映画で医療問題を学ぶ信大医学部
2012年08月26日
映画で医療問題を学ぶ信大医学部

信州大学医学部では、昨年から二か月に一度ほどの割合で、平日の夕方医学部講義室で、医療問題を題材にした国内外の映画を鑑賞し、それについて医学生たちが感じたことを自由に話し合う授業外の取り組み、「メディカル・シネマ・クラブ」という活動を行なっているそうである。
今年の最初に上映されたものは、2009年のアメリカ映画「私の中のあなた」で、白血病の姉を救うために骨髄などの提供者と期待されて生まれて来た妹が、その姉のための骨髄の提供を拒み裁判を起こすという内容。
臓器提供を目的とした子供の出産は、倫理的に許されるのか----と、いう問題をディスカッションのテーマに選んだ。
この他にも、過疎地域の医師問題を取り上げた「ディア・ドクター」や、医療保険のあり方を問う「ジョンQ」なども鑑賞して来たそうである。
クラブを発案した医学部遺伝医学・予防医学講座のS准教授は、
「映画は、医療問題を整理して具体的に提示してくれる良い教材。さまざまな問題を日常生活に位置付けて考えて欲しいと思った」
と、語っている。
医学生たちは、これから独り立ちして臨床現場での研鑽をつまねばならないわけで、実際の医療現場では患者一人一人の立場や生活を理解した医療提供が不可欠となる。
それには、自分の生きて来た過程の狭い世界しか理解できない知識や人生経験だけでは、患者とのコミュニケーションが取れずに、すぐに行き詰ってしまうことだろう。
そうした人生経験の浅さをカバーするためにも、映画を通して医療現場が抱えるさまざまな問題を疑似体験しておくことは、実に大事なことだともいえる。
そこで、僭越ながら、わたしもそんな臨床医療の参考になるであろう、一つの医療関連のドラマを紹介したいと思う。
それは、アメリカの医療系テレビドラマ「Dr.HOUSE(ドクター・ハウス)」だ。
ドラマには、とにかく色々な症例患者が登場する。一言で言えば、臨床医療を基盤とした画期的な病因推理ドラマである。
このドラマは、2004年からアメリカのFOXテレビで放送されている一話完結のシリーズ物で、制作当初、アメリカのスタッフは、この「ドクター・ハウス」を、細菌を犯人とする「CSI 」のような病気の原因追究のドラマにしようと考えていたのだが、制作して行くうちに、登場人物たちの魅力が大きく膨らんで来て、次第に、人間ドラマの様相を呈するようになって来たのだそうだ。
その軸になっているのが、主人公のハウス医師と、ハウスの同僚で同じく医師のウィルソン部長の友情。そして、ハウスの部下である三人の若い専門医たちの悩みや葛藤。そして、彼らを叱咤し見守る女性、カディ院長の存在である。

ドラマの舞台は、アメリカのニュージャージー州プリンストン・ブレイズボロ教育病院という、架空の病院で、グレゴリー・ハウスは、とにかく高慢で偏屈な、型破りの中年男性なのです。専門は、病気の原因を突き止める解析医学で、彼自身が病気で片足が不自由という設定。
彼は、エリック・フォアマン(黒人男性)、アリソン・キャメロン(白人女性)、ロバート・チェイス(白人男性)の三人の若い医師たちと、討論形式で様々な病気の症例や投薬方法を考え出しながら、難病患者の治療に当たって行く。しかし、ハウスの特異な性格が災いして、すぐに彼らとトラブルになる。特に、フォアマンとは、尽くぶつかり、二人の治療方法のどちらが正しいものとなるかは、ドラマの見どころでもある。
また、リサ・カディ院長は、そんなハウスの性格を百も承知で、院内クリニックの患者も担当させるが、ハウスは、面白くない。彼が興味を示すのは、単なる風邪や腹痛の患者ではなく、あくまでも未知の症例なのだ。
そんな訳で、いつも患者や医師たちともトラブルが絶えないハウスのことを、呆れながらも、決して見捨てず、常に味方になってくれるのが、腫瘍科部長のジェームズ・ウィルソン医師。そして、このウィルソン医師とハウスの問答がまた絶妙なのである。
たまには、このようなドラマを観て、医学知識をテストしてみるのもいいのではないかと思った。
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高齢者のキャパシティー
2012年08月26日
高齢者のキャパシティー

以前、わたしが入院していた時、斜向かいのベッドのおばあさん患者は、食事の時間になるといつも看護師さんを困らせていた。
「こんなしょっぱいお味噌汁、飲めないわよ。もっと、わたしの口に合った物にして。それから、明日の夕食はお刺し身にしてね。二日に一度はお刺し身を食べているの。ご飯も炊き方が下手だわ。もう少し水加減に気を付けてよ」
とにかく、文句が多い。
その都度、看護師さんは、
「お味噌汁は、栄養士さんが考えて減塩になっていますから、大丈夫ですよ。それから、お刺し身は、メニューに入っていませんから、退院したらご自宅で食べて下さい」
と、説明する。しかし、どうしても我慢がならないおばあさんは、お味噌汁をもっと薄味に替えて欲しいと言い張って、看護師さんは仕方なく、別のものに取り替えて来た。
こうした介護施設で職員が最も気を遣うのが、高齢者一人一人の適応能力の違いだという。
若い人たちは、たとえば学校生活でも判るように、皆が給食に同じものを食べても、同じ教育を受けてもそれが当然だと思い、ほとんどの人は違和感を訴えるようなことはない。
ところが、高齢者は、長い人生の間に自分だけの嗜好や習慣が当たり前となってしまっているために、認知症になってもそれを変えることを極端に嫌う傾向があるのだそうだ。
とにかく共同生活というものに馴染めない人が多いのである。
それこそ、味噌汁の味にしても、白味噌でないと嫌だとか、味噌汁の具に関しても自分なりの繊細なこだわりがあるため、それが集団行動のネックとなり、職員へ暴力を振るうなどの問題を持ち上げて、他の入所者の迷惑になるからという理由で、施設を出なければならなくなるお年寄りも少なくないのである。
何事にも柔軟に適応する若者と違い、高齢者が許容できる集団生活のキャパシティーは、かなり狭くなっているというのが実情なのだそうだ。
また、認知症の高齢者がこうした共同生活に順応しにくい理由には、高齢者自身が自分を年寄りだと認識していないケースも多々あるのだという。
自分は、まだ若くて元気なのだから、どうして、こんな年寄りたちと同じ場所にいなければならないのか・・・という思いが、共同生活を難しくする要因になっているのだそうである。
一口に認知症高齢者といっても、彼らはまったくべつべつの人生を背負って来た個々の尊厳を有する人々なのだ---という意識を常に持っていないと、介護は成り立たないというのであるから、職員たちの苦悩は深い。
しかし、もしも、今後介護を受けることになるかもしれない世代が、このキャパシティーを出来るだけ広くすることを心がける生活を日々送ることで、それが習慣づけられれば、いざ自分が施設に入ることになった際、自分自身もプライドを傷付けられるような辛い思いをしないで済むことにもなるのではないだろうか。
それには、「これじゃなくてはダメだ」とか「これしか食べたくない」「わたしのやることが一番」というような固執的生き方を見直すことが大事だと思われる。
規則正しい生活は、心身にとって確かに重要なことかもしれないが、それが自分だけに都合の良い規則になってはいないか改めて考えてみるのも、未来の高齢者たちには必要なのかもしれない。
ところで、ブログの読者は若い人が多いせいか、タイトルに「高齢者」とか「お年寄り」という言葉を入れると、一気にアクセス数が落ちる。
以前、ナガブロでブログを書いていた人も、「ナガブロ読者は、社会問題に関心が低すぎる」と、嘆いていた。
まだ七十代の男性を頭から年寄り扱いして、彼の好きなファッションはモンペだろうなどとの軽口を書くようなブロガーもいるのだから、まだ自身が健康そのものの若者たちには、高齢者に対しては、その程度の認識しかないのは致し方ないといえばないのかもしれないが、高齢者問題は、決して他人事の話ではない。(そのブロガーにも祖父母はいるはずなのだ)
明日の我が身と自覚して、しっかりと考えて欲しいテーマなのである。
因みに、六十代後半から七十代といえば、ロックやポップスのグループサウンズ全盛期の全共闘世代でもあり、ファッションに関しては、今の若者など足元にも及ばないほどの過激なニュールックを愛した人たちでもある。
お年寄り=古い----という観念しか持ち合わせていない若者は、もっと文化史を勉強しなさい!
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