延徳たんぼのお巡りさん・・・・・127
2009年08月12日
~ 今 日 の 雑 感 ~
延徳(えんとく)たんぼのお巡りさん
あるブロガーさんのブログ記事に、豪雨の日に出会った不思議なお巡りさんの話が載っていました。
これを読んだ時、思い出しました。
実は、わたしにも、これと似たような経験があったことを・・・・・。
もう、かなり前の話ですが、わたしが、まだ、新聞社へ勤めていた頃のことです。
取材のため、中野市の延徳(えんとく)という地区を、わたしは一人、軽自動車を運転して走っていました。
延徳地区は、広大な田んぼが幾つも広がる、長野県内でも有名なコメの生産地です。季節は、夏だったと記憶しています。午後の、カンカン照りの農道を、わたしは、のんびりと車を走らせながら、取材先まで行く途中でした。
取材先との約束の時間までには、まだ間があったので、それほど急ぐ必要もありませんでした。
わたしの他には対向車もなく、人っ子一人見えません。正に、他には誰の姿もない炎天下の田舎道を、ノコノコと走っていた訳です。
やがて、ずっと遠くの陽炎の揺らぐ路上に、一つの人影が現われました。近付くにつれて、その人影が男性警察官であることが判りました。そばにパトカーがある訳でもなく、その警察官は、たった一人で田舎道に立っているのです。
わたしの自動車が、警察官の近くを通り過ぎようとした時、いきなり彼は、両手を広げてわたしを止めにかかりました。
いったい、何なのだろうと、不審に思いながらも、わたしがブレーキを踏むと、彼は、運転席側の開けられた窓へ近寄り、
「何処へ行くんですか?」
と、訊ねて来たのです。わたしは、車内冷房があまり好きではないので、真夏でも、自動車の窓を全開にして走ります。
「仕事で、〇〇まで行きます」
と、答えると、三十代と思われるその警察官は、今度は、免許証を見せて下さいと、いうので、これには、さすがに、わたしも、ちょっと躊躇いました。
だって、こんな人気のない一本道で、警察官がひとり、何のために立っているのか・・・・?しかも、いきなり呼び止めて、行き先をら訊ねるなんて不自然だと、思ったわたしは、免許証をカバンから取り出しはしたものの、警察官には渡さずに、彼の目の前に提示するだけにしました。
警察官は、それを見て、
「-----いいですよ。行って下さい。気を付けてね」
と、笑顔で言うので、わたしは、そのまま自動車を発進させました。それにしても、奇妙な感じがどうしても拭えず、少し走ったところでおもむろに、バックミラーで、その警察官の様子を確認しようとしました。
ところが、
「---------?」
おかしなことに、その警察官の姿は、既に何処にも見えなかったのです。何処か、別の場所へ行ってしまったにしては、行動が素早すぎます。あまりに変だと思ったので、わたしは、いったんその場に自動車を止めて、後ろを振り返り、じっくりと今来た方角を見ました。しかし、やはり、その警察官の姿はありませんでした。
「消えた----!?も、もしや、キツネか?」

一気に、気味が悪くなったわたしは、すぐさまそこから走り去りました。
でも、帰りは、やはり、また警官がいた場所を通らなくてはならない訳で・・・・・。
しかも、仕事が終わると、辺りはもう薄暗くなり始めていたため、わたしは、かなり遠回りになると思ったのですが、別の道を通って会社へ戻りました。
それにしても、あれは、不思議な警察官でした。真夏の白昼夢-------?今でも、そんな気がしてなりません。

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方言、あれこれ・・・・・126
2009年08月11日
~ 今 日 の 雑 感 ~
方言、あれこれ
「おらちのぼこ、風邪ひいたもんで、よんべ、わにてわにて、へー、もうらしくて。今朝がた、医者えったわ」
「ま~んず、われんちのぼここさ、ちいせからな。あんべ悪くなれば、心配ださ。で、へえ、いいんかい?」
「えま、うちけって来て、ねてらさ。起きたら、桃でも食わしてやらずそもってさ。えま、畑から採って来たところだ」
「ふんとかい。今年の桃は、出来いいかい?」
「でけことはでけな。けど、味は大味みてださな。------で、さっきから見てんだけど、おめさんの服、その着方でいいんかい?」
「あれ、やだ、しょうし!後ろ前に来てるわ。あんまりのくてんで、あたまぼーっとしちまったわ」
昨日、わたしの部屋の窓の下で、こんな言葉のやり取りをしている年配の女性たちの声が聞こえました。
長野県の言葉のイントネーションは、標準語とほとんど変わりませんが、方言の多さは、東北地方などに引けを取らないと思います。
また、県内の教育が標準語主体で行われていますから、どんな年配の人でも、公の場所に出れば、ちゃんとした言葉を話すことができます。ですから、かつて、テレビタレントが、
「信州というから、もっと田舎だと思って、素朴な言葉を期待して来たのに、みんな普通に話をするので、ちょっと残念だな」
と、インタビューで語っていました。しかし、信州人同士で気楽に話をする時は、みんな、こういう方言を平気で使うということが、そのタレントには判らなかったようです。
わたしが上記したのは、北信地方の方言ですが、東信、中信、南信ともなると、また、まったく別の方言があるのですから、面白いです。
以前、わたしが華道教室へ通っていた時の先生は、諏訪の出身で、よく、こういう言い方をしました。
「昨日、家の中へカエルが入って来て、もう、おどけちゃってね-----」
わたしたち生徒は、「おどける」という言葉を、「面白おかしい」という風に認識していましたから、
「それは、面白かったですね」
と、返事をしたところ、先生は、不思議そうな顔になり、
「カエルなんか、ちっとも、面白くなんかないわよ。ぞっとしたわ」
と、言います。どうやら、先生の出身地域の方では、「おどける」という言葉は、「びっくりした」「驚いた」という意味で使うのだということが、何となく想像出来ました。
では、ここで、皆さんに、方言をいくつか読んで頂きます。意味が判りますか?
「びしょってねェ」 「ばちゃいい」 「あいさ」 「べちゃる」 「けっこくる」 「りこうもん」 「よう
じ」 「えの」 「あおらあおら」 「へっぺへっぺ」 「ひっちゃばく」 「らっちもねェ」 「どきょ」
答え
「情けない・みじめだ」 「ざまをみろ」 「仲間外れ」 「捨てる」 「蹴る」 「バカ」 「歯ブラシ」 「犬」 「風に吹かれるようにふらふら、よろよろする」 「はあ、はあ、息が切れるさま」 「破く」 「くだらない」 「芋虫・毛虫」
因みに、「ぼこ」は、「赤ん坊」 「わにる」は、「人見知りして泣く・イライラして泣く」 「もうらしい」は、「可哀そう」
「あんべ」は、「具合」 「しょうし」は、「恥ずかしい」 「のくて・のくとい」は、「あったかい」 です。

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夜の声・・・・・125
2009年08月11日
~ 今 日 の 雑 感 ~
夜 の 声
夜の話し声は、とにかく良く響く。
わたしの寝室の窓の下の道路を挟んだ向かい側には、ちょっとしたベンチがあるため、夜中でも、そこに人影が見える時がある。
そのベンチは、小さな街灯で照らされているので、そこに腰をかけていると、その人たちの姿は一目瞭然なのであるが、たまに、街灯が消えている時があり、そうなると、そのベンチは人目を忍ぶには格好のコミュニケーションスペースとなってしまうのである。
そこに座って話をしている人物たちの姿や顔は判らない。しかし、当人たちは気が付かないかもしれないが、彼らの話声は、そっくりそのまま上へと上がり、ちょうど、わたしの部屋の窓のすぐ外で話をしているかのように、はっきりと聞こえてしまうのである。
ある時は、男女二人の痴話喧嘩が、まるで、ラジオの実況中継でも聞くように、耳に入って来たことがあった。
既に、時間は真夜中の二時を回っている。
男は、女に、別の男との関係を断てと迫り、女は、自分はその人の世話で働き口を見付けたのだから、簡単には手は切れないと言う。男は、女に、今から携帯でそんな男に紹介された職場はやめると、男に伝えろと、言うが、女は、嫌だという。
そんな押し問答の末、男は、女の携帯を奪うと、勝手に何処かへ電話をかけてしまった。やがて、携帯に相手が出ると、今度は女にそれを渡し、相手と話をさせる。
その会話は、さすがに声がくぐもって、よく聞き取れなかったが、かなり長い時間会話は続き、その間、わたしは、まったく眠ることが出来なかった。
すると、わたしのように、話し声で眠れなかったのか、近所の男性が家から出て来たらしく、
「いつまで、しゃべっているんだ!いい加減にしないと、警察へ通報するぞ!」
と、怒鳴るのが聞こえ、二人の声はその後、ぱったりとやんだ。
また、つい最近は、やはり真夜中に、そのベンチへ腰掛けて、中年の女性二人が自分の家に介護老人がいるという話で盛り上がり始め、大笑いをしたり、手をたたいたり、果ては、歌まで歌い出す始末で、どうにも我慢がならなくなってしまった。
この前、男女を怒鳴り付けた近所の人が、また出て来てくれればいいと思っていたが、今度は、一向にその気配がない。留守なのかもしれないと、がっかりしながらも、それでもしばらくは辛抱していたが、午前三時を過ぎたあたりで、もう限界になった。
わたしは、自分の寝室の窓を開け、彼女たちに向かって叫んだ。
「うるさくて眠れないので、何処か別の場所で、しゃべって下さい!!」
すると、彼女たちは、渋々腰を上げて、そのベンチから去って行った。
夜の声は、昼間に比べてかなり大きく聞こえる。どんなにひそひそ声で話しても、実にやかましく聞こえるものなのである。自分たちは、他に誰もいないと安心してしゃべっているのかもしれないが、人の耳は、何処にあるか判らないのだ。
もしも、犯罪に関係する悪だくみなどを相談するのなら、外のベンチは避けた方がいい。近所の人たちは、みんなその声を聞いているのだから・・・・。

包丁を隠せ!・・・・・124
2009年08月10日
~ 今 日 の 雑 感 ~
包丁を隠せ!
連日、報道される酒井法子容疑者の覚せい剤使用による逮捕報道。
あの清純派タレントの「のりピー」までが、何故?------日本はもとより、中国、台湾、韓国までが、衝撃と失意に騒然となっています。
しかし、報道では、今や覚せい剤は、日常生活でも簡単に手に入るようになっている薬物の一つで、特に、芸能関係者は、人気があり、売れていればいるほど、その疲労感を緩和するために手を出し、また、その逆の場合は、挫折感や、早く有名になりたいとの焦燥感から逃げるために、容易に手を出してしまうのだそうです。
今から十年程前、わたしの家に、突然、一人の女性が訪ねて来ました。
年齢は三十代前半、身長一七〇センチ近くはある大柄な女性で、髪は長く、ワンピースを着ていました。
その女性は、わたしの母が応対に出ると、いきなり、奇妙なことを言いだしたのです。
「わたし、綺麗でしょ?そう思うでしょ?」
母は、何のことやら判らず、用件を訊きますが、その女性は、ただニヤニヤするばかりで、次第に母の方へと近付いてきます。そして、
「なんだ、ビクビクして、笑っちゃうよ!馬鹿みたい」
女性は、そんなことを言いながらも、意味もなくそこにいるものですから、わたしも不思議に思い、居間から玄関へ出て行きました。すると、今度は、女性は、わたしの方を見て、
「へ~、自分より、わたしのほうが綺麗なもんだから、面白くないんだ」
と、やはり訳の分からないことを言いながら、横目でチラチラと、母の脇のほうを見ます。わたしが、そちらに目をやると、まずいことに、そこには、荷ほどきのために使う小さな包丁が置いてあったのです。
(これは、やばいぞ!)
わたしが思った時、同じことを感じていたのか、母が、すっと手をのばしてその包丁をつかみ、わたしに手渡しました。わたしは、その包丁をすぐに家の奥の方へ持って行き、また、その場へ戻ると、母と女性は、まだ睨み合ったまま対峙しています。そして、母は、今度は左側にある事務机の方を指さしました。
すると、そこには、果物をむくために用意したナイフが---!
驚いたわたしは、女性に気付かれないように、そのナイフの方へ横歩きに近付き、それを手に取ると、背中へ隠すようにして握りました。
女性は、ヘラヘラ笑いながら、「バカじゃないの!みっともない奴!」などと、暴言を吐いていましたが、わたしが、じいっと睨み続けていると、訳の分からない言葉を毒づきながら、ようやく玄関から出て行きました。
「なんなの、あの女!?」
わたしも、ほっとしてナイフを事務机に上へ置くと、母は、すぐさま警察署へ電話をし、今あったことの一部始終を話しました。すると、近くの派出所の警察官がすぐに駆け付けて来てくれたので、詳しく女性の年格好を伝えると、それから、三日ほどして、その女性が何処かのホテルにいる所を逮捕されたという知らせを受けました。
どうやら、他の家でも、我が家と同様のことをして、住人を脅したようです。そして、判ったことは、その女性は、覚せい剤を使用していたということでした。
覚せい剤を常用すると、幻聴が聞こえたり、幻覚が見えたりなどするため、こういう奇怪な行動を取ることがあるのだと、警察官は話してくれました。
ただ、女性が、誰にも、実際に危害を加えなかったことだけが幸いでした。
しかし、あの言動から、彼女がこちらを敵とみなしていたことは確かなようです。たった数分の出来事でしたが、冷や汗ものの、瞬間でした。
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嘘つき・・・・・123
2009年08月09日
~ 今 日 の 雑 感 ~
嘘 つ き
世の中には、何故これほどまでに、堂々と嘘がつけるのだろう?と、感心するような人間がいる。
結婚式の祝電を、すべて断ったと言い、職業を偽り、受け取ったはずのお金をもらっていないという。
こそこそと、他人の目を盗んで人の物を勝手に使い、自分は、如何にも金持ちだという虚勢を張って、あることないことを言いふらす。
人前では、満足に言葉も出せないほどの小心者のくせに、図々しさだけは人一倍で、自分を正当化する浅知恵だけは持っているのだ。
極めつけは、あちらとこちらに、それぞれ違うことを吹き込み、お互いを対立させて、それがばれると、悪いのは誰それだと、すぐに人のせいにする、とんでもない恥知らずなのである。
そんな人間が、身近にいると、本当に大迷惑である。
しかし、最近、その人間の嘘が、すべてバレ、周囲の者たちから徹底的に指摘され、非難されてしまった。そのため、その人も、その時は、さすがに下を向き、神妙な困惑顔をして、「おらへェ・・・・、そんなことを言われたら・・・・、おらへェ・・・・」と、口ごもってしまっていたが、一月も経つと、そんなことはさっぱりと忘れて、また、嘘の突き放題である。
根っから根性が曲がってしまっているのか、嘘をつくことは恥ずかしいことだという認識が欠如しているのか、どうにも理解に苦しむ人格である。
子供を騙し、大人を騙し、その場限りの稚拙な嘘を、息をするのと同じように、いとも簡単につきまくる性格は、もう、ほとんど病気といっても過言ではない。おそらく、子供の頃から、そんな嘘でも付かないと、親の愛情を受けることすら出来なかったのだろう。
大勢の兄弟の中で、自分という存在を認めてもらうためには、不可欠な知恵だったのかもしれない。
そうはいっても、もう、いい年をした大人が、自分の価値を落としめてまで、結婚してからもなお、嘘をつき続けるというこの不可解さは、わたしの理解の範疇を超えている。
わたしの周囲の人たちは、この人間の話を、もはや何一つ信じようとはしない。
既に、この人間は、近所からもつまはじき状態である。
「いいさ、自分には、他に大勢の友人がいるからな・・・・」
その人は言うが、おそらく、それも嘘だろう。

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短歌、詠みました・・・・・122
2009年08月09日
~ 今 日 の 雑 感 ~
短歌、詠みました
この前の一日入院の時間が、あまりに暇だったので、ベッドで短歌を作っていました。

研修医 写真観察器(シャウカステン)の画に見入る
目に信念の 光 放てり
しわ深き 手に添えられる 看護師の
白き 腕(かいな)に 愛 柔らかし
一錠の薬にそそぐ 信頼を
背負う情熱 薬局に 満つ
医をになう 人智(じんち)を支え 技巧あり
その技の道を 我は ゆくなり
おまけの俳句
美白液 塗って 踏み出す 夏戦(いくさ)
夕立ちや 何処かでベルが 鳴り響く
ゲリラ雨(う)に 追われて越える 峠道(とうげみち)
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八月十五日・・・・・121
2009年08月08日
~ 今 日 の 雑 感 ~
八月十五日
昭和二十年の八月十五日、太平洋戦争の終戦を知らせる玉音放送が、ラジオにより全国民に向かって発せられました。
わたしの父の自家の近くには、元関東軍参謀副長(後の満州軍総司令官)を務めた川田明治(かわだあきはる)氏が疎開していて、わたしの祖父母や父がいる実家へ、その日、ひょっこりと現われると、一緒に居間へ正座し、その正午の放送を聴いたのだそうです。
「朕は、帝国政府をして米英支蘇四国に対し、その共同宣言を受託する旨通告せしめたり------堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び------」
昭和天皇のお言葉が、ラジオから流れだすと、川田中将は、にわかに肩を震わせて唇を噛み、ただ一言、
「東条の馬鹿めが・・・・・」
そう、呻くように呟いたといいます。川田中将は、こんな戦争は、いつまでも続けるものではないと、自分の陸軍士官学校の三期後輩でもある陸軍大臣の東条英機首相のやり方を批判していたといいます。
そんな八月十五日は、戦後六十四年も経った今でも、やはり、日本人の心の何処かに大きな蟠(わだかま)りとなって存在しているのです。
以前、こんなことがありました。
わたしが、家の近所を散歩していた時のことです。最近、よく見かけるようになった外国人観光客の男性が二人、大きな登山用のリュックサックを背負って歩いていました。
すると、二人は、そばを通りかかった乗用車を呼び止め、運転者の年配の男性に何やら話し掛けています。
最初は、気軽に話に応じていた運転者でしたが、やがて、険しく顔をゆがめると、大きな声で、
「ダメダメ、今日が何日だと思っているんだよ。こんな日に、あんたらをヒッチハイクさせたら、ご先祖に顔向けが出来ないよ」
そう言って、自動車を走らせ去って行ってしまいました。
そんな彼らの会話を、近くで聞いていた斜向かいの喫茶店のおばさんに、「何があったんですか?」と、訊ねたところ、
「あの外国人のお兄さんたち、アメリカ人なんだって。それで、ヒッチハイクをしているので、車に乗せて欲しいって頼んだら、おじさんが、今日は八月十五日だから、乗せないって言ったんだよ。日にちが悪かったよね」
と、いうことでした。確かに、父親や兄弟が戦死でもしていたとしたら、とても、この終戦記念日に、アメリカ人に親切にする気になどなれないことでしょうね。
普段は、わたしなどの若い世代は、何気なく迎えている八月十五日ですが、やはり、年配の方たちには、未だに、辛く、アメリカに対する複雑な気持ちを回想させざるを得ない、特別な一日なのだなァと、考えさせられた一場面でした。
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キャンプ場の少女・・・・・120
2009年08月07日
< 不 思 議 な 話 >
キャンプ場の少女
ぼくは、見城卓也(けんじょうたくや・仮名)。中学二年生。
これは、去年の夏休みに、ぼくたち家族が体験した奇妙な出来事です。
去年の夏休み、ぼくは、父、母、そして小学三年生の妹の舞子(まいこ)と一緒に、長野県のある山のキャンプ場で、一泊二日のキャンプ旅行を楽しむことになった。
父の運転する自家用車で、そのキャンプ場へ向かったぼくたちは、約二時間で林に囲まれているその場所へ到着すると、すぐにテントの設営にかかった。すぐそばには、川も流れている。
上流へ向かうにつれて、川幅はやや狭くなったものの、大きな岩があちらこちらに突出した、如何にも渓流といった様子の場所が現われ、ぼくたちは、足場を確かめながら、父の指導に従って、初めての川釣りを体験したのだった。
一時間ほど釣りを楽しむと、ちょうどイワナとヤマメが二匹ずつ獲れたので、この辺で帰ろうと、父が声をかけた時だった。突然、舞子が、川の上流を指さし、
「お兄ちゃん、お人形が流れて来るよ」
と、叫んだ。見ると、そこには、小ぶりの抱き人形が一体、流れの中を滑り降りて来ると、ちょうど、ぼくたちの目の前の岩場に引っ掛かるようにして止まったのだった。舞子は、すぐさま、その人形の方へ駆け寄ると、冷たい水の中からその人形を拾い上げる。見ると、それは、赤い着物を着たおかっぱ頭の市松人形だった。
舞子は、その人形の滴を丁寧にタオルで拭うと、とても大事そうに抱えて、
「可哀そうに、一人ぼっちなんだね。一緒に帰ろう」
と、言い、ぼくたちは、元来た道をキャンプ場まで戻って行った。
山の日暮は早い。
キャンプ場には、ぼくたちの他にも家族づれが何組かいたので、母と一緒に作った夕食をすませると、そんな隣のテントの家族同士で少しの時間世間話をしたあと、お互い早々にテントへ戻り、床についた。
真夜中、テントの中に聞こえるのは、近くを流れる川の音ばかりである。
ぼくは、身体は疲れているのに、何故かあまり眠くならず、すぐそばに寝ている妹の顔を、暗がりの中でぼんやりと見ていた。舞子は、昼間、川の上流で拾ったあの市松人形を、大事そうに傍らに置いて寝息を立てている。
すると、いつしか、川の流れの音に混じって、岸辺の砂利を踏んで人が歩くような音が、かすかに聞こえて来た。その足音は、大人の物よりも軽い感じがして、歩幅も小さく、ザクッ、ザクッと、ゆっくりとぼくたちのテントの方へ近づいてくるようだった。
ぼくは、テントの外を子供が歩いているのだと思い、たぶん、隣のテントの家族の子供だと自分に納得させて、眠ろうと目をつむったが、その足音は、次第にはっきりと耳元で聞こえるようになり、ぼくたちのいるテントの周りを、回り始めたのだった。
ザクッ、ザクッ、ザクッ・・・・・。
ぼくは、だんだん怖くなって、身体を固くしていると、その足音は、ちょうど、ぼくの枕もとあたりで、ピタリと止まった。そして、その子供と思われる人影は、外の月明かりでシルエットとなって、テントの生地に映る。と、次の瞬間、
「・・・・・返してくれない?そこにあるんでしょう、お人形」
まだ、幼い女の子の声だった。ぼくは、ますます恐ろしくなって、必死で声を殺していると、その女の子は、また、
「ねえ、あたしのお人形、返してちょうだいよ・・・・・」
ぼくは、その子が、妹の拾った人形のことを言っているのだと思い、舞子のそばからその市松人形をそっと取り上げると、勇気を振り絞って、テントの入口を恐る恐る開いた。
そこには、真っ白な蝋人形のような顔色をした髪の長い五歳ぐらいの女の子が立っていた。
しかし、その女の子は、身体中が何故かびしょぬれで、長い髪の毛の先からは、ポタポタ滴が落ちていた。
ぼくは、テントの中から、その女の子に向かって市松人形を差し出すと、
「これだろ、きみが探している人形は?持って行けよ」
そう言った。その女の子は、色の失せた唇で、とても嬉しそうに微笑むと、
「ありがとう・・・・」
と、言って、その人形を手に取り、愛おしそうにそれを抱き締めると、再び、砂利石を踏みながら、ゆっりと、闇の中へ消えて行ってしまった。
翌朝、ぼくは、父と母にその話をしたが、二人とも、「そんな馬鹿なことが・・・・」と、笑って取り合ってくれなかった。ただ、舞子だけは、お気に入りだった人形がなくなっていることに腹を立て、ぼくを責めたので、ぼくは、落とし主が探しに来たから返してやったんだと、説明して、何とか納得させた。
それにしても、あの女の子は、いったい誰だったのだろうと、ぼくの中には疑問が残ったままだったが、帰りの道すがら立ち寄ったドライブインで読んだ新聞で、こんな記事が、ぼくの目にとまった。
『昨日、キャンプ場よりも山寄りの〇〇地区で、母親と共に里帰りしていた保育園児の女の子が、人形を持ったまま川へ遊びに行ったきり帰らず、近所の人たちが捜索に出た結果、足を滑らせて、川の浅瀬で溺死しているのが発見された』
きっと、昨夜の女の子は、この保育園児の少女だったに違いないと、ぼくは確信した。
自分が無くした人形のことが忘れられずに、探しに来たのに違いないと-------。
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LEVI'S(リーバイス)の話・・・・・119
2009年08月06日
~ 今 日 の 雑 感 ~
LEVI'S(リーバイス)の話
わたしは、ある時期、物凄くジーパンに凝ったことがある。
ジーンズとは、凝り始めると、果てしなく奥が深く、何本も何着も欲しくなってしまうという、一種の麻薬にも似た魅力を持っているものなのだ。
たかが、ジーパンに、そんなことがある訳がないと、思われるだろうが、ひとたびジーンズの魅力にはまってしまうと、世の中に、これほど繊細で美しい衣類は他には存在しないというほどに、惚れ込んでしまうものなのである。
わたしは、そこまでマニアというほどではなかったが、それでも、ストレートを買えば、次はテーパードが欲しくなり、その次はブーツカットと、際限がなくなってしまうので、ある時、思い切って気に入りのジーンズを友人にプレゼントして、このいわゆるジーパン中毒から足を洗ったのである。
そんな訳で、それからのジーンズの変遷がどのようになっているのかは、まったく判らないので、今日は、そのジーンズが、どのようにして世の中に誕生したのかということを、掻い摘んでお話ししようと思う。
ジーンズといえば、そのメーカーの種類は、今や数限りなくあり、日本発の有名ブランドも登場するなど、多種多様に展開しているが、やはり、最大の王道は、LEVI'S(リーバイス)であろうと思う。
リーバイスの現在の表記は、「E 」の字が「e」になっているが、かつては「E 」だったのだそうで、その歴史は、1800年代にさかのぼる。
1800年代の中期、西部開拓の真っただ中だったアメリカでは、丈夫な労働着が求められており、リーバイ・ストラウスがテントに用いられていた厚手のブラウン・キャンパス地で世界初のジーンズを作り、商品化したことから、ジーンズの歴史は始まったといわれている。
それでも、過酷な労働条件では、ジーンズの痛みはすぐに現われてしまうため、1870年初頭には、ヤコブ・デイビスがリベット(金属製の鋲)で、ポケットを補強することを思いつき、試作品が完成したのだった。
リーバイ・ストラウス社は、リベット補強のアイデアを持ち込んだ、仕立て屋のヤコブ・デイビスと共にこれに対する特許権を取得。この歴史的な事実は、リーバイスのロゴとしても有名な、二頭の馬がジーパンを引っ張る図柄が描かれているレザー・パッチにも図案化され、今日の製品にも使用されている。
このリベットは、最初のうちは、ポケットにのみ用いられていたのだが、カウボーイたちが乗馬をすると、どうしても股のところが擦り切れやすくなるということで、そこにも打たれることになった。
しかし、これが大失敗で、このリベットのお陰で、鞍が傷つくほか、そのジーンズを履いたまま焚き火で暖をとると、熱さで、大事なところがとんでもない状態になってしまうことが判り、即座に、そこへの使用はやめることとなった。-----そんなユニークな逸話も残っている。
その後も、ジーンズのバックポケットに二重の弓型のアーチ「アーキュエット・ステッチ」が縫い込まれると、これもまた、リーバイスのトレードマークとして登録され、これは、衣料品の商標としては、最も古いものなのだということである。
しかし、1940年代に入ると、リーバイス・ジーンズは、米軍兵士をはじめ直接戦争に関係する者にしか購入が許されなくなり、トレードマークの「アーキュエット・ステッチ」も、糸の無駄遣いとみなされ、その代用として、ペンキによって描かれたのだという。
そして、第二次大戦中、これまでは西部の労働着という認識でしかなかったジーンズが、こうした米軍兵士たちによって必然的にヨーロッパ各地へと伝わり、大戦後は、一気に、ヨーロッパ中で、リーバイスの評価が高まったのだった。
それに続いて、アメリカのハリウッドでは、ジェームス・ディーン、マーロン・ブランドという、ジーンズが似合う二人のスクリーン・ヒーローが誕生し、リーバイスの人気は、ほぼ不動のものとなった。
やがて、1971年には、リーバイスの日本支社が発足。日本人の体形に配慮した種類や、レディース用も開発され、今や、リーバイスは、日本人にも馴染みのジーンズブランドの定位置を確保したのである。
わたしも、学生時代は、ジーンズをよく履いていた。まだ、その頃は、それほどジーンズが好きという訳ではなかったが、それでも、「バレエをやているんですか?」と、訊ねられたこともある脚線美を生かして(爆・爆・爆!)、ジーパンを日常着にしていた。
しかし、大学側は、ジーンズは作業着なのだから、授業には履いて来ないようにというので、主に休日に身に着けていた。
あれから、本格的にジーンズに凝り、そして、ほどんど、履くことはなくなった今でも、街でジーンズを格好良く履きこなしている人を見ると、ついその姿を目で追ってしまう。
どれほど、高級なブランドものの服を着ていても、そんな人には、ほとんど魅力を感じないが、さりげないTシャツにブルー・ジーンズをスマートに履く人を見ると、未だに、何となく嫉妬心のようなものを覚えずにはいられないのである。 続きを読む
精神論は苦手です・・・・・118
2009年08月05日
~ 今 日 の 雑 感 ~
精神論は苦手です
近年、不況下のせいか、やたらに話の途中に精神論的な言葉を挟んだり、どこかから引っ張り出して来た美しい言葉なる物をこれ見よがしに語る人が多くなりましたが、そういう話題は、正直、とても疲れます。
それに、比喩的な回りくどい表現も嫌いです。頭が痛くなる。そんなうんちくを衒学顔で垂れなくとも、もっと平易な言葉があるでしょう。
自分が、この地球上に生まれて来た意味を、虫や花を見て考えたり、命という物の概念を相手の生き方に問うたり、そういう考え方を素晴らしいと共感したり、何だか、世の中が宗教じみて来て、息苦しくさえあります。
ブログを書くことだって、別に人生の修行という訳でもあるまいし、ブログ上で叫んだことも、他人にとやかく言われる筋合いのものではないはずで、ただ、気分をすっきりさせたくて、書きなぐっている人もいる訳で、そういう記事は、穏やかな目で眺めていてくれればいいだけのことです。
精神科の医師の中には、「悩みは、どんなに日記などに書いても、晴れるものではない。必ず、聞き手がいなければ、意味はないのです。しかし、他人の悩みをただで黙って聞いていてくれるほどの篤志家や暇人は、世の中にそうそういるものではないので、誰かが読んでくれるというブログは、格好の訴え仏でもあるといえるのです」と、ブログを書くことを、患者に推奨している人もいるほどなのです。
たとえ、何処かのお寺でどれほど修行を積んだって、人間は皆が聖人君主になどなれるはずもなく、単に、「あの修行に耐えたのだから、自分も捨てたものじゃないな」と、いう自己満足の快感が得られるだけで、その人の本質が変わる訳ではありません。
つまり、平たく言えば、悟りなどというものは、
「結局、自分には何も出来ないのだ。自分は、腹黒い、ちっぽけな人間なのだ」
果ては、そこに行きつくものなのだと、いいますし、
そして、煩悩とは、
「自分には、まだ何かやれるはずだ」
と、いう驕(おごり)りの心なのだというのです。
そんなこと、いちいち仏の教えを学ばなくても、普段の生活を普通にしていれば誰にでも判ることではないでしょうか?当たり前のことを、針を大持ちにして声高に話す必要が何処にあるのでしょう。
腹が立ったら、怒る。悲しかったら、泣く。悔しかったら、相手を非難する。おかしかったら、笑う。嬉しかったら、喜ぶ。
それでいいのではないでしょうか。
自分の醜い心をひた隠しながら、皮肉めいた正論を吐くことの方が、よほど情けないことです。
そして、傍観を貫くならば、中途半端な介入や逃げは打たずに、徹底して世の中すべてに対して無視を決め込む。-----これが、世渡りというものです。
ですから、わたしは、中途半端な「蝙蝠(こうもり)人間」が、大嫌いなのです。
「わたしは、常に自然体だ」
と、いう人ほど、真のその意味が判っていないので、世間体を気にしなくては生きられない人間なのだそうです。
要するに、わたしが言いたいことは、ただ一つです。
「命があったら、それだけでありがたいと思え!生きていることの素晴らしさを感謝出来れば、他人の苦言などどれほどのものか」
わたしには、その言葉が、まだ自分自身でも実行出来てはいませんが、でも、少なくとも、自分の生きざまや人生で得たご立派な教訓を他人に披露しようなどと思うほど、「おじょうこう」な人間にはなるまいということは、肝に銘じているつもりです。
*** 「おじょうこう」 -----北信地方の方言ですが、お判りにならない方は、お年寄りにでも訊いてみて下さい。

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入院病棟24時 8・・・・・117
2009年08月04日
~ 今 日 の 雑 感 ~
入院病棟24時 Ⅷ
今回の入院でわたしの隣のベッドにいた五十代後半と思しき女性のところには、ずうっとご主人が付き添っていた。
しかし、その女性は、別にそれほど大した病気というわけではなさそうであったが、この日の午後に手術を控えているようであり、その話し声が、カーテン越しにはっきりと聞こえて来た。
ご主人 「もうすぐ手術なんだから、少し大人しく寝ていた方がいいんじゃないのか?」
女性 「いいんだよ。大した手術じゃないんだし、局部麻酔だそうだから、三十分もすれば終わるんだって」
ご主人 「そうかもしれないけれど・・・・」
そのうちに、わたしの手術の順番が来て、一時間半ほどで終わり、また病室へ戻ってみると、その女性患者も既に手術を終え、早ばやベッドへ帰って来ていた。
わたしは、まだ麻酔が効いていて、ベッドへ寝転がるなりグンニャリしていると、閉じられたカーテン越しに、その女性のところへ、同じ年頃の女性の見舞客がやって来て、何とも、大声で話を始めたのだ。
女性患者も、今、手術を終えて来たばかりとは思えない元気の良さで、やはり大きな声で笑いながらおしゃべりをしている。
流石に、ご主人が、小声で、
「お隣の人、今、帰って来たばかりなんだから、もう少し声を小さくしたらどうだ?」
と、諫めたが、女性患者は、まったく意に介さず、
「なに、あんな人、大した手術じゃないんでしょ。どうせ、一泊入院なんだし、関係ないよ」
そう言って、見舞客が持ってきたアイスクリームを食べ始めてしまった。驚いたご主人は、まだ、麻酔もはっきりさめてはいないんだから、そんなものは食べない方がいいと、言ったが、彼女はきかない。
見舞いの女性と一緒に、アイスを食べきってしまい、その上、まだ他にも食べたようである。
そして、夕食時間、患者一人一人に食事が運ばれて来たが、わたしは、その女性患者の態度があまりに不遜であったのが面白くなかったので、隣との仕切りのカーテンを締めたままにしておいた。
彼女は、「何よ、カーテンも開けないんだ」と、ボソリと口に出してから、いざ、食事に箸を付けようとした瞬間、いきなり、
「か、看護婦さん・・・・・」
と、変な声を出した直後、お腹の中の物を一気に戻してしまった。驚いた看護婦が、その汚れを始末したのち、「どうしたの?気分悪い?」と、訊ねると、彼女の斜め前のベッドにいる別の年配の女性患者が、
「手術したばかりなのに、あんなにいろいろ食べるからだよ」
と、説明する。看護師は、さらに驚き、「先生に報告しておきますから」と、言って、病室を出て行ってしまった。
そんなことがあった翌日の朝食の時間、その五十代の女性の憤懣は、今度は、斜め前のベッドの年配の女性に向けられた。
女性 「あんたさ、働いてんの?」
年配の女性 「シルバー人材に登録しているからね」
女性 「ふーん、で、子供は女一人なんだ。一人しか産めなかったんだね」
年配の女性 「ううん、もう一人いたんだけれど、死んじゃったんだよ」
女性 「でも、旦那は、ただの職人なんでしょ?よかったじゃん、一人で」
年上の女性に、モロ、ため口である。そこで、わたしは、その会話に割って入り、病院移転の話に話題をすり替えてやった。これには、年配の女性も関心があり、他の女性患者たちも加わって、かなり話は弾んだ。
そして、わたしが退院する時、その年配の患者や、他の患者は、口々に、「いいねェ、もう退院で」「もう、行っちゃうの?」などと、言葉をかけてくれたが、その隣の女性患者だけは、寝たふりをして、知らん顔だった。
あ、もう一人、病気は何処にもないので早く退院をして欲しいと促されていた、七十代の女性も寝ていたが・・・・。
たった一日の入院だったが、何やかやと、様々なことがあったものである。
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予感、直感、第六感・・・・・116
2009年08月03日
~ 今 日 の 雑 感 ~
予感、直感、第六感
皆さんは、予感とか、直感とか、第六感を、ご自分が持っていると、思いますか?
朝、起きた時、ふっと、「今日は、何となくいいことがありそう」と、思ったら、駅で偶然片思いの男性に出会ったとか、逆に、「何だか、気分が乗らないなァ」と、思ったその日に限って、突然、彼女から別れ話を切り出されたとか、そんな、摩訶不思議な出来事は、おそらく誰もが一度や二度は経験していることでしょう。
これは、五年ほど前に、わたし自身が経験したことなのですが、こんなことがありました。
従兄弟の家で、親戚一同が集まることになり、わたしの従姉の一人がその日に限って、珍しくお化粧をして、小さなスミレの花を模したイヤリングまでつけて来た時のことです。✿
しばらくすると、その従姉が、家のあちらこちらを、懸命に探しまわっているので、どうしたのかと、わたしが訊ねると、
「せっかくつけて来たイヤリングの片方が、何処かに行ってしまったの」
と、言います。わたしも、一緒になって探してみたのですが、何処にも落ちてはいません。何処かに置き忘れたのではないかと、従姉に訊ねたのですが、何処にも置いたことはないといいます。
それなら、もう一度、探してみようかと、腰をあげた時でした。わたしの頭の中に、ふっと、ほんの一瞬、そのイヤリングが従姉の胸のあたりに見えたような映像が浮かんだのでした。
そこで、「もしかしたら、イヤリング、あんたの胸のポケットに入っているんじゃないの?」と、言いました。従姉は、
「そんなことないよ。だって、一度も外していないんだし・・・・」
と、言いながら、それでも、ブラウスの胸ポケットの中を探したところ、何と、小さなイヤリングの片方が、その中から出て来たのでした。
「ええ~!何で、判ったの!?」
従姉は、思わず仰天の声を上げました。が、わたしも、どうして、そこに入っているように思えたのか、自分でもさっぱり判りませんでした。どうやら、イヤリングは、いつの間にか、従姉の耳から勝手に取れて、ポケットの中に滑り落ちてしまっていたらしいのです。
わたしも、我ながら、この時の直感には、驚きました。

また、これは、わたしの父が体験した話です。
今から二十年ほど前、父が長野市で開かれるある会議に出席するため、長野電鉄の電車を利用した時の話です。
父は、乗車するとすぐに、運転席の後ろにある座席に座ったのですが、その位置からは、ちょうど運転士の後ろ姿が見えたのだそうです。その運転士は、まだ二十代と思しき若い男性で、制帽をやや斜(はす)にかぶって運転席に座っていたといいます。
それを見た瞬間、父は、何故か思ったそうです。
(この電車、この先で事故を起こすんじゃないのかな・・・・?) と-----。
すると、案の定、ある遮断機のない踏切に差し掛かったところで、いきなり電車が急ブレーキをかけたかと思うと、ガクンッと、大きく揺れて止まったのだそうです。
踏切内で、自動車との接触事故を起こしてしまったのでした。

非は、電車が通過するのを待たずして、踏切内に入ってしまった自動車の運転者の方にあったようなのですが、父も、あまりの偶然に、本当に驚いたといっていました。
幸いにも、その事故によるけが人はいなかったようです。自動車の運転者も、急いで車内から逃げ出していて無事でした。


俗にいう、「虫の知らせ」とでも言うのでしょうか?
これらの体験は、予感、直感、第六感というようなものは、やはり、人間にはもともと備わっているのではないかと思うような出来事でした。
あるテレビ番組で、アメリカのナバホ・インディアン(現在はネイティブアメリカンというそうです)の長老は、こんなことを言っていました。
「すべての人間は、古来より、自然の力を我が力として、未来を予知する能力をその手に有していた。しかし、文明の力に頼り、自然を遠ざけるようになるに連れて、その能力は失われ、天の忠告もその耳には届かなくなったのだ」
しかし、ある時、ふと、そのかつての力が身体の中によみがえることがあるのではないでしょうか?
その力が、いつよみがえり、現われるのかは、まったく予知できないのですけれどね。

サプリメント依存症?・・・・・115
2009年08月02日
~ 今 日 の 雑 感 ~
サプリメント依存症?
今日も病気だ。薬がうまい!
昔、こんな冗談が巷で聞かれたことがありましたが、このような生活を真面目に続けている人がいるという記事を、新聞で読みました。
千葉県にある和洋女子大で哲学を教えている三浦俊彦教授(49)は、一日に六十四種類、三百錠あまりのサプリメントを常用しているのだそうです。
一食分は、約百錠。購入代金は、一ケ月で十数万円にもなるといいます。
「普通の食事では、余計な栄養もとってしまうが、考えて飲めば、サプリの方が効率がいい」と、三浦教授は言うそうです。そんな、彼の主食は、カップ麺が多く、最後にサプリをお茶で一気に流し込むと、「この、サプリが食道を滑り落ちる時の感触が気持ちいい」のだと、話すのだそうです。
しかし、彼は、別に食べることが嫌いな訳ではなく、外食もするし、学生たちとも会食をすることだってあるのですが、それでも、サプリメントのカプセルや錠剤の香り、封を開けた時の「香気」なるものに、魅了されてしまうのだとか。
こんな食生活は、不自然だと、指摘されることもあるといいますが、本人は、肝臓機能や腎臓機能が少し悪いものの、この食事で、今まで大した病気にもかかったことがないので、いたって平気なのだそうです。
とはいっても、サプリメントの専門家は、「ビタミンCの錠剤を飲み過ぎて下痢になるなど体調を崩したり、栄養失調になった例なども数多く報告されているので、このように極端な過剰使用には、問題があると、警鐘を鳴らしています。
最近は、テレビの通信販売を観ていても、サプリメントと呼ばれる物が次から次へと紹介されています。
現在の高齢化社会もそれに拍車をかけ、年をとって食事の量が減り、それだけでは補いきれない栄養素をサプリメントで補給しようと、コマーシャルは呼びかけています。
わたし自身も、以前、体調不良を覚えていた時、数々のサプリに手を出しました。薬は怖いが、サプリなら大丈夫だろうという考えで、かなりのお金をつぎ込んでしまったのですが、結局、わたしの場合は、何の効果もなく、単に無駄金を使ってしまったにすぎませんでした。
わたしの知り合いにも、夫婦して、こうしたサプリメント依存症のようになり、月に十万円以上もつぎ込んでいる人たちがいます。本当に、効果があるのかどうかは、その人たちも判らないのだそうですが、ただ飲むのをやめた時にどうなるかを考えると、怖くてやめられないのだといいます。
しかし、その夫婦が、わたしの目から見て、とても健康とは言い難いのです。それでも、今より悪くなっては困ると、やめることが出来ない。まさに、サプリメントの罠にかかってしまった疑似健康を体現しているにすぎないのですが、その依存から抜け切れないのだそうです。
また、わたしが知っている癌患者の中にも、やはり、サプリから抜けられずに、医師に、それはもう飲んではいけないと忠告されているにもかかわらず、それでも、隠れて飲んでいる人もいました。
自分の身体がむしばまれたのは、サプリのせいかもしれないというのに、それでもやめられない。これは、どういうことなのか------?
人間の弱い心理につけ込み、ジワジワと食い込んで行くサプリメント依存症の怖さを、見せつけられた思いがしました。
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入院病棟24時 7・・・・・114
2009年08月01日
~ 今 日 の 雑 感 ~
入院病棟24時 Ⅶ
病院食とは、おしなべて、あまりおいしいとは思えないものです。
栄養士さんたちは、それでも患者が飽きないようにと、毎日一生懸命、味付けとカロリー、栄養価などに気を付けながら食事のメニューを考えて下さっているのです。
しかし、そんなことにはお構いなく、とかく食事に文句を付ける患者もいるのです。
今回、わたしが入院した六人部屋の病室には、やはり、そんな食事クレーマーの女性が一人いました。年齢は七十代で、お腹の調子が悪いといって入院していた人です。
しかし、担当医の外科の先生が身体の隅々まで調べたところ、彼女の身体は、何処にも異常が見つからないということだったのです。お腹が痛かったり、下痢をしているのも、結局は、年のせいと、暑さで消化不良を起こしているのだとのことでした。
そこで、先生は、明日にでも退院して結構ですと、その女性患者に告げました。でも、女性は、こんなに体調が悪いのに、家へ帰ることなど出来ないと、言います。それでも、何処も悪くない患者をいつまでも入院させておく訳にはいかないと、先生は言います。
「退院して下さい」
「もう少し、ここに居させて」
二人の押し問答は続き、結局、結論は出ませんでした。
その日の夕食時、女性患者のご飯に、いつものおかゆではなく、普通の白米のご飯が出ました。途端、女性は、メニューが違うと、言いだし、おかゆと取りかえて欲しいと、いいます。
看護師さんは、先生からの指示で、普通のご飯になっているのだから、これを食べて下さいといいますが、女性は聞きません。看護師さんは、困り顔で、どこかからおかゆを持って来て、その普通のご飯と取りかえました。
すると、今度は、お味噌汁がしょっぱ過ぎると言い出したのです。
「うちは、すごくうす味だから、こんな味噌汁は飲めない。減塩のに取りかえて」
と、言います。看護師さんは、もう呆れた顔で、今日は、これで我慢して下さいと、言って帰って行きました。すると、その女性患者は、だったらこんなの飲まないよと、むっとして、味噌汁にも、おかずにも、手を付けませんでした。
そして、翌日の朝食。看護師さんは、その患者のための特別メニューを作ろうと栄養士さんと話をして来たと、女性に伝えると、女性は、
「もう、いいんだよ、そんなこと。どうせ、うちの味のようにはいかないんだから、おかずを付けるなら、刺身でもつけてよね」
これには、看護師さんも驚き、ここはホテルじゃないんだからと、今にもキレそうな口調で返しました。そして、先生から退院許可が出ているんですから、週明けにも退院して下さいねと、言い置き、病室を出て行ってしまいました。
そして、今度は、別の看護師さんが来たところ、彼女は、今日はお風呂に入りたいと言い出したので、その看護師さんが、ご自分で入れますよねと、言ったのですが、彼女は、背もたれの椅子がないと一人では座っていられないと、言います。
背もたれの椅子なら、浴室に用意してありますから、使って下さいと、看護師さんが答えると、自分一人では体を洗えないので、洗って欲しいと、頼みます。
「もう、かなりの日数お風呂に入っていないんだよ。うちじゃァ、誰もわたしを風呂へ入れてくれなかったからね」
要するに、この女性は、病院へ来れば、入浴も食事も、思ったようにさせてくれるはずだと、考えて入院したようでした。
たった一日で退院したわたしは、その女性がその後どうなったのか知りませんが、あの様子だと、そう簡単に家に帰るとも思えません。
現在、こういった自宅に居場所がないお年寄りが増えていると聞きます。病院は、そういう人たちの駆け込み寺にもなっているようなのです。しかし、そういう患者が、病室のベッドを占領してしまうと、本当に重病の患者が入院出来なくなってしまいます。
難しい現実が、こんな身近にもあるのだと、思い知らされました。 続きを読む