今日の雑感 14

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     今年も、残すところあと一日。

    都市伝説の語り部によれば、2013年からは人類の生物学的世紀が変わるのだそうだ。

    つまり、来年以降に生まれる子供たちは、われわれとはDNAが異なる人類として誕生するのだとか・・・。

    マヤ暦の新年とは、そういう意味があるのかもしれないとの説もあるという。

    まあ、信じるか信じないかは、あなた次第----なんだろうけれど・・・ね。face02



    
     今日は、雨・・・。

    この気温の高低は、いったい何なのだろうか?

    まあ、暖かいに越したことはないのだが・・・。

    そのせいか、今日の外湯の込み具合はすごかった。

    身体を洗うスペースがないので、一人の女性は顔を洗っただけで一度湯船につかり、そのまま上がって行ってしまったくらいだ。

    こういう時は、皆、入浴時間を少しでも短縮する心掛けが必要なのだが、長湯癖のある人はまるでそういう配慮をしない。

    洗髪をして湯船へ入り、今度は身体を洗ってまた入り、顔を洗って入り、中には歯まで磨き始める図々しい人も----これでは、あまりに他の入浴者に迷惑である。

    どうやったら短時間で入浴を終えられるか、各自研究して欲しいものだ。

    特に、親しい人同士での背中の流し合いなどは、もっての他。こういうことは、誰もいない空いている時にやって欲しい。

    世の中は何事も臨機応変でなくては進まない。

    「だって、家へ帰っても誰もいないから、共同浴場へ来ている時だけが唯一の憩いの場なんだよ」

    そのようなことをのたまう御仁もいるが、外湯は喫茶店ではないので、あしからず。





     で、来年は巳年----。

    そこで、もしも、ヘビの夢を見たら・・・と、いうことで-----。

    ヘビは、幸運と不運、善と悪、破壊と再生など両極端の意味を表わす動物だということである。

    白蛇の夢は、一口に言って幸運の印。運勢の上昇が望める吉兆を意味するものだとか。

    ヘビを掴む夢は、金運が舞い込むという暗示で、ヘビが脱皮する夢は、人生の転換や新しいことへの発展などを教えているといわれるそうである。

    そして、ヘビが下から上へはう夢は、運勢が好転する兆しということだそうだ。

    しかし、ヘビに追いかけられたり、ヘビに巻かれたりする夢は、恋愛においてのトラブルが起きるかもしれないという警告であり、ヘビが木に巻きつく夢は、計画が失敗したり裏切りに合う予感だそうである。

    そして、ヘビに噛みつかれたり飲み込まれたりする夢は、病気やケガに注意せよという意味だそうである。

    また、ヘビが逃げ出す夢は、金運が下降気味という暗示だそうだ。

    とはいえ、わたしがよく見るヘビの夢は、たいてい一匹ではない。それこそかなりの群れで現われる。地面一帯がヘビだらけというような夢も珍しくない。

    たぶん、ヘビ映画の観過ぎなのだろうが、ホント、気持ち悪い。face03

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Posted by ちよみ at 21:46Comments(0)ちょっと、一息 36

日々のたわごと 13

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    かつて、刑事ドラマの中でピアニストの女性が、「ピアノの練習をしたあとは、おもちゃのピアノを弾くのが息抜きなのよね」と、言うシーンがあった。

    「来る日も来る日もピアノを弾き続けて、もう楽譜なんて見たくないというくらいのレッスンをしながら、おかしいでしょう?」

    でも、あの台詞、何となく判るような気がする。

    実は、わたしもこれに似た状況にあるような・・・。

    思いっきり文章を書きまくっているのにもかかわらず、その息抜きがブログを書くことになっているのだ。

    ブログを書いていると、頭の中の整理が出来たり、切り替えが出来るような感じで、ホッとする。

    こんなことを周囲の人に話すと、

    「文章を書くなんて、たった原稿用紙一枚でも悩んでしまうのに、あんた、やっぱり変わっているわ」

    と、笑われてしまうが、ブログと作文や論文ではまったく内容が違うわけで・・・。

    まあ、どちらも人さまに読んで頂くものではあるが、ブログはとにかく気軽に書ける分だけ、文章を作るという作業をしながらも精神的にリラックスできるのかもしれない。

    面白いものである。


    


    ところで、先にも書いた信毎に連載されていた「正妻」という小説だが、これを慶喜の男目線で読むと、実はこういうことになるのではないだろうか。

    「おれは、正室も、側室も、両方大事だ。二人の女は、本当におれにとってなくてはならない存在なんだ。どちらも、なくていいなどということはない。でも、やっぱり一番大事なのはおれ自身だ。おれがいなければ、二人の女は存在する意味がなくなるだろう。どんなに無様な格好で戦場から逃げ出したとしても、おれが生きているということこそが、二人の女ために最も重要なことなのだ」

    こんな身勝手極まりない考え方の徳川十五代将軍のために、須坂藩主・堀直虎も新選組も会津藩も、命を投げ出したわけなのだが、慶喜自身はおそらくそれが最良の策だと、本気で考えていたのだろうと思う。

    育ちなのか、生まれもっての性格なのか、もしも今の世の中に慶喜が生きていたならば、ネット上では稀代のKY野郎と嘲笑されることになったのかもしれないな。

    結局、彼は、あの時代の人間で、正解だったのだろうな。


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Posted by ちよみ at 11:27Comments(0)ちょっと、一息 36