あなたの知っている人は・・・
2013年01月18日
あなたの知っている人は・・・

人に対する評価というものは、実に千差万別である。
わたしが何十年間もいい人だと思っていた人物が、他の人からの評判を聞くと、まるで正反対の評価を下されていたという場合もある。
最初は、まったく別人の話を聞いているのかと思うほど、その人に対する見方が違うので、本当に驚いた。
あることをきっかけに知り合いの前で、とある女性のことを褒めたところ、
「何言ってんの?そんなこというの、あんただけだよ。あんな女、約束は破るし、責任はとらないし、偉そうにみんなを見下すし、評判最悪なのに・・・」
と、いう返事が相手の口から飛び出した。
「でも、あんなことも、こんなことも、わたしにはしてくれて、ホント助かったんだけれど・・・」
そうわたしが言うと、
「へ~~、そんなことあったんだ。あたしたちには、まったく違う顔を見せていたのかもね」
と、知り合いは逆にビックリしていた。
初めて聞く、その女性の悪い噂には、正直半信半疑というところではあるが、よくよく思い出してみれば、確かにあまり周囲の人たちと打ち解けている雰囲気はなく、人当たりは悪くないものの、決して自分の弱みは見せない性格のようだった。
人の性格というものは、その人を見る立場によって如何ようにも変わる。
ある人は、Aさんのことを「冷静沈着で嘘がつけない信用のおける人だ」と評価するかもしれないが、ある人は、「陰険で人当たりが悪い。すぐに結論を出して白黒つけるたがる冷たい人だ」と、思うかもしれない。
しかし、そのどちらもAさんの本当の顔なのだ。
だからこそ、人の評判というものほど信用の置けないものはないのかもしれない。

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消費増税のやり方は?
2013年01月17日
消費増税のやり方は?

今日の天気はまずまずだったが、家の周囲からは住民たちが雪かきをする音が絶えず聞こえていた。
巷では、消費増税の話題がかまびすしくなりつつあるが、増税対象商品と対象外とする食料品や生活必需品の線引きを何処でするかで、各党がもめているそうだ。
食生活に欠かせない米や味噌、魚、肉、砂糖などは対象外とするといえば、
「じゃァ、パンはどうなのか?うちは、毎日パン食だ」

「砂糖は良くても、塩は何故ダメなの?」
「我が家は、減塩家庭なので、味噌汁はほとんど飲まないんだけれど」
「魚や肉を対象から外すってことは、神戸牛もオーストラリア産の牛コマも、マグロもにぼしも同じ扱い?」
「うちは、チーズやヨーグルトなしでは生活できないんだから、これにも増税しないでよ」
などなど、国民から不満が溢れだすのは必至だ。
だったら、国民総背番号制を完備して、一律に消費増税をしたあとで、低所得者にはあとから増税分を戻すというやり方も民主党などからは出ているそうだが、評論家は、
「低所得者が必要なのは、今のお金。あとから返してもらっても、意味がない。だいいち、何を買ったのか、買った物すべてをどうやって把握したらいいのか?レシートを一枚残らず取っておかなくてはならないのか?
それに、自分がどういう風にお金を使っているのかを、国の役人たちに全部見透かされることにもなる。プライバシーの侵害だと訴えられる可能性も大きい。こんなやり方は、絶対に受け入れられないだろう」
と、話す。
雪国や交通網が整備されていない山間地域でなどは、命を守るために、灯油やガソリンなどにも増税して欲しくないという声も根強い。
一方、「では、金額でその線引きをしたらどうか」という意見もある。
食料品に関しては一品500円以上の買い物をした時は、増税対象とするなどの案である。
これならば、ほとんどの食料品は小分けで買いさえすれば、対象外となるはずだ。
この説は、情報番組内で八代 英輝弁護士も提案していた。
下着や防寒着などの衣料品やトイレットペーパー、デンタルグッズ、洗剤などの生活雑貨に関しては、また別の値段設定をすればいい。
とにかく、スーパーなどのたくさんの商品を扱う小売店では、増税と非増税(もしくは減税)の対象品をあまり細かく設定されると、計算のための新しい機械の導入や従業員の仕事が煩雑になり、とても対応できないと困惑する。
「どうせやるなら、一度に決めて欲しい。段階を踏んで---などとされれば、設備投資だけでパンクしてしまう」
あちらを立てれば、こちらが立たずの難しい増税を、新政権はどのように行なうのか、下手をすれば国内が大混乱に陥るやもしれない。
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昭和歌謡が花盛り
2013年01月16日
昭和歌謡が花盛り♫
怒涛のような年末年始が過ぎて、ようやく日常が戻ってきた感あり。
あれだけの専門書を読んだのは、大学時代以来か?
ちょっと、頭良くなった気がする・・・。(^_^.)エヘ・・
近頃、歌謡番組では昭和歌謡が花盛りだ。
東日本大震災を機に、被災地のお年寄りたちを励ますには、やはり耳に馴染んだ歌の力を借りようということなのだろう。
そんなこともあって、既に歌手活動から遠ざかっていた往年の歌手の方たちが再びステージに上がり、持ち歌を熱唱している。
わたしなどの世代も、彼ら大ベテラン歌手の歌声を聞くと、懐かしいだけではなく、むしろ新鮮な思いも相まって、やはり歌の力の大きさを実感せざるを得ない。
今の若者たちには受けがいい歌も、年配世代には単なる騒音にしか聞こえないこともある。
出来れば、もう少し前の世代に流行った歌謡曲もどんどん歌って欲しいと思うくらいだ。
「青い背広で」「白い花の咲く頃」「緑の地平線」なども、お年寄りたちには嬉しい流行歌なんじゃないかな?
因みに、わたしが一押しの昭和歌謡は近江俊郎が歌った「南の薔薇」だ。
南のバラ そよ風に ほほえむ君の姿
胸に抱き接吻(くちづ)ける 花よバラの花
麗しの月の宵 ともに杯あげ
君よ歌え 恋の歌を
なやまし この胸 燃えたつ恋
南の国スペインの 君は やさしの薔薇
歌詞も曲も素晴らしい!

ピースサインの裏側
2013年01月16日
ピースサインの裏側

写真を撮る時にほとんどの日本人たちが何気なく行なう、人差し指と中指を立てる「ピースサイン」と呼ばれるポーズ。
わたしは、あのポーズに何となく違和感があり、これまでも写真撮影において一度もやったことがない。
「どうして、あれが平和のサインなんだ?」という疑問が常にあったからである。
すると、このポーズの本当の意味を書いた中学生の作文が、新聞広告として掲載されていたのを偶然読み、初めてその事実を知り、自分の違和感が間違っていなかったことに得心した。
この「ピースサイン」と呼ばれるものは、実はアメリカからの受け売りで、立てられる人差し指と中指は、広島と長崎に落とされた原爆を表わしているものなのだそうだ。
つまり、二つの原爆で日本を壊滅させて平和が来たという意味での、「ピースサイン」なのである。
そんなこととはつゆ知らず、お人好しの日本人たちは、猫も杓子もピース、ピースで、自らをバカにしてきたわけなのである。
作文では、そういうことも踏まえて、「ピースサインをする時は、広島、長崎を忘れないように平和を考えよう」と、結んでいたが、果たして、そんなことが可能なのだろうか?
広島、長崎の犠牲の上に築かれた平和を噛みしめながら、それでもピースサインが出来る人がいるだろうか?
アメリカから押し付けられたアメリカに都合の良い平和憲法、そして、アメリカ国内の残飯整理を兼ねた戦後の欠食児童救済のための脱脂粉乳提供や、アメリカの小麦生産維持のための学校パン給食に、無意識に日本人にアメリカを賛美させるためのピースサイン。
日本人て、本当に素直で従順で可愛い国民なんだなァ・・・と、改めて思った次第である。
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日々のたわごと 15
2013年01月15日
日々のたわごと 15

NHK総合で放送していた韓国ドラマ「イ・サン」が終わった。
1700年代の朝鮮王朝を描いた壮大なスケールの歴史恋愛ドラマだったが、登場人物は主人公から悪役に至るまで、良いか悪いかは別にしても、とにかく全員が自分のなすべきことの筋を通したという稀有なストーリーだったように思う。
大勢の登場人物が次から次へと目まぐるしく入れ替わりながら進む群像劇のなかでも、ひときわ凛とした異彩を放っていたのが、サンの正室である王妃だろう。
世の中に、これほど出来た女性がいるのだろうか・・・と、思うほどに、正に菩薩のような気品と包容力を兼ね備えた才女であった。
自分の夫であるサンを慕うヒロインを、夫の側室として何のわだかまりも見せず迎えただけでなく、その大きな度量で慈しみもする彼女の優しさには脱帽である。
いつも微笑みを絶やさず、義理の母親にも心から忠孝を尽くす姿は、演ずる女優の透き通るような美しさも相まって、
「どうして、主人公は、こんな素晴らしい嫁を女性として愛することが出来なかったのだろう?」
と、不思議に思ったくらいである。
要は、王妃はサンにとって愛し支える女性ではなく、言わば戦友のようなものだったのかもしれない。
主人公のサンやヒロインのソンヨンを見守る防波堤ともなった王妃の存在なくして、このドラマは成立しなかったのかもしれない。
先日、テレビで映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六 ―太平洋戦争70年目の真実―』を放送していたが、これを観て、日本が何故太平洋戦争に負けたのかが、ようやく納得できた。
陸軍と海軍の足並みがまったくそろわず、海軍は海軍で上層部が脚の引っ張り合いをしている状況で、戦争に勝てという方が無理だということが、実に具体的に判りやすく描かれていて、中学生や高校生にも歴史の勉強として観て欲しい映画だと思った。
太平洋戦争は、日本がアメリカに負けたのではなく、むしろ最初からオウンゴールで自滅していたというのが本当のところなのかもしれない。

番組アレンジレシピ
2013年01月15日
番組アレンジレシピ

関ジャニ∞の仕分け番組で、プロの料理人対関ジャニメンバー2人の簡単料理対決が行なわれた。
料理の内容は、冷凍から揚げのアレンジ料理を5分以内で作れというもの。
審査は、誰が作った料理かを伏せたまま、プロの料理ジャーナリスト10人が行なう。
関ジャニメンバーの一人は、から揚げをレンジで温めたのち、それを食べやすい大きさに切り、モツァレラチーズとバジルの葉(フレッシュバジル)で挟み、黒コショウとオリーブオイルをかけた、オードブルのような軽食を作った。
審査員には調理の手軽さと、お酒のおつまみにも適している味が評価され、「レモンをしぼって酸味を加えてもおいしいかも・・・」と、アドバイスをもらっていた。
もう一人のメンバーの料理は、もっと簡単なもので、トーストした食パンの上にレンジで温めたから揚げをのせ、マヨネーズをかけただけのおやつ感覚な一品。
ところが、これが審査員にはなかなかの受け具合で、「から揚げの濃い味をマヨネーズが中和していておいしい。しかも忙しい朝でも簡単に作れるのがいい」と、高評価。
最後は、プロのイタリア料理シェフが作ったから揚げ入りのトマトスープで、水を入れた鍋を火にかけ、トマトと玉ねぎを小さく切り、から揚げとともに投入。
そこへ、卵と粉チーズを混ぜたものをさらに加えて、最後は塩だけで味を調整する。スープ皿に盛りつけたら、乾燥パセリを散らして完成。
から揚げをスープに使うという意外性が評価されて、この料理が最も点数を稼いだが、最後に入れる多めの塩がネックになったものか、最初はあまり票が伸びなかった。
家庭料理は、毎日作るものであるから、味や見た目よりも栄養面や調理や後片付けの手軽さが肝心だ。
プロの料理人の作る料理は、手が込んでいる分確かにおいしいが、毎日食べるとなると材料費もかさむし、何より健康面が気がかりとなる。
わたしとしては、から揚げとモツァレラチーズ、バジルの葉の料理に一番興味がそそられた。
から揚げのところを普通はサラダ風にトマトにして食べる(トマトとバジルとモツァレラのカプレーゼ)そうなのだが、トマトの酸味をレモンをしぼることで補えば、ボリュームもあるおつまみとしても重宝しそうだ。
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体力回復には何を食べればいいか?
2013年01月14日
体力回復には何を食べればいいか?

ここ連日は、あまりの寒さに、頭が痛くなりそうだった。
これほど、毎日真冬日(最高気温が0度以下)が続く年なんて、過去にあったのだろうか?
だが、「風が吹かない雪の日は気温が高い」とはいうが、大雪の今日は、風も穏やかで、最低気温もマイナス1度と比較的暖かで過ごしやすく、雪かきをしていたら汗をかいた。
東京でもかなりの量の雪が積もったと、テレビで大々的に報じていたが、画面を見たら大した積雪ではなかった。
アナウンサーは、「マイナス0.5度です。耳が痛いくらいの寒さです」などとレポートしていたが、信州人から言わせれば、マイナス0.5---って、そんなに暖かいの?ってくらいだ。
ところで、寒さは体温を奪うだけでなく、免疫機能も低下させるという。
そうなると、体力が落ちるので風邪をひきやすくなったり、ノロウイルスに感染しやすくなったり、血圧が上がれば脳卒中などのリスクも高くなる。
特に、高齢者の体力低下は睡眠も妨げるので、しっかりとした休養が出来ず、正に悪循環である。
そんな高齢者にこそ食べて欲しいのが豚肉だと、ある番組でやっていた。
豚肉に入っているビタミンB1が、疲労回復を促し、体力低下を防ぐのだそうだ。

筋肉をつけるためにはタンパク質を多く取らなければいけないということで、やたらに肉ばかりを食べる人がいるが、これでは筋肉がつくよりも脂肪を増やすだけなのだとか。
どうせ肉を食べるのなら、効率の良い食べ方をするべきであるという。
肉の中でも特に豚肉は体力をつけるためには最適なのだそうである。
とはいえ、たくさん食べればいいというわけではなく、アリシンを含む玉ねぎなどの野菜と一緒にバランスの良い食べ方をするのが理想だと番組では伝えていた。
玉ねぎやニンニクなどのねぎ類に含まれるアリシンは、ビタミンB1と結合することでアリチアミンに変化し、疲労回復効果をより高める働きをするのだという。
因みに、ニンニクの疲労回復効果が高いのは、ニンニクにはもともとビタミンB1とアリシンが含まれているので、最初からアリチアミンが存在するためだそうである。
ロンドン五輪で活躍したアスリートたちの中にも、豚肉をメインにしたバランスの良い食事を心がけることで、持久力や瞬発力が格段にアップしたという者もいるという。
しかも、食事には食べるタイミングというものがあり、練習後30分ぐらいの間に食事をするのが理想なのだそうだ。
「風邪をひいた時は、豚肉料理を食べろ」と、良く言われるのには、ちゃんとした理由があったのだ。
玉ねぎ入り卵とじのカツ丼や豚肉入り肉じゃが、野菜たっぷりのポークカレーなどは、食べ過ぎさえしなければ実に理にかなった料理であるということが判る。
つまり、日本人は、昔から理想的な料理を食べて来たということなのだ。
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体罰を容認する教育者の心理
2013年01月13日
体罰を容認する教育者の心理

大阪市立桜宮高校(都島区)の男子バスケットボール部主将が男性顧問(47)の体罰後に自殺した問題で、顧問が平成20年9月、授業で危険度が高い組み体操の練習中、悪ふざけを繰り返した2年の男子生徒の顔を平手打ちしたり、引き倒したりする体罰を加えていたことが13日、分かった。市教委によると、生徒は口を切るけがを負ったが、生徒が「自分が悪い」と話し、保護者も処分を求めなかったことなどから、懲戒処分は見送られた。(産経新聞)
早い話が、体罰を容認したり、自らそれを行なうことを正当と自認する人間の心理には、大人になり切れていない未熟な自己主張の発散しかないといえるだろう。
子供は、大人に文句もなく従うものだということを、自身が幼い頃から身近な大人によって、徹底的に叩きこまれているという背景が無視できない。
つまり、ひどい体罰を繰り返し行なっても、良心の呵責を感じるどころか、快感すら覚えるという心情は、もはや病気といって差し支えないのだ。
そういう精神的に病んでいる人物を、教育機関に採用したこと自体が問題なのである。
他人を暴力でしか屈服させられない人間は、必ず「これは教育だ」とか「しつけをした」という都合の良い解釈で、狡猾にも自分を正当化しようとするが、そもそも自身が最初からそういう素地を持ったまま成長しているので、そんな理屈で体罰を行なっているわけではないことは、本人が一番良く判っているのである。
今回の事件を起こした桜宮高校のバスケ部男性顧問も、自殺した被害少年を単なる怒りの発散場所としていただけのことである。
たとえ部活の成績を上げるためだという大義名分があったにせよ、自分の怒りをコントロール出来ない人間に、生徒指導を任せること自体が犯罪である。
この男性顧問は、
「体罰で伸びる生徒もいる」
などという愚かな屁理屈をこねているそうだが、恐怖で子供の心を支配し、がんじがらめにしているだけで、彼らに真の実力が付いているわけではない。
子供は、自分が体罰から逃れるためなら五輪の金メダルだって取るだろう。
無垢な子供の心身を、自分のうっぷん晴らしのために弄んだ罪は決して許されるものではない。
しかも、自分を信頼している従順な高校生を30~40発も殴るなど、男性顧問の神経たるや異常としか言えない。
残念なのは、少年が体罰を受けていることを知りながら、周囲の大人がそれでも部活をやめさせようとしなかった点だ。
学校教育の名を借りたとしても、間違いなく暴力は犯罪である。
たとえ男性顧問を警察に突き出しても、自分の子供の心身を守るのが親の務めだろう。
命を救うためなら、最終的には高校を退学させたって構わないはずである。
子供が生きるべき社会は何も学校内だけではない。
親も教師も学校という狭い空間を、過大視しすぎていることが、この悲劇を生んだ最大の原因なのではないだろうか?

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今日の雑感 15
2013年01月13日
今日の雑感 15

久しぶりに理容院へ行った。
理容師さんと話すうちに、「この年末年始にかけて、身近に死亡事故が立て続けにあった」との話題に----。
交通事故、火事、スキーでの滑落事故・・・。
火事では、その家の近くを通る電線も焼いたことから、近隣のスキー場のリフトが停止し、利用していたスキー客が救助されるという事態にもなったそうだ。
救急隊員の話では、この冬の出動回数は例年になく多いというし、確かに救急車のサイレンを聞かない日がないくらいだ。
「たぶん、寒すぎるのが原因じゃない?」
理容師さんは言う。
なのに、東京や大阪では、最高気温が10度越えだそうだ。
同じ日本とは思えない。
外湯の脱衣所でのおばさんたちの態度、本当に迷惑だ。
長々と脱衣棚の前に陣取って服を脱ぎ着しながら、ベチャベチャと長話に興じている間、他の入浴者たちは濡れた身体も拭けずに困っているのを、わざと楽しんでいるかのようだ。
何度、「すみません」と断わりながら、二人の間を割って棚から服やバスタオルを取っても、まったく知らん顔で話に夢中になっている。
こちらも風邪をひきたくはないし、あまりに腹が立ったので、遠くからおばさんたちの頭越しに脱衣棚の中へ服やバスタオルを放りこんでやった。
二度ばかり放りこんだら、さすがに気がついた顔で一人が脱衣所から出て行ったが、鈍感にもほどがある。
60代後半から70代女性の図々しさには、ほとほと呆れ返るばかりである。
一人一人は究極の小心者のくせに、何人か束になると平気で迷惑行為をする。
会話の内容も、本当に愚にもつかないど~でもいいようなものだ。
長話をするなら、さっさと外へ出てやって欲しい。

聞くところでは、冗談ではなく、正当に女性の力を評価するならば、日本の公務員はほとんどが女性になるほど、公務員試験の成績は女性が男性を圧倒しているのだそうだ。
ところが、最終的に採用となると、面接などで女性は落とされてしまうとめに、男性優位の社会が変わらないのだという。
つまり、日本はあたら有能な女性の力を、男性の職場を守るために捨てているというのが実情なのだそうだ。
日本がこんな体たらくになったのは、もしかしたらそのせいか?
確かに、大学進学率も男子より女子の方が高いといわれて久しい。
自民党総務会長の野田聖子議員は、「もっと女子の力を正当に評価するべきである」と、情報番組で語っていた。

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記事が消えた!(T_T)
2013年01月12日
記事が消えた!(T_T)
あるブロガーさんのブログに、「投稿ボタンを押した途端、記事が消えてしまった」という声がアップされていた。
そうなのだ。実は、新年になってから、わたしにも三度ほどあった。
下書き保存にした途端、いきなりログインページが出て来て、書き終えた記事が何処かへ吹っ飛んでしまったのだ。
これは、本当に、凹む。

これまでの時間を返してくれ!----と、叫びたくなる。
まあ、どうせ愚にもつかないたわごとの羅列だから、どうってことない記事なのだが、それでもドッと疲れてしまう。
確か、何年も前には、こういういきなり記事が消えるということは良くあったのだが、最近は改善していたので、ついつい油断してしまった。
だから、それからは、一応書いたあとは、コピーをとってから保存を押すことにしている。
ただ、上記のブロガーさんは、記事内容がサイト側に拒否されたのかも・・・と、心配されていたのだが、それはないと思う。(コメント欄に書いているわけではないので・・・)
単なるネット接続の不具合なのだろう。
でも、その脱力感----よく判るなァ・・・。
北海道のある町では連日マイナス30度を下回るという過酷な冬が続いていると、ニュースで伝えていた。
住民の男性も、生まれてこの方、これほどの寒さを経験したことがないと、驚いていた。
高校生は、屋外で部活をしていると吐く息で耳が凍傷になると話す。
スーパーでは、食品を冷蔵庫の中に保管していた。何故なら、冷蔵庫内の方が暖かいからだそうだ。
下手に外の空気に触れさせれば、マヨネーズなど容器が破損して売り物にならなくなってしまうという。卵を割ると、たった8分で黄身も白身もガチガチに凍りついた。
トイレがまた厄介で、洋式トイレに溜まっている水が凍って膨張し、便器が割れる被害が出ているらしいので、便座だけでなくトイレ本体をも温めるための設備が必要になっているとのこと。
こういう時は、決して深呼吸をしてはいけないと、子供たちは教えられているそうで、こんな地域に住んでいる人たちにも一律に消費増税をかぶせるのは、あまりに無神経だと言わざるを得ない。
東京や大阪でぬくぬくと暮らしている政治家たちに、いったい何が判るのか?----と、言いたい。
信州だって北海道と同じようなものだ。
菅平高原や志賀高原ではマイナス20度などざらにある。
北海道知事ではないが、「住民に死ねと言うつもりか?」と、いうところであろう。

日々のたわごと 14
2013年01月11日
日々のたわごと 14

あまりの寒さに、ついに我慢も限界。背中に使い捨てカイロを貼り付けてしまった。
しっかり、おばさんモードに突入だ。

そういえば、知恵袋に思わず噴飯ものの投稿があり、その回答がまた絶品だった。
会社員の女性からの投稿で、会社の同僚の女性がとにかく変わっていて、
「身内に不幸があったので年賀状が出せなかった。だから、これプレゼント。本当に可愛い子供たちでしょう。みんなにも見せてあげて」
と、言って、その女性の子供たちが晴れ着を着て撮影した写真を、フォトスタンドに入れて投稿者のオフィスの机の上へ飾ったのだという。
「正直、他人の子供の写真を見せられても、『可愛いですね』と、言うのまでがせいぜいで、それを机の上に飾り続けなければならない義理はない。迷惑もいいところで、彼女の非常識ぶりにも呆れている。
だからと言って、捨ててしまうのも悪いような気がして、どうしたらいいか悩んでいる」
と、いうのである。それにしても、自分の子供は可愛いと思う親心を否定する気はないが、ここまでするのは確かに異常だ。
回答者の答えには、「他人の子供なんか全然、まったく、可愛いと思わない。世間はお世辞で褒めているだけ。わたしなら、即、破いて棄ててやる」という意見や、「年賀状代わりの写真なんだから、正月が過ぎたら机の中にでも仕舞ってしまえば?もしくは、『子供さんの写真は、やっぱり、お母さんの机の上に置いておくのが良いのでは?』と言って、返す」と、いう意見が多かったが、そんな中、思わず噴き出すほどトンチの利いたものもあった。
「子供の写真のお礼にと、投稿者の父親の紋付きはかま姿の写真を、『わたしの大好きな自慢の父親なの。あなたの机の上に飾って、みんなに見せてやって』と言いながら、逆にプレゼントするのはどう?」
なるほど、これならお相子だ。
大好きな身内の写真ということならば、子供も親も同じである。
なかなか考えたものだと、感心した。さて、非常識な女性社員は、投稿者の父親の写真を自分の机の上に飾ってくれるだろうか?
それにしても、世の中には何処まで自分のことしか見えないのだろうか?と思う人たちが少なくない。
親バカも、ここまで来ればほとんど病気である。
ここは、きっぱりと、「迷惑です!」と、言って写真を突き返した方がよさそうだ。ここで一度甘い顔をすれば、このあとも折に触れて子供自慢を聞かされる破目になるに違いない。
学校の成績はどうだとか、学芸会で主役に抜擢されたとか、お稽古ごとの自慢から、進学就職に至るまで、いや、下手をすれば結婚相手のことまでも、自慢は永遠に続くかもしれない。
結局は、最初が肝心ということだろうな。
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近頃の怖い映像は・・・
2013年01月10日
近頃の怖い映像は・・・

テレビ番組で、怖い映像ばかりを取り上げるものがあるけれど、最近のものはあまりに良く出来過ぎていて、怖さが半減しているような気がする。
如何にも作りものという感じが見え見えで、でも、それはそれでゾッとしたりギョッとはするけれど、素人でもここまで作れるのだなァ・・・と、ある意味感心してしまう。
だからと言って、すべてが嘘だと否定するつもりもないし、その場の状況でたまたま不自然な影や発光体が記録されることもあるだろう。
でも、思うのだが、もしも怖い映像を作るつもりなら、子供を使うのはやめた方がいいのではないだろうか?
お話や物語のようなフィクションとして提供するのではなく、実際にあったこととしてその映像を出すのならば、明らかに子供に虚偽作品の片棒を担がせていることになるわけで・・・。
観ていて気の毒になってしまう。
「たかじんのそこまで言って委員会」で、議論されていたのだが、今巷では、裁判員制度の見直しが求められているという。
検察側が用意した書類だけを読んで有罪か無罪かを決めるというのは、隔靴掻痒の感が否めないので、実際に被告人や事件関係者へ質問する時間をもっと取って欲しいという元裁判員もいれば、逆に遺体の写真や偶然、殺害時の様子が記録されていた音声などの生々しい証拠を検証しなければならないのは辛すぎるという声もあるそうだ。
また、最近の例では、裁判終了までに75日もかかり、その間ほぼ生活の自由が保てない状況で、しかも死刑判決を出すことにもなり、精神的に追い詰められ大変だった----との意見もあるそうだ。
そして、裁判員経験者を最も苦しめるのが、裁判の様子を誰にも話すことが出来ないということだという。
自分がどのような気持ちで判決を下したのかということを、ずっと自分だけの胸に仕舞って置ける一般市民がどれほどいるだろうか。
今は、裁判員制度発足当初に比べて、裁判員を拒否することがそれほど難しくはなくなったらしいが、それにしてもこの制度を凶悪犯罪にのみ適用するというのは、確かに妙な気がする。
裁判員は、皆素人なのだから、庶民感覚を裁判に導入するという趣旨ならば、もっと庶民に身近な犯罪を裁かせる方がいいのではないだろうか----と、番組参加者たちは話していた。
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女性はサプライズ好きなのか?
2013年01月09日
女性はサプライズ好きなのか?

知恵袋の投稿に、結婚式を挙げていなかった夫婦のご主人が、奥さまに子供たちも一緒のサプライズ・フォトウエディングをプレゼントしたところ、
「ちっとも、嬉しくなかった!」
と、泣かれてしまった。妻の気持ちが判らない。
と、いうものがあった。

「妻は、元読者モデルをやったこともあるが、今は子供も出来て新婚当初に比べれば10キロぐらい太っている。昔の体型まで戻してから、写真を撮りたかったというのだが、そんなにガッカリすることなのだろうか?せっかく、妻を喜ばせたいと思ってしたことなのに・・・」
とのこと。
これに対する回答者の大半は女性のようだが、「女の気持ちを全然わかっていない!」と、呆れ返るものが多かった。
「女性は、子供の頃から、結婚式でウエディングドレスを着ることを夢見ている。一日だけお姫様になれるその日は、一生で一番美しい自分を写真に残したいと願うものなのだ。
そのためには、何カ月も前からダイエットをしたり、エステへ通ったりと、徹底的に自分を磨きあげる。それがまた、楽しい時間でもあるのだ。
結婚式だけではない。普通のイベントに出席する時だって、当日のために美容院へ行ったり、着て行く服を買いに行ったりもする。
なのに、サプライズだからと、いきなりウエディングドレスを着せられて写真撮影では、凹むのが当たり前。ましてや、かつて読モまでやっていた女性が、そんな醜い自分を許せるはずがない。
ご主人の気持ちは嬉しいが、正直、そんな写真を見る気にもなれないと思う。
ご主人は、妻の気持ちを勝手に解釈して自己満足で突っ走っただけ。ここは奥さまに謝って、改めてちゃんとした結婚式を挙げなさい」
と、いう意見が大半だった。
確かに、男の人に女心の機微は判らないかもしれないな。
女性にとっては、写真一枚撮るのでも実は真剣勝負----と、いうことなのである。普通に何気なくおしゃれをしているように見えても、その努力たるや涙ぐましいものがあるわけで、妥協が出来ない。もしも、手を抜いたりすれば、自分で自分が許せないのだ。
それが一世一代の結婚写真ともなれば、気合いの入れ具合はハンパじゃない。死んだあとまでも、「綺麗な人だったよね」と、回想されるくらいの一枚を残したいと思うのは、誰しも女性ならば当然のことである。
それを美容院へ行くチャンスもないうちに、いきなりパシャリでは、投稿者の奥さまが怒るのももっともである。
「女性は、サプライズ好きだなんて言われるけれど、あんなの嘘だからね。どんなに素敵なことでも、事前に知らせてもらう方が、よほど嬉しいんだから」
そう回答していた女性もいたが、その通りだと思う。
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子供の秘密基地
2013年01月08日
子供の秘密基地

知恵袋に、ちょっと面白い投稿があった。
「我が家の唯一開けることができる窓のすぐ外に、近所の子供が秘密基地のようなものを作った。何処かから廃材を集めて来て作ったようなのだが、その秘密基地からは我が家の部屋の中が丸見えになってしまうので困っている。警察に言うのも大げさすぎるように思うし・・・」
というものなのだが、子供って、本当に秘密基地や隠れ家のようなものが好きだよね。
実は、わたしも小学生の頃、今は削られてしまった通称・裏山の小さな岩穴を秘密基地にして、近所の友だち数人と遊んだことがある。
宝物にしているおもちゃのアクセサリーや、お菓子や果物などを持ち込み、みんなで食べながら遊んだことを覚えている。
この秘密基地を作った子供たちも、きっとワクワクもので楽しんでいるのだと思うから、無下に注意をするのも気が引けると投稿者は書いているのだが、これに対するベストアンサーが実に機知に富んだもので良かった。
「秘密基地には、必ず敵対する悪の組織があるもの。あなたが、その悪の組織のボスになって、秘密基地を壊してしまえばいいのだ。子供たちの夢は大事だが、迷惑行為はいけないことという社会ルールを教えるのも大人の務め」
子供の気持ちに立ったユニークな回答で、思わず頷いてしまった。
きっと、この投稿者は、子供たちに「思い出の怖い大人」として永遠に語り継がれる存在になるかもしれないが、それもまたいいだろう。
わたしたちの秘密基地も、結局は三日ほどで友だちの一人の母親に見つかり、あえなく秘密基地遊びは禁止されてしまった。
その母親に手をひかれ、「ごめんね、ごめんね」と、誰に謝るともなく泣きながら帰って行った年上の子供も今では孫がいるおばあちゃんだ。
いつの時代も、子供の夢を壊し、現実に引き戻すのは大人である。
でも、どうせ壊すのならば、少しの間はそんな夢の時間を楽しませてあげたいとも思うのだが・・・、どうなのだろうか?
日本人はケンカ下手?
2013年01月07日
日本人はケンカ下手?

ある番組で、「日本人はケンカが下手だ」という話題を取り上げていた。
日本が外交問題で外国勢の主張に弱腰というのも、論理的なケンカが苦手だからだという。
そして、日本人は、ケンカをした後の気持ち悪さが嫌いなので、その場を意味不明な言葉を羅列して、とにかく丸く収めてしまがちなのだとか。
しかし、それは考え過ぎなのだそうだ。
外国人の考え方は、言い分はしっかり通すが、それを後々までも引きずらないというものなのだという。
つまり、ケンカする時はしっかりケンカしても、それを他の問題にまで持ちこまないことが大人の対応というものなのだそうだ。
ところが、日本人は、「まあまあ・・・」と、ケンカそのものを回避する知恵を身に付けた人を大人だと評価する。
だから、いつまで経っても、日本人の本心がつかめないと、外国人から怪訝がられ、
「良く判らない人たちの意見を聞くのは後回しでもいい」
と、いう退けもの扱いを受けることになってしまうのである。
ところが、医学的に考えれば、実は日本人ほど怒りやすい国民はいないのだそうである。
日本人は、もともと、セロトニンという感情をコントロールする神経伝達物質の分泌が、外国人に比べてかなり少ないのだそうだ。
そのために、元来日本人ほど闘争的な民族はいないのだそうである。
古くからの日本人の歴史を見ると、戦争をしない時代がないほど、戦争好きな国民性であることが判るし、戦国時代などは、身内を殺すことなども日常茶飯事であった。
では、それほど戦争好きな国民が、何故、これほどのケンカ下手になってしまったのだろうか?
実は、戦後の高度成長と経済発展がその最大の原因だという。
人は、金儲けのためならば、何を言われても腹を立ててはならないと思う。
言いたい奴には言わせておけ。こちらは、もらうものをもらえばいいんだからな----と、いう事なかれ主義が日本人の中に刷り込まれてしまったということのようだ。
しかも、その後に起きたお笑いブームのブラックユーモアで、腹が立つことを皮肉で笑い飛ばして来たのである。
つまり、それで何となくガス抜きをしてきたことが、今になって「ケンカの仕方が判らない」という政治の迷走を招いてしまっているのだそうだ。
だが、これからますますグローバル化が進む社会においては、このままでは日本人はケンカ外交上手な世界と対等な交渉すら出来なくなると危惧している若い親たちが取る手段が、我が子をインターナショナル・スクールに通わせるという方法なのだという。
ここで、世界各国の子供たちに揉まれて育つ日本の子供たちは、確かに自己主張が強く、自分の意思を絶対に曲げようとはしない。
相手を叩いてでも、暴言を吐いてでも、自分が欲しいと思うものは必ず手に入れるという、強固な意志を持っているのだ。
子供たちに遠慮はなく、分け合うということはしても、譲り合うなどということはしない。
こうして強い競争心を養うことが良いのかは一概には言えないかもしれないが、丁々発止で外国人と渡り合う世界に身を置くような職業に就く場合は、プラスに働くこともあるだろう。
ただでさえ、遺伝子レベルでは並はずれた闘争的性格を有する日本人が、自己主張という武器を手に入れて本気で戦う集団となった時こそ、実は世界最強の論理武闘国へと変貌するのかもしれない。
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NHK石川アナウンサー逝去
2013年01月07日
NHK石川アナウンサー逝去

NHKは7日、病気療養中だった石川洋(いしかわ・ひろし)チーフアナウンサーが1月6日、午後3時47分逝去したと発表した。享年53。通夜は12日、告別式は13日に行われるが、遺族の意向で会場は公表されない。
石川アナは1983年入局し、スポーツアナとして活躍。五輪はアトランタから北京まで夏の4大会連続で実況。夏冬合わせて9回の五輪に携わった。
前々回のアテネ五輪の競泳平泳ぎ100メートルでは、金メダルを獲得した北島康介のインタビューを担当。「チョー気持ちいい!」の名言を引き出した。
高校野球では1998年の第80回大会準々決勝、横浜とPL学園の延長17回の熱戦を伝え、昨年1月にはラグビー大学選手権での決勝戦で帝京大3連覇の実況を行った。(YAHOO!ニュース)
え?----何で?と、一瞬目を疑った。
石川洋アナウンサーといえば、かつてNHK長野局でも活躍した人気アナだったからだ。
本局へ戻ったあとは、スポーツ実況専門のアナウンサーとして才能を発揮され、オリンピックなどの名実況で注目を集めていたが、わたしの中には未だに志賀高原や湯田中・渋温泉郷の取材をされていた元気いっぱいの姿が鮮明に残っている。
母親も、テレビから聞こえる実況中継の声だけで、「あ、これ、石川さんだよね」と、懐かしがったくらいだ。
どうして、こんなに早く・・・。
ちょっと、信じられない気持ちだ・・・。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

人は見栄を張る生き物
2013年01月06日
人は見栄を張る生き物

かつて、近所の高齢女性で、やたらに自分が食べた物の自慢をしたがる人がいた。
「この間の旅行先では、伊勢えび料理を食べた」「先日、高級料亭へ行って、値段の高いカニ料理をお腹いっぱい食べた」「やっぱり、マスクメロンは〇〇産に限る」などなど・・・。
この自慢話を聞かされる近所の主婦たちは、彼女のことを「意地汚い、貧乏根性。お里が知れる」と、蔑んでいた。

最近は、年賀状にも見栄を張り、家族の幸せそうな写真を付けて送るのが主流になりつつあるが、これもある意味考えもので、離婚をしたとか、最愛の人を亡くしたなどという人がこんな年賀状を受け取れば、
「嫌みのつもりか!」
と、ケンカのタネを作ってしまうことにもなり兼ねないのである。
とあるビール会社も、この人の見栄が元で大失敗をしたことがあるという。
夏に向けての新商品開発を狙っていたその会社は、スーパーの店頭を借りて二種類のビールの試飲アンケート調査を実施したのだという。
一つは、値段の高いアルコール度数低めの高級志向ビール。もう一つは、一般向けの安いビールだった。
アンケートに協力した人たちは、ほとんどが値段の高い高級志向ビールの方がおいしいと答え、販売されたら買いたいと言ったという。
そこで、会社はこのアンケート結果に基づき、高級志向ビールの販売に踏み切ったが、結果とは違いほとんど売り上げが伸びなかったのだそうだ。
これにより判ったことは、人は自分がケチだと思われたくないがために、見栄を張って高級志向ビールの方がおいしいと答えたのだということであった。
もしも、このアンケート調査が二種類のビールの値段差をそれほどつけずに行なわれていたならば、結果はかなり違ったものになったであろうということだった。
ともあれ、人が見えを張りたいと思うのは致し方ないことなのだろうが、度を超すと軽蔑の対象ともなり兼ねないことも覚えておいた方がいいだろう。
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本物の看護とは
2013年01月05日
本物の看護とは

信毎の投稿欄に、ある女性看護師さんからの投稿が掲載されていた。
50代のその看護師さんは、昨年9月に全身(内臓も)に炎症が起きるという膠原病の一種と診断され、腎臓も炎症を起こしているので、このままでは透析になるかもしれないと、医師から告げられたのだそうである。
まさか自分が患者の立場になろうとは、夢にも思わなかった彼女は、その後長期入院することになり、初めてベッドの上から看護師や医師を見る側になった。
誕生日に、食事にバースデーカードが添えられた時は、看護されるありがたさと命の大切さを心から実感できたことで泣いてしまったそうで、こういう病気にならなければ、長年看護師を続けてきてはいたものの、患者さんの本当の辛さや痛みを知ることは出来なかったと述懐していた。
おそらく、看護師として働いていた時は、日々の忙しさや煩雑さに追いまくられて、患者からの要望など、「いつものこと。適当にあしらっておけばいい」ぐらいに思っていたのかもしれない。
しかし、自分自身が命の危機に直面したことで、ようやく患者一人一人がどれほどの寂しさや怖さを胸に毎日を生きているのかということに、ようやく想い至ったのではないだろうか。
「病院は命を見詰める現場」とか、「患者に寄り添う看護」などと口先ばかりで言うことは容易いが、そのことを我が身に立って実感しながら仕事を行なっている医療関係者が、果たしてどれほどいるのだろうか?
この投稿者は、50代にしてようやくそのことを知ったわけである。
医師や看護師の立場から、手記や小説などでどれほど患者の痛みに迫ろうとしても、結局は他人の痛みであり、想像の域を超えることはない。
たとえ、身内に患者がいたとしても、やはり自身の身体で感じた痛みや悩みではないのである。
「医療関係者たるもの、死なない程度の病気は一通り体験した方がいい」と、良く言われるのも、そうした意味からであろう。
つまりは、自らの身体でそのことを知らない限り、血の通った本物の医療、看護などは出来ないものだということなのである。

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記憶は作り変えることができる
2013年01月04日
記憶は作り変えることができる

長野市民新聞の読者の方から、連載中の「地域医療最前線~七人の外科医~雪 線」の感想を頂きました。
誠に、ありがとうございます。とても嬉しく読ませて頂きました。
これからも、ご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
心理学者が記憶をテストする場合、「再生法」や「再認識法」という手段を用いることがあるという。
「再生法」とは、いくつかの回答を与え、その中から正解と思われるものを選び出させるというやり方だという。
警察も、取り調べや目撃証言などを集める際に、こうした「再生法」を良く使う。
そして、警察側が意図した証言を引き出すような場合、「誘導尋問」というやり方で相手が話しやすいように促したり、また何度も同じことを繰り返し質問することで、ありもしない偽の記憶を相手に刷り込ませてしまうという方法を使うこともあるそうだ。
ある実験では、被験者の前に5人の人を一列に並ばせて、

「この中に、計画的な破壊行為をした者がいる。その人物を指差しなさい」
と、命じたところ、そんな人物は一人も並んでいないにもかかわらず、被験者の78パーセントが、それらしいと思う人物を指差したのだそうだ。
また、別の被験者のグループには、「この中に犯人がいるかもしれない」と、言ったところ、前のグループほどではなかったが、33パーセントの人が、無実の人を犯人だと決めつけたというのである。
人の記憶というものは、決して正確なものではない。
久しぶりに青春時代の懐かしい歌を聴いて、
「これは、高校の卒業式の日に聴いた歌だ」
と、思っていたのに、実は、その歌がテレビやラジオから初めて流れたのは、卒業式より三ヶ月もあとだったなどということは良くある話なのである。
人は、インパクトの強い出来事が近い時期に連続して起きると、時間が経つ間にそれをまとめて記憶してしまうということもある。
また、自分や相手が望むような事実として都合よくねじ曲げて記憶してしまうということもあり得るのだ。
「20世紀少年」という近未来SF映画があるが、この作品もまた、一人の少年が自分に都合の良い記憶をでっちあげてしまったことからすべての悪の連鎖が始まるというものであった。
わたしも、最近、自分の記憶に自信がなくなることがある。
事実を事実のままに記憶することは、実はとても難しいことなのである。
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自分はこれでいいと言う人の心理
2013年01月03日
自分はこれでいいと言う人の心理

アニメ『天才バカボン』の主題歌ではないが、あなたの周りに、ことあるごとに、
「わたしはこれでいいんだ。これがわたしなんだから・・・」
と、いう人はいないだろうか?
しかも、そのことを必ず口に出す。
自分の心の中でだけ思っていればいいものを、わざわざ他人の前でそう言う。
誰かにそのことを報告しなくては、自分自身さえも納得させられないという小心で優柔不断な人間なのである。
つまり、これは、その人の本心では、
「本当は、こんなんじゃいけないんだ。もっと何とかしなければ、自分はダメになる」
そう自覚していることの証なのだという。
しかし、それをするには時間もかかるし、ズクもいる。だいいち自分に成し遂げられるかも判らない。
二十歳やそこらの娘ならばいざ知らず、今更、他人の教えを乞うようなみっともない真似が出来るわけがない。
だから、誰かに、
「お前は、そのままでいいんだよ」
と、言ってもらいたい。
そんな心理から、まるで自分自身に言い聞かせるように、「これでいいんだ」を、口に出すのである。
だから、「これでいいんだ。このままでいいんだ」を言う人ほど、自分に自信がない人なのである。
しかし、常に後ろ髪を引かれるような、心の何処かに重りをぶら下げているような気持ちのままに毎日を暮らすのも大変ではないだろうか。
もしも、本心から「わたしは、このままでいい」と思っている人は、そんなことをいちいち口に出したりはしない。
そして、もしも誰かから「そんなんじゃダメだ」と、言われたとしても、それに対して腹を立てるような、機嫌を悪くするような幼稚な反応は見せないものなのである。
そういう人にあえて言いたい。
決心は、あなた自身の心の中だけで唱えて欲しい。
声に出して宣言されても、他人は「だったら、そうすれば」としか答えようがないのだから。
今年こそは、もう、「これでいいのだ」を卒業してみては?

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