、デメリットを考える場合においても、大いに参考になるのではないかと思った。
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だって、O型なんでしょう
2012年06月15日
だって、O型なんでしょう

近頃、「大往生したければ医者にかかるな」とか、「長生きしたければ、医療を頼るな」という意見が医師の間にもあるようですが、わたしの場合など、医師にかからなかったら、長生きどころか既にこの世にいなかったわけで・・・。
こういう言葉を聞くたびに、「人によりけりだよね~」と、思ってしまいますね。
やっぱり、「おかしいなァ・・・」とか、「やけに痛むなァ・・・」と思うようなことがあったら、病院には行った方が良いと思いますよ。手遅れにならないういうちに。

で、今日、漫画喫茶で逮捕されたという逃亡手配犯について、テレビのワイドニュースなどでは連日、何処へ潜伏しているのか?どんなルートで逃げているのか?----などという報道がされていたが、元刑事や弁護士等のコメンテーターは、
「西へ逃げているのでは?」
「いや、西へ逃げるのは逃亡の常とう手段なので、裏をかいて北だ」
「逃亡生活は、身体が臭くなるので、水辺を注意した方が良い」
「ヨットなどが停泊している港が怪しい。以前、指名手配犯が使われていない船の中で生活していたという例もある」
「インターネットカフェなどで寝泊まりしているのでは?」
「ネットカフェは、監視カメラが多いので、そういう所へは近寄らないのでは?」
「女性が一緒だと、職務質問を受けることがあまりないので、誰か親しい女性と逃げているのでは?」
などなど、様々な憶測や推理を展開していたが、結局、蓋を開けてみれば、監視カメラが置かれているような漫画喫茶という空間での目撃通報が逮捕に結びついたようだ。
それにしても、これまでも300以上の目撃情報が寄せられたにもかかわらず、どれも有力情報として取り上げなかった警察が、今回は通報からたった45分という異例の素早さで容疑者を逮捕したのにも驚いた。
しかも、容疑者がほとんど東京から離れていなかったという事実もビックリだ。
と、ある友人が、こんなことを言った。
「だって、あの人、血液型O型なんでしょう。ネットにはそう書いてあったけれど・・・。O型は、遠距離逃走や高飛びなんかしないでしょ。保守的な気質のO型男性は、自分の縄張り意識が強いから、簡単にフラフラしないよ。それに、案外堂々としている性格だから、平気で人前にも出るだろうし、あの髪形だって、ちゃんと散髪しているから、何処かの理髪店に常連で通ってもいたんじゃないの?」
そういえば、この逃亡中の17年間には、警察沙汰になるような騒動までも引き起こしていたそうだし、それでも身元がバレなかったんだから、不思議といえば不思議だ。
逮捕された際の容貌も、手配写真や似顔絵とはずいぶん違うし、通報者は良く気付いたものだ。
そんな番組でもただ一人、元鑑識捜査官の男性だけは、
「手配写真は上から見下ろしているカットなので、本人よりは細く写っている可能性がある。あまり写真を信用し過ぎないで」
と、言っていた。
捜査のプロが大勢集まっても、正確なプロファイリングは難しいものなんだなァ・・・と、改めて感じた次第である。
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入院中の色々な偶然
2012年06月14日
入院中の色々な偶然

今日、知り合いの女性と話をしていたところ、珍しい偶然話が飛び出した。
知り合いの女性が入院していた時期、彼女と同じ病室にいた年配のある女性のビックリ談を聞いていたのだが、話を聞くうちに、
「何だか、わたしが入院していた時の同室の人に、よく似た話だなァ・・・」
と、思ったので、
「もしかして、その年配の女性は、〇〇に住んでいる人じゃない?」
と、聞いたところ、そうだと言う。
そこで、もう少し情報を提供したら、まったく同一人物だったことが判明した。

その年配女性は、知り合いの女性が入院した日に、入院して来たのだそうで、わたしの時も、わたしが入院した日に、やはり入院して来ていた。
その年配女性の病室でのエピソードの豊富さは、ハンパでなく、医師や看護師たちとの口論も既に当時は有名な話であったが、時をたがえた知り合いの女性の病室でも同様の----いや、それ以上の過激バトルトークを繰り広げていたことを知った。
「すごい女性(ひと)だよね~」
「うん、お医者さんも彼女の我がままにとうとう噴火しちゃってさ----」
わたしも知り合いの女性も、偶然にも同じ女性とベッドを並べていたことを知り、今更ながら仰天したのだった。
この他にも、入院中の偶然として、わたしがある時一日入院したら、二人部屋の隣のベッドが弟のお嫁さんの実家のお母さんだったということもあった。
お互いに入院することなどまったく知らなかったので、顔を合わせた途端、一瞬意味が判らず絶句した。
ところが、こういう時って、いくら親戚とはいえお嫁さんの母親ということもあり、ほとんど他人行儀になるわけで・・・。
向こうの家族がお見舞いに来ても、こちらには挨拶一つなし。
義理の関係者などに病状を知られたくないのかもしれないが、まあ、お互いに知らぬ存ぜぬを通していた方が、楽といえば楽なのだが・・・。
病院内という所は、まれに実に不思議なことが起きる場所なのである。
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「男性は勲章」と考える女性
2012年06月13日
「男性は勲章」と考える女性

歌手の松田聖子(50)が13日、大学准教授の一般男性と婚姻届を提出したことを発表した。「今までずっと私を支えてくださったファンの皆様に最初にご報告をさせていただきます」と自らのオフィシャルサイトで報告した。
3度目の結婚となる聖子。「今年50歳を迎え、同世代の伴侶と新たな人生を歩きだしますが、これからも皆様の心にずっと残っていくような歌を歌い続けていけるよう、一生懸命頑張ってまいります」と心境をつづっている。
所属事務所によると、結婚会見は行わないという。
聖子は1985年6月に俳優の神田正輝(61)と結婚。長女・神田沙也加(25)をもうけたが97年1月に離婚した。98年には6歳年下の歯科医と再婚も、2000年12月に破局した。(YAHOO!ニュース)
松田聖子さん、50歳にして三度目の結婚。

日本の歌手もついにハリウッド女優並みになって来ましたね。
松田聖子さんといえば、最初の結婚が「聖輝の結婚」と呼ばれたほどに、美男美女カップル誕生として、とにかく大いに日本中をにぎわせましたよね。
そして、次は歯科医師との「ビビビ婚」でしたか・・・。
これも、一大ブライダルブームの火付け役になりました。
そして、今度は、大学准教授がお相手。
どうも、彼女は、恋愛対象となる相手の男性に対して、常に上級のステータスを求める女性のようです。
こういう女性は、心からその男性自身を愛しているのではなく、男性の地位や肩書に恋心を懐いていることと、通常の恋愛感情を混同してしまうきらいがあるようで、相手の男性の現実が見えた途端に、一気に夢が冷めてしまうという傾向が無きにしも非ずなのです。
「男性は、自分の勲章だ」と思いたいわけですね。

立派なステータスを持った男性を手に入れたことで、自分自身の価値も上がると信じているのです。
こういうステータスシンボルへの憧れが強い女性は、何故か血液型A型に多いそうで、果たして聖子さんもA型。
気持ちよりも体裁や形式美にこだわるA型女性は、周囲の目には自分たち夫婦がどのように映るか----それをいつも頭の隅に置いているようなところがあるのです。
ですから、彼女たちの恋愛は何処か一箇所が冷めていて、理想が崩れた途端、恋も終わるということのようです。
加えて、松田聖子さんの場合は、彼女の生まれにもそうしたステータス願望に走る一端があるようです。
彼女の本名は蒲池法子(かまちのりこ)ですよね。
福岡県にある生家は、16代柳川城主の三男の子孫であり、元柳川藩の家老格の家柄だそうです。
彼女自身もこの格式を大事に受け継いでいるようで、神田正輝さんとの披露宴では、白無垢に蒲池家代々の家紋である左三巴をつけて臨んだとか・・・。
つまり、松田聖子さんにとっての夫は、最愛の人という以前に、彼女の究極の上昇思考を満たしてくれる男性でなければならないということになるわけです。
まあ、そこにもちろん愛があれば、それが最高なのでしょうけれど・・・。
とにもかくにも、今度こそ、お幸せに。

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そんなにショックなこと?
2012年06月12日
そんなにショックなこと?

長野市民新聞連載の『地域医療最前線~七人の外科医~シリーズ』をご愛読、ご好評いただきまして、誠にありがとうございました。
現在、次回作執筆のため、鋭意、取材を進めておりますので、今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます。<(_ _)>

ヤフー知恵袋に投稿されていたある自営業男性からの質問に、
「妻は、義理の両親とも弟夫婦とも円満に過ごすよう努めているし、三人の子供の良き母親でもあり、いつも明るく家庭を切り盛りしてくれているが、この弟の奥さんが妊娠したことで、今まで妻が着ていた洋服をマタニティーウエア代わりに欲しいと言って来た。
妻は、どちらかといえばぽっちゃり体型なので、160センチ40キロしかない超スリムな弟の奥さんならば、妻の普段着がマタニティーウエアとしてもちょうどいいのだという。
家族は、それについて『経済的にもいいアイデアだ』ということで、妻に洋服を貸してやるように促したところ、いきなり妻が怒り出した。
『跡取りが欲しいと言うので、三人もの子供を産んだから、こんなに太ってしまった。みんな、あなたたちのために今まで我慢して来たが、ここまで侮辱されるとは思わなかった』
それからというもの、妻の態度が一変。常に機嫌が悪いのだが、どうしたら元の妻に戻ってくれるのだろうか?」
と、いうものがあった。
確かに、既婚未婚問わず、女性にとって太っているという言葉は、一番の禁句だと言っても過言ではないだろう。
ましてや、義理の妹から「お姉さんのマタニティーウエアを貸して下さい」ではなく、普段着を貸して欲しいなどと言われれば、それは遠まわしに、「あなたは、デブです」と、言われているようなものである。
回答者たちの間にも、質問者の奥さんが激怒するのも当然だという意見が大半だった。中には、「わたしなら、弟の妹に掴みかかっている」という女性からの回答もあった。
また、「質問内容があまりにひどいので、釣り(作り話)じゃないか?」と、疑う回答者も多かったほどである。
でも、わたしに言わせれば、この程度の話は何処の家庭にも転がっているんじゃないかと思う。
そんなにショックなことなのかなァ・・・?

事実、わたしも自分の普段着を弟のお嫁さんが妊娠した際にあげたことがあった。
当時、弟のお嫁さんは、それこそかなりのスレンダー女子だったので、わたしの普段着でも大きすぎるくらいだったのだ。
ただ、この洋服は、その後何故か彼女の実家のお母さんが着ていたので、そのことの方がビックリだったが・・・。

まあ、お金があるならば新しいマタニティーウエアを買うことも良いだろうが、子供が産まれれば経済的負担も増すことだし、使えるものならどんどんリサイクルするのも生活の知恵ではないかと思う。
わたしなら、この質問者の弟のお嫁さんは、何と経済的な女性なのだろうか・・・と、むしろ歓迎するくらいだ。(それほど痩せているなら、食費もかからず何でも着られる)
一つ懸念材料があるとすれば、この体型ではあまりに痩せすぎているので、身体の何処かに持病でもあるのではないかとの一抹の不安が無きにしも非ずだということか・・・。
子育ては体力勝負なのだから、質問者の弟のお嫁さんには子供が産まれたのちは、もう少し太って筋力をつけてもらわねば子供が可哀そうだということだ。
日陰の菜っ葉のような身体では、母親業は務まらないのだから。
で、これはあくまでわたし個人の意見だが、女性はギスギスよりも、少しぐらいぽっちゃりの方が可愛いと思う。
今の女性たちは、とにかく痩せすぎの感が否めない。
人間、大病をしても、痩せすぎよりもむしろやや太り加減ぐらいの方が、生存率は高いらしいし・・・ね。
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あんな良い子が・・・
2012年06月12日
あんな良い子が・・・

凶悪事件が報じられると、時々、マスコミのインタビューに答えている近所の人のコメントに、
「あんな良い子が、こんな大それた事件を起こすとは想像もしませんでした」
と、いうものがある。
確か、漫画『サザエさん』に登場するカツオも、お見合いの席で女性に男性を紹介する人が、その男性のことをベタぼめしたところ、「まるで、犯人のような人ですね」と言っていた。
大阪で通行人二人を殺害した犯人も、子供の頃は大人しく目立たない子供だったそうである。
どうして、そんな良い子が犯罪に走るのか・・・?
それは、そういう人間は、生まれた時から両親や兄弟の前で常に良い子を演じ続けて来ただけだからだそうである。
では、良い子とはどういう子供を指すのかといえば、それは、親の言いつけを素直に聞き、その期待通りのふるまいをする、聞き分けの良い子ということになる。
兄弟げんかもせず、親や家族に口答えもしない。勉強もいつもクラスのトップで、明るく思いやりのある大人しい子供---それが大人が理想とする良い子なのである。
だが、神様でもない限り、そんな子供が実際にいるはずはない訳で、そういう怒りも失望感も発信することのない子供を演じ続けていると、人間はどうなってしまうのか?
何処かで自己主張をしなければ「自分」という存在理由が見出せない大人に成長してしまうのだそうである。
人間が人間であるということの証明は、「自分は、あなたたちとは違う」ということを主張することにある。
故に、両親や兄弟とは異なる趣味や才能を持ち、そういうことに対しては人一倍の優越感を自覚している場合は、子供から大人へ成長する過程で、それらの才能を発揮して、「他者との相違」を発信する術を身に付けることが出来るのである。
それがいわゆる「自我の確立」でもあるのだそうだ。
ところが、こうした才能を持たないか、また持つ自由さえも奪われて育った子供は、「他者との相違」をまったく別の手段で発信しなければならないことになる。
その際の選択を間違えれば、それが自らを壊すという意味での自傷行為であり、また犯罪に走るということにもなるらしい。
現代の10代から30代の若者たちには、殊に、こうした良い子のまま成長した人たちが多いと言われる。
少子化の影響もあり、かつての兄弟が多い時代の子供たちのように両親の目を盗んで子供だけの世界観の中でのびのびと生きることを許されなかったことが背景にあるのだという。
そういえば、今の子供たちは、下校したのち友だちの家を訪れる前に、携帯電話で今から行ってもいいかと、先に連絡を入れるのだと聞いたことがある。
何の前触れもせずに、いきなり訪ねても、相手の子供も親も何も言わずに受け入れてくれていた時代とは大違いだ。
学習塾や習い事をする子供が多いせいで、突然の訪問では不在のこともあるのかもしれないが、何だか窮屈な時代になったものだと、ため息が出てしまった。
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『街コン』に期待すること
2012年06月11日
『街コン』に期待すること

昨日のテレビ番組で、今流行りの大人数合コン『街コン』についての特集をやっていた。
『街コン』は、今や日本各地の都市部で行なわれているようだが、その番組では700人が参加する商店街をあげての男女の出会いの場を紹介していた。
取り上げられていたのは、初めて参加する如何にも純朴そうな双子の兄弟と、『街コン』はこれで二回目という友人同士の男性二人。

双子の兄弟は、最初のうちは、参加者が大勢集まる飲食店へ入っても、どうしたら女性たちと会話が出来るのかも判らず、結局二人きりで飲み物を飲んでいた。
しかし、次に入った店では、二人ともお気に入りの女性を見付けて、積極的に声をかけ、なんと、女性たちのメールアドレスまでもゲットすることに成功していた。
ところが、『街コン』二度目という男性たちは、さすがに女性への声かけも手慣れた様子だったが、何故か女性たちの方がガードが固く、それ以上の進展はなかったようである。
「次は、結婚相手を探しに来ます」
と、男性の一人は言明していたが、思うに、どうもそういう何処か切羽詰まった感が、逆に女性たちには警戒心を懐かせてしまっているような気がした。
合コンとはいっても、男性と女性の感覚は微妙に異なっているようだ。
女性たちは、どちらかというと単純に街がにぎわうお祭騒ぎを楽しんでいる感があったのだが、男性たちには正に『婚活』そのものという必死さが如実に表われていて、会話を楽しむという余裕に欠けているように思えた。
女性の心理からすると、男性の一生懸命な姿というのは、仕事やスポーツなどで発揮して欲しいと思うのが普通で、プライベートではむしろ余裕をもった雰囲気が理想なのだという。
そういえば、先の双子の兄弟はまだ見たところ二十代前半という若さだったが、『街コン』二回目の男性たちは、彼らよりも少し年長のように見えた。
それだけに、彼らは恋愛や結婚に対する意気込みが大きく、女性たちは下手な返事は出来ないと、重く感じてしまったのかもしれない。
どうも傍から見ていると、『街コン』のようなイベントへの参加意義は、あまり「結婚相手を見付けるぞ!」と力むのではなく、楽しく会話をして、色々な人との出会いや人生を知るという程度でいいのではないかと思う。
「女性は、何を考えているのか判らないので面倒くさい。ご機嫌取りばかりでは疲れる」
そんな先入観から二の足を踏む男性も多いだろうが、たとえ会話をするうちに、女性たちと意見が合わずに議論を戦わせることになったとしても、それも参加者たちの将来への財産になるだろう。
(そういう相手の方が記憶に残りやすいというメリットさえある)
現実の人間関係は、バーチャルのように簡単に割り切れるものではない。
ネットの中のあとくされのない会話にばかり慣れている現代の若者たちこそ、生身の人間たちとのよい意味での切磋琢磨は必要なのではないかと思うのである。
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それでも食べるのか?
2012年06月10日
それでも食べるのか?

わたしは、生レバーというものを食べたことがないので、よく判らないのだが、七月からこの生レバーを飲食店が提供すると、それが客からの強っての注文だったとしても、犯罪になるということをあるテレビ番組が報じていた。
これに対する街の声を拾うと、なんと60パーセント以上の人たちが、レバーの生食を継続して欲しいと思っているとの結果であった。
レバーは、表面だけをトリミングしても大腸菌が除去できない部位だそうで、これを徹底的に滅菌するには、やはり熱を加える方法しかないというのが、現段階での調査結果だという。
そのため、今後レバー内部の大腸菌をも除去出来る技術が開発されるまでは、飲食店での生レバー提供の法規制が続くということである。
とある焼き肉店経営者は、
「死亡者が出たということもあり、規制はやむを得ないと思うが、レバ刺しが食べたいというお客さんは未だに多い。こちらがどんなに理由を納得しても、お客さんの方が理解していないことが問題。生レバーは出せないと断われば、他の店へ行かれてしまう」
と、困惑していた。
今では、如何にもレバ刺しのような食感が味わえるこんにゃく製品も登場したようだが、これはあるアンケートに書いてあったことだが、問題の一つには、鉄分補給を目的に生レバーを食べている女性が意外に多いということもあるようだ。
ある女性は、
「貧血気味だということで、レバーを食べるように言われたが、熱が通っているレバーは、臭くてとても食べられない。でも、レバ刺しならば苦にならずに食べられるので、薬がわりに食べていた」
と、話す。確かに、貧血改善のための鉄剤もあるが、便が黒くなったり、人によっては便秘になるなどの副作用もあるので、よほどひどい貧血状態でもない限り、女性は経験しがちになってしまうかもしれない。
番組のコメンテーターたちの意見は、「自己責任で食べてもいいのでは?」というものが多かったが、客が万が一食中毒を起こしても飲食店の名前を公表したりしないという確約でも取れない限り、飲食店側もおいそれと提供は出来ないだろう。
賞味期限が一日過ぎていても販売店へ苦情が殺到する昨今である。
今の日本人に何処まで「自己責任」が全うできるか怪しいものだ。
これからも、この生レバー問題は尾を引く予感がするが、クジラ肉と同様に、いつしかその存在自体も過去のものとなる日が来るかもしれない。
健診でセクハラ・・・?
2012年06月09日
健診でセクハラ・・・?

ある新聞の投稿欄に、「女子高生が、『校内健診の際に男性医師が必要以上に衣類をまくりあげて聴診器をあてるので、とても嫌だった。あれは嫌がらせというよりもセクハラだ』と、投書していた。わたしも、そういう経験があり、忘れようと思っても忘れられないほどに悔しかった」と、いうような30代女性からの投書があった。
女子高生の投書に対して、健診をする側から「これからは配慮するよう気を付ける」との回答があったとも書かれていたが、確かに、こういうことはあるだろうし、女子高生やこの投書をした女性の気持ちもよく判る気がする。
わたしが通っている病院でも、胸から下のレントゲンを撮る際などは、お腹にバルタオルをかけてもらい撮影したこともあった。
いくら病人とはいえ、女性患者には殊に自尊心を傷つけないようにする気配りが必要だと思う。
ましてや、単なる健診で洋服をいきなりまくりあげられた女子高生のショックは想像に難くない。
二度と健診など受けるものかと、怒りと恥ずかしさと悔しさで思い悩むことだってあり得る話である。
一方、医師の立場にしてみれば、患者の気持ちばかりに配慮し過ぎていい加減な健診になり、病気を見逃すようなことがあっては、その方が一大事だと徹底的に慎重に調べたいと思うのも当然であろう。
その辺りの双方の思いの兼ね合いが難しいのだと思う。
そういえば、わたしも学生の時分、慈恵医大から大学へ派遣された男性医師たちの健診を受ける際、出来るだけ年長に見える医師のところへ並んだものだ。
わたし同様にほとんどの女子学生たちもその医師のところへ並んだため、他の男性医師たちは手持無沙汰の様子であった。
いずれにせよ、患者側が心理的抵抗感から健診を受けなくなれば、それが一番の問題なのではないかと感じた。
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スポーツが苦手な人は・・・
2012年06月09日
スポーツが苦手な人は・・・

わたしは、小学校低学年の頃、スポーツの中でも特に駆けっこが苦手だった。
とはいっても、特別足が遅い方ではなく、そこそこのタイムを出していた。
が、どうして、駆けっこが苦手だったのかといえば、それはスタートの時のピストルの合図が大嫌いだったからである。
あの、火薬が破裂する「パンッ!」という乾いた音がとにかく嫌だった。
あれが聞こえないように耳をふさいだ時もあり、当然、スタートは他の子供たちよりも遅れることになる。
しかし、自分一人でスタートを決めて走るような場合は、かなりの速さで走ることも出来たので、サッカーや野球などは得意だった。
そんな訳で、短距離走が苦手だったために足が遅いものと判断されていたので、リレーの選手などに選ばれたことは一度もなかったのだが、もしもあの頃、ピストルの音に戸惑う必要のない第二、第三、アンカーなどの走者に選ばれていたら、なかなかの成績を出していたのではないかと、今更ながら考える。
つまり、一口に言ってスポーツが苦手という人の中には、走ることは得意だが、スタート音が苦手とか、バレーボールなどの球技は好きだが、それにともなう対人関係が嫌だというような人も案外多いのではないかと思うのである。
わたしのように、ピストルの音が嫌いだから、条件反射で一斉スタートを必要とする競技は嫌いだが、笛か何かの軽い音の合図で始まる競技は抵抗なく出来るという人だっているわけで、まだ何も判らない子供の頃にこういうことを体験してしまうと本来の才能を発揮できないまま大人に成長してしまうきらいも無きにしも非ずなのではないだろうか?
運動会などで駆けっこをしている光景を見ると、やはり、わたしのようにピストル音の恐怖でその場にしゃがみこんでしまっている子供も時々目につく。
そんな時は、「ああ、もしかしたら、あの子には素晴らしい走力があるかもしれないのに、あたら芽を摘んでいるようなものだな」と、残念に思うのである。

初めて〇〇を見た!
2012年06月08日
初めて〇〇を見た!

今日、知り合いの女性の家へ行ったところ、彼女がしばらく前に二度ほど入院したという話になった。
「実は、盲腸が破裂しちゃって、内臓をぜんぶ取り出しての大手術になっちゃったんだけれど、その時、胆石もかなりあることが判って、主治医の先生が、『ついでだからこれも取っちゃいましょう』ってことで、腹腔鏡手術になったんだけれど、手術中に盲腸の方はやっぱりお腹を切って出した方が良いということになったもんで、胆のう取るのに二時間、盲腸の方で三時間半ぐらいの大手術になっちゃったんだよね」
と、いうことで、その時に取り出された彼女の胆石を見せてもらった。
ティシューの上にザラザラとこぼされたのは、小さなとげとげの真っ黒な金平糖のような胆石が、な、なんと59個!!

胆石は色々な種類があるそうだが、実物は初めて見た。
しかも、こんなにたくさん胆のうに入っていたのだという。
「すごい、痛そうだね・・・」
わたしが言うと、
「それが、こっちは全然痛くなかったんだよね。でも、このまま放っておいて胆石が胆管を下って途中で詰まりでもしたら、とんでもない激痛に襲われるっていうから・・・・。それに、先生が、『こんなものあってもなくてもいいもんだし』って説明するので、一緒にやってもらうことになったのね。
でも、盲腸の方がひどい炎症で破裂したもんだから、術後にも手術痕が化膿してしまって、膿を絞り出したりでえらい目にあったんだよね。しかも、そのあとで、腸を持ちあげている筋肉の力が落ちていたようで、脱腸まで併発して・・・。
この手術も去年してもらったんだよ」
と、彼女は言う。聞けば聞くほど、危険な状態だったんだなァ・・・と、怖くなった。
しかし、担当医の先生が上手にやってくれたから、今ではだいぶ具合も良いようだ。
それにしても、彼女は、それまでもお腹が痛むということで何軒かの病院を回ったのだそうだが、血液検査をしても虫垂炎と診断されなかったのだという。
それで、手遅れ寸前までの状態になったのだと話していた。
彼女は、どちらかと言うと我慢強い方なので、医師の前ではつい気丈にふるまってしまったのかもしれないが、「痛いということは必死で訴えていたんだよ」とのことだった。
とはいえ、緊急手術が功を奏して、命が無事だったのは不幸中の幸いだった。
わたしもどちらかといえば、痛みを我慢し過ぎてしまったことが病気を悪化させる原因にもなったのだが、痛い時は、恥ずかしがらずに少し大げさなくらいに「痛い!!」と、発信しなければ、大変なことになるという教訓であった。

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昭和の匂いのするブログ
2012年06月07日
昭和の匂いのするブログ

今日は、あまりネタもないのでブログを書こうかどうしようか迷ったが、一つ思い付いたことがあったので、書くことにした。
特にお気に入りへ入れている訳ではないのだが、時々、読みたくなるあるナガブロガーさんのブログがある。
そのブログは、さほどアクセス数が多いわけではなく、読者とのコメントのやり取りも頻繁というわけではないのだが、ブロガーさんの文章に何とも言えない味わいがあり、昭和初期の良き日本がそこはかとなく漂っているかのような懐かしささえ感じられるのである。
とはいえ、そこには格別珍しい日常が描かれている訳ではない。
文字もカラーを駆使したり大きさを替えるような、派手な真似はしない。
写真も情景写真が主で、ごく少なめだ。
そして、毎日の暮らしぶりが淡々と書きすすめられているだけなのだが、これが何とも心地よい流れなのだ。
難しい言葉を並べることもなく、強く自己主張することもない、まるで淡い水彩画のスケッチのような世界観がそこにはある。
今の若い人たちには、おそらく刺激のない退屈に思えるような文章だが、一度読むと、何度でも読み返してみたくなるようなブログなのである。
ナガブロにも、こんな文学性豊かなブログがあることに、改めて気が付いた。

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イベント女子ほか
2012年06月06日
イベント女子ほか

★ 毎日何かしらのイベントを自らに課さないと、ストレスになるというタイプの女性が意外に多いという。
今日は友人と豪華ディナー、明日は恋人とアミューズメント・パーク、明後日は家族とショッピング・・・。
ところが、こういう人は、そうしたスケジュールが埋まらないと逆にストレスになるような精神状態になってしまっている可能性があるのだそうだ。
「どうしよう・・・。3日から6日まで、スケジュール欄が真っ白だわ」
こうなると居ても立ってもいられず、仕事も手につかなくなってしまう。
こんな精神状態が頻繁に現われるようになったら、あなたは、立派なイベント依存症といえるのかもしれないな。
★ 先日、共同浴場へ行ったところ、湯船のお湯が半分ぐらいしか入っていなかった。
先に入浴していた近所の主婦が、
「わたしも、入って来てビックリしたわよ。もう、服も脱いじゃったし、入ろうか入るまいか迷ったんだけれど、お湯と水を多めに入れて、やっとここまでにしたのよね」
と、言う。もっと詳しく聞くと、どうやら湯船の栓が半分上がった状態だったようなのだ。
「あたしよりも前に入った人が、足か何かに引っ掛けて、栓が抜けたことに気付かずに上がって行ってしまったのかも・・・」
と、主婦は困惑していた。
それにしても、お湯が浴槽に半分しかないところへ入るという経験も、そうあるものではない。
何となく、大きな木箱の中へ入っているような気分で、奇妙だった。
★ 6日、ひげの殿下として国民に親しまれた三笠宮寛仁さまが逝去された。
66歳だった。
寛仁さまといえば、身障者のためのスキーの普及にも力を注がれていて、北志賀高原で行なわれた大会に来賓として出席された時の経験を、熱心に語っておられたことが思い出される。
心よりご冥福をお祈りいたします。

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夫の言葉の裏側には・・・
2012年06月06日
夫の言葉の裏側には・・・

ヤフー知恵袋に、「夫がわたしに『お前は、専業主婦だからいつも家にいるだけで、何もしていない。お前にしか出来ないことは何なんだ?』と、言う。夫は、最近会社の給料が上がり、わたしを上から目線でしか見ない。わたしも、毎日子育てや家事を頑張っているのに・・・」
と、いう主婦からの悩み相談があった。
確かに、主婦の毎日の仕事など、やってもやっても終わりのないなし崩しのことだが、このなし崩しがなければ洗濯物も溜まり放題、食器の後片付けだって出来ず、家の中はゴミとバイ菌の巣になっているはずである。
この夫は、「お前の仕事など、金を払えば家政婦だってやってくれる」と、言っているらしいのだが、一サラリーマンに家政婦の給料を支払うだけの経済的余裕があるのか疑問だ。
夫自身だって、少しばかり給料が上がったとはいえ、特段彼にしか出来ない仕事をしているわけでもないだろう。もしも、彼が病欠でもしたら、即座に別の社員が後を引き継ぐはずだ。
回答の中には、「一日、家事や育児一切を旦那に任せて、家を出てみたら?きっと、奥さんの大変さが実感できると思う」というものもあり、やってみる価値はあるかもしれない。
ただ、こういう夫の本音はもっと他にあるようにも思う。
つまり、本当は、妻に働きに出て欲しいと言いたいのではないだろうか?会社で一生懸命働いている夫の目から見れば、三食昼寝付きの専業主婦ほど気楽な生き方はないと思えるのだろう。
自分は、280円の定食で昼食をすませているのに、妻はママ友と優雅に1000円ランチでは、腹が立つ気持ちも判る。
この質問者の主婦は、そういうことをしている訳ではないらしいが、どうも夫には妻に対する大きな不信感があるようにも感じた。
まずは、夫婦がお互いの仕事がどれほど大変なものなのかを実感し合う必要があるのではないだろうか?
その上で、共稼ぎについて考えてみた方が良いように思った。

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日本に居すぎた外国人は・・・
2012年06月05日
日本に居すぎた外国人は・・・

日本滞在中の外国人が、「日本に長く居すぎたなァ・・・」と、思う瞬間はどういう時か?----と、いうアンケート調査の結果が面白かった。

★ 通勤電車を乗り過ごして、次の電車が来るまでたった数分でも「遅い!」と、イラつく時。(外国では電車が到着時間に正確に来ることはあまりないし、だいたい本数が少ないので1時間待ちなど当たり前)
★ 電話をしながら気が付いたらお辞儀をしている時。
★ 人の話が終わらないうちに、自分の話を始めた時。
★ 電車の中で外国人を見て、「わっ、外人乗ってる!」と、思った時。

★ 母国へかけた電話に出た家族に向かって、「元気?」と、訊いてしまった時。(あまり、外国人は家族に向かってこういう質問をしないとのこと。電話に出た母親は、「何でそんなこと訊くの?」と、不思議がっていたとか)
★ 信号の「青」は、「緑ではなく、青なんだ」と、マジで思い始めた時。
★ 田舎の田圃道にポツンとある自動販売機の電気が、何処から引かれているのかまったく気にならなくなった時。
★ 人気(ひとけ)のない場所にある自販機から、間違いなくジュースやコーラやおつりが出て来るのに驚かなくなった時。(外国で人気のない場所にある自販機が故障していないなどということはほぼあり得ない。また、自販機ごと盗まれているのが普通)
★ 握手しながら頭を下げている自分に気付いた時。
★ 「そんなことありませんよ~」と言いながら、半笑いで鼻のそばで手を横に振っている時。
★ 一時帰国してタクシーに乗る時、ついドアが勝手に開くのを待ってしまう。
★ 寡黙がカッコいいと思い始めた時。
★ 若づくりしたくなった時。(外国では、若い人は出来るだけ大人っぽく見えるようにファッションも考えるとか)
★ 「美しい」よりも「可愛い」がモテると、信じ始めた時。
★ 卵かけごはんを、「うまい!」と、感じた時。(外国人にとって、卵を生で食べるなど狂気の沙汰)
★ 「日本の市販のルーのカレーが最高だ!」と、思ってしまった時。(インド人)
★ 公衆トイレのきれいさに感動しなくなった時。
★ 共同浴場へ裸で入ることに抵抗感がなくなった時。
★ 生年月日を西暦ではなく、年号で答えてしまった時。
などなど。
そんなものなんだなァ・・・。

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