言葉一つで状況は変わる・・・・・549

~ 今 日 の 雑 感 ~


言葉一つで状況は変わる



    第二次大戦中、ラジオからは頻繁に「我が軍の損害軽微なり」の大本営発表が流れたことをご存知の方も多いだろう。

    また、帝国陸海軍は、決して「退却」「撤退」という言葉を使わなかったことも有名である。では、何と言ったのか?

    「転進」と、言ったのである。つまり、退くのではなく、向きを変えて進んだだけなのだという理屈である。

    「軽微」も「転進」も、要はまやかしの言葉であるが、これを聞いた日本国民は、「負けている」とは、思わないのである。

    このように、言葉は使い方によれば、人間の気持ちをどうとでもコントロール可能な代物なのである。

    かつて、アメリカで集団自決したカルト集団の信者たちは、遺体のことを「入れ物」と呼んでいたし、日本軍の悪名高い人体実験細菌研究班の731部隊では、受験に使う人間を「マルタ(丸太)」と、呼んでいた。

    こうやって、自分たちの理性を麻痺させて非人道的行為を行ないやすくしていたのである。

    「戦闘行為」よりも「軍事行動」の方が受け入れやすいし、「死者」というよりも「犠牲者」の方が実感が伴わずに済む。

    また、「故障」よりも「不具合」の方が責任逃れが出来て、「屠殺(とさつ)」よりも「屠畜」の方がまだ凄惨さを回避できる。

    「売春」を「援助交際」、「強姦」を「レイプ」----まだまだ上げればきりがない。

    これを「情報編集」という。

    わたしたちが日常使っている言葉は、このようにしてどんどん現実逃避して行くことで、感覚を鈍麻し続けて来たのである。

    それにより、人々は、昔なら口に出せないようなおぞましい言葉も簡単に話せるようになり、相手の気持ちを深く考えずに言葉を発するようにもなってしまった。

    わたしは、以前、このナガブロで親しくコメントをやり取りしていた人から、「嫌なら出て行けば?」と、言われたことがある。これまで何度も楽しくコメントを書きあっていたブロガーから、そのような言葉が飛び出すとは思いもしなかった。

    しかし、そういうことを平然と言うブロガーは、何も彼女だけではなかったのだ。要するに、彼らはむしろ親切心からアドバイスしたのだろうが、悲しいかなまともな日本語の使い方を知らなかったのである。

    もしも、「嫌なら出て行けば?」を、「どうしてもナガブロで続けることが辛いなら、別のサイトへ行くという方法もあるけれど、わたしは、ここで続けていて欲しいな」----こう書くだけで、内容は全く別物になったはずなのである。

    また、ある男性ブロガーは、「自分はもうナガブロとは縁を切った人間だから、そっちのことは関係ない」と、書いて来たが、これも、「自分はナガブロで書くよりも別のサイトの方があっているように思ったので、こちらへ移ったけれど、ブログを書き続けるのも辛抱がいるよね」と、言っただけで、実に誠意のある言葉になるのである。

    現代人には「言語力」のなさが目立つと言われる根本には、このような他人の気持ちを理解せずに発言するという人情の希薄さも起因しているものと考えられるのである。

    独りよがり、自分だけが判ればいい、相手が何を思おうが知ったことではない、しかし、自分は常に安全圏にいたい。

    安易な言葉のすり替えは、真実から目をそむけさせ、こうした自分勝手などうしようもない日本人を生み出し続けているのである。

    しかし、このような意識の麻痺を引き起こす言葉のすり替えも、時には重圧を軽減したり悩みを払しょくするのに役立ったりすることもある。

    「痴ほう症」が「認知症」となったり、「土人」が「先住民族」となったりした場合がそれであろう。

    言葉は人を傷つけもするが、救いもする。

    自分の発する一言が相手にどのように捉えられるのかを、常に考えながら言葉を選ぶことも人間の成長につながるのではないかと思う次第である。

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つま先の話・・・・・548

~ 今 日 の 雑 感 ~


つま先の話



    「つま先の話」と聞いて、いったい何のこっちゃ?----と、思われるでしょうね。

    でも、人の足のつま先って、案外、その人の本音を読みとるのに重宝するものなんですよ。

    

    あなたは、某会社の面接試験を受けに来た入社希望の学生です。

    面接官は、男性が二人。女性が一人。

    面接官たちは、一人一人が別々の部屋で、順番にあなたの面接試験を担当するのです。

    男性のA面接官は、あなたの正面に腰かけて、テーブルの上の資料に軽く目を通しながら、質問をします。その際、彼の足は大きく開き、革靴を履いたつま先も左右に開いた状態でした。

    女性B面接官は、あなたが次に入った部屋で、やはりあなたの正面に着席し、テーブルの下の両足は、やや斜めに傾ききちんと揃えられ、両のつま先も揃って外側をむいています。

    次の部屋の男性C面接官は、テーブルの下の足を組み、上になっている足のつま先は、まったく明後日の方を向いています。が、下になっている足のつま先は、まっすぐにあなたの方へ向けられていました。

    この三人の面接官たちの中で、最もあなたに関心を示していたのは、どの面接官だったでしょうか?

    



    答えは、男性のC面接官です。

    彼は、足を組んでいて、面接を受ける方のあなたは、少々不遜な印象を持ったかもしれませんが、彼の組んだ足の下側支柱となる足のつま先が、あなたの方へまっすぐに向けられていたというところがミソなのです。

    あまり上品な例え方ではない言い方で、「人間は、上半身と下半身は人格が違う」と、いう場合がありますが、この場合も意味は異なりますが、正にそういうことが言えるそうなのです。

    上半身は、あくまでも上辺の対応をするものなので、初対面に限らず人は礼儀や常識を重んずるため、あえて無関心を装うことがあり、わざと横を向いていたりもするのですが、その反対に下半身は、まったく無防備になるものなのです。

    顔ではそっけなさを作っていたとしても、相手の下半身----特に、つま先があなたの方へ向いていたら、その人は、相当高い確率であなたに興味を懐いているといることになるようです。

    要するに、つま先は嘘がつけないということなのでしょうね。

    しかし、ここで例外があります。

    それは、女性の場合です。女性は、自分の姿を美しく見せたいがために、マナー通りの足の置き方をすることが多いのです。でも、そういう際にも、その女性のつま先の微妙な角度に注目してみて下さい。

    本当に、あなたに関心があるのなら、彼女のつま先は、間違いなくあなたの方へほんのわずかな角度でも向けられているはずなのだそうですから。

    こんなところにも人間の心理は反映してしまうのですね。

    面白いものです。



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