ナルシストの心理・・・・・527

~ 今 日 の 雑 感 ~


ナルシストの心理



    この前、当ブログで『自己高揚バイアス』のことを書きましたが、この感覚が大きい人ほど、いわゆるナルシスト度数が高いということになります。

    こういう人は、常に自分が話題の中心でなくては気持ちが治まらず、自分のことが大好きなのです。

    そして、周りが自分をどう評価しているかということよりも、自分自身が自分をどのように評価しているかの方に重きを置くのです。

    こういう感性は、だいたい思春期辺りから始まり、三十代前半ごろまで続く人もいますが、ほとんどの人は、その年齢になると、自分一人の感覚を貫き通すことを子供じみていると思うようになり、次第に身なりや考え方を周りに同調させて行くものなのです。

    ところが、中には、こうした同調を拒否し続け、周囲が自分を何と思おうと自分の世界に没頭し続ける大人もいるのです。

    その極端な例が、『オタク』と呼ばれる人たちですが、彼らは、自分の現実的容姿には頓着せずに、平気で美少女アイドルを追いかけたりも出来る訳です。

    それも彼らの気持ちの中には、一抹のコンプレックスもない----いや、見えないからこそ出来ることなのです。

    しかしながら、ほとんどの人間は、自分の容姿や能力にある程度のコンプレックスをかかえているものです。手放しで自分を好きになどなれません。

    自分は、ここまではしていいが、ここからはするべきものではない----くらいの遠慮や躊躇いは常に気持ちの中のサーモスタットとして働かせているものなのです。

    が、そんな中にも、『自己高揚バイアス』の力が大きすぎて、そのサーモスタットがうまく機能しない人も少なからずいます。そういう人は、自分が可愛くてならないために、自己投資を惜しみません。

    自分だけの理想的自分を追い求めるためには、金に糸目を付けない人もいるくらいです。

    街を歩いていて通りすがりの人の目が、皆自分の方へ向けられているように思うという人もいるくらいで、自意識過剰がすぎると、時には、その勘違いの高揚感で痛みすら判らず、実際は、電柱にぶつけた顔から血が流れ出ているのを、通りすがりの人たちが見ていたことにすら気付かない場合もあるということです。

    まあ、考えようによっては、実に得な性格の持ち主ともいえますが、あまり自分を目立たせようという思いが先行し、浪費などに走ってしまうと、家族に多大な迷惑をかけることにもなり兼ねません。

    ナルシストも結構ですが、ハタ迷惑にだけはならないように気を付けたいものですね。face06





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うなずきは賛同にあらず・・・・・526

~ 今 日 の 雑 感 ~



うなずきは賛同にあらず



    この間、鳩山総理と亀井郵政担当大臣の間で、郵便貯金の預入限度額を1000万円上乗せするという問題で、意見の相違があり、正に泥仕合バトルが繰り広げられてことがありました。

    亀井大臣は、この問題を鳩山総理に話した時に、総理の承諾を得たといっていましたが、鳩山総理は、承諾したことはないと突き放し、結局、どちらの言い分が本当だったのか、最後まで決着が付きませんでした。

    こういうことは、特別政治の世界だけに起きる問題ではありません。

    普段の生活においても、いいと言った、言っていない、というような水掛け論は、何処にでも転がっているものです。

    おそらく、この亀井大臣にしても、本当に鳩山総理が承諾してくれたと思ったからこそ、公然と記者発表したはずなのです。

    では、どうしてこんなことが起きてしまうのでしょうか?

    それは、つまり、一口に承諾といっても、それには五通りのパターンが存在するからなのです。

    1 )  「わたしは、あなたの意見に賛成ですし、支持します」という、全面的賛同。

    2 )  「わたしも、あなたの意見に賛成します」という、単なる同意。

    3 )  「まあ、色々ありますが、ここはあなたに従います」という、受け入れ。

    4 )  「話の内容は、わかりました」という、単なる理解。

    5 )  「話は聞きました」という、事実の伝達。


    この五つのパターンを理解しないで話を進めると、この亀井大臣のような(おそらくは)誤解を生むことになってしまうのだそうです。

    亀井大臣は、「鳩山総理は、自分の考えに理解を示してくれた」と、語っていることからも、鳩山総理は亀井大臣の話を聞いたうえで、「あなたの言いたいことは判りました」と、答えたのだと思うのです。

    しかし、これは単に「言いたいことの内容は判った」と、言っているだけで、決して、「それにはわたしも賛成です。どうぞおやりください」と、言った訳ではないのです。

    ですから、鳩山総理としては、「承諾などしなかった」と、反論したのです。ところが、この承諾の認識が亀井大臣と鳩山総理とでは異なった基準を持っていたがために、亀井大臣は、総理の「判った」という一言を、「承諾」と、受け取ってしまったという訳です。

    これをテレビで見た時、わたしは、ここにこそ民主党と自民党の政治家の言葉の持つ意味の違いが現われたと思いました。自民党に長くいた亀井大臣にとって、「判った」は、いわゆるGOサインなのです。しかし、民主党の常識は、「判った」はあくまで「理解」であり、「賛同」や「承諾」ではないのです。

    政治用語に、「前向きに検討する」と、いうものがありますが、これは「やりません」と、同意語だといいますし、「遺憾に思います」も、「残念」という意味はあっても、決して「すみません」の意味ではないのです。

    また、似たような言葉に、「不具合」というものもありますが、これも、単に動き方が悪くなっただけであり「故障」ではないのだそうです。

    こう見ると、日本語は実に複雑で使い方や認識を誤ると、とんでもない誤解を招くことになりかねません。

    ですから、鳩山総理もこの場合は、亀井大臣にはっきりと、「あなたの話は判りました。でも、やらないでくださいね」と、伝えるべきだったのだと思うのです。  続きを読む