前向きは大事だけれど・・・

前向きは大事だけれど・・・volunteer




    他人から自分が良かれと思ってしていることを注意された時は、そりゃァ、誰しもむかっ!となるものだ。

    相手の忠告が正論ならば正論であるほど、「お前に、わたしの何が判るんだ!」と、言いたくもなる。

    まあ、素直に、「その通りです。わたしが悪うございました」なんて、殊勝な詫びなど口が裂けたって言いたくなんかないものだ。

    しかし、忠告する人も、相当なプレッシャーを感じながらしているはずである。

    相手からどのような反撃を食らうか判らないのだから。

    だが、それでも忠告する人は、おそらくはその人やその人の家族のことを心配して、あえて苦言を呈してくれているはずである。

    ところが、それが裏目に出て、忠告されればされるほど、なお意地になるという人もいるのだ。

    「お前なんかよりも、わたしの方が大変な目にあっているのだがら、余計な口出しはするな」

    と、いうところだろうか。

    そういう人は、とかく、相手の忠告を無視するだけでなく、何の反省の色もないままに、ただ単に「これからも前向きで生きる」「これが、わたしなんだから」と、開き直りを見せる。

    人生、「前向き」は確かに大事だが、それは、自分の言動の反省点を自覚してから以後の話ではないだろうか。

    「他人の説教など知ったことじゃない」
    
    との考え方が前提の前向きは、ただの逃げでしかない。

    「そんなの関係ねー!」「どーでもいいんだァー!」

    と、なりふり構わずに大声で叫べば、何もかも許されると思ったら大間違いだ。

    何故なら、最も「関係なくない」「どうでもよくないことだ」と、思っているのは、そう叫んでいる本人自身なのだから。

    他人が許しても、その人自身の潜在意識が決してそれを許しはしないのだ。

    そのジレンマが、また大きなストレスになることを一番知っているのも、その人自身のはずなのだが----。

    もっと、素直に第三者の意見にも耳を傾けられれば、どんなにか気持ちも楽になるだろうに・・・。

    そんなに周囲を拒絶し続けるのだとしたら、今の仕事、正直いってとてもその人の天職とは思えない。

    いや、そのことはもう、その人自身が一番気付いているのだろうな。

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Posted by ちよみ at 15:55Comments(0)ちょっと、一息 26

女性が好きになる匂いとは

女性が好きになる匂いとはicon06




    女性は、自分の父親の体臭と正反対の匂いを持つ男性を好きになる----というのは、どうも本当の話らしい。

    思春期を迎えた女の子が、父親の洗濯物を、「臭い!」と、言って、箸でつまんで洗濯機へ放り入れるというエピソードを聞いて、

    「ひどい話だ」

    「お父さんが可哀そう」

    などと世間一般は反応するが、生物学的にいえば、この女の子は、ごく正常な行動をしているということになるのだそうである。

    大半の女性には、子孫を残すために若くて健康な男性を選ばなければならないという本能がある。

    しかも、その子孫をより優秀で健康な子供に成長させるためには、出来るだけ自分とは異なる遺伝子を持つ異性を選ぶ必要があるわけだ。

    そのため、自分と似通った遺伝子を持つ異性の匂いには、安心感や信頼感は感じるものの、間違っても性的魅力を感じないような臭気感知システムを、人間は生まれながらに備えているということらしい。

    そんな訳で、もしも、父親の匂いが大好きで、まったく嫌悪感を覚えないという女性がいた場合は、その人がある種の変異体質者か、もしくは父親が実父ではない可能性もあるということだった。

    で、そんな女性が異性の好き嫌いを無意識下で選別するフェロモンだが、たいていは脇の下から発せられるそうで、ちょうど女性が男性の近くに立った時、女性の顔の位置が男性の脇の辺りに来るからではないかという説もあるそうだ。

    そんなこともあり、人間にとって匂いとか香りというものは、意外に大切な意味を持つことが多いのである。

    ところで、あなたは夢の中で、匂いや香りを感じたことがあるだろうか?

    上記した通り、匂いや香りは自分の魅力を他者にアピールするために使うものであるから、夢の中で感じた香りもまた、それなりの大切な意味を持つものだということである。

    もしも、あなたが夢の中で華やかな甘い香りをまとっていたとしたら、それはあなたの魅力が輝いているという証でもあり、上手に自分をアピール出来るという暗示だそうである。

    そして、異性から香水をプレゼントされる夢は、恋のハプニングが舞い降りる兆し----と、いうことだった。

    因みに、いつも同じようなタイプの男に惚れてバカをみるという女性も、世の中には多いもの。

    これも、やはりその似たようなタイプの男性が、たまたま自分とはまったく正反対のフェロモンを出しているがために、

    「あたしって、何でこんなに男運が悪いのかしら?」

    なんてことにもなってしまうのだという。

    そうはいっても、そんな女性の遺伝子が、そういうフェロモン情報を持った男性にしか異性としての魅力を感じないのだから、仕方がないといえばないのかもしれないのだが・・・。

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Posted by ちよみ at 21:14Comments(2)ちょっと、一息 26

メールの返事はすぐ返す?

メールの返事はすぐ返す?icon25




    メールはすぐ返信する? しばらくたってから返信する? メールの返信スタンスは人によって様々ものだが、ネットでは、とあるユーザーにより最近「O型のメール返さない率は異常」というスレッドが立ち、盛り上がっている----との記事があった。

    「なにこの激しく同意できるスレ」

    「だいたい返信が遅いor返事返ってこないのがO型のやつばっかりだよ」

    という意見に対し、O型の人も自覚があるようで、

    「後で返そうとしてさっぱり忘れて寝るんだよな」

    「すごい真剣に悩んで時間経っちゃっていまさら返すのもなーってなってスマン」

    「返すとすぐ返事来てまた返さないといけなくなるからだるい」

    など、「めんどう」「返信するのをためらっているうちに忘れる」ため返信が遅くなるといった声があがっているとのこと。

    理由はどうであれ、「O型の人がメールを返さない」というのは“あるある”ネタのようである----と、この記事は結んでいるのだが、さて、血液型O型のあなたは、如何だろうか?

    実は、わたしも知る人ぞ知るO型で、よほどの急ぎの用件の場合は別だが、メールの返事は出来るだけ24時間以内には返すようにしている。

    これを遅いと考えるか、それほどでもないと考えるかは、携帯電話やスマートフォンを常に活用しているか否かでも意見が分かれるところではあるが、世代によっても感じ方は人それぞれだろう。

    インターネットなど70歳を過ぎてから知ったという世代の人たちは、返事がその日のうちにもらえるだけでも、早いと感じるだろうし、生まれた時には既にネット社会が充実していたという世代は、メールを打った直後に返信がなければ不安になってしまうのではないだろうか。

    つまり、メールの返信が早いか遅いかは、血液型によって異なるというだけではなく、世代によってもかなり感じ方が違うものと思われる。

    とはいえ、保守的でありながらも大ざっぱな視野で物事を俯瞰する性質のO型は、送られてきたメールが自分にとってどれほど重要性や価値があるかで、返信の速い遅いを決めているのではないかと思われる。

    しかし、O型は元来おしゃべりな人も多いので、自分にとって魅力的な質問か否かによっても返信速度は微妙に変わるし、興味のあることならば、返信の内容もかなり執拗なものになることが考えられるのだ。

    その分、「今、何処にいる?」とか、「今日、何している?」などの、社会の潤滑油的なあいさつ文程度の内容には、ほとんど返事を返す必要性さえ感じないかもしれない。

    「今、何処にいるかって?地球上に決まっているだろう」

    「今日、何しているかって?呼吸しているよ」

    それが、O型なのである。





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Posted by ちよみ at 17:35Comments(0)ちょっと、一息 26

またまた、雑感いろいろ

またまた、雑感いろいろicon25



   
    昨日の小六女児をバッグに押し込めて誘拐しようとした事件の容疑者である成城大生が言うことには、

    「大学のサークル活動が思い通りにならなかったので、刑務所に入ろうとインターネットで最も刑が重くなる犯罪を検索した結果、乱暴目的で少女誘拐を思い立った」

    と、いうのだが、この一連の供述には、まったくどれ一つ脈絡がないことが分かる。

    大学のサークル活動がうまくいかなかったことが、どうして刑務所へ入りたいということにつながるのか?

    しかも、最も重い刑罰になるような犯罪をネットで調べたというのだが、それがどうして少女誘拐監禁に結びつかねばならないのか、さっぱり理屈が通らない。

    最初から殺害目的でもあったのだろうか?

    ならば、素直に「少女を誘拐して乱暴したかった」と、話せばいいのである。この期に及んで、保身のために体裁を取り繕おうなどとは、つくづくもって言語道断。

    その逃げ口上だけでも重罰に値するように思う。




    父親がいきなり「タラの子が食べたくなった」と言い出した。

    だが、買いに行こうにも近所にはスーパーがない。いつも行きつけのお店は、八月中旬で閉店してしまった。

    タラの子一つ買うのに、わざわざ自動車を出すズクもない----と、いうことで、このリクエストは即行却下。

    身近にスーパーがないということは、実に不便である。

    買い出しに出かけて一応の生活必需品を買ったにしても、家へ帰って来てから、あれも必要だったとか、あれがあればもっと良かったのに・・・などとういうことは、しょっちゅう出て来る話だ。

    そうしたちょい買いのためのお店は、自宅からせいぜい100メートル以内の徒歩で行ける場所にあって欲しいというのが、家事を預かる人たちの本音だろう。

    本当に、不便になってしまったと実感される、「タラの子」の話題であった。




    多くの大学のサークルや部活の合宿も、ここに来てほとんどが終了。

    志賀高原や北志賀でグループ合宿をはっていた大学生たちが、ぼつぼつと帰路につき始めた。

    猛暑の最中、元気な掛け声をかけながらランニングに汗を流していた学生たちの姿も、既にない。

    大学生たちには、次は昔のように、ウインターシーズンの合宿を充実したものにして欲しいというのが、観光地に住む者としての切なる希望である。



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Posted by ちよみ at 18:08Comments(0)ちょっと、一息 26

奇妙な事件

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    広島市西区の小学6年の女児(12)が旅行かばんに入れられて連れ去られた事件で、監禁容疑で逮捕された成城大2年、小玉智裕(ともひろ)容疑者(20)=東京都世田谷区祖師谷3=が果物ナイフで「静かにしろ」と女児を脅し、かばんに閉じ込めたことが広島県警への取材でわかった。女児は県警に「怖くなってかばんに入った」という趣旨の説明をしているという。

    一方、県警は5日、小玉容疑者が使った旅行かばんを公開した。身長約150センチの女児は保護された際、体と足を折り曲げた状態でかばんに入れられていた。

    逮捕容疑は4日午後9時ごろ、広島市中区の路上で、旅行かばんに女児を閉じ込めた状態でタクシーのトランクに監禁した疑い。県警は動機などについて小玉容疑者から事情を聴くとともに、未成年者略取の疑いでも捜査する方針。(YAHOO!ニュース)



    たまたま見かけた少女をナイフで脅して人気のない道へ連れ込み、旅行バッグへ押し込めて連れ去ろうとした事件だが、犯人の大学生を不審に思ったタクシー運転手のとっさの機転で、少女は無事に保護された。

    150センチ、30キロの小学六年生の少女があのように狭いバッグの中で折りたたまれるように正座させられていたわけで、さぞ苦しかったろうと思う。

    ナイフで脅されて抵抗できなかったのだと思うが、それでも勇気を振り絞って「助けて、出して」と声を上げたことで、タクシーの運転手が誘拐ではないかと気付き、通行人の助けも借りて犯人を取り押さえたことはお手柄であった。

    それにしても、この成城大生は、少女を誘拐してどうしようと思ったのだろうか?

    身代金目的ならば、あまりにずさんな犯行である。

    少女にケガがなかったことが不幸中の幸いであった。

    また、4日に名古屋市では、23歳の男性が自宅内に小学1年生の女児(7)を監禁した事件も起きている。

    この事件では、逮捕された容疑者の自宅から容疑者の父親の遺体が発見され、警察が動機を追及したところ、

    「少女を監禁するのに父親が邪魔だったから(木刀で)殺した」

    と、自供したそうである。

    どちらのケースも、二十代前半の若い男性が起こした少女誘拐監禁事件であるが、あるニュース解説者は、こうした事件の犯人像を「もしかしたら、ペドフィリア(英: paedophilia)ではないか」と、話していた。

    ペドフィリアとは、一般に13歳以下の幼児や小児を対象とした性的嗜好を意味し、俗にロリコンなどとも呼ばれているもので、こういう小児性愛嗜好者は、大人の女性に対しては、ある種の嫌悪感や恐怖感を覚えるものなのだという。

    身体は成人していても、心が大人になり切れていない男性たちが、近頃は増えているとも、解説者は語っていた。

    しかし、そうした男性が増える背景には、子供なのか大人なのか判らないような描き方をされる近年のアニメキャラクターの影響があり、そうしたキャラクターがネットに溢れることで、いつでも手の届く存在のように錯覚してしまうという弊害も少なくないのだとか・・・。

    現実と幻想との境界線があやふやになることで、自分に都合の悪いものはあっさりと消し去り、稚拙な欲求だけを満たそうとする精神構造が出来上がってしまうのだそうである。

    とにもかくにも、子供たちは、ますます危機意識を強めて自分の身は自分で守るという心構えが大事になるだろう。

    スイス出身の某女性タレントは、「スイスでは、子供たちがキャンプ用の多目的ナイフを携帯するのが当たり前」と、話すが、日本では下手をすれば銃刀法違反に問われかねない。

    これからは、たとえ小さな子供でも、いざという時のために最大限の抵抗が出来るような、日ごろの訓練が重要な時代になったようである。

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Posted by ちよみ at 19:20Comments(2)ちょっと、一息 26

渋温泉の元気な女性たち

渋温泉の元気な女性たちicon06




    今日、小雨の降る中、駐車場のボウボウに伸びた雑草を刈った。

    雑草とはいえ、草の茎はまるで木のように太い。鎌だけでは追いつかず、のこぎりまで持ち出して草藪を切りはらった。

    いつもならば、ずぼらも手伝って、伸び放題伸びたままにしておくのだが、今年は草の花粉がものすごくて、自動車のそばへ行くだけでくしゃみが出そうになる。

    このまま花粉症に突入では困るので、少しでも身近な花粉はよけておこうと思った。




    ----で、放送された渋温泉特集を観た。

    年配の女性たちが今も現役でがんばっている姿に、元気をもらったような気がした。

    そんな中でも、98歳の女性が自分で紙芝居を作り、昔から伝わる地元の民話などを高齢者施設で披露している様子には、正に脱帽だった。

    その女性が、今年また新たな創作紙芝居を作ったという。

    それは、これまで手掛けた内容とは一味違うもので、彼女が生きて来た渋温泉の歴史を紙芝居にまとめたものであった。

    「気が付いたら、この渋温泉で一番の年上になってしまい、わたしだけが知っている昔の渋温泉を若い人たちに教えておかなければいけないと思ったの」

    その紙芝居には、彼女が中野町(現在の中野市)にある中野高等女学校(現在の中野立志館高校)へセーラー服を着て、往復16キロもの道のりを毎日徒歩で通った当時の思い出や、日暮れになると各旅館の前の道に三味線を持った粋な新内流しがやって来ては、宿泊客に新内節を聴かせてお代をもらっていたことなど、古き良き時代のありさまが分かりやすく描かれていて、旅館を経営している彼女の甥夫婦も、神妙な面持ちで彼女の巧みな語り調子に耳を傾けていた。

    今の渋温泉を盛りたてている若い経営者たちも、折につけアイデアを絞ったイベントを開催しては観光客の目を楽しませているが、彼らはどれほど渋温泉のたどってきた歴史を知っているのだろうか?

    話の上では聞いていることがあっても、それをどれほど実感として受け止めているのだろうか?

    戦時中、激しくなる空襲を逃れ、親元から離れた大勢の疎開児童たちが、渋の各旅館に分宿しながら地元の小学校へ二部授業(地元の児童が下校した後に登校すること)を受けに通ったことや、その疎開児童が他の疎開地へ移ったあとは、温泉場が傷痍軍人たちが療養する湯治場となったことなども、彼女は感慨深そうに語っていたが、こうした話は、今の若者たちもしっかりと心に留めておかなければならないことなのである。

    単に目の前の上澄みをかき回すだけではなく、水面下に沈泥している歴史の重みにも積極的に目を向けなければ、渋温泉の将来など見えはしないと、彼女の紙芝居は教えているようにさえ思えた。

    90歳にして喫茶店を経営する女性は、若かりし頃、裕福な外国人しか滑ることの出来ない志賀高原のゲレンデでどうしてもスキーをしてみたいと、自分も外国人になりすまし、片言の英語を話しながら滑った時の痛快さを楽しそうに語り、グルメ雑誌にも掲載される有名ラーメン店の女主人は、店を興した弟の味を守り続けることが自分の仕事だと胸をはった。

    彼女たちが育み温めて来た歴史という大きな財産が渋温泉にはある。

    今の若い人たちには、そうした歴史に学び、ぜひ彼女たちの弛みないチャレンジ精神を現代に活かして欲しいものである。
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Posted by ちよみ at 22:09Comments(2)ちょっと、一息 26

対人恐怖症の女性

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    初対面の人とは、どうしてもうまく馴染めなかったり、周囲の人が皆自分に対して敵意をもっているように錯覚してしまうという対人恐怖症。

    こういう症状を抱えている人は、自分を極度に防御しようとするために、いつも眉間にしわを寄せていたり、言葉使いがぞんざいになるなど、周りからは逆に怖い印象をもたれることがある。

    わたしの家の近所にも、これに近い評判の女性がいるのだが、彼女は、話をする時もほとんど相手の顔を見ようとしないし、世間話などの余計な時間は決して作ろうとしない。

    必要事項だけを話すと、さっさと帰ってしまうような女性なので、ぶっきらぼうだとか、言葉使いがきついとか、彼女をよく言う人は、あまりいないのである。

    先日、そんな女性の母親が、わたしの母親を呼び止め、珍しく娘の話をしたのだそうである。

    「うちの娘(次女)なんだけれど、高校を出てから東京の学校へ行くために、もともと東京の学生専門のアパートに入っていた姉(長女)を頼って上京し、同じ部屋で暮らすことになったのよね。

    このアパートが面白いんだけれど、四人のまったく異なる学校へ通う学生が同じ部屋を共有するというところだったわけ。

    姉の方は、もともと外交的な性格だから、そんなところでも平気で暮らしていたんだけれど、妹は小さい時から人見知りが激しかったせいもあって、どうしてもそんな赤の他人と一緒の生活に馴染めなかったらしいの。

    で、姉が一緒にいてくれた時は、まだ良かったんだけれど、姉が卒業してしまい、自分一人でそこへ住まわなくてはならなくなってから変になっちゃったのよね。

    同じ部屋の女の子たちが、娘の服を勝手に着て外出したりするようになって、それが迷惑だと言えなくて、たった一人で悔し泣きしていたりしたようなんだけれど、とうとうある日、大泣きしながら電話をかけて来て、

    『もう、こんな人たちといたくない!学校もやめたい!家へ帰りたい』

    って言うんで、これはこのままにしておいたら、この子はどうにかなっちゃうんじゃないかと思ったものだから、あたし、その電話を切った直後、最終列車で東京まで行って、すぐに荷物をまとめて翌日娘と一緒に帰って来ちゃったのよ。

    結局、学校も中退になっちゃったんだけれど、あれ以上の一人暮らしはさせられなかったから・・・。でも、娘の身体はもうストレスで大変なことになっていて、その後、腸の手術までするはめになって・・・。あのまま辛抱するように説得して頑張らせていたら、きっと死んでいたんじゃないかと思うのよね。

    過保護だって言う人もいたけれど、人間は、寂しさや心細さが原因で精神的にも肉体的にもめちゃくちゃになっちゃう場合もあるのよ。怖いと思ったわ」

    家へ帰って来てからの娘さんは、手術で一命を取り留めはしたものの、もう一切人を信じなくなってしまったようなのだ。

    あれから、既に30年近くも経っているのだが、彼女の中にある、服を勝手に着てしまったルームメートたちへの恨みは、未だに消えていないそうである。

    「長女はもう他県へ嫁いでしまっているし、夫も亡くなって、あたしが死んだらこの子、どうなっちゃうんだろうって、考えると夜も眠れないのよ」

    と、母親は話していたそうである。

    一度受けた究極の心の傷は、そう簡単に癒えるものではない。

    優しく気立ての良い娘に育ってくれたことは、確かに親の誇りだが、いざという時は、なりふり構わず毅然として、嫌なものは嫌だといえる勇気を、彼女も持っていたなら----と、母親は悔やんでいたそうである。
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Posted by ちよみ at 11:39Comments(2)ちょっと、一息 26

満場一致を信じるな

満場一致を信じるなyama



  この間のレントゲン検査での技師さんとの会話。

  技師さん 「胸椎の検査ですね?」(ー_ー)!

  わたし  「え~っと、背骨です」(・_・;)

  技師さん 「だから、胸椎でしょ?」(-_-;)

  わたし  「・・・・」(?_?)

  技師さん 「背骨は頸椎、胸椎、腰椎から出来ているんですよ」

  わたし  「ほお・・・」(・_・)





    ところで、大相撲の力士昇進の際に、協会の使者が昇進力士の部屋へ赴き、

    「----により推挙され、大関昇進が満場一致で決まりましたことをご報告いたします」

    というような場面を、テレビニュースなどで観ることがあると思うが、実はこの満場一致というものが、なかなかの曲者らしい。

    心理学的にいうと、「満場一致」というのは、とかく意見が過激な方向へまとまりやすくなってしまうのだそうである。

    集団での考え方は、出席者の平均的考えでまとまるのではなく、偏った意見に押されてしまいがちで、

    「大きな成果を期待するリスクの高い結論」

    になるか、真逆の、

    「安全第一の結論」

    という、両極端の答えを導き出しやすくなってしまうのだという。

    これは、優秀な人間たちの集団が話し合いをすることで、自分たちをより優秀な人間と思わせたいがために、出来もしないような意見に賛同したり、また、そこにさらに同類意識が生まれたりすることで、反対意見が出しにくい状況になってしまうという問題が生じるせいだという。

    そういうこともあり、「満場一致」で決まった大関や横綱が、大した成績を残せなかったりすることも多々あるわけなのだ。

    まあ、大相撲の場合は、審議委員の誰かの反対があっても、使者は「満場一致で----」と、言うことになっているようではあるが・・・。

    こんな時は、結論の極端化を防止するために、出来れば最終判断は個人個人に任せるとか、団結心の薄い集団で話し合うようにするべく、いつもの決まり切ったメンバーではなく、部外者を数名交えることも大事だということである。

    つまり、何かの結論を出さなくてはならない会合を行なう時などは、男性ばかりで話し合いを持つよりも、女性を何名か加えるとか、世代の違うメンバーを集めるなどの工夫をすることも、よりよい答えを探し出すためのコツなのかもしれない。

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Posted by ちよみ at 17:39Comments(0)ちょっと、一息 26

がんに罹りやすい性格とは

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    「サマー・レスキュー」----初めて観てみたけれど・・・。

    一言で言って、「針大持ち」って感じで、ヒューマンドラマというよりも、医療物の形を借りたホームドラマってことか。

    超多忙な人気俳優の向井理を主人公に起用した弊害なのか、シナリオに深みが感じられない。

    強引に視聴者の関心を引こうとするためなのか、展開があり得ないことばかりで、台詞も力が入り過ぎで、「(医師は)神様」って、す、すごすぎる。

    何処かのキワ物小説からの受け売りか?

    某ドクター曰く、「医療ドラマは観ていて恥ずかしい」という気持ちも、色々な意味で理解出来る気がする。

    



    ある心理学者は、がん患者に見られる性格の傾向を、タイプC性格と呼ぶそうだ。

    タイプA性格は、几帳面で真面目、曲がったことが嫌い、人情に厚く他人の面倒をよくみる、仕事が趣味であり生きがい、遊ぶことに罪悪感を持つ、気性が激しい----といった、バリバリの管理職タイプだそうだ。

    そして、タイプB性格は、これとは逆に、焦らずのんびりしているマイペース型で、明日のことは明後日やればいいというような、一見無責任とも思えるタイプだという。

    では、このタイプC性格というのは、どういうものなのだろうか?



     対人関係に傷つきやすく、孤独に逃げ込みやすい。

     怒り、悲しみ、不安などの不快な感情を無理やり抑え込もうとする。

     不平不満を言わず、周囲に合わせようとする。

     抑うつ的で、幸福感が薄い。

     社会的に孤立しがちである。

     自分の気持ちを抑えてまで、他人のことを思いやる。



    もちろん、このような性格の人が必ずがんになるという訳ではないし、これとは正反対の性格の人が罹患する場合も当然あり得る。

    ただ、こういうタイプC性格の人は、自分の性格が災いして過度なストレスにより生理的バランスを崩しがちなため、病気を誘発する確率が高くなるというのである。

    自分がこういう性格に近いと思う人は、率先してパーティーや集会などに出席し、思い切り笑ったり泣いたりと、感情を爆発させる機会を持つことも大事だということである。

    では、こういううっ屈的な性格ではないのに、罹患する人はどういう性格なのかというと、日常的にはどれほど我がままで自分勝手な振る舞いをしていても、それすらストレス発散にはなっていないと考えるような人だそうである。

    傍目には明るく見えても、その明るさが本物ではないということであろう。

    そういう人は、どんなに他人からチヤホヤされても、され足りないと感じてしまうのである。

    つまり、自分の中のコンプレックスや寂寥感が何をやっても払しょくできないため、心から他人を信じることが出来ないのである。

    そういう人の友だち関係は、ほとんど上辺だけのもので、真の友情を育むことが苦手という場合が多い。

    自分の弱点を隠しながら付き合おうとするため、相手もその人を心から信じようとはしてくれない。

    常に世間体が大事で、自分の評価が下がることを極端に恐れる。

    その現実とのギャップを埋めようとする無理やり感が多大なストレスを生み、病気を呼び込むのだともいわれるそうである。


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Posted by ちよみ at 10:44Comments(0)ちょっと、一息 26

本当の思いやりはどっち?

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    もしも、あなたが交通事故とか病気で歩行がうまく出来ない身体だったとして、健康な友だちだけで素敵なレストランへ食事に行ったというような楽しげな話題を聞かされてばかりいるとする。

    もちろん、あなたも彼女ら(もしくは彼ら)と一緒に食事に行きたいと思い、そのことをつい口に出した時、どんな返事が返ってきた方が、よりあなたに対する思いやりを感じることが出来るだろうか?



    A 「そうだね。わたしたちも一緒に行きたいけれど、たぶん、あなたの足ではあのレストランの階段は上れないと思うよ。転んでけがをしても困るから、行くのは足が良くなってからにしたら?」


    B 「そうだね。今度行く時は、一緒に行こうか。レストランまでの階段はちょっときついけれど、わたしたちが手助けするから大丈夫。たまには、外の空気を吸うのも気分転換だよ」



    おそらくは、Aの返事も、Bの返事も、相手のことを思いやってのことなのだろう。

    しかし、身体が不自由な本人にとってみたら、どちらの返事が救いに思えるかといえば、それは間違いなく、Bである。

    たとえ、実際に行くことが出来なかったにせよ、こう言ってもらえるだけでも、自分は部外者扱いされてはいないという自信や安心につながるというものなのである。

    ところが、Aの答えは、一見その人の身体を心配しているように思えるのだが、取りようによっては、

    「面倒くさいなァ・・・。あんたなんかと行ったら、食事のあと何処かで買い物でもしたいと思っても、足手まといで行けないじゃないの。少しは、こっちの気持ちも考えてくれないかな?」

    と、いう裏事情が透けているようにさえ思われ兼ねないのである。

    しかも、「行くのは、足が良くなってからにしたら?」と、いう言い方は、「行くなら、あなた勝手に一人で行きなさいよ」と、言っているも同じである。

    実は、わたしも以前、ある人からAのような返事をコメントでもらったことがあった。

    この瞬間、相手の本心が見えた気がしたのである。

    言葉は、いつも実に繊細で危険な匂いを内包している。

    どんなに親しげな会話をしていても、そういうほんの瞬間の隙間に、相手の本音が暴露されることがある。

    その人は、その時はまだ、わたしの足が一生動かないものと思い込んでいたので、そんな大胆な返事が出来たのかもしれないが、つくづく物言えば唇寒し----であることを、この際自戒して欲しいものである。





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Posted by ちよみ at 19:28Comments(0)ちょっと、一息 25

臆病者の勇気

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    NHKで放送していた「命をまもる授業」----子供向けに作られた東日本大震災を教訓にした防災番組だったが、ここでは、岩手県釜石市の子供たちが、どうやってあの未曽有の地震と津波から逃げ伸びることが出来たのかということを、アニメーションを交えて判りやすく教えていた。

    大災害が起きた時には、守らなければならないことが三つあるという。

    1 災害は、想定通りには起きないということを肝に銘じておく。

      数人の小学生たちが防波堤で釣りをしていたところ、あの大地震が発生。

      彼らは、地震の後には必ず津波が来ることを学校で習っていたために、すぐに海から離れて、避難先に指定されていたビルへ向かうが、中の一人の女子児童は、海の水がすごい勢いで沖へと引いて行くさまを思い出し、このビルでは大津波が来た時おそらく持ちこたえられないだろうと判断。

      彼女に賛成した男子児童とともに、「このビルで大人と一緒にいた方が安心だ」と主張する他の同級生たちを説得し、全員で高台へ避難して、巨大津波から逃れることが出来た。



    この時、避難指定のビルでは助からないと考えた女子児童は、「大人たちの行動にあまりにも危機感がなさすぎたので、不安になった」と、話していた。

    災害は、必ずしもハザードマップ通りに起きてくれるものではないことを、この女子児童は直感し、彼女に賛成した男子児童は、もう少し遠くの高台まで逃げれば、後ろは山なので、さらなる大津波が襲っても逃げられると考えたのだという。

    大人たちの中には、行政の指示を鵜呑みにしてそれを正しいと思い込んでいたために、津波にのまれた人が多かった。

    しかし、この子供たちは、津波の恐ろしさを行政が考える以上のものと想像したために助かったのだという。




    2 災害時には、自分の持てる力や知恵をすべて活用し、最善を尽くす。

      両親が外出中にこの大地震に遭った小学生の二人の兄弟は、家の中で避難するための水や食料などをリュックに入れている間に、津波に襲われてしまった。

      弟はパニック状態になりかけて、迫りくる海水の中へ入り逃げようとした。が、兄は学校で教わった水の力のすごさを思い出し、焦る弟を止めた。

      「たった50センチの水流でも、人間は立って歩くことが出来ない。小さな弟など海水に飲み込まれてしまうだろう」

      そこで兄は、弟を励ましながら自宅の屋上へ避難した。しかし、津波は屋上まで押し寄せた。兄弟は心細さに耐えながらも、必死で足元の水を掻い出しながら、父親が迎えに来るのを待って助かった。



    この兄弟は、学校で教えられた水流の威力をしっかりと覚えていたことや、避難する際には水や食料が必要なことに気付き、それらを確保した。
   
    今自分たちが出来る最善のことは何かを考えて冷静に行動したために、助かることが出来たといえる。




    3 災害が起きたと思った時は、真っ先に逃げる。

      もしも、ホテルに宿泊している際に火災報知機が鳴りだしたら、あなたは、即座に逃げ出すことが出来るだろうか?

      「もしかしたら、誤作動じゃないか?」などと考えている間に、炎や煙に取り囲まれてしまうことが多いという。こういう時は、誰かが行動するのを待つのではなく、まず自分自身が真っ先に逃げ出す勇気を持つことが大事なのだそうである。


      両親がビジネスホテルを経営している三兄弟の末っ子の男子児童は、たった一人で家にいた時大震災に遭遇した。

      地震があったあとは大津波が来るかもしれないことは、彼も知っていた。しかし、一人で逃げるなんて怖いし心細い。その時、母親が日ごろ言っていた言葉を思い出した。

      「津波の時は、自分のことだけを考えて一人で逃げなさい。逃げられれば、必ずまた会えるから」

      そこで、彼は一人で家から逃げ出し、避難場所で母親や兄弟たちと再会することが出来た。

    この辺りには、「津波てんでんこ(津波が来たら親や兄弟のことは考えずに、皆てんでに逃げること)」という言い伝えがあるという。

    とにかく、非常事態が起きた時は、自分だけが助かっても・・・とか、家族が心配だから・・・などといって家へ戻ったり、逃げることを躊躇してはいけないという教えだそうである。

      

    ただ、ここで問題になるのは、自分の命は自分で守るということがどうしても出来ない足の弱い高齢者や障害者をどう助けるかということだという。

    高齢の祖父母を介助しながら逃げようとして、津波にのまれた人も多かったという。狭い道路事情から、津波が来た時は、徒歩避難が原則で、自動車での避難は禁止していた自治体もあったそうだ。

    そのために犠牲者を多く出したということも事実のようである。

    そこで、行政には、街中の道路幅を拡幅することで、避難する際の自動車使用を認めようという動きも出て来ているという。

    災害時には一番臆病であれ----これが、今回の巨大津波被害が人々にもたらした、最大の教訓だったのではないだろうか。

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Posted by ちよみ at 11:59Comments(0)ちょっと、一息 25

雑感いろいろ

雑感いろいろdiary




    タレントのスギちゃん(本名・杉山英司、39)が1日、テレビ朝日の特別番組(タイトル未定、9日放送)の収録で胸椎骨折で全治3か月のけがを負った。同局が発表した。

    同局によると、スギちゃんは番組企画で飛び込みに挑戦。千葉県習志野市の千葉県国際総合水泳場で高さ10メートルの飛び込み台からプールに飛び込んだ際に、胸椎を骨折した。すぐに病院に搬送されて入院したが、意識はあるという。

    同局広報部は「安全には細心の注意を払っておりましたが、結果として杉山さんがケガを負われたことについて、大変申し訳なく思っております。深くお詫びするとともに、1日も早い回復をお祈り申し上げます。状況をよく調査した上で、再発防止策を徹底してまいります」とコメントした。(YAHOO!ニュース)




    近頃のバラエティー番組は、タレントたちに過激なことをさせ過ぎなんじゃないだろうか?

    そこまでして笑いを求める視聴者がいるんだろうか・・・?と、かねがね疑問だった。

    スギちゃんは、この間も過労で倒れるなど、体力面にも不安があったのだと思うが、胸椎骨折とは重傷である。

    肺への影響がなければいいのだが・・・。心配なニュースが飛び込んで来たものである。




    ところで、この間お会いした某ブロガーさんと某診療所の先生から、「フェイスブックやりませんか?」と、お誘いを受けたが、実名記載とか、ブログとの掛け持ちが難しいような気がして、未だ躊躇している。

    実名記載なので、もしも、友だちになった相手と意見が合わなくなったりで、手を切りたい時などは、かなり厄介なことになるのではないだろうか?

    よほど気の許せる相手とだけ交流するなら楽しいツールなのだろうが、ある意味ブログよりも責任ある発言が求められそうで、いい加減な返事が出来ない分コミュニケーションが難しくなるような気がしてならない。

    それにしても、全世界で八億人もの人たちがフェイスブックに登録しているとは驚くばかりだ。

    フェイスブックに登録して、元彼を探すという女性も多いという。

    元彼を探してどうしようというのか、良く判らないが、未練のある女性もいるんだろうな・・・。

    もしも、元彼が他の女性と付き合っているのが判ったら、いくら別れたとはいえ、それを微笑ましく眺めていられるのだろうか?

    精神衛生上もかなりまずいと思うのだが、乙女心は複雑である。

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Posted by ちよみ at 16:21Comments(2)ちょっと、一息 25

本音が見える仕草とは・・・

本音が見える仕草とは・・・face08




    もう、九月か・・・。(・_・)

    毎年のことだが、八月はあまりの暑さで、何が何だか判らないうちに過ぎて行くような気がする。

    散歩もほとんどしなかった。この猛暑では、健康のためどころか、逆に脱水起こして身体に危ない。




    映画「チャーリーとチョコレート工場」って、何度見ても新しい発見がある不思議なストーリーだ。

    最後、ハッピーエンドになるのが良い。

    チャーリー以外の子供たちは、考えようによればかなり悲惨なことになってしまっているが、特別悲観している様子がないのも面白い。

    ジョニー・デップ主演の映画は色々観たが、何だか一番彼らしさが出ているようにも思えた。




    で、人の内面は、その人が自分の身体の何処に触れるかで、たいてい判るものらしい。

    よく頬杖をつく人は、母親や恋人のぬくもりに飢えているといえるのだとか。頬杖をつく時の手が、母親や恋人の肩の役割をしているのだそうで、愛する人の胸で温めてもらいたいと思う気持ちが、無意識にそういう姿勢をとらせるのだという。

    だが、年をとって背筋が弱くなってくると、こういう姿勢をとりやすくなるので、お年寄りに当てはまるかはちょっと疑問だ。


    次に、困ったことや失敗した時など、無意識に自分の頬や髪の毛を触る人は、母親や恋人に慰めてもらいたいという深層心理が働いているのだという。

    「大丈夫だよ」「心配しないで」と、髪をなでながら優しく許してもらいといという気持ちが、そういう行為をさせるのだそうだ。


    また、指先で唇に触れるのは、不安を払しょくして落ち着きを取り戻したいという気持ちの表れだとか。

    指が母親の乳房代わりになっているのだそうで、甘えたい、依存したいと思っている証なのだという。爪を噛む癖のある人も、これと同じ理屈であり、幼い頃、常に母親が近くにいなかったというような人が、よく行なう癖だという。

    そう言えば、わたしの同級生たちのことを考えても、専業主婦の母親に育てられた子供には、あまりそういう癖のある者はいなかったが、自営業や共働きの母親に育てられた子供たちには、爪噛みをする者が多かったように思う。


    そして、しょっちゅう腕組みをするのが癖の人は、赤ん坊の頃に、泣いている自分を抱きしめてくれた母親の腕の感触を真似しているのだそうである。要は、誰かに抱きしめてもらいたいというサインなのだとか。

    そういえば、有名な政治評論家にも、こういう癖の人がいるな。

    きっと、無意識のうちに、いつも母親がそばにいるという感覚を持ちながら、熱弁をふるっているのかもしれない。


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Posted by ちよみ at 10:34Comments(0)ちょっと、一息 25