(笑)の考察・・・・・577
2010年05月31日
~ 今 日 の 雑 感 ~
(笑)の考察
では、質問です。
次の二つのメールの文章のうち、真実を伝えているのはどちらでしょうか?
1) 昨日、道を歩いていたらバナナの皮が捨ててあって、知らずに踏んでしまいスッテンコロリ!こんな漫画みたいなことって、本当にあるもんなんだね~。(笑)
2) この前一緒に行ったレストランのランチ、おいしかったね~。今度また、東京へ来た時は誘ってね。(笑)
如何ですか?お判りになりましたか?
答えは、1)なのです。
この1)の文章は、真実を伝えているのです。この文章を書いている人は、実際に道でバナナの皮を踏んで転んでしまったのです。それを、「こんな恥ずかしいことって、滅多にないよね。みんな笑っちゃうでしょ?」と、言わば照れ隠しのための(笑)を最後に付け加えている訳なのです。
しかし、2)の文章は、最初の「この前一緒に行ったレストランのランチ、おいしかったね~。」の部分は事実ですが、次の「今度また、東京へ来た時は誘ってね。」の部分は、真っ赤な嘘だということが判るのです。
その嘘の部分は、「東京」のところです。
つまり、この文章を書いている人は、実際は東京の人ではありません。おそらく、このメールを書き送った相手のごく身近に住んでいる人なのです。
しかしながら、そうやって親しく付き合っていることを第三者に知られると困ることになるので、正体を隠す目的で「東京の人物」のように文章上ではふるまっている訳なのです。
が、この前も当ブログに書きましたが、人間の心理とは、普通は真実を話すようにプログラムされている訳ですから、如何に当人同士にしか判らない暗号を使ったとしても、何処か後ろめたい気持ちは残るのです。そこで、つい、(笑)を付け加えてしまったという訳です。
ここで判ることは、可笑しなことや、恥ずかしいこと、突拍子もないことなどを書いたあとに(笑)が付いている文章は、「あなたも一緒に笑って下さいね。わたしって、バカでしょう~?」というような自虐の意味が含まれている(笑)であるため、ほぼ90パーセントは、真実を伝えている文章だということなのです。
しかし、特に変な話でも滑稽な話題でもないような文章のお尻に、いきなり(笑)が出てきている場合は、要注意です。
こういう文章は、大抵において、第三者であるあなた、もしくは他人に、真実を知らせないようにしている当事者同士が、暗号的な意味でやり取りしている文章に多いパターンなのです。
2)の文面でも判るように、自分の住んでいる実際の住所を隠す意味で、出会った所をわざと遠くの「東京」という場所に設定することで、万が一この文章を他人が読んでも、「ああ、この前東京に行った時に、二人は何処かのレストランへ入ったんだな。この人は、東京の人なんだな」と、思わせることが出来るのです。
つまり、この文章をやり取りする二人の間には、こんな約束が予めかわされていたはずなのです。
「今日、あなたと二人で長野市のレストランに来たことが友人にばれたら大変なことになるのよ。どうして、わたしも誘ってくれなかったの?って----。だから、もしも、メールをくれるんなら、あなたは東京の人ってことにしておいてくれないかしら?」
「いいわよ」
どうですか?良くメールやコメントで使われる(笑)ですが、単に「笑い」という意味ではなく、もっと複雑な心理状態がそこには垣間見られるものなのです。
では、最後にもう一つ問題です。
次の文章は、本音でしょうか、それとも冗談でしょうか?
「わたしって、すごく美人だし、仕事も出来る人だから、いつも周囲の注目の的なのよね。(笑)」
もう、お判りですよね。
これは、「本音」です。「わたしって、すごく美人だし」と、普通なら口に出さないような恥ずかしいことを言いながら、最後に(笑)を付けている訳です。これを書いている女性は、「恥ずかしながら、これは真実なのです」と、ほのめかしているのです。
ですから、こういう文章のメールをもらった時は、「またまた、ご冗談を!」などと返事をしてはいけません。
彼女は、いたく本気で自分は美人で衆目の的だと信じ込んでいるのですから、そういう時は、ただ黙って温かい目で見つめてあげて下さい。(笑)
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対話を恐れる人たち・・・・・576
2010年05月31日
~ 今 日 の 雑 感 ~
対話を恐れる人たち
最近の日本人の性格は、大きく二つに分けられるようである。
一つは、六十代、七十代の女性に見られるような『誰かれ構わずに自分の我儘をぶつけ、人の話を一切聞かない自己天下型』。
わたしは、このブログでもよく『自己天下型』について書いて来たが、『会話拒絶型』については、あまり触れてこなかった。
しかし、ある意味厄介なのは、むしろこの『会話拒絶型』の方であるといえるのだ。『自己天下型』は、向こうから攻撃を仕掛けて来るので、こちらとしても反撃のしようがあるのだが、『会話拒絶型』は、こちらの知らないところで勝手に着々と物事を進行させていて、すべて出来あがったあとで、「こういうことになりましたから、よろしくお願いします」と、いきなり事後承諾を迫るのである。
そのため、大多数の人は、自分に大した影響が及ぶことでもなければ、「しょうがないな・・・・」と、渋々ながら、それを認めざるを得ないのである。
ところが、世の中は、そう甘いものではない。時には、「どうして、事前に相談しなかったんだ!?そんな重大なことを勝手に決めるんじゃない!!」と、憤慨する人物も現われるのである。
そういう抗議が出ることも想定しながら、それでも『会話拒絶型』の人たちは、相手の当事者に事前の相談を持ちかけることをしないのは何故なのか?
それは、要するに、「相談したらきっと反対される」「色々詳しいことを聞かれるのが煩わしい」「意見がバッティングした時、喧嘩になるのが怖い」というような事なかれ主義の逃避心が働くからなのだ。
「だったら、相手の知らないうちに既成事実を作ってしまい、反論の余地を与えないようにしよう」との姑息極まりない考えで、対話を拒否するのである。
人と人との気持ちというものは話し合いを重ねる上で、次第に打ち解けて行ったり、理解し合うことも出来るのだが、それまでの過程では、口論も反目もあるのが普通である。
しかしながら、極端に対人関係における摩擦を嫌うこの世代の男性たちの中には、「相手が黙っていれば儲けもん」といったような、子供じみた考えしか持ち合わせていない者もいるのである。
実は、先日、こういう考えの男性たちが、ある企画を考え出し、近所の人たちの了解を得ないままに実行しようとしていたことが発覚。
近所の住人たちから猛抗議を食らってしまった。
それにより、既に準備していたパンフレットも何もかも最初から作りなおさなくてはならなくなるという事態となったのである。
事後承諾で済むと思ったのが誤算だった訳で、彼らは近所との対話を免れようとしたことで、大失敗を喫したのである。
この問題は、これからも尾を引くであろうが、人を相手にする時は、対話を恐れていては何一つ事は運ばないということに、ようやく彼らも気付いたのではないかと考える。
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