日々の雑感 10
2013年01月31日

例年ならば雪が降る季節になると、家の窓々に梱包用のプチプチビニール(名前が判らない)を貼り、冷気を遮断するのだが、この冬は何故かこれをやるのを忘れていた。(~_~;)
「どうして、こんなに今年は家の中が寒いんだろう?」
と、疑問だったが、先日の寒波でそれにようやく気付いた。
そこで夜中に思い立ち、ガサゴソと独りビニール貼りを決行。(両親は、何をやっているのかと思いながら寝ていたそうだ)
すると、翌日からの部屋干しの衣類の乾き具合が格段にアップ!
これまで、どんなに石油ストーブを炊きまくっても濡れていた靴下やシャツが、小一時間で乾いてしまった。
プチプチビニールの効力や恐るべし!(*^^)v
自動販売機で缶コーヒーを買うと120円が相場だが、この間散歩の途中で100円で販売されている自販機を発見した。
売られているコーヒーやその他の飲料水は、もちろん他の自販機とまったく同じメーカーのものだ。
このご時世、20円引きはかなりお得である。
さっそく、一本買って来た。( ^^) U~~ぬくい・・・
高齢者になると、言葉がスムーズに口から出て来なくなる人が多い。
「おじいちゃんと話をしていると、一言に時間がかかり過ぎてイライラする」
こんな悩みを持つ家族も多いのではないだろうか?
これには、おおよそ三つの理由があるそうだ。
一つは、脳こうそくなど脳疾患の後遺症で、頭の中に物の名前などの言葉は浮かんでいるのだが、それが口から出る際にしっかりと発音できず言葉自体が不明瞭になる場合。
一つは、認知症や「あれ」「これ」「それ」などの指示代名詞を多用することで単語を重要視しない怠惰な生活習慣が災いして、いつしか物の名前や言葉自体を忘れてしまっている場合。
一つは、子供が使うような簡単な言葉を話すことはプライドが許さないという見栄から、多くの難しい言葉を頭の中に列挙したり、何かもっと的確な言い方があったはずだと思い出そうとするために、「あ~~」「う~~」「なんだ~」というような言葉と言葉をつなぐための無意味な音が多くなり、必然的に一言話す時間がやたらに長くなる場合。
いずれも、記憶力の衰えと言葉を声に出すための脳の信号機能や筋肉の瞬発力低下に起因しているものだということである。
高齢者はおしなべて話し好きだともいわれるが、自分本位の一方的な話し方ではなく、相手にどう伝わるかということにも配慮した会話を心がけることで、発音にも緊張感が生まれ、一音一音が明瞭になる。
会話を焦るあまり思ったことをすぐに声に出すのではなく、頭の中である程度のセンテンスを組み立ててからゆっくりと話すことで、結局は短時間に自分の意図を伝えることが出来るようにもなるのである。

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日々の雑感 9
2013年01月30日
日々の雑感 9

ナガブロがリニューアルしてから不思議なことに気付いた。
当ブログへの訪問者数がリニューアル前までに比べ、リニューアル後はほぼ二倍強になっているのだが、何故かランキングは以前と同等の位置を頑迷にキープし続けている。
訪問者数が増えてもランキングが変わらないということは、すなわち、ナガブロ全体の読者数がリニューアル後一気に倍以上に増えたということなのだろうか?
実にユニークな現象が起きているようだ。
それとも、リニューアル後一週間のみのご祝儀相場だったのかな?
ブログのアクセス数というのは、何が真実なのか未だに良く判らない。
ヤフーニュースを見たら、若い人ほどテレビを観る時間が減りつつあるという記事があった。
パソコンやスマホなどのネット情報に依存する人が増え続けているために、テレビから情報を得ようという人たちが減っているということのようだ。
また、ドラマやバラエティー番組もコマーシャルが入る煩わしさを敬遠して、本当に観たいものだけは録画してから観るという人が多い。
考えてみれば、わたしも実際に放送している時間にドラマなり情報番組なりを観ていることはあまりなくなった。
つまり、そういうことになると、今の子供たちは学校で好きなテレビドラマの話をするようなこともないのだろうか?
わざわざ登校してから話さなくても、家にいる間にメールやフェイスブックのコメントのやり取りで、事足りてしまっているのかもしれない。
そうそう、アメリカなどでは、十代の若者たちの間でのコミュニケーション手段としては、もうフェイスブックは古いのだそうだ。
SNSは、日々進化を遂げているということなのだろう。
それにしても、そんなアンダーグラウンドな会話の何が楽しいのか、さっぱり判らない。


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暴力教師の誤算
2013年01月30日

大阪市の桜宮高校の体罰問題がクローズアップされてからというもの、各都道府県内での教師による理不尽な体罰の現実が次々に明るみに出て来るようになった。
(今日は、全日本女子柔道監督が選手たちに体罰を加えていた事実が発覚し、柔道界に激震が走った)
北信地域の中学校でも、教師による生徒への暴力が発覚し大問題になっている。
他県の駅伝名門高校では、女子生徒が衆目の中で教師に顔を殴られ、それがきっかけで心的外傷後ストレス障害を発症し、退学を余儀なくされたり、教師にデッキブラシで頭を殴られ、四針も縫う大けがをしたあげく転校させられた男子生徒もいたという。
しかも、その事実を学校は隠ぺいしただけではなく、「生徒側から問題を大きくしないで欲しいという要望があった」などという、あり得ない言い訳をする始末だ。
教師が加えた暴力に関しても、「頭をコツンとデッキブラシで小突いただけ」と、記者会見でもこの期に及んで平然と教師を庇うような発言をしている。
コツンと小突いただけで、四針も縫う大けがを負わせることができるであろうか?自分の発言にさえ矛盾を感じないほど、校長の常識は崩壊しているのである。
中学生や高校生といえば、人生の中でももっとも羞恥心を感じる年頃である。
にもかかわらず、他の生徒たちの面前で顔を殴られるなど、その女子生徒や男子生徒にとっては、痛みよりも屈辱の方がどれほど心を傷つける結果となったことか・・・。
そういうことすら判らない教師とは、どういう神経の持ち主なのかと、その人間の精神状態の方が危ぶまれる。
では、人前でなく隠れて殴るのなら許せるのか?ということだが----まあ、腕っ節に自信のある生徒ならば、むしろその方が返り討ちに合わせることも可能なので、日ごろの恨みを晴らすチャンスといえないこともないだろう。
まさか、誰も見ていないところで、生徒に殴られましたなどと言っても、今度は事なかれ主義の学校側から「沈黙」を強いられるのは教師の方になるだけの話である。
しかし、いずれにしても、こうした暴力教師が何故次から次へと現れるのか・・・ということである。
こうした教師たちに共通していることは、生徒は卒業してしまえば二度と自分の前へ姿を現わさなくなるはずだ----という、極めて偏った思い込みをしているという事実なのである。
暴力教師たちは、自分たちを「学校」という名の治外法権地区に生息している存在で、一般社会とは隔絶した人間たちだと愚かにも信じているのだ。
しかし、暴力を受けた生徒たちは大人になりながらも決して加害者教師のことを忘れてはいない。
桜宮高校のバスケ部の顧問は、おそらくこれまでに何百人という自らを恨む生徒たちを社会に送り出しているわけである。
そのかつての生徒たちが、自分や自分の家族に絶対復讐しないと、どうして決めつけられるのだろうか?
要するに、そういう人として常識的な危機意識や恐怖、不安すらも感じないほど、もはやこの教師の精神は破たんしていたのである。
平気で生徒に暴力をふるう教師たちは、通常持ち得ているはずの人間的心理が欠損しているモンスターといっても過言ではないのだ。
生徒はいつか大人になる。
子供の時は何も判らず、抵抗の仕方さえ知らないがために教師のなすがままに殴られていたとしても、大人になればそういうわけにはいかない。
子供の頃に受けた苦痛や屈辱は決してその人間の心の中から消えるものではなく、むしろ時が経つにつれてさらに深い憎悪に変わるだけのことである。
現在、80歳を超える人たちでさえ、小学生の頃に自分を殴ったり、廊下へ立たせた教師の顔は鮮明に記憶しているし、思い出すとその当時の教師に対する怒りがぶり返して来ると言う。
子供に暴力をふるうということは、つまりはそういうことなのである。
ニュース番組に出演したスポーツ・ジャーナリストの一人は、
「スポーツとは、気分転換や息抜きのために行なうもので、人から命令されてやるものではない。ましてや、強くするために殴るなどという指導しか出来ない人は、指導者としての無能を証明しているも同然。スポーツ界からの永久追放が妥当!」
と、バッサリ斬り捨てた。
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特攻野郎Aチーム
2013年01月29日

テレビで『特攻野郎Aチーム』の映画版を放送していた。
何を隠そう、わたしはかつてこのテレビドラマにどっぷりはまり込み、学生時代の友人とアメリカ旅行をした際、ハリウッドまで行ってしまったことがある。
ユニバーサルスタジオ内の観光客向けアトラクションでは、このドラマの再現が行なわれていて、登場キャラクターに扮したアトラクション俳優たちが派手なカーアクションを繰り広げていた。
この映画は、登場人物たちの設定は以前のままに、時代背景だけをかつてのベトナム戦争帰還から、イラク戦争帰還と替えてストーリーも現代風に作られていた。
テレビ版の『特攻野郎Aチーム』は、銃撃戦や爆破シーンも多かったが人が死ぬという場面はほとんどなかった。
しかし、この映画版は少しばかりテレビ版よりもリアルかつ過激に作られていた。
テレビ版の時は、吹き替えにより4人の主人公の名前を日本人にも馴染みやすいように、ハンニバル(スミス大佐)、フェイス(ベック中尉)、クレージー・モンキー(マードック大尉)、コング(バラカス軍曹)としていたが、映画版では原作の通りに、ハンニバル、フェイスマン、マードック、バラカスという呼び方で統一されていた。
そんなこともあり、役を演じる俳優たちも代わっていることなどからして、昔の『Aチーム』ファンには、やや違和感を覚えた人も多かったのではないかと思われる。
ハンニバル役の俳優の演技が真面目すぎるきらいがあったし、フェイスもかつてのダーク・ベネディクトに比べてマッチョ過ぎる。かと思えば、バラカス役の俳優が先代に比べてワイルドさが薄かったり、マードック役の俳優もキテレツさがイマイチだった。
やはり、演技派揃いだった初代の『Aチーム』には、とても勝てないと思われた映画版だったが、やはり、あのテーマ曲が始まれば、そこには正しく『特攻野郎Aチーム』の世界感が広がっていた。

やっぱり、ハンニバル役はジョージ・ペパードが最高だなァ!
『特攻野郎Aチーム』好きが高じて、思わずファンレターを出してしまったのだが、「観てくれてありがとう」と、お返事をもらった時のブロマイド写真。
今も部屋の本棚の上に飾ってある。

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近頃のクイズ番組
2013年01月28日
近頃のクイズ番組

近頃、テレビを観ていて気付くことは、やたらにクイズ番組が増えたということだ。
しかも、このクイズ番組、昔の方法と違って回答者は皆芸能界やスポーツ界等で活躍している有名人ばかりである。
クイズ番組は、一度に大勢のゲスト回答者を参加させられるので、仕事の少ない芸能人たちにとってもありがたい企画に違いない。
昔は、一般の素人回答者が多数出演していたが、今では、こうした方法はあまり視聴率を稼げなくなったのだろうか?
それとも、素人回答者とテレビ局との間に何らかのトラブルのようなものが多発したために、素人を使うことにテレビ局が消極的になったのかもしれない。
それにしても、回答者が芸能関係者となれば、視聴者側は何となくしっくりこないということもある。
その一つが賞金である。
「どうせ獲得しても、芸能人でしょ。本当に生活に困っている人じゃないし、結局はパーっと飲んで散財してしまうんじゃないの?」
というような何処か白けた思いで観ている視聴者が大半なのではないだろうか。
後日、もらった賞金をどのように使ったのか----という報告も聞かせてもらいたいものだと思うのは、わたしだけであろうか?
学生時代に時々撮影所の見学をさせてもらったことがあったのだが、その頃もクイズ番組に出演したタレントや俳優たちが、撮影の合間にクイズの成績について会話しているのを聞いたことがあった。
俳優の一人がクイズ番組で優勝したそうなのだが、撮影スタッフたちから「おめでとう」と、労われているのを聞いて、その番組がやらせではないことを知った。
実は、その時までは、芸能人が出ているクイズ番組は、皆、最初から参加者に答えを教えてあるものだと思っていたのである。
もちろん、端からそうした裏取引が出来ている番組もあるだろうが、案外「ガチ」で収録されるのが普通なのかもしれない。
ところが、そんな当節のクイズ番組事情だが、中には未だに昔通りの素人回答者によるものもある。
先日、たまたま観たのだが、NHKでもそうした素人回答者出演のクイズ番組を放送していた。
参加している人たちは、特別クイズの得意な人たちではなく、ごく普通のサラリーマンや主婦たちである。
素人参加クイズ番組といっても、時にクイズの天才みたいな人たちが競い合うものもあり、問題を最後まで聞かないうちに答えを見付けてしまうようなものもある。
こういうクイズ番組は、正直感心はするものの、あまり面白いとは思えない。
やはり、素人は、素人感が前面に出ていた方が観ていて好感が持てるように思われる。
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日々の雑感 8
2013年01月28日

京都から高速バスで来られたという年配男性が苦笑していた。
「バスの車内は、ほとんどが外国人客で、ここって日本だよね----と、思ってしまった」(~_~;)
この男性は、写真が趣味で、年に何度も北信濃を訪れては志賀高原や須坂・高山村方面で撮影をされているとのことだった。
信州の四季の風景の素晴らしさに感動して、写真を撮りに来ているそうなのだが、地獄谷野猿公苑のサルが温泉につかる構図は、やはり冬が最高だと話す。
「秋に撮影した時は、湯気も写らないので、入っている温泉が池か何だか判らなかった。真っ白な雪の中で真っ赤な顔をして湯につかるサルの姿は、実に絵になる」
のだそうである。
しかも、地獄谷のサルは、一応餌付けされてはいるものの純粋な野生ザルである。
モンキー公園などで観光のために飼育されているサルではないので、餌がもらえない時は、山の中の木の実をとって食べている。
だから、時々街場へも下りて来ては悪さをする。
わたしが小学生の頃は、餌付けが是か非かで住民たちもかなりもめていた。
同学年のクラスの中には、この問題に独自に取り組み、研究成果を発表したところまであった。
ところで、この男性は、地獄谷にある唯一の宿の名物がチマキであることをご存知なかったので、次に北信へ来られた時は、ぜひ召し上がってみて下さいとお話しさせて頂いた。
かつて、冬の北信濃といえば志賀高原や北志賀へ行くスキー客でイモを洗うような騒ぎだったが、今は地獄谷のスノーモンキーに魅せられた人々で賑わっている。
時代は確実に変わったと、古くから住む地元住民の方がむしろ驚いている昨今である。

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日々の雑感 7
2013年01月27日
日々の雑感 7

自慢じゃないが、わたしはほとんど遠出をすることがない。
根が出不精という理由もあるのだが、外出といえば散歩や買い物、通院ぐらいのものだ。
一昨日の新年会で出席者の方々の日常をうかがえば、ほとんどの方が実に意欲的に仕事や取材、ボランティアなどの活動で国内外を飛び回っておられるとのことで、本当に感心しきりだった。
しかも、女性の出席者の方たちが実に行動的であることに驚く。
健康で元気な女性たちはとてもポジティブで活き活きとして見え、輝くばかりの自信にあふれている。
比べて、わたしはといえば、久しぶりの会食とあり、化粧品の使い方やアクセサリーの付け方にさえ悪戦苦闘する始末である。
社会的ブランクの大きさを、つくづく感じた一日でもあったが、これから徐々にでも試運転の回数を増やして行けたら---との意欲も遅ればせながら出てきた。
その新年会の席で、ある女性ライターの方が話しておられた。
「東京から帰って来たところ、長野駅に降りて街があまりに寂しいことに気付いた。女性たちの着ている洋服の色が大人しすぎるのだ。長野県の女性は、控えめで奥ゆかしい性格ゆえ、ファッションも黒や紺系統の押さえた色を好みがち。街に活気を呼び込むためにも、洋服の色を華やかなものにした方がいい」
この考え方は、以前わたしもブログに書いたことがあったが、確かに人間の気持ちは色で大きく変わるといわれる。
寒冷地ほど、本当は暖色系の洋服を身につけるべきなのだろうが、信州人気質として目立つことをあまり好まない傾向がある。
黒、紺、グレー、チャコールグレーなどのシックな色に真面目、誠実、律儀、謙虚などのイメージを重ね、それを良とする県民でもあるため、実はファッションには疎い文化圏といえるのかもしれない。
だが、この閉塞的な不況をむしろ追い風にして、長野へ行けば街が明るく華やいでいて元気になれる気がするといわれるように、女性たちが率先してビタミンカラーのような鮮やかな色の洋服を着ることも、大きな地域アピールになるのではないだろうか。
などと書きながら、新年会当日のわたしのファッションは正に黒白ずくめであったのだが・・・。
そういえば、やはり自分の服にも黒や紺のモノトーン系が多いことに、「なるほど、信州人だなァ・・・」と、やけに納得してしまった次第である。
有名な漫画家の先生の奥さまから減塩梅漬けを頂いた。
長野市民新聞に書かせて頂いたエッセイ『栄養指導のすすめ』をお読み下さり、わたしが塩分控えめの食事をしていることを気遣われて漬けて下さったとのこと。
さっそくご飯と一緒に頂いたところ、果肉がとてもやわらかくジューシーで、爽やかな酸味の中にもまるでフルーツのような甘みがほんのりと香るおいしさだった。
これからも大事に食べさせて頂こうと思う。
本当に、ありがとうございました。

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合コンで嫌われる女性とは?
2013年01月26日
合コンで嫌われる女性とは?

合コンで男性たちからの評価を落としてしまいがちな女性とは、いったいどんなタイプなのか?----とのアンケート調査があったという。
中でも男性たちが嫌だと思うのは、
「年は変わらなくても、わたしは、あなたたちよりも人生経験豊富なんだから、言うことを聞いて敬いなさい」
と、いうような上から目線の女性なのだそうである。
「訳知り顔で、合コンの席をし切りたがる女性は、正直可愛いとは思えない」
と、いう意見もあったそうだ。もちろん、男性の中には、姉さんタイプでどんどん引っ張って行ってくれるサバサバした気性の女性を好きな人もいるそうだが、説教くさい態度が鼻につくと敬遠されるのが普通だということだった。
また、陰気な感じで口数の少ない溜息ばかりついているような無反応女性にも、好意を持ちにくいという。
「そんなにつまらないなら、どうして来たの?」
と、訊きたくなるという。そして、男性たちの間でもっとも嫌われやすいタイプが、食事でも何でもおごってもらうのが当然と思い込んでいる女性だそうである。
「『女性は、男性からチヤホヤされるもの』と、いう態度が見え見えの女性は、どんなに綺麗でもとても結婚相手には選べない」
と、答える男性が多いことには、やはり今の世相を反映しているなァ・・・という感じである。
わたしたちが若かりし頃は、女性の方からお金を払うなどと言い出すことは、むしろ、「女のくせに生意気」と、取られ兼ねない時代だった。
つまり、男性たちには、それ相応の男としてのプライドがあったわけだ。
では、女性たちにはもっとも嫌われる「ぶりっ子」に関しては、男性たちの反応はどうなのだろうか?
もちろん、初対面同士にとっては、かいがいしく男性をフォローする可愛い子ぶりっ子は、それなりに点数を稼ぐそうだが、
「男だって、バカじゃないですよ」
と、話す男性もいるという。そのぶりっ子ぶりが本物か否かぐらい見極める目はもっているつもりだと、いうのである。
「ただの遊び相手を探すのではなく、ちゃんと結婚相手としてのパートナーを見付けるためなら、女性の言葉使いや、考え方、金銭感覚、教養、物腰、マナーなどにも注意していますから、簡単には騙されません」
とのことのようだ。
しかし、近頃の女性は玉の輿狙いが多いそうだから、男性たちもかなりの眼力を身につけておく必要があるだろう。
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漂流する老人たち
2013年01月25日

ナガブロに高齢者問題を述べると、途端にアクセス数が減るのだが、それでも、こうしたことは誰にとっても他人事では済まされない切実な事態なので、一応書いておく。
あるテレビ番組で、終の住処を追われ、行き場を失う低所得高齢者の問題を取り上げていた。
ある高齢男性は、細々の年金で妻とアパート暮らしをしていたが、妻が病気になり、その医療費がかさみ、妻が亡くなったあとは、貯金も底をついてアパートにいられなくなってしまった。

もちろん、年金だけでは賄えないので、生活保護を申請し、ようやくそこへの入居が決まったが、持ち込める所持品はほんのわずか。妻の遺骨と遺影、わずかな身の回りの品々を運ぶだけで、妻と暮らした40数年の思い出は、業者の手で容赦なく廃棄されてしまった。
しかし、男性にとって入居出来た施設も安住の地とはいえない。何故なら、そこも、もし男性が病気や認知症を患ったら退去しなければならないという決まりだからだ。
このような高齢者受け入れ施設のほとんどには医療設備が整っておらず医師も常駐していないため、認知症が進んだり病気が悪化した場合は、別の施設へ移らなければならないという条件付きとなっている。
また、ある高齢男性は、妻に先立たれ息子と暮らしていたが、自分が大腸がんを患い入院。退院後、今度は息子が脳こうそくで倒れ男性の介護が出来なくなってしまったために、自宅を売り、施設へ入らなければならなくなってしまった。
施設へ入れば、もう簡単に墓参りも出来なくなるとのことで、妻の墓前に跪いた男性は、懸命に働いて築いてきた人生の最後がこのような惨めな状態になってしまったことを悔やんで男泣きに泣いていた。
そして、86歳の女性は認知症が進んだために、シングルマザーの娘が仕事と介護の両立が難しくなり、自宅のある東京から往復三時間の場所にようやく女性を預かってくれる施設を見付け、そこへ入所させることが出来た。
「こんなところにいたくない。家へ帰る」と、泣く母親を見ながら、娘は、「仕事をしなければならいので、とても介護までは手が回らない。可哀そうだけれど、我慢してもらわないと・・・」と、苦渋の決断をした経緯を語る。
が、この施設も、女性の認知症がこれ以上進んだ場合は、出て行かなければならないのだという。
こうした低所得高齢者の受け皿がどんどん少なくなりつつある今日、ついにホームレス一時収容施設にまで、高齢者が入居するようになってしまったのだという。
ここに入居した高齢者は、小さな一人部屋へ入れられ、毎日三度の簡単な食事だけを与えられるだけの生活を余儀なくされる。
しかも、病気になって長期入院したのちは、もはやその施設へ戻ることは出来ない。そんなことをもう三度も繰り返しているという男性もいた。
国は、今そうした低所得者でも入居できる介護施設を急ピッチで建設しているそうだが、それでも急速な超高齢社会はそれ以上のスピードで進み、今後は今以上の大量施設漂流高齢者が増え続ける計算だとか・・・。
一生懸命真面目に働いてきた人たちに対して、国からの報いがこの悲惨な仕打ちなのかと思うと、そんな希望も安心もない現実を目の当たりにする若者たちも、ますます働く意欲をなくしてしまうことだろう。
この問題は、何も高齢者の悲劇ということだけで括られる話ではない。
日本という国の誠意の本質が問われる大事件でもあることを忘れてはならない。
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日々の雑感 6
2013年01月24日
日々の雑感 6

ヤフーニュースをチラ見しただけなので、詳しい内容は判らないが、何処かの医療専門学校生(20歳)が研修に入っていた病院で、プロサッカー選手のカルテをのぞき見したことを、ツイッターに漏らしてしまったそうだ。
この専門学校生は、春からこの病院で医療事務職として働く内定をもらっていたのだが、ツイッターを読んだ人たちから、
「医療関係者が患者の情報をネットに書き込むとは言語道断。守秘義務違反だ」

との書き込みの抗議が相次いだために、自ら学校側へ謝罪。内定も辞退したと報じていた。
これとは、事件の性質は異なるものの、ある番組では、銀行強盗をした若い女性が、あまりに簡単にお金が手に入ったので、それを自慢しようと、ユーチューブに札束を持つ自身の動画を投稿し、これが元で逮捕されたという海外の仰天ニュースを取り上げていた。
ちょっと、考えれば自身が何をしているのか判りそうなものなのに、つい自分の自慢情報をネットに流してしまう心理とは、どういうものなのだろうか?
上記の医療専門学校生だって、そんなことをすればせっかくの将来が台無しになることなど、二、三歳の幼児ではないのだから理解していそうなものである。
おそらく、こうした軽い気持ちでネットに自分の情報を出してしまう人たちに共通する感覚は、ネットの向こうで見たり読んだりしている人たちは、何を知っても黙っているのがマナーだと思い込んでいるということなのかもしれない。
「インターネットを利用している人たちは皆仲間なんだから、ネット上で知り得たことを他人に話したり、現実問題として持ち上げることの方が、むしろ犯罪」
ぐらいに認識しているのではないだろうか。
「ネットの中は、一般社会のルールは通用しない独立性が担保されている治外法権社会」
と、何処かで信じている人は案外多いように思える。
確かに、ネットに書き込まれていることが100パーセント真実などとは誰も思っていないし、自慢話の類などは特に、「どうせ半分以上は盛られているんでしょう」ぐらいの感覚で読んでいるのが普通だ。
とはいっても、あまり過激な自己アピールが過ぎると、こんな仰天状況を作り出すことにもなってしまうという、ある種の教訓なのかもしれない。
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日々の雑感 5
2013年01月24日
日々の雑感 5

この話題については、以前にも書いたことがあったが・・・。
以前から気になる言い方がある。
「~~してあげる」
と、いう言い方だ。これは、一見相手のためを思っているような言い回しに思えるが、実はそうではない。
こういう言葉を無意識に使う人は、相手よりも自分の方が立場が上だと思い込んでいる人なのである。
スポーツ選手が時々口にする「皆さんに、自分の頑張っている姿を見せてやる----と、いう気持ちでスタートラインに立ちました」などという言葉も、実はスポーツ選手の中の無意識のおごりが反映しているのである。
本来ならば、「皆さんに、自分の頑張っている姿をお見せしたい----」もしくは「見て頂きたい----」と、いうべきであろう。
ある宿泊施設の経営者も、かつて、こんな話をしていた。
「うちのお客さんは、自由に商店街で買い物が出来るように、旅館から出してあげている」
これに対して、わたしは、
「そういう傲慢な言い方はやめた方がいい。宿泊客はあなたの旅館の所有物ではないはずだ。出してあげているなどという言い方は無礼ではないか」
と、諭したが、相手にはその意味が判らなかったようで、未だに「~~してあげる」「やってあげている」という言い方をやめようとはしない。
つまり、その経営者の気持ちの中に、自分は他の人間よりも偉いという根拠のない貧弱な虚栄心が巣食っている証拠なのである。
気が付かなければ、ついつい口から出てしまう「してあげる」「やってあげる」という言葉だが、これを聞くたびに、
「あなたは、いったい何さまのつもりか?」
と、訊ね返したくなるのである。

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娘自慢の裏には・・・
2013年01月23日
娘自慢の裏には・・・

知恵袋に、「京大出て監査法人勤務の26歳の娘が同い年で高卒の自動車整備士と結婚したいと言い出しているが、学歴、職業、家柄までもが全て釣り合わない。夫は賛成しているのだが、わたしは何とか娘に彼氏を諦めさせたい。どうしたらいいか、アドバイスをお願いします」という、母親からの投稿があった。
この母親が書くことには、母親自身も夫も同じ大阪大学出身で、母親は元会計士、夫は弁護士だそうだ。
文章から読みとると、夫婦ともに50代というところか・・・。
行間には、こんなに素晴らしい家柄の夫婦の娘を、何処の馬の骨とも判らないような高卒の自動車整備士などにくれてやるなど、とてもプライドが許さないというような趣旨が、嫌というほど垣間見られる。
「夫は結婚に文句はないようだが、私は我慢がならない」----これが投稿者の本音だろう。
「高卒の人をバカにするわけではないですが・・・」と、一応は書いているが、「個人的には不釣り合いだと思う」ということも重ねて述べているため、まあ、バカにしているということなのだろう。
回答者の中には、
「本当に不愉快な質問だ」とか、「東大大学院まで出ている人でもニートはいる。学歴で人を判断するな」という意見が多かったが、
「京都大学など出ている女性が結婚相手を見付けるのは至難の業だ。もらい手がある時が花。その彼と結婚させなければ一生独身だよ」
という実に言い得て妙のアドバイスもあった。
もちろん、「お母さまの言うこと、至極もっともです。娘さんの一生がかかった問題ですから、焦らず考えるべき」という母親肯定派も少ないがいた。
しかし、この質問内容をよく読んでみると、投稿者が言いたいことは、娘の将来が心配だということよりも、他に何かあるのではないかと思えてきた。
それは、自分という人間が如何に世の中から尊敬されるべき者なのかという「自慢」なのではないだろうか。
投稿者が元会計士ということは、今は仕事はしていないということなのだろう。
つまり、「自分は人一倍の才能や学歴があるにもかかわらず、結婚後は一主婦として夫の陰で暮らして来た。自分だって一人の人間として認めて欲しい」という強い思いが、こんな非難を浴びるも当然の投稿文を書かせてしまったに違いない。
「この質問自体釣りでしょ?」という声があるように、学歴から職業まであまりに克明に記されている投稿には、
「おばさん、何処の人か知っている。わたしの友だちのお母さんでしょ?あの子のお母さんて、こんな考えの人だったんだ」
と、いう回答者の一筆もあった。
おそらく投稿者は、娘の結婚にかこつけて、
「わたしは、こんなにも頑張って娘を育てて来たのよ。夫は弁護士で、わたしだって会計士の資格を持っている。皆さん、わたしたち家族って素敵でしょ?羨ましい?」
と、言いたかったのだと思われる。
専業主婦の中には、自分が社会から抜け者にされているのではないかとの不安を抱える人もいる。
娘が独り立ちしようとしていることで、もはや娘をダシに自分の存在を確認することも出来なくなってしまうと思った母親の、一抹の寂寥感がこんな高慢投稿をさせてしまったのだろう。
先に書いた娘の友だちという回答者は、「早くこの投稿削除して!ベストアンサーが決まったら、削除出来なくなるから」と、心配していた。
でも、ベストアンサーは決まってしまった。
「奥さまの昔の頭(常識)を平成の頭に切り替えて下さい」
というものである。
50代----もはや、若くはないといわれる年齢に達して、自分ももう一度一人の人間として注目されたいと、焦り始める女性も多いのかもしれない。
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ネックレスの夢
2013年01月23日
ネックレスの夢

アクセサリーショップや宝石店で、どんなネックレスを買ったらいいか迷う夢を見たことがあるだろうか?
こういう夢を、わたしは時々見ることがある。
ネックレスは、富や財産の象徴といわれるが、女性らしさを表わす場合もあるという。
ネックレスを身につけるのは幸せや恋愛が成就するという暗示。
周りの人とのコミュニケーションがうまく行き、友人や恋人に恵まれるという意味でもあるそうだ。
誰かにネックレスをプレゼントされる夢は、思いがけない収入やプレゼントが舞い込むかもしれないという意味で、棚ボタ的利益を得られるかも・・・。
ところが、わたしのようにどのネックレスを買おうか目移りしているような夢を見た時は、気まぐれで何かをしてしまい、失敗するかもしれないという暗示だとか。
もっと慎重に構えて判断せよという忠告の夢だそうだ。
それにしても、わたしの場合、洋服にしてもアクセサリーにしても、店で目移りする夢が多すぎるかもしれない。
常に登場する品物は、帯に短したすきに長しで、心から欲しいと思う品ではないのが不思議といえば不思議だ。
しかし、それでも仕方なく妥協して買わざるを得ないというシチュエーションになる。
因みに、ネックレスが絡まったり千切れたりする夢は、後に何らかのトラブルに巻き込まれる恐れありの警告だという。
せっかちになったり、我を押し通すようなことは極力避けた方が懸命のようだ。

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文章を書く欄が大きくて見やすい
2013年01月22日
文章を書く欄が大きくて見やすい

記事投稿の画面が大きくなって見やすくなった。
初めて、ブログを書いた時、記事を書く欄が狭いことにビックリしたが、これならばゆったりした気分で書き込める。
何せ、年齢を経るごとに目がしょぼついてきているので、狭い記事欄はちょっと大変だったのだ。
今日は、朝から麻生財務大臣の失言問題や、大阪市の桜宮高校の体育科入試中止問題、アルジェリア日揮社員に被害者等の話題で、テレビは大騒ぎだ。
その中でも、麻生さんの発言についてだが、言いたいことはとてもよく判る。
高齢者に対する無暗な延命治療が国の医療費を押し上げていることは、以前から大きな問題だったが、確かに麻生さんが言うように、患者本人の意思を無視する形でのただ単に心臓や肺を動かすだけの医療は、もはや治療とは言えない範疇だと思う。
ただ、如何せんその言葉使いがまずかった。
大臣たるもの、もう少し配慮のある言い方を考えるべきではなかったかと思う。
で、桜宮高校の体育科入試中止問題だが、高校三年生たちを記者会見させて教師たちの代弁をさせるというやり方には、ほとほと呆れてしまった。
記者会見で橋下市長のやり方を「横暴だ」と、批判した在校生たちだが、本心から教師たちを庇っているのかも疑問に思えた。
「亡くなった生徒も、こんな方法は望まないはずだ」
と、いうようなことも言っていたが、その言葉、誰に言わされているの?----と、訊きたくなった。
本当に亡くなった生徒やそのご遺族のことを思うのならば、こんな場違いな発言は出て来ないだろう。
子供を盾に使うなど、もっての外である。
日揮の社員人質事件は、最悪の展開を見せているが、ニュース解説を聞いていると、アルジェリアという国のたどってきた歴史を知っていれば、このくらいの強行措置に出ることは容易に想像できたはずだということであった。
アメリカ軍やフランス軍の特殊部隊の力を借りれば、時間はかかるかもしれないがこれほどの犠牲者を出さずに済んだのでは?と語る解説者もいたが、アルジェリア政府には外国軍に対するアレルギーがあり、とにかくプラントを守ることを優先した結果だということだった。
天然ガスや石油採掘を国の代表的な産業としている同政府にとっては、プラントは正に命綱だったわけである。
外国には、日本人が地球よりも重いと考える「人命」よりも、もっと大切なものがあるということを今回の事件は教えているようであった。
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日々の雑感 4
2013年01月22日
日々の雑感 4

薬やサプリメント、食品など口に入れる製品のコマーシャルにタレントを起用する際、メーカー側が最も気を使うことは、そのタレントの健康状態だという。
何故ならば、タレントが病気になったりすると、その製品を使っていたせいではないか・・・との憶測を呼び、即製品のイメージダウンにつながってしまうからだそうだ。
これと同様に、飲食店や宿泊施設、スーパーなどにもそうしたイメージは付き物で、たとえば飲食店の経営者が体調を崩すなどという事態になれば、あの店の料理が影響しているのではないかとの噂もたち兼ねないのである。
「客商売をしている者は、病気になったことを決して他人に知られてはならない」
と、昔から言われるのは、至極もっともな話なのである。
宿泊施設の経営者の中には、旅を楽しみに来ている宿泊客のことを考えて、たとえ家族が亡くなっても通夜も告別式も自宅では行なわないという気配りをする人もいるくらいなのだ。
また、亡くなったことは知らせても、あえて本当の病名を伏せるという配慮をする場合もある。
しかし、時代の流れなのであろうか。
今は、自分が病気になったことを、むしろ誘客のPRに使う経営者もいる。
病気に負けず頑張っていることを世間に知らせたいという意図は判らなくもないが、果たして客の立場から見た時、そういう店にわざわざ食事をしに行きたいと思うだろうか?
もしも、その店を訪れる客がいたとしても、逆に気を遣わせることになり、もてなしとは反対の緊張をいたずらに客側に強いることにもなるのではないかと考える。
たとえ、体調が悪くても、客に不快な思いをさせないようにふるまうこと----それが人さまからお金を頂戴する者の最低限の務めだということであろう。
ましてや、病気になったことなどおくびにも出してはならないのが、本当の商売人の気配りであり思いやりだと思うのだが・・・。
皆さんは、どう考えられるだろうか?
性格診断
2013年01月21日
性格診断

共同浴場でのこと。
わたしと同年代の女性と、「年配女性たちの迷惑行為」に困っているという話題になった。
一部の年配女性たちが、自分たちが浴場を出て行く時に、表のドアも脱衣所の扉も開けっ放しにして行ってしまうというものである。
この同年代の女性は、「浴室内の窓まで開けられてしまい、外から丸見え状態だったこともある」と、憤る。
「自分たちは、誰に見られても恥ずかしくないような羞恥心もかなぐり捨てた年かもしれないが、育ちの悪さが知れるというものよ」
しかも、こうしたことを年配女性たちはわざと、他の入浴者を困らせようとの魂胆でやって行くのである。
「わけもなく若い人たちが憎らしい!」ということなのだろうが、もっと高齢になって足腰がおぼつかなくなった時、助けてもらうかもしれない相手にこのような底意地の悪いことをしてしまい、不安ではないのだろうか?
それとも、今のイライラの憂さを晴らすためなら、将来のことなどどうでもいいのだろうか?
因みに、そういう年配女性はほとんどが独り暮らしである。
1 自分について考えることが多い。
2 いつも自分のことに注意が向いている。
3 いつも自分を理解しようと努めている。
4 自分の行動理由を良く考える。
5 自分の気分の変化に敏感である。
6 自分に関係することを細かく調べる傾向がある。
7 いつも自分を意識している。
8 何かに熱中している時も、自分の心の動きを気にしている。
9 自分を主人公にした空想をよくする。
10 時々、自分を外から眺めていることがある。
これらの項目に多く該当する人ほど、自己中な要素の強い人だといえるそうだ。
歩きながら、自分は今他人からどう見られているかとか、そんなことばかり考えている人は、正に自意識過剰な人間といえるだろう。
そういう人の口癖には、「自分ばかりが頑張っているのに・・・」というようなものがあり、相手の貢献度よりも自分の行なったことの方が点数が高いという評価を下しがちな人でもあるのだ。
人から褒めてもらいたいとか、評価して欲しいという気持ちが異常に強く、人とは変わった行動に出ることも多い。
自分に甘く、他人には厳しいのも、こういう人の特徴である。
しかも、要領がいいところもあり、難しいことや煩わしいことは他の人たちに任せて、自分はその場からそっといなくなってしまうような悪賢い性格も持ち合わせている。
早い話が、あまり人からは好かれないタイプということが言えるようだ。
こういうタイプの人は、自分に辛く、他人に甘いぐらいでちょうどいい人間関係が築けるのだという。

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腹の立つ奴とは・・・
2013年01月20日
腹の立つ奴とは・・・

毎日、極寒の日が続いているせいか、体力消耗気味だ。
道が滑って危険なのでおちおち散歩も出来ず、日光に当たらないせいもあって、気分的に落ち込みがちかも・・・。
テンション上げようとがんばってはいるが、楽しさよりも腹の立つことでしか気分を上げられない。(ま、いつものことだが・・・)
それにしても、世の中ムカつく人間が多すぎる。
そんな中でも、特に腹の立つ奴というのはどういう人か?と、複数の人間に質問した時、一番多く返って来た答えが、
「実力もないのに、あるように装う見栄っ張りの奴」
というものだった。
確かに、それって「あるある」と、頷いてしまう。
あれも出来る、これも出来ると言うくせに、いざ頼むと、あれこれ言い訳をしてやらずに逃げてしまうという人間のことだ。
要領が良いといえばそれまでだが、要は卑怯者の典型なのだ。
一生懸命頑張っても出来ませんでした----と、言うのなら、誰もそれ以上追及はしないし、文句も言わない。
しかし、自分からやってみようともせずに、あ~だから出来ない、こ~だから無理だと、最初から自分で壁を作ってしまい、やらずに済ませようという恥回避の根性が癪にさわるということであろう。
こういう人間は、人として絶対に成長できない。
尊敬も集められない。
もちろん、友だちも作れない。
信用をなくすし、軽蔑の対象ともなる。
だが、今の世の中、こういう類の人間が増えつつあるのも事実なのだ。
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人に何かを頼む時は・・・
2013年01月20日
人に何かを頼む時は・・・

人に何かを頼む時は、必ず何故それを頼みたいのかという理由を話そう。
何の説明もなく、ただ、やって欲しいでは、どんなに親しい間柄でも不愉快になるものだ。
「おれは、ただの使いっ走りじゃない!」
と、へそを曲げられても仕方がない。
そして、頼む時は、他人に頼らず自分の口で頼もう。
他人を介するだけで、その人がそれほど本気で頼んでいるわけではないと思われてしまうからだ。
さらに、頼みごとをやってもらったら、やってくれた相手には必ずお礼の一言を自分の口から伝えよう。
別の他人がその人の代わりに礼を言っても、そんなものは何の意味もない。
何故、こんな常識的なことをわざわざ書くのかということだが、この常識的なことが出来ない大人が最近は実に増えているからだ。
シャイといえば聞こえはいいが、要するに大人の応対が苦手で、自分一人では物も頼めないという幼稚な人が多いのである。
たとえ、どんな都合や理由があろうとも、自分のことは自分でする。
そして、やってもらったあとは、相手に対して相当の誠意を見せる。
一言話すだけで事足りるのだから、時間的にだってたった数分で済む話だ。
そんなことは、保育園の子供でも知っていることである。
黙っていれば相手は忘れてくれるだろう----とか、この前もやってくれたんだから、今度も何も言わなくてもやってくれるだろう----などという甘い考えで世の中は渡れない。
やった者は、頼まれた事実を絶対に忘れないし、礼を言われなかったことも決して忘れない。
ただ、もう二度と何を頼まれようと手を貸さなくなるだけのことだ。
もちろん、そういう大人として非常識なことを続けている者も、それは覚悟の上なのだろうけれど・・・。
日々の雑感 3
2013年01月19日
日々の雑感 3

「足あと」を消して他のブロガーのブログを読ませて頂いたはずにもかかわらず、まるで誰が読んだのかを知っているように「足あと」を付け返して来るブロガーがたまにいるのだが、何か、こちらの動向が判るようなソフトを使っているのだろうか?
もしそうだとしたら、そういう方法は、あまり感心しない。
自分のブログが誰に読まれているのか気になるのは判るが、最低限のマナーぐらいはわきまえてもらいたいと思う。
それから、「足あと」をつけながら、その「足あと」をこちらがクリックした途端、また「足あとページ」に戻ってしまうような機能を付けているブロガーもたまにいる。
自分のブログを特定されたくないのなら、何故、わざわざ「足あと」をつけて来るのか判らないし、不愉快だ。
こういう一部の不謹慎ブロガーのせいで、せっかくのブログライフが興ざめた物になってしまう。

他人に物を頼んでおいて、それをやってもらった後で、「実は、あれ使わなかった」と、言う人がいる。
自ら頼んでやってもらったにもかかわらず、「やっぱり、必要なかった」という勝手な言い草は許されるものではない。
わたしも、そう言われたことが何度かあるが、その時は「そう、判った。別に気にしないで」と言いながらも、必ずあとからそれ相応のお返しはしてもらうことにしている。
嫌だなどということは絶対に言わせない。
だから、他人に物を頼む時は、必ずやってもらったものを活用することをお勧めする。

きみは親友を裏切れるか?
2013年01月19日
きみは親友を裏切れるか?

NHKのEテレで、若者たちばかりを集めて文学を通じて語り合うという番組を放送している。
ここで、夏目漱石の代表的長編小説「こころ」の「下 先生と遺書」を取り上げて、もしも自分が登場人物たちの立場になった時、どうするか?----と、いうことを話し合っていた。
この「先生と遺書」では、主人公「私」が先生と呼ぶ男性の独白の形で、物語が進む。
私(先生)は、大学生の時、ある家に下宿しているのだが、その下宿屋の「お嬢さん」に恋をする。
そんな折、同じ大学に通う親友のKが、その下宿屋にやって来て住み始める。
Kとお嬢さんは、二人だけで部屋で話をしたり、一緒に外出していたりと次第に仲が良くなってきて、ある時Kは、私に「お嬢さんのことが好きになった」と打ち明ける。
これまで勉強しか興味のなかったKが、初めて女性を好きになったことを打ち明けられ、私は絶句するが、大好きなお嬢さんを奪われてはならないと、ある日、Kとお嬢さんが下宿屋にいない隙を見計らい、お嬢さんの母親に「娘さんと結婚させて下さい」と、頼み込んでしまう。
お嬢さんを手に入れることに成功した私に出し抜かれ、裏切られた親友Kは、遺書を残して自殺してしまう。
その遺書の中に、Kの気持ちを知りながら、抜け駆けしてお嬢さんを手に入れたことが書かれているのではないかと、心配する私の懸念は外れ、遺書にはそれに関することは何も書かれていなかった。
その後、罪悪感から逃れられないままに生き続けねばならなかった私(先生)も自殺する。
このような小説なのだが、因みに、これは漱石文学の特徴でもあるのだが、小説内に「お嬢さん」の気持ちはまったくというほど触れられていない。(「坊っちゃん」のマドンナに関しても同様のことが言える)
この小説の中において、番組に参加している若者たちがもっとも関心を示したのが、「もしも親友と好きな人がかぶった時、自分はどうするか?」ということであった。
A 「親友との友情を大切にしたいので、自分も相手を好きだということは絶対に言わない」
B 「親友と好きな人が同じだと思った途端、とにかくびっくりしてしまうと思うので、何も言わないというか、言えない」
C 「親友だからって、何も遠慮することはない。わたしも好きだということをはっきりと伝える」
D 「『え~~?お前も好きなの?マジ?実は、おれも~~~』と、いうように半分茶化した感じでそれとなく伝える」
参加者たちからは、こんな意見が出ていた。
でも、CやDと答えた人は、親友を失うことも覚悟した方がいいということのようだ。
「はっきり伝えても、友情は変わらない」
と、いう実際の経験者の意見もあったが、ほとんどの人たちは懐疑的だった。
「この小説のKだけれど、何も女に振られたくらいで自殺しなくたって・・・」
と、呆れ返る女の子もいたが、初めての恋をして、恋する相手と親友の二人から一度に裏切られたことで、Kの寂しさは極限に達し、もはや生きるべき意味を失ってしまったのだろうという、解説者の意見だった。
文学の中にある身近な問題を深く考えてみるというような体験は、今の若者たちにはあまりないのかもしれないが、面白い学習方法もあるものだと、ちょっと感心した。
さて、あなたが私の立場ならば、いったいどうしただろうか?