O型女性のあれこれ
2012年10月02日
O型女性のあれこれ

男性を振りまわして楽しむタイプの女性の第一位は、B型だとか。
自由奔放なB型女性は、無意識のうちに男性を翻弄してしまう癖があるという。
だが、それよりも厄介なのはO型女性で、これは、しっかりと意図を持って計画的に男性を振りまわすのだそうだ。
さらに、セカンド女になりやすいのは、A型女性。
つまり、俗にいう日陰の女というやつである。演歌でよくあるパターンの、幸薄くいつまでも愛する人を待ち続けるのも、A型女性がモデルである。
しかし、これとは正反対なのがO型女性。
自分が一番。リーダー気質で統率意欲満々のO型女性は、間違っても日陰の女などにはなり得ないのだそうだ。
そして、最もカタカナの肩書に弱いのはAB型女性。
メディアクリエーターとか、プロデューサー、コンサルタント、コーディネーターなどの肩書が名刺に書かれていると、それだけで「カッコいい!頭もよさそう。将来有望かも・・・」と、思い込んでしまうようだ。
でも、これとはまったく逆の反応を見せるのがO型女性。
カタカナの肩書など胡散臭さの証明と信じている。現実主義で保守的なO型女性は、そんな横文字にはまったく動揺しない。
肩書は、あくまでも日本語でがっちりと記されていなければ、決して信じようとはしないのである。
なんて言いながら、わたし自身は名刺に「フリーライター」なんぞと書いてしまっているが・・・。(~_~;)\スンマソ・・・
ところで、人に食事をおごってもらったことで、何らかのトラブルになったことがあるだろうか?
おごるとか、おごられるとかいうことは、よほど相手の懐具合をそんたくしていないと、あとあと面倒なことになるという経験が、わたしにもある。
今から20年近くも前のことだが、友人たちとあるレストランでクリスマスパーティーをした際、その日はもう一つのパーティーに出席しなければならず、各自自由にオーダーした食事をしたあとで、わたしだけ早めにレストランを出ることになった。
そこで、わたしが食べた分の食事代を支払おうと思ったら、パーティーの幹事でもあった女性から、「まだ、割り勘の料金がいくらになるか判らないので、後日請求するから今日はこのまま帰っていいよ」と、言われたので、そのままレストランをあとにした。
そして、後日、彼女に会い、自分の食事代を払おうとしたら、
「ああ、あれならわたしたちのおごりにしといたから、お金はいらない」
と、言われたので、丁寧にお礼を言っておごってもらいっ放しになったのだが、その時、彼女は一言、
「でも、あなたが一番高い料理を食べたんだよね」
と、のたまわった。普通ならば、「なんだ、その言いぐさは!だから、こっちは食べた分を支払うと言っているじゃないか」と、激怒するところなのだろうが、わたしは、確かにカチンときながらも、それはそれとして聞き流した。
だって、相手がお金はいらないというのだから、その心遣いと自尊心を傷つけるわけにもいかない。
ラッキーと思いつつ、ありがたくおごってもらった次第だ。
「さすがは、〇〇さん、太っ腹!」と、褒めあげて、その場を去った。
まあ、それも処世術と割り切れば、何のことはないだろう。しかしながら、いったんおごると決めたのならば、あとから値段が安いの高いのと余計な補足を付け加えるのはマナーにもとる。
どうせおごるなら、綺麗にさっぱりとおごって欲しいものである。
因みに、彼女はその場限りのひらめきが得意なB型であった。

殴りかかる人たち
2012年10月02日
殴りかかる人たち

以前に、このブログにも書いたのだが、近頃はすぐにキレる大人が増えているそうで、そのキレ方が昔とはかなり質が違って来ているという。
かつての日本人は、文字通り耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んだのちに、堪忍袋の緒を切らすというのが相場だった。
しかし、今は、人ごみで肩が触れた途端にブチ切れて、誰かれ構わずナイフで刺す----などという瞬間沸騰型が多くなっているそうだ。
これは、何も若者に限った現象ではない。
むしろ、年配者の中にこうしたタイプが増えているのだという。
たとえば、駅の切符売り場の自動販売機の使い方が判らず戸惑っているお年寄りを見付けた駅員さんが、
「何か、お困りですか?お手伝いしましょうか」
と、声をかけたところ、いきなりお年寄りに顔面を殴られたという話も聞く。
親切心から助け船を出したのに、どうして殴られなければならないのか訳が判らないという駅員さんだが、このお年寄りは認知症でも何でもない。
話を聞けば、殴りかかるにはそれなりの理由があったのだ。
「おれは、今まで人から助けてもらうようなことは一度もない。そんな弱い人間じゃないんだ。それを勝手にもうろくしたような扱いをされて、我慢が出来なかった。おれにだって、プライドはある。切符ぐらい一人で買える」
とはいえ、そのお年寄りの後ろには、切符を買おうとする他の客たちが列をなしていたのだから、駅員さんとしては気配りをするのは当然である。
が、そんな理屈はこのお年寄りには通じなかったようで、
「どうして、もっと時間をかけて買わせてくれなかったんだ。恥をかかせやがって、バカにするな!」
と、腹立ちは収まらない。
つまり、高齢者にはこれまで自分の力で世の中を間違いなく渡って来たというゆるぎない自尊心があるため、如何に親切心からであろうと、それを否定する者は許せないのである。
「本当に困ったら、自分の方から訊きに行くので、それまでは黙っていろ」
と、いう訳である。
精神科医が言うことには、
「ストレスとは、怒りである。寂しさや孤独感が怒りに変わり、それがストレスとなる。ストレスが高じると、それを発散するために暴力を振るうのがキレるということで、これをなくすためには、感情を意識から切り離すことである。
腹が立ったら、何故腹が立つのかを客観的に分析する癖を付けることで、怒りはある程度コントロールできるのだ。そして、腹が立った時は、一つ大きく深呼吸をする。そして、その時は、吐く息を出来るだけ長く続ける。こうすると、意外にその怒りが小さくなるという実験結果も出ている」
そうである。
しかし、傷付けられることを極端に恐れ憎む人たちの怒りをコントロールすることは実に至難の業である。
自分は他の人間たちよりも特別でなければならない----と、考える人々が、キレる大人になるといっても過言ではないようである。