ストレスは、適度に感じる方が良い

ストレスは、適度に感じる方が良いstar




    ストレスといえば、すべてが悪玉のように思われがちだが、実はそうとも言い切れない。

    人間が生きて行く上で、ストレスが重要な役割を果たしている場合もあるのだ。

    夏は暑い、冬は寒い。

    これもストレスの一種である。

    料理をする時は、火傷に気を付けようと緊張するし、自動車の運転だって、四方八方に注意を配らなければならない。これも、立派なストレスである。

    お腹が空くことも、隣の人と会話する際の気配りも、テレビ番組の録画をし忘れた時の落胆も、やはりストレスなのである。

    これらのストレスがあるから、人間は自分でそれを回避するために、自然と身体を守ることが出来るし、休養をとったり、気分転換を図ることも出来るのだ。

    もしも、こうしたストレスを感じなかったら、どうなってしまうだろう。

    不安も緊張もない生活があったとして、人間は生きていられるのだろうか?

    以前、何かの報道番組が交通事故で脳に障害を負った女性の特集を取り上げていたが、その女性は、恐怖とか緊張とか不安というものを一切感じなくなってしまったのである。

    熱いコーヒーはすぐに飲んだら火傷する----ということは判るのだが、それに対する恐怖心がないので平気で飲んでしまい、大変なことになったり、刃物は危ないという認識はあるものの、危ないことは怖いことという感覚がないので、料理の最中に手を切りそうになることもしょっちゅうだ。

    そして、対人関係でのストレスもないので、いつもハッピー。怒るとか、悲しむという感情も麻痺している。

    彼女は、そのことを甘んじて受け入れてはいるものの、一方では、驚いたり、悲しんだり、怖がったり、悩んだり----という感情があるからこそ、人間なのだということもちゃんと理解してるようであった。

    つまり、ストレスとは、「身体が危険なので、防御姿勢をとれ」という重要なサインなのである。

    では、こういうストレスを最小限にするためには、どうしたらよいかというと、殊に人間関係がもとで生じるストレスは、お酒などに頼るのではなく、誰かに相談する、話をするということが良いそうである。

    しかし、それには相手の話にもちゃんと耳を傾けること。

    いつも、自分のことばかり訴えるのは、マナー違反である。


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Posted by ちよみ at 18:21Comments(0)ちょっと、一息 27

劣等感を持つ人の特徴とは・・・

劣等感を持つ人の特徴とは・・・volunteer




   あの「愚か者!」って叫んでから、足蹴りを食わせる女教師のドラマ、チャンネルを合わせると、何故か毎回決まって最後のあの部分だけを観ることになるので、それまでの内容がほとんど分からないんだけれど、でもなんかスカッとする。

   ただ、あの「愚か者!」の台詞、もう少しどすの利いた迫力があれば、もっと良かったように思うんだけれど・・・。

   でも、何で、蹴りなんだろうか?




    学歴や能力、職業、容姿など、人間がコンプレックスを持ちやすいものというのは様々あるが、これらを克服せずにごまかしたり、隠そうとすることで、所謂「劣等コンプレックス」が生まれるのだという。

    そして、この劣等コンプレックスの強い人は、これを何とか補修するために見せかけだけの優越感を演出することが知られている。

    そういう人は、自分の欠点を隠すために、自己顕示的で、尊大な態度をしたり、自慢をしたり、必要以上に明るくふるまったり、そうかと思うと人が変わったのではないかと思うほど、ガミガミ怒鳴ったり、叫んだりする。

    自分だけは他人とは違うということをあえて誇示するために、奇抜な服装をしたり、普通の人がやりそうもないヌード写真を撮るなど、周囲を唖然とさせるような行動に出る時もあるという。

    自分よりも力の弱い人や、立場の弱い人をさらに下目に見たり、横柄で失礼な態度をとり、笑い物にしたりもする。

    自分の失敗や過ちは棚に上げて、他人が自分よりも優れていることを憎んだりけなしたりがいつものことで、決して自分以外の人を褒めようとはしない。

    周囲が褒めそやす人に対して、激しい嫉妬心を持つ一方、ワンランク上の有名人に対しては、嫌らしいほどにこびへつらう。

    有名人を自分の勲章のように思い、こういう人とも知り合いなのだということを得意げに回りに言いふらす。

    必要以上に大声で笑い、相手を無視するように視線を外したり、相手の話を聞かなかったりもするという特徴があるということだった。

    自分がチヤホヤされることだけが生き甲斐であり、他人のために何かをしようなどという気持ちはさらさら持ち合わせてはいないために、人から何かを頼まれても、気が乗らない場合は、話題にさえも上げようとしないなど、その自己中心的気質は筋金入りなのだそうである。

    どうだろうか?

    こういう態度をとる人は、案外女性に多いような気がする。

    劣等コンプレックスは、誰しも持つものであるから、そのことを自覚し、他人の助言を真摯に受け止めることが出来れば、そうしたものも、むしろプラスに作用するのだろうが、人の忠告に耳を貸さない人間は、いつまで経ってもその苦しい呪縛から解放されることはないのである。


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Posted by ちよみ at 17:39Comments(2)ちょっと、一息 27

女性が浪費する心理

女性が浪費する心理face08





    ヤフー知恵袋に、34歳の男性サラリーマンが投稿していたのだが、彼には31歳の妻と2歳の子供がいる。

    この妻が児童手当の支給にともなって昨年5月に会社を退職し、専業主婦になったのだが、月2万五千円の妻の小遣いを50万円ほどブランド品の購入に使っていたのだという。

    もちろん、夫である彼には内緒で。

    このことが発覚して妻を問い詰めたところ、

    「どうしても好きなブランドの洋服や靴が買いたい。日頃のちょっとしたストレス発散のために買った」

    と、答えたのだという。預金はもちろん妻のものだから、妻が好きに使ってもいいという理屈ではあるが、子供はまだ小さいし、これからいろいろとお金も必要になる。

    彼自身は、お弁当にご飯だけを詰めて、おかずはローソンの100円食品で賄うなど、必死で節約しているのに裏切られた気分だ。

    妻は、二度としないと反省しているが、不信感は消えない。

    子供が幼稚園へ入ってパートを始めるまでは、お互い預金は使わないようにしようと約束した矢先からこれでは、何を信じていいのか判らない。

    子供は自分が引き取ることで、離婚しようかとも思っていると、悩みを書き込んでいた。




    これに対する回答の多くは、「まだ、離婚を考えるには時期尚早だ。奥さんも反省しているのだから、ここは許してあげたらどうか?」というものであった。

    一様に女性の金遣いが荒くなる原因の一つには、「寂しさ」があると言われる。

    買い物依存症なども、その「寂しさ」が引き金になるケースが多いそうだ。

    おそらく、この男性の奥さんは、それまで勤めていた会社をやめたことで、自分自身の居場所をなくしてしまったのではないかと思われる。

    「主婦には、子育てという立派な仕事があるじゃないか」

    と、周囲の人は思うが、これまで外の社会でバリバリ働いていた女性には、その認識はほとんどない。

    専業主婦など他に能力のない女性がやることだ----との男性目線になる場合が考えられるのだ。

    業績をほめてくれる上司もいなければ、商談成立を共に祝ってくれる同僚もいない。出来て当たり前の家事や育児などで、自分のキャリアを棒にふりたくなどない----というわびしさが、買い物をするという行為へ走らせるのだという。

    買い物をする時は、家から外へ出られるし、ブランド品は彼女自身のプライドの象徴でもある。

    お店の人には、お世辞の一つも言われながら「ありがとうございます」と、感謝されるし、一つ買えば、他のコレクションも欲しくなる。

    ブランド品のコレクションが彼女にとっての仕事になるということもあり得るのだ。

    頭ごなしに、「もう余計な浪費はするな!」と、言うのは簡単だが、それでは何の解決法にもならない。

    この奥さんの、ある種のブランド品買い物依存症を断ち切るためには、彼女自身が誰かのために役に立っているという実感が必要なのだろう。

    達成感や優越感を満足させられなければ、この浪費癖を治すことは出来ないと思われる。

    離婚を考える前に、夫である相談者は、まず彼女の中の虚無感を見付けだすことで、彼女が自分の単なる扶養家族ではなく、文字通り夫の背中を守る人生のパートナーであるということを理解してもらうことが大切なのではないかと思う。

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Posted by ちよみ at 11:42Comments(2)ちょっと、一息 27

非常識な一言ほか

非常識な一言ほかicon09



 
    気象庁や各地の気象台は、北陸から東北の日本海側にかけて日中の気温が平年より10度近く高くなり、35度を超えるところもあるとして高温注意情報を出した。高温注意情報が出ているのは青森、秋田、山形、新潟、富山の5県と、北海道の渡島・檜山、石狩・空知・後志、上川・留萌の3地方。予想最高気温は富山では富山市36度、新潟では新潟市35度▽長岡市35度▽高田市35度、秋田では秋田市35度、山形では酒田市35度など。(毎日新聞)




    今日は、北信地域もとんでもなく暑い。

    例年ならば、もう炬燵でも作ろうか・・・と、思い始める涼しさなのだが、炬燵どころの騒ぎではない。

    クーラーをつけないと食べ物が腐ってしまいそうな暑さだ。

    まあ、この分、暖冬だとありがたいのだが、冬は冬で連日マイナス10度なんていうのでは踏んだり蹴ったりである。

    


    あなたがもしも他人に迷惑をかけたとして、それを反省したとしたら、まず相手には何と言って頭を下げるだろうか?

    「ご心配、ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」

    これではないだろうか。

    だが、世の中にはそんな簡単な謝罪の言葉も言えないような高慢な人間がいる。

    「気が動転していたので、つい失礼な言動をしました。ご心配おかけして、ありがとうございます」

    こんな返事をもらって、嬉しがる人などいるはずがない。

    だいいち、日本語になっていない。

    その人は、何故か、「すみません」という言葉が口から出ない。

    いったい何さまのつもりなのか?

    自分が間違った情報を流しても、相手が悪い。暴言を吐いても、周りは許すのが当たり前。

    口を開けば、自分や家族の自慢ばかり。正直、その人個人には何一つ自慢できるものなどないはずなのにだ。

    その人の生活は、皆、後から与えられたもので、個人の器量で作り上げたものではない。

    謝罪が出来ない人間に、「思いやり」や「おもてなし」など望めるべくもないことは当然のことである。

    しかし、世の中とはうまく出来ているもので、そんな人間にもそれを擁護し、応援する奇特な人々がいる。

    どんな利害関係があるのかは知らないが、実に虚しいつるみ合いとしか言いようがない。





    このところ、北信地域を狙って、儲け話への勧誘を行なう不審電話や不審郵便物が相次いでいるという。

    実態が判らない架空会社を装っているらしく、折り返し連絡しようにも連絡がつかないようになっているとのことだ。

    電話帳に番号が載っている事業者などは、気を付けて欲しいと注意喚起が行なわれており、電話口では決して「いいです」とか「結構です」という言葉での断わり方はしてはいけないという。

    この言葉では、「購入を承諾した」と、受け取られかねないという理由からだ。

    拒否する時は、きっぱりと、「いりません!」と、言うことが肝要だとのことであった。



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Posted by ちよみ at 17:58Comments(0)ちょっと、一息 27

機動隊の制服は何故青いのか?

機動隊の制服は何故青いのか?art03




    男性の仕草で一番胸キュンなのは・・・?

    こんなアンケートがあったが、一番は彼氏に片腕だけで頭を胸へ抱え込まれる時----と、いう何とも複雑怪奇な答えであった。

    胸板の厚さにキュンとくるのだそうだ。

    こんなことで嬉しがっているのは、おそらく男兄弟がいない女性なんだろうな。

    男兄弟の日々の格好を見ていれば、男性の仕草でキュンとなることなどまずあり得ない---と、思うのだが。

    むしろ、こんな奴にキュンとなる女性が良く世の中にいるもんだと、苦笑したくなるのが関の山だ。(~_~;)





    テレビドラマやニュースなどで何気なく見ている警察の機動隊の制服だが、どうして青系の色を使っているのか、皆さんはご存じだろうか?

    心理に与える色の持つ力を研究している専門家によれば、「青」という色は、清々しさ、清廉潔白さ、神秘性、正義などを象徴する色といわれるのだそうである。

    しかし、この「青」という色は、単独ではこうしたイメージを持たせるのだが、集団になるとその意味合いが少し変わってくるのだという。

    「青」が群れると、正義や清廉さに加えて、「威圧感」「重圧」などの要素が大きくなるのだそうだ。

    この圧倒的な威圧感は、赤やピンクなどが集合しても「青」には敵わないのだという。

    では、黒はどうなのか?

    黒の方が威圧感は増すのではないかと、思われるのだが、人間のイメージ的には、黒は裏に潜むものとか、邪悪、影といったイメージが強いため、警察官の正義や清廉さをイメージさせにくいという欠点もあるのだ。

    よって、警察の特殊班などは、この黒系統を制服に使っているのではないかと思われる。

    「今日の気分はブルーだ」

    と、言うように、ブルー(青)は、けだるさや物憂さなども感じさせる色であるために、楽しさや面白さなどとはかい離したものともいえる。

    浮ついたイメージを持たせないためにも、「青」という色には人間に一定の緊張感を強いる効果もあるということだった。

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Posted by ちよみ at 11:20Comments(2)ちょっと、一息 27

夫の偏食に悩む主婦

夫の偏食に悩む主婦icon25




    ヤフー知恵袋を読んでいいたら、夫の偏食に悩む主婦の投稿があった。

    「夫は、肉ばかりを好んで食べ、野菜を絶対に食べません。帰宅が遅いので、夕食は夫一人で食べることもあるのですが、それとなく野菜を添えても、翌朝ゴミ箱を見ると野菜だけが捨てられています。

    わたしの祖父も父も重度の糖尿病で、祖父などは身体中が壊死して亡くなりました。

    父も視力が低下しています。

    夫には、そんな酷い目にあって欲しくないので、野菜も食べてもらいたいのですが、どうしたらいいでしょうか」

    

    これに対するベスト回答は、

    「糖尿病は遺伝するので、気を付けて欲しいのは、むしろ奥さまの方。ご主人は、ある程度偏食しても大丈夫なイチロータイプかも。

    働き盛りの時は、偏食もやむを得ないことがあるので、子供さんが産まれたら、子供さんの食事を口実に、ご主人にも好き嫌いをなくしてもらうという手もある」

    と、いうものだった。

    しかし、男性の場合、子供と同じ食事を強要すると、今度は外食が多くなり、家での食事をしなくなることもある。

    野菜嫌いを克服するのは、大人になってからの方がむしろ大変なものである。

    男性が女性よりも短命という理由には、この偏食が大きく関わっている場合もあり、毎日の運動不足に加えて、脂っこい食事や飲酒、野菜不足が原因で糖尿病や高血圧が悪化、中にはがんで亡くなる人も大勢いるのだ。

    とはいえ、痛くもかゆくもないうちは、どんなに傍が忠告しても聞く耳持たないのは、いつの時代も同じである。

    どうしても、夫の偏食を直したいのなら、やはり一度健康診断を受けてもらい、自分の健康状態を数字で直に見てみるのがいいのではないかと思う。

    「このままでは、数年後には心筋梗塞になる確率が高いですよ」

    医師の口からはっきりと言ってもらえば、どれほど頑固な男性でも、ある程度は偏食の恐ろしさを実感するに違いない。

    人間は、数字で証明されることが一番身に応えるものなのだ。

    殊に、理論立って説明されることを信じやすい男性には、そういう傾向があるそうだ。
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Posted by ちよみ at 17:47Comments(0)ちょっと、一息 27

続・話題いろいろ

続・話題いろいろdiary




    ブログを読んでいて時々、首をひねりたくなることがある。

    たとえば、飲食店の紹介記事を書く際、店舗名を明記しつつ、

    「〇〇さんへ、ご飯を食べに行ったんだけれど、お店の中はガラガラだった。あんなにおいしいのに、どうしてみんなもっと食べに来ないのかな?」

    こんな書き方をする人がいる。

    これって、そのお店を実名入りでけなしているも同然なんじゃないだろうか?

    もしも、わたしがこのお店のオーナーだったら、こんな記事を書いたブロガーを見過ごしてはおけない。

    店がガラガラだろうが、客足が伸びなかろうが、それをインターネットに許可なく載せる権利などその客にはないはずである。

    ブロガーの中には、たまに、まったく人間としてのモラルに無頓着な者がいる。

    思いやりとか、配慮とか、相手の立場に立って物事を考えるということが出来ず、自分のことしか頭にない、心の貧しい人間なのだろう。

    そういう人のブログには、随所に他人よりも自分の方が優れているということが冗談めかしてつづられているが、そうした事実とは程遠い内容は読者を不快にするだけである。

    陰口をたたかれるご家族の心中を察するばかりだ。





    「噂の東京マガジン」で、近頃急に増えて来たヤマヒルの話題を取り上げていた。

    山ガールなる山岳女子が多くなったこともあり、登山ブームの昨今、山の中でヤマヒルを知らず知らずの間に身体にくっつけて下山してしまう人もいるらしい。

    ヤマヒルは、ミミズの仲間で体長4~5センチほど。動物や人間の血液だけを餌としているのだが、このヤマヒルが人の身体に吸いつき血を吸っても、痛みがないので気付かずに過ごしてしまうのが普通だという。

    ところが、吸われた傷口から出る血液は、ヒルが出す毒により、とにかく止まりにくい。

    特段、感染症のようなことにはならないので、傷口にはバンドエイドでも貼り付けておけばいいのだが、いつまでも、ダラダラと出血し続けるので、始末が悪いのだ。

    このヤマヒルが、シカやイノシシ、サルなど山にいる動物に吸いつき、その動物たちが里山から麓の市町村へ下りて来ると、今度は飼い猫や飼い犬につくことで、いつの間にか田畑で農作業をする農家の人たちの身体に吸いつくという問題になっているのだそうである。

    ヤマヒルは、塩や酢酸に弱いので、山へ入る時は軍手や靴下のゴム口に酢を湿らせておくなどすると、衣類の中への侵入を防ぐ効果はあるようだ。

    実は、我が家の近所の石垣にも、ヤマヒルはたくさんくっついている。 

    山道を散歩する時などは、気を付けたいと思った。





    
    で、「平清盛」----話の展開が目まぐるしくて、ちょっと内容が追えない。

    もう少し整理してくれないと、視聴者は何処に気持ちを添わせながらドラマを観ていいのか判らなくなる。

    どうして官位を落とされなければならないのか、どうして都を追われなければならないのか、ナレーションの説明だけでは理解しにくいのだ。

    視聴者置いてけぼりの脚本で、視聴率を上げようとしても無理がある。

    ただ、ドラマの中には必ず一人は見応えのある俳優がいるもので、今回の大河では細川茂樹が圧巻だ。

    あの仮面ライダー俳優が、良い面構えになったものだと感心している。
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Posted by ちよみ at 11:38Comments(0)ちょっと、一息 27

原発反対のデモは是か非か

原発反対のデモは是か非かdiary




    この間、新聞に「原発反対のデモ」に対する、二通りの意見記事が掲載されていた。

    「原発反対デモは、単なるストレス発散の知恵のない集団行動」

    こう断ずるのは、NHKで番組ディレクターなどを務めた経験のある経済学者の池田信夫さんである。

    「国会周辺で行なわれているデモは、『原発は嫌だ』『再稼働反対』という単純な主張を繰り返すだけの建設的対案のないストレス発散集団行動にすぎない。

    ミュージシャンの坂本龍一さんは、『たかが電気』というが、電気というものが如何に人々の命に直結しているものかということが判っていない。電気がなくなれば、国内の雇用は減り、賃金が下がり、職を失う者も出て来ることで生活そのものが出来なくなり、何万人もの人々の命が消えてしまうのだ。

    お金より命、お金より子供の命というのは、非常に無責任な発想だ。

    もしも、『原発反対』を言うのなら、原発の代わりにどうすれば今の状況を維持できるのかという代替案を示しながら発言するべきである」

    これが、池田さんの主張である。



    これに対して、「原発反対デモ」の正当性を主張するのは、デモの主催団体「首都圏反原発連合」のメンバーであるダンサーのミサオ・レッドウルフさんである。

    「首相官邸前でのデモは、目的を脱原発と再稼働反対に絞り、時間設定も金曜日夜として会社員も参加できるようにした。反原発、脱原発に直接関係のない旗は掲げず、組合旗なども認めない。

    運動のやり方が生ぬるいと言われても、しつこく長い時間をかけて圧力をかけることに意味がある。

    原発事故が収まっていない中での再稼働という政府の対応には、多くの人が悲しみを超えて怒りを感じている。

    反原発運動の終着点は、現在の原子力政策を転換させ、全原発を廃炉にすることである」

    これが、レッドウルフさんの主張である。



    双方ともに、もっともなことを述べていると思う。

    池田さんは、

    「反原発運動主催団体は、未来の子供たちの命を守るためのデモだというが、未来の子供だけを守れば、今現に電気の恩恵で仕事をしている人たちを路頭に迷わせてもいいのか?」

    と、言いたいのだろうし、レッドウルフさんは、

    「子供たちの未来を守るためならば、少しぐらいの生活の不便や犠牲は覚悟しなければならない」

    と、言いたいのだろう。

    しかし、いずれにしても、双方の意見とも未だ健康な人間の考え方にしか過ぎない。

    実際問題、世の中には人工透析や人工呼吸器を必要としている人たちも多いのである。

    決して、いずれ就職難が起きるとか、超リストラが始まるとかなどの未来の話ではない。

    今現に電気がコンスタントに供給されなければ、死んでしまう命もあるのだといううことに、気付いていないように感じる。

    電気の供給量が減れば、薬の製造が滞り、命が危険にさらされる人たちも大勢いるのだ。

    では、足腰の弱いお年寄りたちにエレベーターを使うなというのだろうか?猛暑で熱中症になっても、未来の子供たちの命のためにクーラーを付けるなというのだろうか?

    冬、極寒の地に住む人たちに、凍え死ねというつもりなのだろうか。

    口で反原発を唱えることは簡単である。

    原発を安易に容認したくないと思う気持ちは、今の日本人ならばほとんどの人たちがそうであろう。

    しかし、それならば原発反対を主張する人たちには、もう一歩踏み込んだ「電力供給量が減っても、今現在生きている人たちの命や生活は今まで通りに保障する」という確約をも主張して欲しいものである。

    健康な人は、少しぐらいの不便さも甘受できるかもしれないが、今がギリギリのところで生きている人たちもいるという現実をもっと真剣に考えてもらいたい。

    記事を読みながら、彼らの未来想像力は、まだまだ甘過ぎるとしか思えなかった。

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Posted by ちよみ at 16:50Comments(0)ちょっと、一息 27

面白い超法則

面白い超法則icon27




    ネプチューンが司会をしていた「超法則」なる物を取り上げた番組を観て、「あるある」と、頷いてしまった。

    小学生が考えた「超法則」には、

    「お母さんは、電話に出ると、ものすごく声が変わる」
    
    があったが、これは本当にその通りだと思う。

    動物の「超法則」には、犬に鏡を見せると、大人しくなる----というのがあったが、これは不思議だった。

    わたしの家の近所に、いつも人さえ見れば吠えまくっている、通称「人食いワンワン」なる犬がいるのだが、今度鏡をもって行って実験しようかな?(~_~;)

    それから、主に豚肉を扱う飲食店名は、ダジャレが多い----と、いうのもユニークだった。

    「豚(とん)キホーテ」「豚”(どん)だけー」----だったかな?

    そんな中でも、「騙されやすい人の超法則」というのには、人間の心理をついたなるほどと思えることが多かった。

    「玄関に『セールスマンお断り』の張り紙をしている家ほど、セールスマンの格好のターゲット」だそうである。

    つまり、自分は張り紙をはって自己防衛しなければ、悪質セールスを拒否できないと言っているも同然だということのようである。

    エレベーターのボタンを何度も押すようなせっかちな人や、ジャンケンで最初にパーを出す自己開示型の人も騙されやすいのだという。

    これは、わたしも先日男性の気を引くのがうまい女性の例でブログに書いたのだが、セールスマンの目を見ながら話を聞く人は、騙されやすい人でもあるのだとか。

    人の目を見るということは、暗示にかかりやすいということでもあるので、自分が相手を暗示にかけたい時は相手の目を見ることが大事なのだが、それはすなわち相手も自分の目を見ているということなので、そこではより意志の力関係が強い方が、弱い方を操るという結果になるのだと思う。

    女性は、特に相手の言うことに思わず大きく頷く癖がある人が多いので、暗示にかかりやすと言われるそうだ。

    自らが暗示をしかけるのでない場合は、あまり頷くのはやめた方が懸命なようである。

    また、「売れる子役の超法則」というのもあるそうで、

    「売れる子役は、オーディションの時にはしゃがない」

    「大人の話にすぐ『はい』と返事をしないで、じっくり考えてから答える」

    「よく本を読んでいる」

    「父親が童顔」

    などがあった。

    そして、「右利きの人は、四足歩行の動物の絵を描く時、必ず動物の頭を左側に描く」というのも、面白かった。

    で、これは、わたしが本で読んだ超法則。
    
    「自分の会社のことを、『私どもは』とか『当方は』というのではなく、『うちは』というビジネスマンは、気が小さく商談ベタ」

    だそうである。



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Posted by ちよみ at 11:28Comments(0)ちょっと、一息 27

小学校の夢を見る

小学校の夢を見るschool



    小学校の夢といっても、当時の学校生活や友人関係の思い出ではない。

    わたしが子供の頃通っていた小学校の旧校舎そのものが、時々夢の中に登場するのだ。

    明治に建てられた古い木造校舎だったのだが、戦前までは小学校と渡り廊下でつながる構造で、今でいう中学二年生まで通うことが出来る「高等科」も隣接していたので、校舎内はとにかく広かった。

    体育館前の下級生用の玄関には、動物のコウモリがぶら下がっていた。

    25メートルプールもあった。

    低学年の頃は、自分の教室がある棟以外へなど行けば、迷子になってしまうのではないかと思うほど、内部は複雑に入り組んだ作りになっていて、とにかく階段や廊下だらけ。

    校舎の後ろには山が迫り、学校にはお決まりの墓地もあった。

    建物内の一角には温泉も湧いており、湯船まであったところを見ると、当直の先生や用務員さんが使っていたのかな?

    そんなあらゆる場所が、断片的に夢には出て来る。

    階段を上り下りしている白衣を着た科学担当の先生なども、毎回セットで現われる。

    いつも腰を痛そうにしていた。

    高等科のあった棟は、のちに新しい講堂になったように記憶しているのだが、こっそりと探検するのも楽しかった。

    しかし、何故だか、その頃の同級生たちが夢に出て来ることは、ほとんどない。

    同級生と遊んだ記憶は、学校以外の場所での方が鮮明だ。

    夢に出て来るのは、あくまでも旧校舎だけなのである。

    二十年以上前に近代的な鉄筋校舎に建て替えられたのだが、一、二度取材で新校舎の中を歩いてみたが、行儀よくこじんまりしていて、かつての何とも言えないまるで校舎全体が息をしているような不思議な空間の匂いはまったく感じられなかった。    
    
    あの木造校舎、今にして思うが、どうして取り壊してしまったのだろう。

    老朽化は激しかったと思うが、実にもったいない気がする。

    あなたは、卒業した小学校の夢を見ることがあるだろうか?

    中学や高校の校舎は、しっかりとした現実感の中にあるのだが、小学校の校舎は、何故か夢と現実のはざまに浮遊している存在のような気がする。




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Posted by ちよみ at 19:02Comments(2)ちょっと、一息 26

壁にぶつかった時の女性と男性の気持ちの違い

壁にぶつかった時の
女性と男性の気持ちの違いart02




    何か困難に直面した時、女性と男性では、その言動や気持ちにかなりの違いがあるそうだ。

    女性は、まず困難を回避するために他人の力に依存しようとする傾向が強いという。

    「わたしが困っているのだから、誰か助けてくれてもいいでしょう」

    と、思うのである。

    これは、女性が男性よりも傷付きやすくか弱い存在なのだから、そうしてもらって当然という思い込みが、女性の中に無意識に働くためだと考えられるのだそうだ。

    だから、夫や彼氏には、「自分の話し相手になって、一緒に悩んで欲しい」と、思うのだという。

    そのため、自分一人で困難を背負い込むなど割に合わないという気持ちから、ヒステリーを起して周囲を巻き込まねば気が治まらないという、我がままな感情を懐く女性も少なくないのだ。

    一方、男性はというと、困難にぶつかった時は、自分自身で解決するのが当たり前----との先入観があるため、何とか自分だけの才覚で壁を突破しようと考える。

    また、ある程度、そう出来るはずだとの自信もあるので、まずは自分一人で打開策を練るのである。

    が、どうしても、一人では荷が重いとなっても、安易に他人の手を借りようとはしない。

    そして、自力ではどうにもならないと悟った途端、問題解決を先延ばしにして周囲がそれを忘れることを願うのである。

    他人の力を借りてでも問題をすぐに片付けたい女性と、他人の口出しを嫌い解決を先延ばしする男性。

    女性は、「自力で解決しろよ」と、いう男性を、「冷たい人」と、なじり、男性は、すぐに他人を当てにする女性を、「自立心のない我がまま人間」と、見下す。

    こうした性格のギャップをうまく埋めるためには、女性は困難にぶつかっても、何とか自力解決法を考え、男性は問題を一人で抱え込まずに、どうしても困った時は他人に相談することが大事だということのようである。



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Posted by ちよみ at 17:25Comments(0)ちょっと、一息 26

恋は闇の中で育まれる

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    「しのび合う恋を つつむ夜霧よ   知っているのか ふたりの仲を~」♪

    石原裕次郎が歌った『夜霧よ今夜も有難う』のフレーズである。

    恋人同士は、出会ってはいけない運命だった。しかし、夜霧がそんな二人を結びつけた。

    正に、夜という闇の力があればこそ、恋は一層深いものになったのである。

    この歌のように、暗闇や暗がりが人の気持ちを近付けるという理屈は、心理学的にも証明されているそうだ。

    アメリカの心理学者・ガーケンらは、明るい部屋と暗い部屋のそれぞれに男女六人~八人のグループを入れ、一時間にわたり彼らの行動を観察するという実験をしたそうである。

    すると、明るい部屋の中へ入れられた男女は、お互いに離れたところの椅子に腰かけたまま、さしさわりのない挨拶を交わすだけで、それ以上近付こうとはしなかったそうだ。

    だが、暗い部屋の中へ入れられた男女は、最初のうちは離れて腰かけていたものの、やがて同性同士が会話を交わし始め、それが次第に異性間の会話となり、そのうち席を移動し始めるや、男女が寄り添うように座り、中には抱き合う者まで現れたのだという。

    このように、お互いの顔がはっきりとは識別できないような暗がりの中では、人は心のガードがゆるんで、一気に親近感や安心感が増すということが判ったのだそうである。

    誰でも見知らぬ相手に大して自分をオープンにすることには抵抗感がある。

    しかも、体裁をつくろわなければならない相手には、さらにガードが固くなるのは当然の反応である。

    しかし、暗がりにいる時は、その体裁を作る必要がほとんどなくなることで、素の自分をさらけ出すことへの抵抗感が薄れるのである。

    突然の停電やキャンプファイアー、映画館、劇場、店内照明が薄暗い飲食店、お化け屋敷などが恋の芽生えを後押しするシチュエーションになることが多いのも、そういう理由があるからなのかもしれない。

    ところが、こうした親近感を懐くのは、何も男女間に限ったことではなく、同性同士の間にもいえるのだという。

    バーやクラブ、スナックなどは、ほとんどの店が照明を暗くしている。

    ビジネスの付き合いのある人と親しくなりたい場合は、こうした場所を活用するのも良い方法なのだそうである。

    人は、暗がりに不安や疑心を持つものである。

    そこで、知らず知らずのうちに自分の味方になる相手を見付けたいという本能が働くということもあるのだろう。

    あなたに少しばかり今までより親密度を増したいと思う相手がいるのなら、こうした暗がりを利用するという手もあるようだ。

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Posted by ちよみ at 20:55Comments(0)ちょっと、一息 26

点滴台のもう一つの活用法

点滴台のもう一つの活用法npo02




    病院にいると、実に足の悪い人が多いことが判る。

    そういう人たちは、院内へ入ると用意されている車椅子を使ったり、シルバーカーのような歩行器を使うのが常なのだが、患者さんが多い時などは、それらが全て使われてしまっている場合がある。

    また、それほど高齢者でもない人たちは、杖や歩行器を使うのを恥ずかしいと思ったりするものなのだ。

    知り合いのある女性は、院内が広すぎて、あっちで検査、こっちで検査、向こうで診察----といわれる度に泣きたくなるという。

    階段をのぼらねばならない時などは、「もう、帰ろうかと思うこともある」と、話した。

    「エレベーターがあるじゃないですか」

    わたしが言うと、そのエレベーターのところまで行くのも大変なのだそうである。

    実は、わたしも足がほとんど動かなかった時があったのだが、それでも入院中は病院内を自分一人で歩き回ることが出来た。

    それは、点滴台を杖がわりにしていたからである。

    点滴台は、もちろん点滴治療が必要な患者が、院内を動き回れるように押して歩く器具だが、これにはキャスターが付いているので、歩行の補助具としても十分利用が可能なのである。

    空手では五メートルも歩けなかったわたしが、これがあるだけで自由に院内を歩くことが出来た。

    そこで、退院してからは、家の中の廊下を行く時は、キャスター付きの椅子を押して移動することにした。

    これは、なかなかのアイデアで、かなり重宝したものである。

    そんな訳で、もしも、既に使わなくなったような点滴台があったら、病院の入口付近にそれを数台置いておくだけでも、患者さんの歩行器代わりになるのではないだろうか。

    しかも、シルバーカーのような大仰な抵抗感もないし、カバンなどをちょっとかけておくことも出来て便利だと思う。

    知り合いの女性の言葉を聞いていて、ふとそんなことを思いついた。



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Posted by ちよみ at 17:17Comments(0)ちょっと、一息 26

またまた、話題いろいろ

またまた、話題いろいろdiary



    
    「日曜洋画劇場」が、もうすぐ終了するという。

    本当なのかな?

    身体の調子のこともあって、映画館へ行くことがないわたしにとっては、テレビの洋画が楽しみの一つなのだが、事実ならば残念で仕方がない。

    近頃は、映画をテレビ放送するにしても、各局の思惑がらみのものばかりで、番組制作側の意欲がまるで感じられないものばかりだ。

    ジブリ作品(何度か観てはみたものの、何処が面白いのか皆目分からない)や映画公開に合わせての邦画の再放送には、いい加減飽き飽きである。

    何度同じ物を観せれば気が済むのだろうか。

    世の中には、地上波しか観ることが出来ない人も多いのだから、もう少しテレビ局も配慮して欲しいものである。

    昔は、深夜帯にも名画を続々放送していた。

    タイトルの頭の文字が「あ」の映画から始まって、毎日のように放送され、片っ端からビデオテープに録画したものだ。
 
    今は、大晦日やお正月でも、映画を放送しなくなってしまった。

    テレビがますますつまらなくなりそうだ。





    民主党の総裁選立候補者の公開討論会が放送されていたが、観ていてまったく気が入らなかった。

    誰が総裁になっても消費税は上がるし、世の中の不景気は直らない。

    自民党も石原さんが総裁になれば、もしかしたらそのまま総理になるかもしれないし、父親が都知事で、息子が総理大臣なんて世襲制の極みだ。

    想像しただけで、SFドラマでも観ているような気分になる。

    これほど、将来の展望に期待できない総裁選も珍しいし、日本維新の会の動向など観るにつけても不快になるだけだ。

    身内だけで和気藹々とはしゃいでいる人たちには、何の展望も感じない。

    そうだ・・・。

    わたしは元来、坂本龍馬が好きではなかったんだ。

    だから、維新とか船中八策などという言葉にアレルギー反応があるんだな。

    維新って、一般市民が武士政権の世を倒すということで、代わりに担いだのが朝廷なわけで、その根底にあるのは、武士階級に対する大いなる嫉妬心だったんだと思う。

    誰かさんも、そういうところが十分あるようだ。

    でも、朝廷側がそんないわゆる成りあがり者を心から信用したかといえば、それはまた別の話なんだけれどね。




    街で大学生の一団と出会った。

    「合宿ですか?」と、訊ねたら、同じ大学内の部活交流会だと言う。

    「今が一番楽しい時期だから、思い切り楽しんで。就職すれば、交流会も上司や同僚への付き合いになって、心から満喫なんか出来ないよ」

    と、話すと、そうですか・・・と、神妙な顔つき。

    男子も女子もしっかりとした口調で話し、皆とても礼儀正しい。

    こういう夢にあふれた子供たちの未来を裏切るような政治だけは、決してして欲しくないものである。

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Posted by ちよみ at 18:20Comments(2)ちょっと、一息 26

好きな男性に自分を印象付ける方法

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    合コンなどで決まって男性たちの注目を浴びる女性っているものだが、そういう女性は、確かにファッションセンスも良く、容姿も美しく、性格も明るく、微笑みを絶やさないというわけで、男性でなくてもつい魅了されるような人であったりする。

    「あたしなんかとは、生まれながらに持つ素材が違うのよ」

    そんな女性を見ると、思わず、そんな愚痴さえ口から飛び出してしまうこともあるだろう。

    しかし、男性たちが注目しているのは、本当に彼女の容姿やファッションだけなのだろうか?

    いやいや、そんな単純なことではないはずだ。

    容姿の良し悪しなど、若い時は、美人も不美人も顔のパーツの位置が一ミリ大きいか小さいか、高いか低いかの違いだけなのだから、厳密に考えればそれほど差異はないのである。

    では、何が彼女たちに差を付けているのかといえば、可愛らしい声であったり、話題の豊富さであったり、要は自己アピールの仕方が身についているか否かということが、彼女に付加価値を与えているに過ぎないのだ。

    では、そんなモテ女の様子をじっくりと観察してみよう。

    彼女は、意中の男性を見付けたとき、まず自分の何を相手に印象付けるであろうか?

    それは、目である。大きな瞳を精一杯見開いて、相手の男性をひたすら見詰める。

    微笑みを浮かべながら、大きく頷き、男性の話に耳を傾けて、男性の仕草に同調性を見せる。

    たとえば、男性が飲み物に手をつけたら、自分も同じようにするとか・・・。

    そして、必ず相手の話に同意する。が、それを長時間は行なわず、きりの良いところで、今度は別の男性の方へも関心を示す。

    そうやって、無意識のうちに一人の占有にはならないという「希少価値の法則」までも実践しているのである。

    それが、恋愛にまで発展するかはお互いのフィーリングにもよるのだろうが、間違いなく相手に自分を印象付けることは可能だそうである。

    でも、どうしてもその男性をもっと自分の方へ引き付けたいのなら、何気に「好き」と言ってみよう。

    「あなたが好き」という露骨な言い方でなくても、「あなたのネクタイの柄、好きだわ」「野球が好きなの?あたしも大好き」と、そんな具合にさりげなく・・・。

    これだけでも、男性のあなたに対する好感度は、かなりアップするはずである。----たぶん。

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Posted by ちよみ at 21:26Comments(0)ちょっと、一息 26

お茶やコーヒーの夢を見たら

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    夢の話には興味がないという人が、ナガブロ読者には多いようだが、それは夢など覚えていないという爆睡型の人が多いせいなのかもしれないな。

    まあ、健康な睡眠が取れている証拠でもあるので、それはそれで結構なことである。

    が、今回、ある人から「飲み物の夢には、どんな意味があるのか?」と、訊ねられたので調べてみた。

    その人は、夢の中にしょっちゅう喫茶店やレストランで、友人や知人と飲み物を飲む夢を見るのだそうだ。

    あまりこれが頻繁だと、実際に喉が渇いているということなのだと思うのだが、この夏の熱帯夜では、かく汗の量も半端ではないので、そんな夢を見るのかもしれない。

    ただ、飲み物の夢は、その出て来る飲み物が冷たいか熱いかだけでも、暗示の意味が変わってくるらしい。

    まずは、元々は熱いのに時間が経ってしまい冷めたコーヒーやお茶を飲む夢である。

    これは、あまり良い夢とは言えないようで、恋愛面でのトラブルが予期されるという。

    しかし、水を飲んで渇きが癒される夢であれば、日常生活が順調に行くということで、甘酸っぱいレモネードや甘い炭酸飲料などをグラスについで飲む夢ならば、あなたが周りから注目される存在になる可能性があるという意味だとか。

    また、缶ジュースを飲む夢は、嬉しい出来事が起きる予感----だそうである。

    では、温かいお茶やコーヒーを飲む夢はどういうものかといえば、ラブチャンスに恵まれたり、異性との会話が弾むという暗示で、これがミルクコーヒーやカフェオレだった時は、嬉しい知らせが舞い込む予兆だそうである。

    そして、そのお茶やコーヒーを、あなた一人で飲んでいる場合は、仕事での独立のチャンスが転がり込むかもしれないということで、あなたが親しい人たちと一緒にお茶を楽しんでいる夢ならば、その人たちともっと親密になりたいと思っている証だそうだ。

    それには、もっと誠実さを心がけなさい----とのアドバイスも含まれているのだということである。

    因みに、ワインの夢は、あなたの感性が特別鋭くなっている証拠だそうで、ひらめきを大切にすると、幸運に恵まれるかもしれないそうだ。

    だが、そのワインを誰かのグラスについでいる夢は、あなたのペースを乱そうとする邪魔な存在が近くにいるのかも。周囲に振りまわされないように、自分をしっかり持つことが大事だそうである。

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Posted by ちよみ at 18:19Comments(0)ちょっと、一息 26

女性には判らない男性心理

女性には判らない男性心理volunteer




    若い女性を見ると、髪の色がほぼ同じせいなのか、顔立ちが似通っているせいなのか、皆、同一人間に見えてしまう今日この頃である。

    鼻孔に反響する甘えるような鼻声を出すのが、最近の若い女性の特徴だが、そういう声しか出せなくなっているのは、おそらく顔の骨格にも関係があるのだろう。

    というわけで、声までそっくりなのだからビックリだ。

    それはそれとして、若い男性に、「最も面倒くさい」と思うのは、どんな女性か?と、訊ねれば、たいてい同じような答えが返ってくるという。

    「しつこい女性」

    「彼女面する女性」

    「あたしのこと好き?----って、何度も訊いて来る女性」

    彼女なんだから、彼女面するのは当然でしょう----と、女性は考えがちだが、あに図らんや、男性からすると、

    「母親や女房でもないくせに、いちいち世話を焼いたり、おれのことを自分だけのものみたいな顔するなよ」

    と、いう反応になる。

    このブログにも再三書いているのだが、彼がメールに仕事の話題しか返して来なくなったら、それはそんな女性に興味がなくなったということ。

    そして、彼からのメールの返信が来なくなったら、明らかにその女性のことが厄介になったということ。

    男性は、決して自分からは、「別れよう。僕にはきみは必要なくなった」などということは言わないし、女性からすれば、いとも狡猾に何となくの自然消滅を狙うものなのだ。

    にもかかわらず無理を押して、「はっきりとした別れ言葉を聞かないと、踏ん切りがつかない」などという女性は、彼に未練タラタラということを暗に語っているも同然で、彼からしてみれば、「やっぱりウザい女」としか思えない。

    情にほだされて、「こいつ、案外可愛いところあるな・・・」なんて思い直すだろうなどという甘い展開は、絶対にあり得ないのだ。

    ただ、数カ月もたってから、またメールを送って来るようなこともあるだろうが、それは元彼の単なる気まぐれで、本命の彼女とのデートがその時たまたまドタキャンになっただけのこと。

    女性の方から賢く事情を察して、すっぱりとケリを付けておかないと、いつまで経っても大勢いるただのガールフレンドの中の一人のままである。

    もしも、彼が自分を擁護し、女性の悪口を言い出した時は、保身というよりはそれだけその女性を嫌っているという紛れもない証拠。

    罪は、むしろそんな暴言まで彼に言わせるように仕向けた女性のしつこさの方にあるのだと心得よ----と、心理学者は説いている。
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Posted by ちよみ at 16:40Comments(0)ちょっと、一息 26

お人好し・・・かも?

お人好し・・・かも?icon09




    外湯からあがって家へ帰る道すがら、一台の乗用車が近くに止まって、助手席の年配女性が、

    「〇〇旅館は、何処ですか?」

    と、訊ねてきた。

    「それなら渋温泉ですね。ここからでしたら、あ~行って、こ~行って・・・」

    と、教えながら、ふと思った。

    わたしのような人間でも、観光客に渋温泉は何処かと訊ねられれば、早く家へ帰って髪を乾かしたい足を止めてでも丁寧に道案内をする。

    かつての渋温泉を盛りたてた年配者たちには、街中をにぎわせ活性化させたいという意気込みや誠実さがあったので、多くの町民も観光に協力しようという気構えをもっていた。

    しかし、現在、渋温泉の若手経営者の中には、他の温泉場や商店のことを宿泊客に訊ねられても、「そんなところにお店はありません」とか「他の温泉場のことなど知りません」と、答える者もいる。

    ある観光客は、「渋温泉以外に、町内には商店などありませんと言われたので、おかしいと思ったのよ」と、首を傾げていた。

    とにかく、自分たちのことしか考えない者が町の観光業に携わっているというのは問題である。

    今回も、渋温泉の某旅館への行き方を観光客に伝えながら、我ながら「何というお人好しだろう」と、内心後悔した。

    渋温泉の人たちには、先日のテレビ放送に登場した女性たちの町の観光への心意気を、改めて学び直して欲しいものである。

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Posted by ちよみ at 21:12Comments(2)ちょっと、一息 26

ホームページからお申し込みを?

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    わたしの世代には、まだまだネットアレルギーの人がごまんといる。

    そういう人たちは、インターネット通販など、嘘臭くてとても使う気になどなれないと言う。

    そんなわけで、インターネットからしか申し込めないとか、インターネットでしか説明が読めないような経営方針の企業や学校などには、はっきり言って信用が置けないのだ。

    「ホームページに必要事項を書き込み、ご応募下さい」

    などといい、電話番号はおろか住所さえも教えようとしない会社は、まったく胡散臭いとしか思えない。

    ホームページはもちろん読めるが、申し込みや問い合わせは、やはり電話で相手の声を聞いたり、書類を交わしたりして行なえなくては心から交渉成立の実感がもてないのだ。

    メールなどというものは、おもちゃの類だと信じている年配者も少なくないし、わたしも未だそれに近い感覚がある。

    自筆でサインをして、印鑑をおさなければ、本物ではないという認識の方が強いのだ。

    だから、友だちや家族などとの会話はメールでも事足りるが、ホテルの予約とか販売元に不確かなことを訊ねる場合、「インターネットでお申し込みを」などというところは、まず敬遠対象になってしまう。

    人間は、ネットのような顔の見えない、声の聞こえない者同士のやり取りに甘んじて、一方通行な通信しか出来ないような横着をするものではない。

    世の中には、パソコンや携帯電話、スマホなど別の世界の話だと思い込んでいる人は、まだまだ多数いるのだ。

    インターネットが当たり前のような言い方は、そういう人たちに対しても失礼千万である。

    ホームページをネットに載せるのは結構だが、「お申し込み、お問い合わせは、お電話でも承らせて頂きます」の一言と、電話番号、住所は、必ず記載して欲しいものである。

    最近のインターネットにばかり頼りたがる企業や経営者の風潮は、お客が弄ばれているようで、実に不愉快としか言いようがない。




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Posted by ちよみ at 15:43Comments(2)ちょっと、一息 26

「ディア・ドクター」を地て行く?

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    東京都板橋区の私立病院で、40代の男性が実在の医師の名前をかたり、非常勤医師として健康診断に関わっていた疑いがあることが8日、分かった。病院側が記者会見で明らかにした。男性が関与した可能性がある受診者は約2300人に上り、うち約110人の健診結果を訂正したが、命にかかわる重大な見落としはないという。病院は健診結果を精査するとともに再受診の手続きを進めている。
    男性は偽造された医師免許証のコピーなどを使っており、病院側が事情を聴いたところ連絡が取れなくなった。他にも複数の病院で働いていたとみられ、病院側は医師法違反容疑などで警視庁に告発する方針。
    病院によると、医師会を通じて区から健診事業を受託。病院は医師人材紹介会社を通じて非常勤医師を募集し、男性を    2010~11年に採用した。この際、免許証のコピーなどが同社から送られてきた。
    男性は2年間のうち44日間、健診で採血や胸部レントゲン、受診者への結果説明などに関わった。健診以外の医療行為はしていない。(YAHOO!ニュース)



    最近、医療系ドラマなどが華やかなせいか、医療現場で働くことに憧れる人たちが多くなったといわれる。

    そのため、医師になることを希望する人たちも急増しているのだが、どれほど以前に比べて各大学が入学合格者数を増やしたとはいえ、やはり大学の医学部や医科大などは、それなりに学費もかかるし、未だ狭き門であることには違いはない。

    様々な理由で、医師になるという希望がかなわなかった人たちの中には、他の医療系の職種を目指す者も少なくないそうである。

    この偽造医師免許を提出し、医師の業務を行なっていた男性も、かつてはそんな医療系専門学校に通った経験があるらしいと、ニュースでは報じていた。

    以前、東日本大震災の被災地でも、偽物の医師が診療行為をしていたという事件があり、近年このような偽医師が患者の治療にあたったという問題が後を絶たないのは何故なのか?

    そこにはやはり、映画「ディア・ドクター」を地で行くような医師不足の現状があるからであろう。

    たとえ、偽医者でも地域には医師が必要なのだ----そんな喉から手が出るような医師急募を掲げる自治体にとっては、要請に応じてくれる医師ならば、身元の詳細確認など、むしろ失礼にあたるとさえ考えて手続きを遠慮してしまうこともあるのだろう。

    メディアに関しては、テレビドラマや医師タレントが活躍する等の影響もあるだろうが、日本の歴史上、これほど医師という職業が国民の身近なものとして捉えられた時代はないのではないかと思う。

    そうはいっても、白衣を身につけさえすれば、それで医師になれると思い込む人がこれほどいるというのは、考えれば怖いことである。

    「ディア・ドクター」のPRフレーズである「その嘘は、罪ですか」という問いかけだが、こうした事件を踏まえれば、今の現状では明らかに「犯罪」であるとしか言えないだろう。

    今回もこの偽医師による健診を受けた人たちに、特段重大な誤診がなかったからよかったものの、一つ間違えれば大変な病気を見逃した可能性もあったわけで、その可能性があった受診患者が約2300人という数には驚くばかりだ。

    ぜひ自治体や各病院関係者には、この事件を教訓に、今後の再発防止に向けて神経をとがらせて欲しいと思う。


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Posted by ちよみ at 19:04Comments(0)ちょっと、一息 26