安藤美姫とモロゾフコーチ
2012年10月10日
安藤美姫とモロゾフコーチ

フィギュアスケート前世界女王の安藤美姫(24=トヨタ自動車)が来季限りでの現役引退を明言した。9日、日本スケート連盟を通じて、指導者不在による調整不足で、GP(グランプリ)シリーズの中国杯(11月2~4日、上海)とフランス杯(11月16~18日、パリ)の欠場を発表。同夜に日刊スポーツの取材に応じ、今後の半年間を完全休養し、五輪シーズンとなる来季でアマチュアを引退する決意を明らかにした。来季はファンのためにいずれかの試合で最後の演技をすることを誓ったが、14年2月のソチ五輪は「今は考えていない」と話した。
日本スケート連盟を通じて今季GP欠場という決断を発表した夜、安藤は自分の気持ちを確かめるように、現在の正直な思いを口にした。
安藤 はっきり言って来季がラストのシーズンと思っています。どの試合でもいいので、もう1度出させていただいて演技をさせていただけたら。今まで支えてくれた方のためにも、恥ずかしくない演技がしたい。今までやってきたことを100%出したい。
GPシリーズ欠場を発表した理由も、今まで応援してくれたファンのために万全の演技で有終を見届けてもらいたかったからだった。現状ではそれは無理だった。だから今季は休養という苦渋の決断をするしかなかった。(中略)
安藤 やはり、コーチが決まらなかったことが大きいです。ニコライ(・モロゾフ)コーチに信頼を置いていたので…。3月に今季は指導できないと言われ、それ以降も面と向かっては(コーチ関係の解消)言われてなかったんですが、結果的にそうなってしまいました。(YAHOO!ニュース)
安藤美姫----やはり、モロゾフコーチとの決別が未だに尾を引いているようだ。
信頼を置いていたという意味が、コーチとしてというよりも人間として----と、いう部分が大きかったのだと思う。
以前、あるテレビ番組で取り上げていたのだが、日本の某大学のリンクで、安藤が織田信成、高橋大輔らとモロゾフコーチを囲んで談笑していた時も、
「彼(モロゾフ)は、見た目はクールな大人だけれど中身は子供」
と、言いながらはしゃいでいたことがあった。
その笑顔から察しても、あの頃から既に安藤の中でのモロゾフの位置が、コーチ以上の存在になってしまっているのではないかと思った。
アスリートたちが口にする言葉に、「何のために競技をするのかが判らなくなった時、最もモチベーションが下がる」というものがあるが、人間の心理としてやる気を高めるためには、「頑張れば、誰かが喜んでくれる」という気持ちがあるといわれる。
「自分を応援してくれる国民の皆さんのために頑張る」
しかしながら、この思いだけではモチベーションはそう長続きはしない。
人が心底から頑張るためには、誰か特定の一人の存在が必要なのである。
それが愛する者のためであれば、さらに効果は大きくなる。
おそらく安藤は、モロゾフコーチに褒めて、喜んでもらいたいために、肩を脱臼しても競技を続けて来たのだろう。
もしかしたら安藤という女性は、コーチに恋愛感情に似た思いを懐かなければ、本当の力が発揮できないような体質なのかもしれない。
だとしたら、これから新しい恋人(コーチ)を見付けるのはかなり難しいだろう。
そして、裏を返せば、もしも彼女の前にモロゾフの才能や魅力を超えるような素晴らしい男性コーチが現われた時は、何年ブランクを挟んでも、再び競技会へ復活する可能性も大なのであろう。
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短絡的発想世代
2012年10月10日
短絡的発想世代

秋の番組改編が行なわれ、バラエティーも新しいものが始まったが、あまり「これは!」と思うものがない。
午後七時台の番組を一通り観てはみたが、いったい何が言いたいのか判らないような、掴みどころのない番組もあった。
「みんなの家庭の医学」も内容は、なるほどと頷けるものだったが、あの画面のバックに流れる如何にもわざとらしい「へ~」「ああ~」などのスタジオ観客の効果音が煩わしくて、思わず「黙れ!」と言いたくなった。
こういう感心や驚きの声、さらに笑い声をわざと入れる番組は最近特に多くなったが、実に聞きづらい。
おかしくもない所で場を盛り上げるために、無理やり挿入される笑い声などは、本当に視聴者をイライラさせる。
「何が面白いのか?」
と、不愉快にすらなるものである。
それから、ナレーションにかぶせるバックミュージックも、とにかくうるさいものが多い。
音楽がうるさすぎて、ナレーションが聞こえない時もある。しかも、どうしてここで、その音楽が流れるの?----と、首を傾げたくなる選曲も少なくない。
結婚式で「サン・トワ・マミー」を歌われるような違和感だ。
「ふたりの恋は 終わったのね 許してさえ くれないあなた-----眼の前が暗くなる サン・トワ・マミー」
最近のテレビは何でもありということなのか・・・。
番組制作者の平均年齢が下がったために、彼らが知っている以外の音楽や映像の本質が何処か蔑ろにされているような気がしてならない。
視聴者層が中高年ならば、こんな歌でも流しときゃいいだろう。
そんな安易な考えで、作られているような気がしてならないのだ。
そういえば、以前、ある美容院へ行ったとき、カットを担当する20代の美容師さんがこんなことを言った。
「『渡る世間は鬼ばかり』観ていますか?」
わたしは、そのドラマを一度も観たことがない。
「観てないけれど・・・」と、答えると、美容師さんはとても驚いた様子で、
「え?観ていないんですか」
と、言うので、どうしていきなりそんなことを訊いたのかと、逆に問うと、
「40歳以上の女性のお客さまには、『わた鬼』の話題をふっておけば、会話には困らないはずだって教えられているので・・・」
「はあ~?」
わたしの方が、これには仰天だった。
この美容師さんの言い分に基づけば、おそらくは高齢者には「水戸黄門」の話でもしておけば無難だろうという発想になるはずだ。
若い人たちの頭の中は、中高年にはこういう話題、高齢者にはこういう話題と、何でもステレオタイプを持ち出しておけば、一応はOKというような、ざっくりとした区分けで物事を考える癖がついているようである。
こういう世代の短絡的発想しか持ち合わせない人たちが番組制作の中心になっているとすれば、バラエティーの質が落ちるのも判るような気がする。
でも、そういう若い世代の人たちが40歳以上になった時、今度はさらに若い世代の人たちから、
「あのおばさんたちには、AKB48の話でもしときゃ単純に喜んでいるから、扱い楽勝」
なんて、言われる日が来るんだろうな。
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