小学校の夢を見る
2012年09月15日
小学校の夢を見る

小学校の夢といっても、当時の学校生活や友人関係の思い出ではない。
わたしが子供の頃通っていた小学校の旧校舎そのものが、時々夢の中に登場するのだ。
明治に建てられた古い木造校舎だったのだが、戦前までは小学校と渡り廊下でつながる構造で、今でいう中学二年生まで通うことが出来る「高等科」も隣接していたので、校舎内はとにかく広かった。
体育館前の下級生用の玄関には、動物のコウモリがぶら下がっていた。
25メートルプールもあった。
低学年の頃は、自分の教室がある棟以外へなど行けば、迷子になってしまうのではないかと思うほど、内部は複雑に入り組んだ作りになっていて、とにかく階段や廊下だらけ。
校舎の後ろには山が迫り、学校にはお決まりの墓地もあった。
建物内の一角には温泉も湧いており、湯船まであったところを見ると、当直の先生や用務員さんが使っていたのかな?
そんなあらゆる場所が、断片的に夢には出て来る。
階段を上り下りしている白衣を着た科学担当の先生なども、毎回セットで現われる。
いつも腰を痛そうにしていた。
高等科のあった棟は、のちに新しい講堂になったように記憶しているのだが、こっそりと探検するのも楽しかった。
しかし、何故だか、その頃の同級生たちが夢に出て来ることは、ほとんどない。
同級生と遊んだ記憶は、学校以外の場所での方が鮮明だ。
夢に出て来るのは、あくまでも旧校舎だけなのである。
二十年以上前に近代的な鉄筋校舎に建て替えられたのだが、一、二度取材で新校舎の中を歩いてみたが、行儀よくこじんまりしていて、かつての何とも言えないまるで校舎全体が息をしているような不思議な空間の匂いはまったく感じられなかった。
あの木造校舎、今にして思うが、どうして取り壊してしまったのだろう。
老朽化は激しかったと思うが、実にもったいない気がする。
あなたは、卒業した小学校の夢を見ることがあるだろうか?
中学や高校の校舎は、しっかりとした現実感の中にあるのだが、小学校の校舎は、何故か夢と現実のはざまに浮遊している存在のような気がする。
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壁にぶつかった時の女性と男性の気持ちの違い
2012年09月15日
壁にぶつかった時の
女性と男性の気持ちの違い
女性と男性の気持ちの違い

何か困難に直面した時、女性と男性では、その言動や気持ちにかなりの違いがあるそうだ。
女性は、まず困難を回避するために他人の力に依存しようとする傾向が強いという。
「わたしが困っているのだから、誰か助けてくれてもいいでしょう」
と、思うのである。
これは、女性が男性よりも傷付きやすくか弱い存在なのだから、そうしてもらって当然という思い込みが、女性の中に無意識に働くためだと考えられるのだそうだ。
だから、夫や彼氏には、「自分の話し相手になって、一緒に悩んで欲しい」と、思うのだという。
そのため、自分一人で困難を背負い込むなど割に合わないという気持ちから、ヒステリーを起して周囲を巻き込まねば気が治まらないという、我がままな感情を懐く女性も少なくないのだ。
一方、男性はというと、困難にぶつかった時は、自分自身で解決するのが当たり前----との先入観があるため、何とか自分だけの才覚で壁を突破しようと考える。
また、ある程度、そう出来るはずだとの自信もあるので、まずは自分一人で打開策を練るのである。
が、どうしても、一人では荷が重いとなっても、安易に他人の手を借りようとはしない。
そして、自力ではどうにもならないと悟った途端、問題解決を先延ばしにして周囲がそれを忘れることを願うのである。
他人の力を借りてでも問題をすぐに片付けたい女性と、他人の口出しを嫌い解決を先延ばしする男性。
女性は、「自力で解決しろよ」と、いう男性を、「冷たい人」と、なじり、男性は、すぐに他人を当てにする女性を、「自立心のない我がまま人間」と、見下す。
こうした性格のギャップをうまく埋めるためには、女性は困難にぶつかっても、何とか自力解決法を考え、男性は問題を一人で抱え込まずに、どうしても困った時は他人に相談することが大事だということのようである。
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