成人は、18歳から?・・・・・437
2010年03月19日
~ 今 日 の 雑 感 ~
成人は、18歳から?
日本人の成人を、18歳以上に引き下げるべきか否かの議論が、徐々に高まってきているようである。
インターネットでのアンケート調査では、男性は、賛成が多く、女性は反対が多かったという統計が出たそうである。
その理由としては、男性は、「早く大人としての自覚が生まれるのでよい」という意見なのだそうだが、女性は、「そんなに未熟な大人を大勢世の中に出してしまってどうする気だ?」と、いう意見が多数であったらしい。
確かに、二十歳から成人という今の決まりは、大学生の中に子供と大人が共存するというような関係となっているため、何とも中途半端ではある。
同級生同士が、大人と子供に分けられるという不自然さを解消するためには、18歳からを成人とする方法もよいのかもしれない。
しかし、飲酒や喫煙の問題はどうするのだろうか?18歳から解禁とするには、医学的な問題も絡んで、いささか無理があるようにも思う。
それとも国は、そういう飲酒や喫煙その他諸々の事柄を考えた上で、成人年齢を引き下げれば、国民年金加入者を増やしたり、税金を支払う人口が増えるなどのメリットを目的としているのだろうか?
まあ、18歳からを大人としようが、今まで通り20歳からを大人としようが、若者たちの自覚に大差があるとも思えないが、大人として犯罪に手を染める者たちが増えることは判り切っている。
彼らには、もはや、少年法は適応されないのだから、必然的に刑務所の数も増やさなくてはならなくなるだろう。また、国民の税金が無駄に使われて行く訳だ。
そんなことをしなくても、犯罪の低年齢化対策のためには、少年犯罪の罰則をより厳しいものにすればよいのではないかと思うのだが、それには、反発もあるのだろう。
成人年齢を下げることで、選挙などへの関心を高められるというメリットももちろんあるだろうが、わたしが疑問に思うのは、そもそも、どうしてこのアンケート調査がインターネットで行なわれたのかということである。
インターネットを日常的に使っている世代は、ある程度限られてくるのではないだろうか?
特に、田舎はそうである。
わたしの身の周りを見ただけでも、特に高齢者に関しては、おそらく、携帯電話やパソコンなどでインターネットを活用している人たちなど、10人に1人いればいい方である。
では、インターネットを使わない人の意見など訊かなくてもいいというのであろうか?
この意見の収集も、まずはそこからやり直さねば、本当の統計結果など判らないのではないかと思うのである。 続きを読む
自分の評価を高める方法・・・・・436
2010年03月18日
~ 今 日 の 雑 感 ~
自分の評価を高める方法
あなたは、ある会社の就職面接試験に臨んでいます。
面接官は、あなたに、自己紹介をして下さいと、促してきました。
「わたしは、長野一郎です。大学の野球部で培った粘り強さと根性だけは、誰にも負けない自信があります。経済観念は、少しばかりルーズな面もありますが、御社のために精一杯働かせていただく所存です」
「わたしは、長野一郎です。経済観念は、ややルーズなところがありますが、大学の野球部で培った粘り強さと根性だけは、誰にも負けません。よろしくお願いいたします」
この二通りの自己紹介を聞いた時、面接官が採用を決めるとしたら、どちらの言い方の方が好印象だと評価するでしょうか?
それは、間違いなく、先の話し方なのだと言います。
人間の記憶は、だいたいにおいて最初に聞いた言葉を印象にとどめるものだそうで、この自己紹介にしても、最初に自分の長所を述べた方が、断然有利になるとのことなのです。
しかし、もしも、後者の話し方を先に聞いてしまうと、面接官の頭の中には、最初に「この男性は、経済観念が希薄なのだ」と、いう短所ばかりが強烈に残ってしまい、そのあとの長所はほとんど印象に残らなくなってしまうのだそうです。
人間は、最初に頭に入れた先入観に感性が支配されやすいために、その後の言葉や情報は、ほとんど耳に入らずに、関心を示す気がしなくなってしまうということが多いのです。
たとえば、大好きな二枚目俳優が、「ぼくは、高校卒業後は、〇〇大学の法学部へ入学したんです。そこで演劇の魅力に目覚めまして、色々バイトなんかをしながら、劇団でも修行をしたんですよ。そんな訳で、大学は中退したんですけれど----」と、言ったとしても、ファンは、大半の人が、この俳優は〇〇大学を卒業しているんだと、思い込んでしまうようなものなのです。
これは、いわゆる「割引現象」というもので、いったん、その人物のイメージが作り上げられてしまうと、それを覆すことは至難の業になってしまうということなのだそうです。
もしも、あなたが、自分の印象を相手によりよく伝えたいと思うのなら、まず、最初に長所から述べることをお勧めします。
ただし、必ずしも、いつもそれが成功するとは限りませんが・・・・。

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一日三食の訳・・・・・435
2010年03月18日
~ 今 日 の 雑 感 ~
一日三食の訳
先日テレビを観ていたら、どうして食事は一日三食食べることが当たり前なのか?----と、いう話をしていた。
ところが、これは別段当たり前ということではなく、もともと人々の一日の食事の回数は、二食が普通だったというのである。
もちろん、一日の食事が二食よりも三食の方が、栄養バランス的にも身体にいいだろうし、お腹が空くのを我慢ぜずに済むので、仕事や学業の効率もよくなるというものである。
しかし、本来の理由は、そのような医学的なものではないそうで、実は、かの発明王トーマス・エジソンが、その仕掛け人だったというのである。
エジソンは、自分の会社で電力供給のための施設を造ったが、この電気が全く売れない。では、人々に電気を買ってもらうためにはどうしたらいいかと考え、彼は、トースターを発明したのである。
そして、こう宣伝をした。
「このトースターを使えば、パンを焼くのがとても簡単になります。忙しい朝でも、簡単に食事が作れますから、皆さん、朝からパンを食べませんか?」
これにより、人々は、トースターを買って朝食を食べるようになり、電気の使用量も大幅にアップしたというのである。
かくして、一日の食事の回数も、二食から三食になったというのである。これが事実かどうかは、わたしにもよく判らないが、もしも事実ならば、世界中の人々の習慣は、エジソンによって決定されたといえるのである。
このように、今では、当たり前のことだと思っているわたしたちの習慣の中には、特定の人々による商業戦略がかかわっている場合が意外に多いものなのである。
クリスマス・ケーキやバレンタイン・チョコレートも菓子メーカーの商業戦略から生まれたものだといわれるし、最近、流行り始めた恵方巻きにしても、大阪のとあるお寿司屋さんが、冬場に売れ行きが下がる巻き寿司を如何に客に買ってもらおうかと、考えた末に、思いついたアイデアだということである。
こう考えると、わたしたちの生活習慣は、知らず知らずの間に、商売人たちの巧みな策略によって形作られているのかもしれないのである。

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ポジティブ思考とネガティブ思考・・・・・434
2010年03月17日
~ 今 日 の 雑 感 ~
ポジティブ思考とネガティブ思考
面白い実験があります。
ある性格テストを行なって、「あなたは、素晴らしい性格の持ち主だ!」と、思い切りおだてあげた人々のグループと、「あなたは、最低の性格の持ち主だ」と、けなした人々のグループを作り、おだてあげた人たちにある女性の話をしたところ、彼らは、その話の中の女性の良い面ばかりを印象的に覚えている確率が高かったのだそうです。
ここで判るのは、人間は、自分の気持ち次第で同じ女性についての印象が極端に変わるということなのだそうです。
気分がよい時は、活発で明るい女性だと感じることも、気分が落ち込んだり悩んだりしている時は、口うるさいお調子者としか思えなくなるのです。
皆さんにもそういうことは、よくあると思います。
機嫌がいい時は、相手のささいな失敗など、何とも感じなかったはずなのに、気分がふさいでいる時の他人の失敗は、決して許せないものだと思ってしまうというようなことが-----。
つまり、相手がやっていることは、いつも、まったく変わらないことなのに、自分の気持ちによって、嬉しかったり、イライラしたり、そんなことは、本当に日常茶飯事に起こるものなのです。
これは、人間が、社会の物事に対して、常に、自分の感情と一致した情報を集めようとする習性をもつ生き物だからなのだそうです。
だから、必然的に、楽しい人の周りには同じような気持ちを持つ愉快な人たちが集まり、いつも深刻な問題をかかえている人の周りには、やはり、同じように深刻な問題に頭を抱える人たちが集まりやすくなるのだと言います。
今までは、何とも感じなかった相手の態度や事柄が、何故か気になって仕方がない。腹が立ってならないというような気持ちになった時は、おそらく、あなたの感情がマイナスに動いている時なのです。
よって、そういう時は、自分に何か不都合なことが起きてはいないかと、日常生活を振り返ることが大事なのだと言います。
たとえば、体調がイマイチよくないとか、家庭内にもめごとが起きているとか、会社の仕事がうまく進んでいないとか。
しかし、そんなあなたの気持ちを汲んで、相手の方があなたの希望通りに変わったとしましょう。しかし、いくらそうしたところで、あなたの中にネガティブ思考が存在する限り、変わってくれた相手の中に、また、嫌なところが見えてしまうものなのです。
ですから、そういう時は、嫌だと思う相手から、いったん、きっぱりと離れてみることが肝心なようです。
それだけで、どうして自分は、今まであんなことにいちいち目くじらを立てていたのだろうかと、不思議に思えて来るもので、冷却期間を置くことで、次第に、ポジティブ思考に変わって来ることさえあるのだそうです。
よく、学校などでは、教師が生徒に向かって、「きみたちは、どうしてそんなに世の中に対する問題意識が低いのか?」などということがあるのですが、問題意識が生徒にないことは、むしろ、喜ばしいことなのです。
つまり、それだけ、生徒たちは気持ち的に充実しているという証拠なのですから。
でも、時には、そんな生徒の中に、やたらに社会問題を論じようとする者がいることがありますが、そういう生徒は、他の者たちに比べて、きっと、精神的に大人なのだと思うのです。
大人であるからこそ、子供が見えないことまでも見えてしまう。
そういう生徒は、決して賢いのではなく、むしろ、悩みをかかえている確率が高いと考えるべきなのかもしれません。
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あごの骨が薄い!!・・・・・433
2010年03月16日
~ 今 日 の 雑 感 ~
あごの骨が薄い!!
わたしが最初、白血病に疑われたのには、レントゲン写真に写った骨が、あまりに透けていたということが理由の一つにあるようです。
どうも、白血病の疑いがある人の骨は、白くはっきりとは写らないようで、わたしも、ちょうどそんな感じだったのだと思うのです。
それはそうでしょうね。
この年齢で、これほどに骨が薄くなっている人間なんて、あまりいませんから。
そんなこともあり、先日、歯医者さんで撮ったレントゲン写真を今日の治療中に見せて頂いたところ、やはり、あごの骨がはっきりと写っていませんでした。
他の若い患者さんのあごの骨の写真と比べてみると、一目瞭然で、他の患者さんのあごの骨は、境界まではっきりと白く写っているのですが、わたしのは、なんと、あごの骨がない----くらいのささやかな写り方。
さすがの歯科医師の先生も、
「おっかない病気があるもんだねェ~~」
と、驚いておられました。
「はい、ひどい時は、顔自体が小さくなりましたし、歯もガタガタでした。今とは、相当人相も違ったと思います」
そう答えると、
「とにかく、普通の人よりも骨が薄いことは事実だから、転んだり、ぶつかったり、殴られたりしないでくださいね」
先生は、真面目におっしゃいます。
転んだり、ぶつかったりは、判りますが、殴り合いのケンカは、たぶんしないと思いますから(いや、場合によってはやることもあるか・・・・。昔は、これでも、腕力には自信があった)、ちょっと、おかしかったです。

でも、もしも、わたしを殴ったら、ほんの少しの衝撃で顔面骨折などということにもなりかねませんから、
「そんなに力を入れていなかったのに-------」
なんて、加害者が弁解しても、あとの祭り。相当の重罪になってしまうことでしょうね。(爆)
皆さん、骨は大事ですよ。
足腰が痛いからといって、家の中で座ってばかりいると、大変なことになりますよ。しかし、どんなに減った骨でも、努力次第でかなり回復できるものです。
骨は苛めなければ、強くなりません。
頑張って苛めたおかげで、わたしの場合、身長も現在は五、六センチほど元に戻りました。

あばたもえくぼの理由・・・・・432
2010年03月16日
~ 今 日 の 雑 感 ~
あばたもえくぼの理由
あなたは、自分の彼や彼女のことを、本当にハンサムだとか、美人だと思っていますか?
わたしの家のご近所の飲食店の奥さんは、ご主人の容姿のことを、「これほどいい男はいない」と、常にのろけています。

このように、人間は、自分が好きだと思う人のことは、周りがなんと言おうとよく目で見てしまうのですね。
これは、人間の集団心理と関係があるのだそうです。
つまり、人間は、自分が所属している集団(内集団)に関係する人たちのことは肯定的、好意的に思えてしまうのですが、逆に、自分とは関係のない集団(外集団)の人々に対しては、否定的であり批判的になるのだそうです。
それは、内集団に属する人たちは、自分に対して何らかの利益をもたらしてくれるのですが、外集団に属する人たちは、利益にならないばかりか、時には自分に敵対することさえあるからなのです。
では、どうして、人間は、内集団の人々には寛大になり得るのかといえば、そこには、「社会的アイデンティティ理論」というものがあるのだといいます。
要するに、自分が属する集団の価値が上がることが、すなわち、自分自身の価値が上がることだとの意識を結びつけたがる気持ちが働くからなのだそうです。
集団の価値が自分の価値であると錯覚することは、夫婦の間でもよくありますよね。
夫が会社で出世をすれば、妻も同じく偉くなったような気分になり、周りの主婦仲間を下目に見たりすることがあるものです。しかし、出世したのは夫であって、決して妻ではないのです。
そこには、夫婦は一心同体という、暗黙の内集団意識がはっきりと見てとれます。
人が徒党を組みたがる心理も、正にそこにあるのではないでしょうか?
徒党の中に、一人優秀な人間がいた場合、その人間と仲間意識を共有する者たちまでが、その優秀な人間と同じ価値が自分にはあると、思い込んでしまうからなのです。
実に、何とも、滑稽な意識ではあるのですが、こういう意識は、特に、野球やサッカーなどの応援にも大きくかかわっているそうです。ひいきのチームを応援している観客は、自分たちもそのチームの一員になっているという高揚感や一体感を得ることが出来るので、より応援にも熱が入るのです。
選手と同じユニフォームやキャップをかぶるのも、そういった一体感をより強く感じたいがための手段なのです。
ただ、こうした一体感的な同一視が怖いのは、集団の中のルールが、社会のルールであるとの勘違いを生むことが往々にしてあることです。
過去には、家族のためになることならば、たとえ万引きをしても、それは、正しいことであるという意識を当たり前のように持っていた少女が、補導されたというケースもあったそうです。
ですから、時々は、自分を全く何処の世界にも属さない、独立した人間として客観的に見てみることも大事なのではないかと思うのです。
さあ、一度、一歩退いた視点から、あなたの彼や彼女を眺めてみましょう。
きっと、本当の姿が見えて来ると思いますよ。

首の皮がつる・・・・・431
2010年03月15日
~ 今 日 の 雑 感 ~
首の皮がつる
副甲状腺の手術は、首の前の部分の、喉の下あたりを10センチほど切ります。
そのために、手術直後は、顔の下半分から首、鎖骨の辺りに掛けて、感覚がほとんどなくなります。皮膚と一緒に神経も切る訳ですから、そういうことになるのでしょうね。
そして、担当医師が言うことには、
「下ばかりを向いていないでくださいね。皮が伸びなくなって、顔が上がらなくなりますから-----」
もちろん、首に傷があるのですから、水で顔を洗うことなど出来ません。せいぜい、おまじない程度に顔に水を付けて、タオルで拭くのが関の山です。
また、洗髪も出来ませんから、わたしの場合は、約一月ほど、髪をシャンプーで洗えませんでした。もちろん、身体が動かないのですから、洗髪は、看護師さんにお任せするしかなかったのですが・・・・。
それでも、ようやく、自力で洗髪出来た時は、担当医の先生も、思わず、「おめでとうございます!」と、喜んでくださいました。
しかし、傷が目立たなくなって来ても、やはり、首の皮がつる感覚は、治りません。次第に、首や顔の神経も回復して、感覚も戻っては来ますが、それでも、手術前のような何でもない感じではありません。
二年経った今でも、わたしは、しょっちゅう首の皮を引っ張って顔をあげるようにしています。
そうしないと、皮がつるような食い込むような、不自然な感じがぬぐえないのです。
わたしのご近所にも、もう15年も前に、同じ手術をした年配の女性がいますが、この彼女も、未だに、
「首の皮が気持ち悪くてね-----」
と、ぼやきます。何かに没頭していないと、気になって仕方がないのだとか・・・・。
ものを飲み込む時も、何処か、引っかかるような感触があり、食事もおいしく食べられないのだそうです。もちろん、単なる錯覚にすぎないのですが、わたしにも、そういう感覚は、残ったままです。
ただ、わたしの場合は、食事はおいしく頂いていますが-----。

やはり、いくら手術がうまくいったといっても、生身の身体を切るのですから、その後何の支障もなく元通りに回復するなどということはないのです。
この気持ちの悪い感覚は、これからも続くのでしょうが、他に思考を持って行くことで、出来るだけ、気にしないように過ごしたいと思います。

またまた、共同浴場で・・・・・430
2010年03月14日
~ 今 日 の 雑 感 ~
またまた、共同浴場で・・・・
この前、体調が思わしくないので、担当医の先生に電話をかけたところ、手術執刀直後にもかかわらず、電話に出て下さったという記事を書きました。
今日、いつもの共同浴場で一緒になったご近所の奥さん二人との間で、病院の話になり、予約日以外の日に身体の不調が現われたり、不安になったりしたらどうしているかと、いう話題が出ました。
わたしが、「実は、この前------」と、そのことを話すと、奥さんたちがいきなり、驚きの声をあげたのです。
「え~~~~!!うそ~~~~~!!ホントに~~~~~!?」
「はあ・・・・・?」
わたしは、なんで二人がそんなに驚くのかと不思議に思っていると、一人の年配の奥さんの方が、
「あんた、そんな先生、今時いないよ~~~。やだ~~~、どうして、まあ、信じられない・・・・」
ため息交じりに声をあげました。すると、もう一人の奥さんの方も、
「やだ~~、親切な先生だね~~。あんた、運がいいんだわ。普通、予約日以外に症状の相談なんかしても、病院の人は、取り次いでなんかくれないよ。あたしなんか、この前電話をかけたら、看護師さんに断わられちゃった。どうしても、心配なら、別の先生に診てもらいなさいって-----」
「そうだよね~~。あたしもそうだった。だいたい、先生になんか電話をつないでくれないし、どうしても不安なら、出かけて来て下さい。他の先生に診て頂きますから-----ってのが、当たり前だよね。みんな、そう言っているよ」
「そうなんですか・・・・・?」
わたしは、奥さんたちが真面目な顔で感嘆の声をあげるので、むしろ、その方が不思議でした。わたしを診てくださっている先生方は、相談をさせて頂くと、日にちや時間に関係なく話を聞いてくださいますし、看護師さんもすぐに、そのことを担当医に伝えてくださいます。
「じゃァ、わたしの担当医の先生たちは、本当に親切な先生たちなんですね」
わたしが、言うと、年配の奥さんは、
「そうだよ~~。あんた、幸せだわ~~。おばちゃんなんか、診察日に行けば、いつも決まって、痩せなさいって言われるだけ。他に言うことないのかって、思うわよ」
「あたしだって、もう、二十年もおんなじ先生に診てもらっているけど、いっつも、言われることはいっしょだよね」
奥さんたちは、そう言って、アハハと、声をあげて笑いました。
まあ、いつもの如く、ご近所同士の他愛もない会話ですが、それが事実なら、わたしは、かなり果報者なのだなァと、実感した次第です。
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言葉の語尾にご用心・・・・・428
2010年03月13日
~ 今 日 の 雑 感 ~
言葉の語尾にご用心
どうして、わたしには恋人が出来ないのだろう・・・・?と、悩んでいる人はいませんか?
「わたしの顔がいけないのかしら?美人じゃないし・・・・」「おれって、話題が少ないからなァ・・・・。飽きられてしまうのかも・・・・?」
そんなことは、ありません。顔など十人並みだろうと、話題が少なかろうと、問題は、そんなところではないのです。
つまり、周りが、あなたにどうしても親近感を抱けないということが、最大の理由なのです。
親近感が持てなければ、周囲のあなたとの付き合い方も、上辺だけのものになることは当然です。
この人に腹話をしても、きっと、親身になって聞いてくれることはないだろう----。態度がいつも他人行儀で、身体中にバリアを張り巡らしているに違いない-----などと、いう印象を持たれていては、もちろん、声もかけづらくなりますし、ましてや、好意など感じてもらうことは出来ません。
そんな原因の一つに、あなたが日ごろ使っている言葉が影響していることが、往々にしてあるものなのです。
ここに一つ、ユニークな例があります。
これは、かなり前のことになりますが、歴史好きな女性たちの間で、ある話し方がブームになったことがありました。それは、言葉の語尾を、「~~~なァ」と、するものなのです。
たとえば、「旅行に誘われているのだけれど、どうしようかなァ・・・・?」とか、「そういうのって、よく判らないなァ・・・・?」などと、使います。これは、ある歴史小説に出て来る人物の口癖を真似た言い方なのですが、女性が使うと殊に可愛らしく感じられるということで、流行ったことがあったのです。
つまり、日本語は、いわゆる「語尾で感情を表す言葉」とも言えるのです。
「おれは、やる」「おれは、やるよ」「おれは、やるぞ」「おれは、やるぜ」-----この四パターンを見ただけでも、その言葉のニュアンスが微妙に違うことがお判りになるでしょう。
では、ここで質問です。あなたは、以下のどちらの言葉の方に、より相手への親近感を覚えますか?
「今度の試合だけれど、ぼくときみなら、絶対勝てるよ!」
「今度の試合だけれど、ぼくたちなら、絶対勝てるよ!」
さあ、如何ですか?わたしが当事者ならば、断然、後者の言葉を言われた方が、よし、この人と一緒に頑張ろうという気持ちになると思います。
「ぼくときみ」よりも「ぼくたち」の方が、人間は、より強く相手との同調性を感じることが出来るのです。
ですから、もしも、あなたが恋人や友人との間に同調性を感じたいと思うのなら、「ぼくたち」「わたしたち」という言い方を積極的に使ってみることも一つの手かもしれません。
そのことからも、もしも、恋人同士が別れることになっても、相手が切り出した別れ話の言葉の語尾が、「ぼくたち、もう別れようか・・・・」と、いう時には、案外、言っている相手にも未練があると思った方が良いかもしれないのです。
しかし、これが、「ぼくときみは、やはり、合いそうもない。もう別れよう」と、いう言い方になれば、これは、即行、別れて、違う相手を探した方が賢明だと思われます。
日本語の語尾は、正に使いようです。上手に使って、社会生活を円滑にしてみようではありませんか。

帰りたい場所は、何処ですか?・・・・・427
2010年03月12日
~ 今 日 の雑 感 ~
帰りたい場所は、何処ですか?
養護老人ホームなどで生活をしている認知症の高齢者によくみられる症状に、「帰宅願望」があるといいます。
「自分のいるべき場所は、こんな所ではないから、早く帰して欲しい」と、職員に頼むのだそうです。
職員は、毎度のことなので、「ここが、〇〇さんの新しいお家なんだよ。お友達もいるから、寂しくないでしょう?」と、なだめながら高齢者を部屋へ戻すのだそうですが、十分も経つと、また、
「家へ帰りたいので、送ってくれ」と、頼みに来るのだそうです。
それがあまりに頻繁なので、一度、その高齢者がかつて住んでいた家へ連れて行けば、少しは納得してくれるのかと思い、自動車に乗せて連れて行くこともあるといいますが、何故か、その元住んでいた住居を見ても、あまり懐かしがることがない人が多いのだそうです。
殊に、女性の高齢者にそういう傾向が見られるので、「あれほど、帰りたいと言っていたのに、どうして?」と、職員たちも不思議に思うのですが、その理由は、わたしには、とてもよく判ります。
何故なら、職員たちがその女性高齢者を連れて行くのは、彼女の本当の家ではないからです。
それは、嫁ぎ先のご主人の家であり、彼女が嫁として働いていた、いわゆる職場なのです。そんな職場に、何十年も住んでいたからといって、そこは、結局、最後まで彼女の家ではありません。
つまり、そういう女性高齢者が帰りたい家は、彼女たちが生まれ育った実家であり、「帰りたい」と、言っている彼女たちのその時の精神年齢は、ほぼ十代の、人生の中で一番楽しかった頃に逆戻りしていることが多いのです。
自分の父親がいて、母親がいて、いつ帰っても安心出来る最良の場所。-----彼女たちは、そこへ帰りたいと願うのです。
こんなことを言うと、ご主人たちには気の毒かもしれませんが、結婚している間は、本当にご主人のことを愛しているように見える奥さまも、実は、その深層心理では、やはり、無意識の仮面をかぶっているものなのです。
それは、たとえ自分の子供に対してでも、同様のことが言えるようです。子供の前でも、しっかりとした優しい母親を演じている彼女たちは、決して真の姿を見せません。
認知症になり、再び心が子供時代に戻った時に見せる姿こそ、その女性の真実の姿なのではないでしょうか?
わたしの家のご近所のおばあさんも、生前、わたしの父に、「段ボールと縄をもらいたい」と、頼んできたことがあり、父が驚いて、「そんなものをどうするんですか?」と、訊ねたところ、「これから実家へ帰るので、荷造りをするのだ」と、言うのです。
でも、そのおばあさんの実家は、既に誰も住む人がいないので何年も前に取り壊されたと、聞いていましたから、父は、そのおばあさんの家のお嫁さんにそのことを伝えると、お嫁さんは、とても驚いていたそうです。
この前、新聞に、こんな俳句が掲載されていました。
嫁し経ても 心の春は 山向こう
この家へ嫁いで来て、もう何十年も経つけれど、やはり、わたしの心の中に描く春の景色は、山の向こうの実家の家族と迎えた春なんですよ。
そう考えると、高齢者の「帰宅願望」も、決して不思議なことではなく、人間なら誰しも懐く当たり前の気持ちなのではないかと、思うのです。
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お金を貸して下さい?・・・・・426
2010年03月07日
~ 今 日 の 雑 感 ~
お金を貸して下さい?
ご近所の、とある薬局へ、バックパックを背負った一人の二十代前半と思える青年がやって来た。
「ちょっと、風邪気味なので、風邪薬をください」
「あの~、ぼく、お金持っていないんです。あちこち観光している間に、誰かに財布ごと盗まれてしまったみたいで・・・・。中には、カードも入っていたんですけれど・・・・。だから、この風邪薬代、貸しておいてもらえませんか?住所と電話番号と名前を書いて行きますから、あとで、必ずお支払いします」
薬局のおばさんは驚いて、
「そんなこと言ったって、あなた、この近くの人じゃないでしょ?どうやって、お金を持ってくるつもり?」
「こちらの住所へ、現金書留で送ります。だから、お願いします」
青年は、何度も頭を下げるので、おばさんは、仕方なく紙を差し出し、青年の住所と名前と連絡先を書いてもらった。そして、それにしても、まったく所持金がないのなら、ここからどうやって自宅まで帰るのだろうかと、心配になった彼女は、少しばかり、いつものお節介癖を出し、こう、訊ねた。
「それで、あなた、お金もないのに、ここからどうやって家まで帰るの?それとも、交通費ぐらいは持っているの?」
青年は、首を横に振り、それも持っていないと言う。
「でも、何とかなると思います。ヒッチハイクって手もあるし・・・・」
「ヒッチハイクだなんて、そんなこと危ないじゃないの。どうしても困ったら、この近くに交番があるから、そこで相談してみなさいよ。お巡りさんなら、何とか助けてくれるかもしれないし------」
おばさんは、自分にも県外の大学へ在学中の一人息子がいるので、何となく、この青年に息子の姿を重ね合わせ、つい情にほだされてアドバイスした。青年は、ありがとうございますと、何度もお礼を言って、薬局を出て行った。
しかし、それから二時間ほどして、同じ青年が、また、その薬局へやって来たのだった。
応対に出たおばさんは、まだ、何か心配ごとでもあるのかと不審に思い、
「どうしたの?交番へは行ってみた?」
「はい、でも、交通費を貸すことは出来ないと言われて・・・・。それで、申し訳ないんですが、家まで帰るお金、5000円ほど貸してもらえないでしょうか?」
「5000円-----?」
「お願いします。必ず、薬代と一緒にお返ししますから」
「・・・・・・・」
薬局のおばさんは、内心、この青年に対しての疑いの気持ちと、気の毒だと思う気持ちとが葛藤したものの、やはり、息子とイメージが重なってしまい、またもや、仕方なく、5000円を貸すことに決めた。
「それじゃ、気を付けてお帰りなさいね」
「はい、ありがとうございます。必ず、家へ戻り次第お送りします」
青年は、喜んで安堵の笑みを見せながら、薬局をあとにした。
あれから、もう、十年以上経つ・・・・・。が、薬代も、交通費の5000円も未だにおばさんの元には送られては来ない。
青年が書いた住所も、電話番号も、名前さえもがデタラメだった。
もちろん、あの日、青年は、交番へも行ってはいなかった。
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言葉の裏を読め!・・・・・425
2010年03月06日
~ 今 日 の 雑 感 ~
言葉の裏を読め!
他人の話し方を聞いていると、ことあるごとに、「自分は、バカな人間だから・・・・」とか、「仕事もできないし・・・・」というのが口癖の人っていますよね。
でもこれって、本当に、その人が自分のことをそう思ってい言っている訳ではないようです。
自分を、本当にバカだと思っている人は、自分ことをバカだなどとは言いません。
男性に、よく、こういう口癖の人っていますよね。つまり、「自分には能力がない」と、相手に思わせることで、相手の安心感を得ようという作戦が、無意識のうちに口から出るという訳なのです。
思い出してみてください。
あなたがまだ中学生や高校生の頃、期末試験の前になると、決まって、「ぜんぜん勉強していないや。どうしよう・・・・。今日は徹夜だな」とか、試験のあとで、「ダメダメ、さっぱり判らなかったよ~」なんて、こちらが訊きもしないのに自分から話し出す同級生はいませんでしたか?
そういう同級生は、言葉とは裏腹に、案外、成績が良かったはずです。つまり、こういう弱音をあえて吐くことで、周りの同級生を安心させようと、牽制球を投げていた訳ですね。
これは、女性同士の会話でも良く使われる手です。「わたしって、ブスだし、才能もないから、何をやってもうまくいかないんだよね」とか、「わたしに、そんなこと出来る訳ないでしょ」なんて、言っている女性に限って、その言葉の裏では、
「わたしって、あなたたちよりも出来がいい女なのよ。顔だってまあまあ美人だし、才能がない?冗談でしょ?今度、あなたたちがあっと驚くようなものをお見せするから、せいぜい、羨ましがりなさいな」
と、言っているも同然なのです。
ですから、この言葉をうのみにして、安心していると、気が付いたら彼氏を盗られていたとか、仲間を出し抜くような仕事をされていたなどということも、多々ある訳です。
表向きは弱々しく取りつくろっていても、その裏では、かなりしたたかに計画を練っている-----そんな女性が、わたしの周りにもいます。でも、実は、そういう女性ほど、心の中は、周囲への嫉妬心でいっぱいということも、ままあるんですけれどね。
では、何か問題が起きると、即行、謝ってしまうという人は、どうなんでしょうか?本当に、気の弱い人間なのでしょうか?
いえいえ、そういう人ほど、実は、他人の言葉を聞かない意固地な性格なのです。要するに、「申し訳ありません!」と、頭を下げながら、「うるせェんだよ、バ~カ!いちいち、そんなことやっていられるか!」と、決して、自分の非を認めようとはしないのです。
よく口癖のように人々の幸せを祈るようなことを言う人がいますが、こういう人こそ、いざ自分が非難された時は、相手の不幸を平然と望む人なのです。
では、真に傷つきやすく、心やさしい人とはどういう人なのでしょうか?
それも、たいていは、言葉で見抜くことが出来るそうです。
でも、その話は、また次の機会に書きたいと思います。 続きを読む
飛び込み診察日・・・・・424
2010年03月05日
~ 今 日 の 雑 感 ~
飛び込み診察日
今日は、診察予約日ではないのに、少々体調に不安があったので、飛び込み診察をお願いしてしまった。

立錐の余地もないとは、正にこの状態ではないだろうか。待合所は、かける椅子もないほどに人、人、人・・・・。
予め電話をした時、看護師さんが、「その日は、とにかく患者さんが多いので、かなり待つことになると思いますが、それでもいいでしょうか?」と、言っていた通りの、いや、それ以上の込み具合だった。
そんな中、わたしの目の前を、車椅子の男性が、娘さんや奥さんとともに通り過ぎ、しばらく行った場所で、おもむろに車椅子を止めた。その直後、二十代後半と思しき娘さんが怒鳴るように言ったのである。
「本当に、お父さんは、自分に甘く、他人に厳しいんだから!あんなに、お酒はやめなさい、お肉料理ばかり食べてはいけません、カロリーは控えめにしなさいって、先生に言われたのに、忠告を無視して、そんな食事じゃ人生終わりだなんて言って、食べ続けたから糖尿が悪化したんだよ。足が動かなくなったのだって、自己管理が悪かったのに、あたしやお母さんに面倒かけて、それでいいと思っているの!?」
「・・・・・・・」
車椅子の男性は、何も言えず状態のまま、娘の憤懣を黙って聞くだけである。しかし、娘さんの憤りはおさまらない。
「お母さんだって、お父さんを甘やかすからいけないんじゃないの!ダメでも自分の足で歩かせなさいよ!」


「そんな大きな声出さなくたって・・・・・」
母親も娘さんの怒りを鎮めるすべがない様子だった。
そうかと思えば、わたしが何とか空席を見つけて腰を下ろした時、隣に座っていた中学生らしいちょっと太めの少女は、一緒に腰をかけている母親に、突然、駄々をこね始めた。
「お母さん、もう、やだ!!あたし、こんな所に居たくない!家へ帰る!」


「もう少し辛抱しようよ。今まで待ったんだから、もうすぐ名前を呼ばれるから-----。なんなら、お母さん、診察がいつになるか訊いてこようか?」
「いいよ、そんなこと訊きに行かなくたって-----。やっぱり、うちへ帰りたい」
「そんなこと言ったって、変な病気じゃ困るから、診てもらおうよ」
「だって、男の先生だよ。お尻、見せるんだよ」
「男だって、相手はお医者さんなんだから、そんなの恥ずかしくなんかないよ」
母親は、一生懸命、少女を説得して、診察を受けさせようとしている。やがて、少女の名前が呼ばれ、母娘は、診察室へと入って行った。
そして、しばらくして出て来た少女は、何故か、ルンルン気分でニコニコしている。

「やっぱり、ただの切れ痔だったんだ。よかった!」

「診てもらって良かったじゃないの。これで安心できるよ。お薬、ちゃんともらって帰らなきゃね」
母親も、本当にほっとした表情であった。すると、そこで少女が一言。
「お母さん、さすがは、医者だね。あの若いのやるじゃん!」
これには、周囲の患者たちも思わず笑いをかみ殺した。母親は、赤面しながら、少女の腕を掴んで帰って行った。
そして、わたしの番-----。
診察室へ入ると、一週間前に、心電図モニターをチェックしながらも電話に出てくださった担当医の先生が、優しい笑みを浮かべて、椅子にかけていた。

小平奈緒選手の言葉・・・・・423
2010年03月04日
~ 今 日 の 雑 感 ~
小平奈緒選手の言葉
感動と興奮のバンクーバーオリンピックが幕を閉じた。
そして、最後の最後に、スピードスケート・パシュート女子団体追い抜きにおいて、日本の三選手が見事な銀メダルに輝いた。
本日、その選手の一人である、長野県松本市の相沢病院職員・小平奈緒選手(23)の凱旋報告会が、病院に隣接するホールで開かれたとの、ニュースがあった。

相沢病院の職員は、小平選手が銀メダルを胸にかけて登場すると、一斉に小平選手の応援歌を歌いながら、大きな拍手とともに棒状の風船を打ち鳴らして、祝福の意を表わした。
長野県関係からは、今回のオリンピックでは、スピードスケート男子の長島選手や加藤選手など、三人のメダリストを出すなど、成績も上々であった。
しかし、そんな喜ばしい出来事にもかかわらず、わたしには、どうも、もう一つすっきりしないものがあった。
それは、彼ら選手が会見の席で語る言葉の使い方である。
はっきり言って、まったく、敬語が話せないのである。加藤選手は、それでも、年齢なりの言葉使いが出来ていたが、長島選手、小平選手は、ほとんど、わたしの中ではダメ出しの連続であった。
特に、小平選手は、信州大学の教育学部を出ている才女である。
にもかかわらず、彼女の記者会見での言葉、凱旋報告会での挨拶は、こう言っては失礼かもしれないが、お粗末この上ないものであった。
「応援してくれた皆さんに、このメダルをかけてあげたいと思います」
話の内容は、実に、素晴らしいものであるが、この言い方では、せっかくの銀メダルも色あせるというものだ。
どうして、「応援して下さった皆さまに、このメダルをかけて差し上げたいと思います」と、言えないのだろうか?
彼女自身も、おそらく、敬語に自信がないので、言葉をどのように話すべきか判らず、戸惑っているらしい様子も、その顔色からありありと見てとれた。
そのせいで、語尾があやふやで、いつも、恥ずかしそうに声も小さい。
何故、周囲の人たちは、このことを彼女に教えてあげないのであろうか?その言葉使いでは、国民に失礼だと、忠告してあげないのだろうか?
これでは、まるで、信大教育学部とは、この程度の語彙しか持たない学生ばかりなのかと、呆れ返られても仕方がないというものである。
今後も、彼女のテレビ出演やマスコミ取材は、しばらく続くのであろうが、今のうちに、言葉使いを直しておいた方がいい。
正しい日本語を身につけて、ゴルフの石川遼選手のように、堂々とした受け答えをしてもらいたい。
これ以上、地元の選手が恥の上塗りをするのを、わたしは見たくはないのだ。

温泉を使いすぎるって、どういうことだ!?・・・・・422
2010年03月04日
~ 今 日 の 雑 感 ~
温泉を使いすぎるって、
どういうことだ!?
どういうことだ!?
今日は、ど~にも、理解しがたいことがあった。

わたしたちは、近くの共同浴場を利用するために、皆、ちゃんと湯銭を支払っている。
しかも、その共同浴場を使えるのは、「組」と、呼ばれる同じ自治体に所属している住民だけである。つまり、「組み内」の人間のみということに決まっているのだ。
その住民たちが、共同浴場の天然温泉かけ流しを、どれだけ使おうが、組み内以外の人間にとやかく言われるようなことではない。
にもかかわらず、その組み内住民のわたしに向かって、「洗髪にお湯を使いすぎる」と、のたまわったよそ者がいるのだ。
その六十代後半~七十代前半と思える女性は、わたしもこれまでに見たことがない人で、おそらく、この近所の住民ではないのだろう。
しかし、今まで大きな顔をして、共同浴場を使っていたために、最近ようやく入ることが出来るようになったわたしのことを、むしろよそ者だと思っているようなのである。
大きな顔をして、挨拶もなく、こちらに舌打ちまでして来たのである。(信じられない態度だ)
そして、そのバカ女は、わたしに向かって、こともあろうに、こう言ったのだ。
「リンスをした後など、お湯を二杯もかければ済むはずだ」と-----。わたしは、そこで、反論した。
「リンスは、地肌に残してはいけないものだと聞いたことがある。最後まで綺麗にすすぐのは、当然だ」
その女性は、わたしが、浴室を出たあと、一緒に入っていた近所の主婦に、「あの生意気な奴は、誰なんだ?」と、いうようなことを訊いたのだそうである。
生意気なのは、いったいどっちなのだと、言いたい。
それに、お前は、誰から外湯の鍵を貸してもらっているのだ?外湯へ入るための鍵は、組み内住民以外が手に入れることは出来ないはずなのだ。
誰かの鍵を拾ったか、盗んだかしない限り、よそ者が鍵を持てるはずがない。
今度、あのバカ女と会ったら、きっちりと引導を渡してやる!
この共同浴場を建設したのは、わたしの父親たちだ!よそ者のお前が入ることなど、絶対に許さん!!


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相手の心は目で奪え!・・・・・421
2010年03月03日
~ 今 日 の 雑 感 ~
相手の心は目で奪え!
わたしが入院していた時、隣のベッドにいた六十代の女性患者さんが、こんなことを話したことがありました。
「〇〇先生だけれど、あたし、ちょっと、苦手・・・・。だって、回診の時に、あたしの目をじっと見つめて来るんだもの・・・・。こっちは、何処を見たらいいか困っちゃう」
でも、そう言いながら、彼女の顔は、決して嫌そうではありませんでした。
おそらく、彼女は、何か勘違いをしていたのかもしれないのですが、その担当医は、患者の目を凝視することで、体調を把握していたのだと思うのです。
しかし、その女性にしてみれば、若い異性にじっと見つめられるのですから、ドキドキしてしまったのではないでしょうか。
「目は口ほどにものを言い」という諺(ことわざ)もあるくらい、視線が相手に与える影響は、かなり大きいものがあります。
女性の魅力を表す言葉に、「黒目がちの瞳」と、いうものもあるほどです。つまり、黒目の部分が大きい目のことを言うのですが、黒目が大きい女性は、男性にとってとても魅力的に映るのだそうです。
しかし、何故、そのように思うのでしょうか?
これには、ちゃんと理由があります。相手に関心を持ったり、興味を抱いたりした時、人間の目は、瞳孔が大きくなります。要するに、瞳孔が大きくなった黒目がちの瞳は、暗黙のうちに男性に好意を寄せているように見えてしまうのです。
もちろん、そんな目で見つめられた男性が、女性に対して嫌な印象を懐く訳がありません。
「この女性は、ぼくに興味を持ってくれている」と、思い込む訳です。
中世ヨーロッパの女性は、この「瞳孔効果」を熟知していて、自分をより美しく魅力的に見せるため、瞳孔を広げる作用のある『べラドンナ』という植物のエキスを、目にさし、化粧の一つとしていたというエピソードまであるそうです。
こうした「散瞳薬」を使うと、瞳孔が広がるために、辺りの風景などはぼやけてしまいますが、そんなリスクを負っても、自分を美しく見せたいという女心だったのでしょうね。
キラキラした瞳で見つめられれば、男性ならずとも、その人物に好意を抱かざるを得ないものです。
ですから、もしも、意中の相手と話をする時は、ぜひ、相手の目に注目してください。相手の目が、しっかりとあなたに向けられて、あなたの目の中を覗き込むように話をしていたら、間違いなく、それは好意を示している証しだといえます。
(但し、必要以上に視線をそらさずに見つめかけて来ている時は、あなたを騙そうという意図を相手が持っている場合もありますので、気を付けましょう)
しかし、その反対に、目をそらしたり、何処となく気のないどんよりとした目つきであなたを見ている時は、その相手にはほとんど脈はありません。
でも、ここに一つ、そんな相手をも振り向かせるテクニックがあります。それは、あなたの方が、逆に、相手の目をじっと見つめ、心の中で、「あなたが好き!あなたが好き!」

すると、あなたのキラキラした目が、相手の気持ちに高揚感をもたらし、いつしか好意を感じるようになってくれることもあるのです。これが、「好意の返報性」と、いうものだそうです。
さあ、もしも、あなたに意中の人を振り向かせたいという気持ちがあるのならば、ものは試しです。やってみて損はないかも知れません。
しかし、そうはいっても、医師があなたの目を見詰めて来たからといって、心をときめかせることはやめましょう。
それは、あくまでも、業務上の仕草なのですから。(笑) 続きを読む
自分のこと・・・・・420
2010年03月03日
~ 今 日 の 雑 感 ~
自分のこと
わたしは、自分のことをブログに書くのが苦手だ。
苦手というよりも、ようするに書くことがない。
いろいろ、他のブログを読ませていただくと、皆さん、何処そこでコーヒーを飲んだとか、誰それとおしゃべりをしたとか、何処何処へ遊びに行ったとか、楽しそうな話題をアップされているが、わたしの一日には、ほとんどそういった類の話が出てこないのだ。
ここに、わたしの日常を書くとすれば、数行でおわる。
これは、間違いがない。自信を持って言える。

喫茶店でお茶?-----もう、何年も行っていない。
映画?-----十年以上、映画館には足を運んでいない。
レストランで食事?-----はるか記憶のかなた。
旅行?-----訊くだけ無駄だ。
でも、我ながら、自分自身でも凄いと思うのは、そういうことを想像するだけで、ワクワクした気持ちになったり、楽しくなったりしてしまうという特技を持っていることだ。
(これを人は、ふつう妄想癖という)
だから、日々、あまり落ち込むということがない。
何か大変なことが持ち上がっても、一種の『刺激』ぐらいにしか感じないということなのだ。いや、むしろ、逆に毎日があまりに単調単純なもので、近所の犬が勝手に一匹だけで道を歩いているのを見ただけでも、わたしにとっては大ニュースである。

要するに、わたしにしてみれば、天変地異も犬の散歩も、ニュース性としては大差がないということなのだ。
昔、アメリカ映画の『終身犯』と、いうのを観たことがあったが、独房の窓辺に飛んでくる小鳥が、彼にとって唯一の外界との接点だというシーンと、わたしの生活は同じようなものだと思うことがある。
わたしがブログを始めた理由も、家から一歩も外へ出られないわたしがうつ病にでもなれば困ると考えた父親が、
「これでも勉強して気を紛らわせていろ」
と、パソコンを買って来たことに発している。
それでも、最近になって、少しは、行動範囲も広くなって来た。春には、喫茶店へ一人コーヒーでも飲みに行けるかもしれないと、ささやかな野望-----いや、願望を懐いているこの頃である。

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トイレの夢を見る訳・・・・・419
2010年03月02日
~ 今 日 の 雑 感 ~
トイレの夢を見る訳
明日は、雛祭りなんですね。でも、我が家の方は、月遅れの四月三日が雛祭りですから、あんまりピンときません。
でも、スーパーには、雛祭りグッズがあふれていました。♫
春は、もう目の前ですね。つい、この間、年が明けたと思ったら、もう、三月です。時間の経つのが早すぎます。(~_~;)
で、本題です。
皆さんは、夜眠っている時に、トイレの夢を見ることはありませんか?
たとえば、トイレに行きたくて一生懸命探すのに、何処にも見付からないとか、トイレの中が汚れていて、とても用を足す気になれないとか・・・・・。
そういう夢にも、しっかりと意味があるのだそうです。
もちろん、そんな時は、実際にトイレに行きたくなっていることが多いようですが、人間は、理性で、今ここで用を足してはいけないという、ブレーキを無意識のうちに脳の中でかけるために、その理由付けの夢が、こんな形で現われているというのです。
ただ、その理由付けの夢の中にも、さまざまな種類があり、その種類によって、自分の中に何が起こっているのかを知る手掛かりにもなるのだとか-----。
では、そういう夢のいくつかを紹介しましょう。




これは、わたしも時々あります。どうしても、そこにあったはずのトイレが見付からない。これは、何か、他人を信頼できなくなっていることの証拠のようにも思えます。




ただし、トイレにまつわる夢は、健康に対する不安や身体の不調が見させている場合もありますので、自分の体調にも配慮する必要があるかもしれません。
このように考えると、案外、なるほどと、思うこともありますよね。
あなたのトイレにまつわる夢は、なんですか?

ケーシー高峰の医事漫談・・・・・418
2010年03月02日
~ 今 日 の 雑 感 ~
ケーシー高峰の医事漫談
今年のお正月、テレビのお笑い番組を観ていたら、久しぶりに、ケーシー高峰さんがお得意の医事漫談を披露していた。
ケーシー高峰さんのお母さんは、最近まで現役の産婦人科医師を続けてこられた方で、ケーシーさん自身も医学部に入学した経験を持つが、教授との折り合いが悪く(一説には顔をけなされたとか)、芸術学部へ転科したのだという。

そんな訳で、ケーシーさんの黒板やホワイトボードを使っての医事漫談は、単に面白おかしいだけのものではなく、笑いの中に、世相の風刺や医学の専門的な要素までもが加味された、ためになる話題に事欠かないものなのだが、このお正月番組では、さらに、その風刺に磨きがかかっていた。
白衣姿のケーシーさんは、まず、いつものようにホワイトボードを使いながら、心筋梗塞や脳梗塞がなぜ起きるのか、また、それになりやすい年齢などを巧みな話術で解説して行き、その次に、観客に向かって、健康のために何か特別にしていることがあるかと、訊ねた。
すると、客席の一人の六十代女性が、「黒酢を毎日飲んでいる」と、答えたのである。
ケーシーさんは、その女性に、「黒酢を飲んで、効果はあったか?」と、訊いたことろ、彼女は、「あったような気がする」と、返事をした。
その時、一瞬、ケーシーさんの表情が変わり、「お客さんの家は、かなり裕福なのですな~」と、言ったのである。そして、再びホワイトボードにペンを走らせながら、
「毎日黒酢が飲めるという人は、よほど所得が高いのでしょう。普通のご家庭では、そんな贅沢は出来ませんよね。そんな贅沢な健康法を実践しなくとも、もっと簡単に、誰もが出来ることを生活に取り入れて行きましょう」
と、語ると、「わざわざ高価な黒酢を飲まなくても、普通のご家庭にある料理酢でも充分に効果は期待できるんですよ」と、漫談を結んだのだった。
わたしは、これを観ていて、ケーシー高峰さんは、この如何にもマダム然とした客席の女性を、笑いでカムフラージュしながら、思い切り皮肉ったのだと、感じた。
確かに、この不況下の時代、毎日高価な黒酢を飲むことが出来るなんて、贅沢なことだ。そんなお金があるくらいなら、医療や介護費用に回したいと思っている人は少なくないはずなのである。
にもかかわらず、自らの健康法が立派なことだとばかりに、「黒酢を飲んでいます」などと、胸を張って言う女性に対し、ケーシーさんの庶民感情が引っかかったに違いない。
このような観客いじりは、プロの漫談家としては、本来してはいけないことなのかもしれないが、わたしは、思わず、
「ケーシーさん、よくぞ言ってくれました!」
と、拍手を送りたい気持ちになった。ケーシーさんは、自分自身も、舌癌を克服したという体験があるそうだ。いつまでも、庶民の味方の医事漫談を続けて欲しいと、思った次第である。 続きを読む
タグ :藤田まことさん死去
他人の嘘を見抜く方法・・・・・417
2010年03月01日
~ 今 日 の 雑 感 ~
他人の嘘を見抜く方法
心理学的には、「人間は、率先して嘘をつくことを嫌う動物」なのだそうです。
ですから、もしも、あなたが、片思いの相手に、「恋人はいるんですか?」と、訊ねた時に、「いいえ、いません!」とか、「今、お付き合いしています」と、はっきり答えが返ってきたとしたら、その言葉に間違いはないようです。
しかし、もしも、相手が、
「どう見えますか~?」とか、「前はいたんですけれど、今は、いないんです」とか、「良い人がいたら紹介して下さいよ」などと、曖昧な返事をした場合は、ほぼ、嘘をついているとみて間違いがないそうです。
また、無理やり信憑性を持たせようと、こちらが訊きもしないのに具体的な数字を持ち出してきたり、自分の性格を分析し始めたりしたら、これも要注意です。
たとえば、「もう、一年も彼がいないんですよ」とか、「わたしって、恋愛ベタだから、振られてばかりで・・・・」なども、本心からの言葉ではありません。
つまり、付き合っている相手がいる、もしくは、付き合ってはいないが、好きな人は別にいるということですね。
その場合、もう少し突っ込んだ質問をぶつけてみると、相手は、本当のことを語り出すようです。
「前はいたんですね。いつ頃まで付き合っていたんですか?一年前だから、去年の冬頃まではいた訳ですね?最後にデートしたのは何処?」
と、訊いてみた時、「う~~ん、忘れた・・・・」とか、「どうでもいいでしょ、そんなこと-----」などと答えをはぐらかし始めたら、あなたの片思いが成就することは、皆無に近いとみて間違いなさそうです。
こうして、「はい」「いいえ」で答えられない質問をしてみることを、心理学では、オープン・クエスチョン(開いた質問)と、呼ぶのだそうです。
その逆の「はい」「いいえ」で答えることが出来る質問が、クローズド・クエスチョン(閉じた質問)です。
「昨日の野球中継観た?」「バラの花は、好き?」「朝ごはん、食べた?」などと、いう質問のことです。
このクローズド・クエスチョンは、初対面の相手などと話をする時に、会話の導入に使うと、効率よく気心を知ることが出来て重宝する質問の仕方だともいわれます。
もしも、あなたに自分のことを印象付けたい意中の人物がいた時、この質問方法から会話を進めると、より話しやすくなると思われます。
つまり、「スポーツは、何が好きですか?」と、訊くよりも、「ぼくは、野球が好きなんですが、あなたは、どうですか?」と、率直に訊いた方が、相手も話しやすくなるということのようです。
ですから、もしも、あなたが相手の本心を知りたいのなら、このクローズド・クエスチョンで、まず、本音を探ってみてください。訊かれたことに対して、本当のことをズバリと答えず、回りくどい言い方で、さも真実めかした具体例を入れて話し始めたら、その人は、90パーセント嘘をついていると思って間違いがないようです。
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