よもやま話 3
2012年10月17日
よもやま話 3

雨が降っている・・・。
こんな鬱々とした日は、 時々、誰かれなしのブログをクリックして開けてしまう。(因みに、ナガブロではありません)
途端、目に飛び込んできた文章・・・は、
旦那と妻ブロガーののろけ話のオンパレード。(ーДー;)
なんて、ブログを開けてしまったのか----と、ガックリくる。
しかし、何でも書いていいとはいっても、良くもここまで旦那LOVEを声高に叫べるものだなァ。
幸せな人は、その幸せ感を誰かにアピールし、自慢したくて仕方がなくなるようだ。
自分の旦那のことをハンサムだとか、素敵だとか----「女房妬くほど亭主モテもせず」という言葉を知らないのかね?
ま、まだ新婚さんなのかもしれないが、変わったブログもあったもんだ。
そういえば、この間の「ネット依存症のママが増えている」の番組で取り上げていたのだが、近頃は「ヌードになるママ」というのも流行っているらしい。
妻がヌードになることを許す夫も夫だが、そんなヌード大好き妻(バツ2)曰く、
「自分が綺麗だということを確認することで、変わり映えのない所帯じみた生活に張りが生まれる」
とのことだった。だが、子供たちは、
「どうせ写真を撮るなら、服を着て撮って欲しい」
と、呆れていた。子供たちの感性の方が至極まとものように思うのだが、彼女は自分のヌードが美しいと信じて疑わない。
傍から見れば、自己陶酔型が病的に高じているとしか思えないのだが、彼女自身がやたらにハイテンションのため、周囲も既に諦めムードだ。
こりゃ、三度目の離婚も秒読みか・・・?と、思わせるほどの勘違いぶりだった。
司会者の女優も眉をひそめながらVTRを観ていたが、近頃の主婦は、「子供のことよりも自分の方が大事」という人が多いようである。
どうやら、こうした自分大好き現象も、がむしゃらに自己啓発活動にのめり込む近頃の主婦たちの目立ちたい願望と、間違いなく根底でリンクしているものと思われる。
良い母親と悪い母親を見分けることは簡単だ。
作った料理を「まずい!」と、子供が言ったとしても、それを叱ることなく、どうしたら子供がおいしく食べてくれるかを考えるのが良い母親。
作った料理を子供が「おいしい」と、言わないとブチ切れ、おいしそうに食べることを強要するのが悪い母親だという。
まあ、そもそも、うまかろうがまずかろうが、料理を作る母親はまだいい方で、まったく自分では台所に立たないような母親もいる。
子供も母親自身も他人が作る料理を食べ、食事はいつも家族バラバラに摂る。
子供と夫は家で店屋物やコンビニ弁当などで食事を済ませ、母親は友人と外食などという家庭も、最近では珍しくなくなったそうだ。
「お袋の味」を知らずに育つ子供の将来は、いったいどうなるのであろうか?
「お袋の味」というものは、人間の味覚の原点である。つまり、食に関する心張棒がないということが、人の性格にどういう影響をもたらすのか?
それは、誰もが推して知るべしであろう。
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それでも有名になりたいのか?
2012年10月17日
それでも有名になりたいのか?

最近、疑問を感じないではいられない風潮が、社会に流行っている。
聞いた話では、ある女性は、自分の子供が病気で亡くなったことを手記にして出版し、講演までも行なって収入を得ているといい、また、ある女性は、夫と離婚したことをエッセイにまとめて出版し、これまた講演をして歩いているという。
また、ある女性は、姑の介護の苦労話を書いて出版し、またまた講演をしたりテレビ出演までもしているらしい。
(テレビ出演をすることで、何か特別自分が偉くなったように思い込んでいる女性も少なくないようだ)
彼女たちの年齢は、おしなべて30代後半から40代である。
そして、とてもそんな悲惨な体験をして来たとは思えないほど、やつれた風もなく、おしゃれで、若々しく、洗練されていて、ダイエットにも励んでいるのかスタイルも抜群である。
たぶん、自分は見られているという自意識もハンパないのだと思う。
それにしても、いったい何が、彼女たちを、これほどの有名願望に目覚めさせたのだろうか?
我が子が幼くして亡くなることは、確かに究極の悲劇である。
しかし、そんなことは普通の生活をしていれば、身の周りにごまんとある話なのだ。
わたしの祖父母も、三人の子供を戦争や病気で若くして亡くしているし、近所の夫婦も最愛の娘さんを20歳そこそこで交通事故で亡くしている。
だが、そうした親が、そのことを手記にして出版しようなどと思うことは決してない。
子供の死を売名行為に使うなど、親として絶対にしてはならないことだという理性があるからだ。
離婚にしても、姑の介護にしても、またしかりである。
そのこと自体は、当人にとっては地獄の苦しみだったり、あり得ないほどショックなことではあるかもしれないが、ほとんどの人は、そうした辛い体験をしても手記を出版しようなどとは考えないはずである。
そういう女性たちには、おそらく彼女たちなりの、
「辛く苦しい体験は、何もあなただけではない」
と、いうことを皆に知って欲しいから----と、いう理屈もあるのだろうが、ほとんどの人たちには、
「何を偉そうに・・・。あなたの経験なんかよりも、わたしの方が大変な目に遭っているわ」
と、いう気持ちの方が大きいはずである。
つまり、手記を書いたり講演をしている女性たちは、そんな今の自分の姿にただ酔っているだけなのだ。
子供や夫、姑をダシに使って、単に自身が有名になりたいがために・・・。
他人の経験は、結局は他人の痛みに過ぎない。
自分の痛みは、自分にしか判らないのが、人間なのである。
そのことを知っていれば、自分の体験談などおこがましくて、おいそれとは語れないはずなのだが、自分を悲劇のヒロインと信じてしまっている女性には、そんな常識は通用しないのだろうな。
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