大人は何も判っていない!
2012年12月14日
大人は何も判っていない!

物の見方というのは人それぞれである。
立場や職業、住んでいる場所によっても大きく変わる。
ある人たちにとっては、最良の結果でも、ある人たちにとっては、最悪の結果ということも珍しくはない。
経済効果もしかりで、これだけの利益が上がっているのだから、経済効果はあったという見方をする人もいる半面、その利益の恩恵を受けることが出来なかった人からすれば、協力しただけ損をしたということになる。
今年の長野県内の各観光地への人出は、大震災に見舞われた昨年に比べてかなり回復したという話だが、それはあくまでも統計上の結果であり、前年度よりも確実に経済が落ち込んだ観光地の方が多いのが実情である。
観光客は人数ばかり増えても、地元に利益を生まなければ何の意味もない。
経済効果が上がったという観光地の名前はニュースでも取り上げられるが、その実態は形となってほとんど見えて来ないというのが県内の観光業に携わる人たちの偽らざる思いである。
大学生の時、寮生の中に一人の問題児がいた。
その問題児のせいで、わたしが生活していた階の寮生たちは、皆ほとほと迷惑してたので、その問題児の部屋を階の最も隅へ異動させて欲しいと寮の管理担当教授に頼んだ。
すると、その教授は、
「その問題児に一番迷惑しているのは誰なのか?その学生の部屋を問題児の部屋から最も遠いところへ異動させるので、名前を教えなさい」
と、言ったのだ。
わたしたちの反応は、一言、
「そういうことではないだろう!」

であった。
問題児の部屋を替えるというのは、問題児へのペナルティーの意味をも含んでいるのである。
ただ単に、問題児から被害学生を守ればいいという話ではない。
近頃のいじめ問題でも、こうした極めて安直な解決を試みようとする大人は多い。
子供をいじめっ子から引き離せばそれで済む----そういう短絡的な解決方法を選択するのは、そもそも大間違いなのである。
いじめられた子供は、いじめた子供を決して許しはしない。
自分が再び学校へ行くためには、いじめっ子がきっちりと罰を受けることが条件になるのだ。
いじめっ子と会わないように配慮されるのは当然であるが、それにはいじめっ子の方を無期限の登校禁止処分にしなければいじめられた子供のプライドは修復できないのである。
そのことを大人たちはまるで理解していない。
子供には子供の意地がある。
学校や世間は、とかく騒いだ方の口を押さえようとするが、本当に押さえるべきは、騒ぎを起こさせた側の口であることを肝に銘じなければならないのである。
臭いものに蓋の意味を履き違えてばかりいるから、いじめ自殺もなくならないのだ。

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