本当の責任は誰にあるのか?
2012年10月15日
本当の責任は誰にあるのか?

自称・ハーバード大学客員講師の森口尚史氏のips細胞臨床実用化疑惑だが、どうやらほぼ作り話だったということで落ち着きそうだ。
森口氏の当時の行動を精査すれば、ips細胞を心筋に移植した一例目の手術を行なった翌日には日本に帰っていなくてはならないという矛盾が生じているということもあるそうで、先の発言を翻して、一例目の手術は昨年六月に行なったと、話したともいう。
彼の記者会見の様子を観ていた心理学者の見解では、激しい貧乏ゆすりや目をつむっての応答の仕方からして、
「一生懸命自分の頭の中で架空の想像を立ち上げているという状態。貧乏ゆすりは、早くこの会見を終わらせて、ここからいなくなりたいとの気持ちを表わしている」
と、テレビ番組中で語っていた。
しかし、森口氏は、どうして一連の問題が大ごとになる前、一部マスコミのインタビューを受けた時、
「ああ、あれは読売新聞の勇み足ですよ。わたしは、冗談のつもりで話したのに、まさか一面トップに掲載するとは思わなかった」
とでも、さっさと嘘を認めてしまっていれば、ここまで追い詰められることもなかったろうと思うのだが・・・。
実際の経歴からすれば、保健衛生の分野では決して恥ずかしくない研究者の森口氏に、何がそこまで見栄を張らせたのかが疑問である。
ともあれ、森口氏が今後何らかの罪に問われるのかは、素人のわたしなどには皆目分からないことだが、そんな素人なりにも不思議に思うのは、むしろ、読売新聞の記者が、どうしてこの一連のスクープ記事を取材する際、しっかりとした裏取りをしなかったのか----と、いうことの方である。
マスコミ関係の仕事をしていれば、記者の手元には、毎日山のような情報があちらこちらから入って来る。
それらの情報のどれが真実で、どれが嘘かを見抜き選別するのが、記者に課せられた大事な仕事のはずなのだ。
よしんば真実であろうと思ったとしても、さらに多方面から検証をかけ、より本物であるという確信を得てからでなければ記事になど書けないのが普通だと思うのだが、この記事を上げた記者は、それほどまでも功名心に逸ったというのであろうか。
この記事を読んで、暗闇に一縷の希望を見出した難病の患者の気持ちを思うと、実はぬか喜びだったと知ったのちの落胆は想像に難くない。
この虚偽報道により社会を騒がせた本当の責任は、一体誰にあるのだろうか?
もしも、読売新聞社側が当方も被害者だというようなコメントを出すようなことがあったとしたら、それは筋が違うように思うのだが・・・。
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よもやま話 2
2012年10月15日
よもやま話 2

「オスプレイ」って、どういう意味なのかと検索してみたら、猛禽類の「ミサゴ」という鳥だということが判った。
でも、あれって、「ミサゴ」というよりは、金魚の出目金に似ていると思うんだけれど・・・。
ヤフー知恵袋に、もうすぐ結婚式を控えている女性から、こんな投稿があった。
「義理の母(53歳)が、結婚式にミニのワンピースで出席したいと言っている。義母は、いつも若づくりで、ミニスカートなども良く穿いているのだが、いくらなんでも結婚式にミニのワンピースというのは非常識だと思う。
わたしの実母は、留袖で出席すると言っている。義理の母にもロングドレスぐらいは着て欲しいと思うのだが、彼女はがんを患っていて、あと五年は生きられないという。
そんなこともあるので、結婚式の服ぐらい自由にさせてあげたいとも思うが、やはり、わたしにとっても大事な結婚式なのだから、ミニは勘弁して欲しい。
彼は、自分の母親の希望をかなえてあげたいようだが、義理の母をどう説得したらいいのか悩んでいる」
これに対するベストアンサーは、
「結婚式にミニのワンピースは、あまりに非常識です。病気のこともあるなら、余計に亡くなったのち笑い者にならないためにも、ちゃんとした格好で出席してもらうことです」
と、いうものだった。
それにしても、この投稿者と回答者のやり取りを読んでいて、何だかかなり違和感を覚えた。
「あと五年は生きられないようだ」とか、「亡くなったのちに笑い者にならないように」など、あまりに義理の母親を軽く扱っているとしか思えない。
健康な人から見る病人のイメージとは、この程度のものなんだなァ・・・と、考えると、健康な人とはかくも冷酷なものかということを実感するばかりだ。
政財界のお歴々が集う社交界の晩さん会でもあるまいし、結婚式にミニのワンピースぐらいどうってことないじゃないかと思うのだが・・・。
さすがにギンギラど派手なパンクロッカーのようないで立ちだとでもいうのなら、いささか問題だが、そうでもないのであれば、義理の母親には着たい物を着て出席してもらえばいいのだ。
そして、思い切り人生を有意義に楽しんで免疫力を高め、病気など打ち負かしてしまえばいいのである。
結婚式は一度きりなんだから自分の納得の行くものに----などと、自分本位のことばかり考えずに、結婚式のホステスである花嫁は、出席者がどうしたら楽しんでくれるかを第一に考えるべきではないのだろうか。
招待状を出す花嫁は、お客さまではない。
客をもてなす側であることを忘れてはいけないと思う。
ところで、知恵袋を読んでいると、姑と嫁のバトルが良く登場する。
投稿者は、ほとんどがお嫁さんの側なのだが、まあ、世代的にもパソコンや携帯を簡単に操作できる姑はあまりいないのかもしれない。
そんな相談の大半は、姑が息子可愛さにお嫁さんに何かと嫌みを言ったり難題を押し付けたりするというものだ。
中には、がんを患う姑がもはやヒステリー状態となり、お嫁さんに向かって、
「お前なんか息子の嫁にふさわしくない!とっとと出て行け!お前と一緒になって、息子はダメになった。このままお前と一緒にいたら、息子は殺される。この人殺し!」
などと暴言を吐くので、もう限界だ。どうしたらいいか?----という投稿もあった。
息子もこの実母の言葉にはさすがにキレて、
「もう、いい加減にしろ!おれは少しもダメになんかなっていないし、殺されもしない。おれたちに干渉するな」
と、言い返したそうだが、姑のヒステリーはますますひどくなる一方だという。
だが、こういう姑は、どんなに出来た嫁が来ても、関係なくまた激情にかられ泣き叫ぶだけであろう。
お嫁さんとしては、また発作が始まったと思い、完全無視するしかない。
この姑にしてみれば、最愛の息子が、何処の馬の骨とも判らない女と同じ屋根の下に暮らしていると思うだけでも、身震いし吐き気がするほど嫌なのだから、がんにもなったのだろうが、だからといって無理やり離縁することなど出来るわけもなく・・・。
同居しているのでないとしたら、とにかく、その一時は、頭の上を嵐が過ぎ去ることを待つしかないであろう。
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