本当の思いやりはどっち?
2012年09月02日
本当の思いやりはどっち?

もしも、あなたが交通事故とか病気で歩行がうまく出来ない身体だったとして、健康な友だちだけで素敵なレストランへ食事に行ったというような楽しげな話題を聞かされてばかりいるとする。
もちろん、あなたも彼女ら(もしくは彼ら)と一緒に食事に行きたいと思い、そのことをつい口に出した時、どんな返事が返ってきた方が、よりあなたに対する思いやりを感じることが出来るだろうか?
A 「そうだね。わたしたちも一緒に行きたいけれど、たぶん、あなたの足ではあのレストランの階段は上れないと思うよ。転んでけがをしても困るから、行くのは足が良くなってからにしたら?」
B 「そうだね。今度行く時は、一緒に行こうか。レストランまでの階段はちょっときついけれど、わたしたちが手助けするから大丈夫。たまには、外の空気を吸うのも気分転換だよ」
おそらくは、Aの返事も、Bの返事も、相手のことを思いやってのことなのだろう。
しかし、身体が不自由な本人にとってみたら、どちらの返事が救いに思えるかといえば、それは間違いなく、Bである。
たとえ、実際に行くことが出来なかったにせよ、こう言ってもらえるだけでも、自分は部外者扱いされてはいないという自信や安心につながるというものなのである。
ところが、Aの答えは、一見その人の身体を心配しているように思えるのだが、取りようによっては、
「面倒くさいなァ・・・。あんたなんかと行ったら、食事のあと何処かで買い物でもしたいと思っても、足手まといで行けないじゃないの。少しは、こっちの気持ちも考えてくれないかな?」
と、いう裏事情が透けているようにさえ思われ兼ねないのである。
しかも、「行くのは、足が良くなってからにしたら?」と、いう言い方は、「行くなら、あなた勝手に一人で行きなさいよ」と、言っているも同じである。
実は、わたしも以前、ある人からAのような返事をコメントでもらったことがあった。
この瞬間、相手の本心が見えた気がしたのである。
言葉は、いつも実に繊細で危険な匂いを内包している。
どんなに親しげな会話をしていても、そういうほんの瞬間の隙間に、相手の本音が暴露されることがある。
その人は、その時はまだ、わたしの足が一生動かないものと思い込んでいたので、そんな大胆な返事が出来たのかもしれないが、つくづく物言えば唇寒し----であることを、この際自戒して欲しいものである。
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臆病者の勇気
2012年09月02日
臆病者の勇気

NHKで放送していた「命をまもる授業」----子供向けに作られた東日本大震災を教訓にした防災番組だったが、ここでは、岩手県釜石市の子供たちが、どうやってあの未曽有の地震と津波から逃げ伸びることが出来たのかということを、アニメーションを交えて判りやすく教えていた。
大災害が起きた時には、守らなければならないことが三つあるという。
1 災害は、想定通りには起きないということを肝に銘じておく。
数人の小学生たちが防波堤で釣りをしていたところ、あの大地震が発生。
彼らは、地震の後には必ず津波が来ることを学校で習っていたために、すぐに海から離れて、避難先に指定されていたビルへ向かうが、中の一人の女子児童は、海の水がすごい勢いで沖へと引いて行くさまを思い出し、このビルでは大津波が来た時おそらく持ちこたえられないだろうと判断。
彼女に賛成した男子児童とともに、「このビルで大人と一緒にいた方が安心だ」と主張する他の同級生たちを説得し、全員で高台へ避難して、巨大津波から逃れることが出来た。

この時、避難指定のビルでは助からないと考えた女子児童は、「大人たちの行動にあまりにも危機感がなさすぎたので、不安になった」と、話していた。
災害は、必ずしもハザードマップ通りに起きてくれるものではないことを、この女子児童は直感し、彼女に賛成した男子児童は、もう少し遠くの高台まで逃げれば、後ろは山なので、さらなる大津波が襲っても逃げられると考えたのだという。
大人たちの中には、行政の指示を鵜呑みにしてそれを正しいと思い込んでいたために、津波にのまれた人が多かった。
しかし、この子供たちは、津波の恐ろしさを行政が考える以上のものと想像したために助かったのだという。
2 災害時には、自分の持てる力や知恵をすべて活用し、最善を尽くす。
両親が外出中にこの大地震に遭った小学生の二人の兄弟は、家の中で避難するための水や食料などをリュックに入れている間に、津波に襲われてしまった。
弟はパニック状態になりかけて、迫りくる海水の中へ入り逃げようとした。が、兄は学校で教わった水の力のすごさを思い出し、焦る弟を止めた。
「たった50センチの水流でも、人間は立って歩くことが出来ない。小さな弟など海水に飲み込まれてしまうだろう」
そこで兄は、弟を励ましながら自宅の屋上へ避難した。しかし、津波は屋上まで押し寄せた。兄弟は心細さに耐えながらも、必死で足元の水を掻い出しながら、父親が迎えに来るのを待って助かった。
この兄弟は、学校で教えられた水流の威力をしっかりと覚えていたことや、避難する際には水や食料が必要なことに気付き、それらを確保した。
今自分たちが出来る最善のことは何かを考えて冷静に行動したために、助かることが出来たといえる。
3 災害が起きたと思った時は、真っ先に逃げる。
もしも、ホテルに宿泊している際に火災報知機が鳴りだしたら、あなたは、即座に逃げ出すことが出来るだろうか?
「もしかしたら、誤作動じゃないか?」などと考えている間に、炎や煙に取り囲まれてしまうことが多いという。こういう時は、誰かが行動するのを待つのではなく、まず自分自身が真っ先に逃げ出す勇気を持つことが大事なのだそうである。
両親がビジネスホテルを経営している三兄弟の末っ子の男子児童は、たった一人で家にいた時大震災に遭遇した。
地震があったあとは大津波が来るかもしれないことは、彼も知っていた。しかし、一人で逃げるなんて怖いし心細い。その時、母親が日ごろ言っていた言葉を思い出した。
「津波の時は、自分のことだけを考えて一人で逃げなさい。逃げられれば、必ずまた会えるから」
そこで、彼は一人で家から逃げ出し、避難場所で母親や兄弟たちと再会することが出来た。
この辺りには、「津波てんでんこ(津波が来たら親や兄弟のことは考えずに、皆てんでに逃げること)」という言い伝えがあるという。
とにかく、非常事態が起きた時は、自分だけが助かっても・・・とか、家族が心配だから・・・などといって家へ戻ったり、逃げることを躊躇してはいけないという教えだそうである。
ただ、ここで問題になるのは、自分の命は自分で守るということがどうしても出来ない足の弱い高齢者や障害者をどう助けるかということだという。
高齢の祖父母を介助しながら逃げようとして、津波にのまれた人も多かったという。狭い道路事情から、津波が来た時は、徒歩避難が原則で、自動車での避難は禁止していた自治体もあったそうだ。
そのために犠牲者を多く出したということも事実のようである。
そこで、行政には、街中の道路幅を拡幅することで、避難する際の自動車使用を認めようという動きも出て来ているという。
災害時には一番臆病であれ----これが、今回の巨大津波被害が人々にもたらした、最大の教訓だったのではないだろうか。
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