今日の雑感 5
2012年12月05日
今日の雑感 5

部屋が寒すぎて、長時間パソコンを打っていられない。
毎年、同じようなことを言っている気がする・・・。(-_-;)
とある小説の文章に、「なるほど、そんなものなんだなァ・・・」と、やけに納得してしまう部分があった。
「女性は子供が巣立った後、定年退職後の男が味わうのと同じような欠落感と付き合わなければならなくなる。しかし、乗り越えるやり方は男と女ではかなり違う。
女は蕎麦打ちや野菜作りで孤独を癒すことはまずないだろう。異性の存在は、女にとって重要なのである。それは、相手との深みに嵌って行く関係を求めているというよりも、見られること、かまわれることで、自分が女であることが確認できるからではなかろうか。(中略)
実は男にとっても異性による刺激は大事なのだが、男の場合は、女があたえてくれる蜜を享受するためには、まず自分の方から相手をかまいにいかなければならない。しかし、歳を取ると、これが億劫になり、女との縁が薄れてしまうのだ」
確かに、ある程度の年の女性たちでも、見られたい、チヤホヤされたいという気持ちは、若いころと変わらない----いや、もしかしたら、若い頃よりも強くなっているようにさえ感じることがある。
まあ、若い頃に比べて羞恥心も若干鈍くなっているせいかもしれないが、男性から褒め言葉をもらうことがステイタスであるかのように思い込んでいる女性も少なくないだろう。
子育てが一段落したような年齢になった頃から、俄然、美意識に目覚めたように自分磨きに没頭する年配女性も増えている。
自分のことを「女の子」とか「女子」と呼び、まだまだわたしは若いのだと懸命の抵抗を始めるわけなのだが、金銭的な余裕のある女性はそれも可能だろう。
しかし、今の時代、そんな抵抗をする経済的余力のない女性の方が断然多いのであって、華やいだ場所へ出かけて細胞を活性化させるせめてもの代わりに、香りを楽しむ洗剤を使ったり、ネットでの交流を楽しむのである。
インターネットは、ここ十年ほどの間に殊に目覚ましい発展を遂げて来たというが、もしも、世界が、この十年間バブル絶頂期の頃のような経済上昇を続けていたならば、家や事務所にこもってパソコンを扱う人々の数も限られて、これほどの進化は望めなかったのではないかとさえ思われる。
顔の見えない交流が当たり前となれば、女性もおしゃれやファッションに気を使う必要がなくなる。
もしかしたら、ネット社会とは、女性たちから真の健康的な「美」を奪い、心だけの充足感をもたらすという変則的な若さを内包する社会を作り出すことになり兼ねないのではないだろうか。
そう考えると、何となく怖い気がしないでもない。
選挙とクリスマス
2012年12月05日
選挙とクリスマス★
あんまり寒いので、クリームシチューを作った。
キャベツを山盛り入れて作ると、甘みが出ておいしい。
父親が畑から採って来た小さな大根も輪切りにして入れてみた。
カブのような食感で、これもなかなかいい。
ただ、あまり入れ過ぎると、辛みが出てしまうかも・・・。
寒い時季は、あったまるシチューが嬉しいね。(^^♪
選挙戦が始まったとはいえ、田舎は静かだ。
選挙カーが通っても、あっという間に通り過ぎて行くので、候補者の名前も判らない。
ニュースを観ると、候補たちは、それぞれに懸命の演説を繰り広げてはいるが、どれも抽象的な内容ばかりで、どうすれば国民が夢や平穏を享受でき、未来に希望が持てるのかという具体策を上げる人は、一人もいない。
決断が大事だという人もいるが、それは国民のするべきことではない。何か勘違いしているように思える。
有権者は陳腐な自画自賛を聞きたい訳ではない。
おそらく、候補者たちも何をどうしたら今の不景気が打破できるのか、本音のところでは判らないのだと思う。
寒くなってきたせいもあってか、気分が下降気味だ。
街を行く人たちも、皆、俯き加減にとぼとぼと歩いて行く。
笑い声が聞こえれば、まるでやけっぱちのような響きである。
子供たちは、やたらに怒ったように大声を張り上げる。
彼らの目は、常に何かを恐れるようにキョロキョロとせわしない。
不安感を吐きだすかのように、走り回る。
保育士になろうと思っていたが、親にこれ以上学費の負担をかけたくないので、夢は捨てて来年から就職することに決めたという高校三年生女子の手記を読んだ。
学力がともなわずに諦めるのならまだしも、学費が払えないので進学を断念せねばならないとは、どれほど無念だったか・・・。
知り合いの理容師さんがこんなことを話してくれた。
「わたし、子供の頃、家が貧しかったので、クリスマスにホールケーキを買ってもらったことがないんですよ。友だちがサンタの長靴の格好をしたバッグにお菓子がたくさん入っている、クリスマス定番のあれを親に買ってもらって喜んでいるのが羨ましくてね・・・。それでも、ある時、一番小さい長靴を買ってもらったことがあって、本当に感激だった。だから、大人になった今でも、サンタのお菓子の長靴がスーパーなどに並ぶと、つい目が行ってしまうんですよね」
しかし、この理容師さんと同じように寂しいクリスマスを迎える子供たちが、今また急増しているという。
そんな現実を考えると、街を彩るクリスマス・イルミネーションの光さえ、何処か空々しく感じられてしまう。