またまた話題いろいろ

またまた話題いろいろicon28




    ビッグマックの調理法というものがユーチューブに公開されてからの再生回数は、二カ月余りで約200万回に達したという。

    そこでは、味のポイントとなるバンズ(パン)に塗るソースのレシピは、マヨネーズに刻んだピクルス、マスタード、白ワインビネガー、ガーリックパウダー、オニオンパウダー、パプリカパウダーを混ぜ合わせたものだということも紹介されたそうだ。

    で、とてもこれだけの調味料は揃えられないので、手近にあるもので、それなりに混ぜ合わせてみた。

    まずはマヨネーズ。ピクルスの味は酸味と甘みなので、ポッカレモンと砂糖で代用。

    さらにマスタードはないので、和がらしで代用。白ワインビネガー、オニオンパウダー、パプリカパウダーは無視するとして、ガーリックパウダーを入れる。

    これらを良くかき混ぜてからトーストしたパンに塗ると、なるほど、なかなかの美味である。

    また一つ、パンに合うソースを発見した。face02




    商売をしていると不思議な客が来ることがある。

    店に入って来るなり、

    「これしか商品がないんですか?」

    と、言う。こちらが、「どれほど大量にご入り用なんですか?」と訊くと、客は変な顔をして立ち去った。

    また、ある客は、入って来るなり、

    「トイレを貸して下さい」

    と、言う。案内すると、

    「これしかないんですか?」

    と、言う。こちらは、「あなた、いったい、幾つ身体を持っているんですか?」と訊くと、これまた奇妙な顔で出て行った。

    最近は、実に意味不明な客が多い。

    彼らは、いったい何を目的にやって来るのだろうか?face03




    殊に若い人たちが口下手になったのは、インターネットが普及し過ぎたためだという。

    文字で書き込むのはスラスラ出来るのだが、いざ、実際に言葉を口に出す段になると、まったく思考回路が働かない。

    言語能力が視覚とリンクしないと機能しなくなっているのだそうだ。

    そういえば、キーボードを打つのがまだおぼつかない頃は、逆にパソコンを使いながら同時に文章を考えることがほとんど出来なかった。

    一度紙原稿に書いた物をパソコン画面に写すのは出来ても、文章を考えながら打鍵するのはかなり難しかったように記憶している。

    文字を手書きすることが当たり前の脳は、容易にはワープロ脳に変換できない仕組みなのかもしれない。

    でも、さすがに四年近くもパソコンをいじっていれば、打鍵しながら考えることも出来るようになって来た。

    慣れとは恐ろしいものである。


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Posted by ちよみ at 10:05Comments(0)ちょっと、一息 30

「嘘!」を連発する女性

「嘘!」を連発する女性face09




    「戦中生まれは、おしなべて教養がない」

    近所の80代女性の口癖である。

    産めよ増やせよの時代に誕生した世代だけに、世の中がひどい食糧難にあえいでいる頃、親も子供を食べさせることだけで精一杯のため、教育や教養までも手が回らなかった年代ということなのだろう。

    そんな世代の70代前半の知り合い女性の一人に、ことあるごとに、

    「嘘!」

    を連発する人がいる。

    わたしが共同浴場に入った時、まだ日が高い時間だったので節電も考えて浴室内の照明をつけるのを躊躇い、そのまま入浴していると、しばらくして蛍光灯がつき、その女性が入って来た。

    「やだ、あんまり暗かったから電気つけて来たけれど、誰が入っているのか---って思っちゃった」

    「ええ、さっきはまだあまり暗くなかったので、電気なしで入ったんだけれど、急に暗くなったみたいですね」

    と、わたしが言うと、その女性は、わたしの言葉が終わらないうちに、

    「嘘!」

    と、叫ぶように言ったのである。この一言に、こちらはカチンと来た。

    嘘とはどういうことか?こちらは本当のことを言ったに過ぎない。それを嘘というのなら、その証拠を見せてみろ!

    そう反応したくなるようなほど非常識な言葉である。

    そういえば、バブル期前、何かと言えば「嘘!」を連発するのが若者たちの間で流行ったことがあった。

    まさか、その言葉を未だに若者言葉だと勘違いして使っているわけでもないだろうが、「嘘!」という一言が、どれほど相手の気持ちを逆なでするかまで、彼女の貧困な想像力では考え及ばないようであった。

    その話を80代女性にしたところ、

    「仕方がないさ、食って寝てただただ生きることしか知らないような世代だからね。こっちが大人にならないと・・・」

    と、苦笑いした。

    でも、そういう世代がわたしたちの上にいるとすれば、彼らが介護される側になった時、どんな世の中になるのだろうか?

    息をするかわりに「嘘!」を連発されたのでは、真面目に介護をしてやろうという気もなくなろうというものである。


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Posted by ちよみ at 17:42Comments(0)ちょっと、一息 30

巨大街コンを分析する

巨大街コンを分析するhouse



    昨夜のNHK長野局の番組「知るしん」では、先日松本市で開催された巨大街コン「松コン」についての特集を取り上げていた。

    近頃、全国で開催されている参加者1000人、2000人規模の街コンだが、どうして、このような合コンが盛んになったのかを、番組では専門家の分析を合わせて紹介していた。

    巨大合コンには、主に二つの目的があるという。

    一つは、文字通り、若い男女に出会いの場を提供し婚活を目的とするため。

    もう一つは、街全体を合コン会場と見立てることで、若者たちに様々な飲食店を紹介し、閉塞的な街の経済を活性化するという目的だという。

    この「松コン」は、これで二回目の開催だそうだが、主催者側が前回参加した男女にアンケート調査をしたところ、

    「同じテーブルについた相手と年齢差がありすぎて、話が合わずにつまらなかった」

    「こっちは、真剣に結婚相手を探しに来ているのに、隣に座った相手が既婚者だった」

    と、いうような発言もあり、今回は、参加者全員に自分のプロフィールや希望する相手の年齢や経歴などを書き込むマッチングシートを用意してもらい、それを参考に対面する相手のグループを決め、また参加者にもマッチングシートに書かれている事柄を会話のきっかけとして活用してもらうという方法をとったそうである。

    スタジオでは、この街コンの様子をVTRで観ながら、アナウンサーが専門家の女性に色々質問を投げかけていた。

    「どうして、今の若者たちは、ここまで至れり尽くせりで合コンをセッティングしないと、結婚相手を見付けられないのか?」

    という質問に対して、専門家の答えは、

    「彼らは、いわゆるゆとり教育世代よりも年齢的にはやや上の世代なのだが、それより上の世代に比べても競争社会の原理を知らない人たちなのだ。学芸会では皆が主人公を演じたような学校生活を送った彼らには、相手を打ち負かしても意中の人を奪いたいというような積極性はない。

    しかも、かつては街の中に大勢いた男女の仲を取り持つお節介おばさんがいなくなったのも、独身男女を増やす原因になっている。そんなお節介おばさんの役割を、こうした地域の街コン実行委員会が肩代わりしているわけだ」

    というものであった。しかも、

    「かつてのバブル期に若者だった人たちは、高い向上心や野心もあり、田舎で就職するよりも都会へ出てひと旗揚げたいと思ったものだが、今の若者たちはそれほど大きな夢を持たない。地元で就職して、地元で結婚し、子供をつくり、地道に生活の基盤を固めたいという気持ちが大きい。

    それには、見ず知らずの人が主催する合コンなどへ参加するよりも、身近な人たちが主催する合コンに参加する方が安心感があるということで、こうした地域密着型の街コンが流行るのではないか」

    と、分析していた。

    今度は、長野市でもこの街コン「長コン」が開催されるという。

    こうした巨大合コンをきっかけに結婚相手が見付かれば、それはもちろん幸いだが、出会いの経験が少ない若者たちにとっては、これを機会に異性との会話を楽しむだけでも人生の張りあいになるのではないだろうか。

    多種多様な意見の交換が出来れば、知識の幅も広がり、人間的厚みも増すことになる。

    人が一番自分を解放できるのは食事をしている時だともいわれるので、異性との出会いを求める独身者は、一世一代の婚活なのだと神経質にならずに、あえてレクリエーション気分で参加してみるのも人生勉強になるのかもしれない。
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Posted by ちよみ at 15:28Comments(0)ちょっと、一息 30

自分は何故嫌われるのかと悩む人へ

自分は何故嫌われるのかと悩む人へvolunteer




    「どうして、自分は他人から好かれないのだろう?何故、一度は友だちになっても、すぐに離れられてしまうのか?」

    そんな風に悩む人は、案外多いものだ。

    職場の同僚たちの集まりがあっても、声をかけてもらえない。

    上辺の付き合いは出来るが、それ以上は拒否されてしまう。

    そういう人は、たいてい、自らが本当の自分を見せることを拒否している人だといわれる。

    そういう人は、自分に自信がない人でもある。そして、そういう自信のない自分を他人に知られたくないがために、わざと自信のあるふりをする。

    無理にでも明るくふるまったり、出来ないことを出来ると言ってしまうことさえある。

    そういう見え見えの虚栄心は、黙っていても自然と相手に伝わるものなのだ。

    偽物の立派さや強さをアピールすると、どうしても不自然さが付きまとうもので、それがその人の印象を胡散臭いとか姑息に見せるのだという。

    時々、やたらに自身をマスコミに露出したがる人がいるが、特別取材対象になるような職業についているわけでもなく、何かの賞を受賞したという経歴もなく、著名人とか有名人というわけでもない。

    では、

    「いったい、あなたは何者?」

    と、訊きたくなるような人もいる。

    中身が伴わないのに、名声だけを欲するような人も、やはり周囲からは敬遠の対象となりやすい。

    本当の自分を見せることなく、他人の共感を得ようというのも虫の良い話だ。

    しかし、勘違いしてはならない。一見、何もかもさらけ出しているように思えても、実はそれすらも計算ずくという人もいる。

    そういう人は、結局自分の最も核心部分には、絶対に踏み込ませようとはしない---周りには、赤裸々な本音に思わせる部分さえもダミーだということだってあるのだ。

    それを長年の習慣として無意識下で行なってしまっているがために、自分が何故嫌われるのかが想像できないのである。

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Posted by ちよみ at 21:23Comments(0)ちょっと、一息 30

恥さらしのジョーク

恥さらしのジョークface09



    ゲッ!!

    ノータイトルで公開してしまった!(~_~;)

     フランス人コメディアンのローラン・リュキエが、サッカー日本代表のゴールキーパー川島永嗣選手の腕を4本にした合成写真について「福島原発事故の影響か」と揶揄(やゆ)した問題について、自身のツイッターで「表現の自由」を主張した。

    現地時間12日に行われたフランス代表との国際親善試合で、日本代表は川島選手の活躍もあり1対0で勝利。これを受け、リュキエが司会を務めるフランス国営テレビ「フランス2」の番組では、川島選手の活躍ぶりを示すためか、彼の腕を4本に合成した写真を映した。その際にリュキエが「福島の影響ではないか」と冗談めかして発言したことが大きな問題になり、フランスの外相や、テレビ局が相次いで謝罪する事態となっていた。

    当のリュキエはこれまで沈黙を守っていたが、「あなたの福島についてのジョークは日本に住むフランス人のわたしを恥ずかしくするものだ」とのツイートに対し、「恥に思う必要はない。フランスが、コメディアンが自由な表現をできる国であることを誇りに思うべきだ」と今回の件は「表現の自由」に基づくものだと返答。

    「ゴールキーパーがチェルノブイリの近くに住むウクライナ人だろうと、フェッセンハイム原発の近くに住むフランス人だとしても同じジョークを飛ばしただろう」と続け、「日本、ましてや福島の被害者を揶揄(やゆ)しての発言ではなかった」と主張。「原子力もこのような議論も終わりにしよう」と結んでいる。



    このリュキエというコメディアンが、本気で赤文字のようなことを発言していたのだとしたら、彼はコメディーの本質を履き違えているとしか思えない。

    本物のコメディーとは、特定の誰かを不愉快にするものではないし、フランス人特有のウィットに富んだジョークだというのなら、かなりお粗末な素人芸だ。

    とても、公共の電波を使って顔を出すようなプロのレベルではない。

    開き直りにしても悪意が感じられ、正に「フランス人の恥さらし」という名前にふさわしいであろう。

    言うに事欠いて、「ゴールキーパーがチェルノブイリの近くに住むウクライナ人だろうと、フェッセンハイム原発の近くに住むフランス人だとしても同じジョークを飛ばしただろう」とは、彼はもはや全世界を敵に回す覚悟さえあるようだ。

    原発事故の真の恐ろしさを知らない無知蒙昧な人間とは、こうも論外な発言をするものかと、彼の両親も息子に言葉を覚えさせたことを後悔していることであろう。

    「表現の自由」---?

    それは普通の人間的感性を持った者のいう言葉だ。





     日本代表のGK川島永嗣(29=スタンダール)が当地で、東日本大震災の被災地に向けた会見を開いた。フランス国営テレビが、川島の腕が4本ある合成写真を映し「福島(第1原発事故)の影響」と発言したことに対して「冗談にもならない」と反発。さらに「福島には、いまだに家に帰れない人もいるんです。世界中の人々が日本を救って欲しい」と訴えかけた。

    初冬を迎え周囲の木々が紅葉した練習場から会見室に入ってくると、川島はしっかりした口調で語った。日本代表として出場した12日フランス戦後、フランス国営テレビが、自身の腕が4本ある合成写真を放送。司会者が「福島(第1原発事故)の影響ではないか」と発言したことは現地でも大きな波紋を呼んでいる。




    川島選手は、良く辛抱したと思う。

    ここまでされれば、放送局とリュキエに対して法的措置を考えても何ら不思議ではないくらいだ。

    リュキエは、「日本、ましてや福島の被害者を揶揄(やゆ)しての発言ではなかった」と言い訳しているようだが、ならば川島選手ならば揶揄していいということであろうか?

    川島選手の腕が四本になったのが原発事故の影響ならば、それは福島の人たちも皆腕が四本になっていなければならない理屈になる。

    詭弁も大概にせよといいたい。

    三流コメディアンのバカげた一言で、世界中が憧れるフランスの芸術性や威厳は、はかなくも枯れ葉のごとく舞い飛んでしまった。
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Posted by ちよみ at 18:01Comments(0)ちょっと、一息 29

ブログに見える性格いろいろ

ブログに見える性格いろいろdiary



   
    時々、クリックする、あるおしゃれなブログ。

    美しい西洋の庭園などが写真でアップされていて、どんなブロガーさんが書いているのか羨ましくさえあるが、こんな生活は映画の中の出来事としか思えないわたしのようなガサツ者のブログとは、雲泥の違いである。

    ブログには、書いている人のセンスや個性がにじみ出る。

    ブログに自分なりのカスタマイズを行ない、サイドバーにたくさんのリンクを張り付けている人は、何事にもこだわりの強い人で、自家用車の内装なども徹底的に自分流を貫く個性派なのだろうと思う。

    これとは逆に、ブログの体裁はごくあっさりとしていて、余計なものは一切排除しているような人は、何事においてもあまり執着ということがない人で、その時の気分しだいで自由にブログを使える大様さも持っているのではないかと想像する。

    テンプレートをしょっちゅう交換する人には、二通りの性格があるように思う。

    一つは、季節に応じて毎年定期的に替える人。

    こういう人は、規則正しいことが好きで、世間体を気にする繊細さを兼ね備えているものの、注目を浴びたいという密かな向上心も高い。

    一方、何の脈絡もなくその時の気分しだいで、夏でも冬バージョンを使ったり、季節感など無視して交換する人は、人生も行き当たりばったりの「明日は明日の風が吹く」といった感情優先、夢見るタイプ。

    そして、長年にわたり、一度もテンプレートを替えることなく淡々と同じ調子で、自らが定めた規則に忠実な形態で地道に書きすすめている人は、保守的、真面目な半面、面白みがない面倒くさがり屋といった側面があるようだ。

    明るめの色やデザインのテンプレートを好む人は、社交性のある明るい性格。または、そういう性格に憧れている人。

    暗めの色やデザインのテンプレートを好む人は、自分の世界観を大切にする気真面目なタイプ。

    無機質なデザインのテンプレートを好む人は、理論派で知的な感性の持ち主か、そういう大人に憧れている人。

    ほぼ白で統一されているテンプレートを好む人は、束縛されたくない自由人。外見よりも中身重視の詩人タイプ。

    ----なんて、勝手なことを思い描いているこの頃である。face03

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Posted by ちよみ at 21:25Comments(6)ちょっと、一息 29

またまた雑感いろいろ

またまた雑感いろいろface09




    昨夜の雨の影響か、今日はかなり寒い。

    山には雪でも降るんじゃないだろうか?

    沖縄では、また米兵による女性への集団暴行事件が発生した。

    アメリカの海兵隊では、「沖縄へ行けば、何でも好きなことが自由に出来るから、思い切り羽を伸ばせ」とでも、教えているのではないかと思うような、呆れ返った事件である。

    街を普通に歩いている女性が、いきなり追いかけられて襲われるなど、米兵とは、トラやライオンなどの猛獣と大差ない。

    猛獣が街に野放しにされているのだとしたら、捕獲チームが随時警備にあたる必要があるだろう。

    沖縄県警は、もっと巡回の回数を増やし、街の至る所に監視カメラを設置するなど、警戒態勢を強化すべきではないだろうか?

    森本防衛大臣は、「今後このようなことがないように、アメリカ軍へ強く抗議する」とは言っているが、バカの一つ覚えのように何度同じ言い訳を繰り返すのか、沖縄県民の我慢も既に限界のはずだ。

    オスプレイの訓練飛行を妨害するために、凧をあげている抗議派の人々もいるそうだが、これに文句を言うアメリカ軍の兵隊教育がこの体たらくでは、彼らに凧あげを非難する資格などない。





    で、東日本大震災の被災者のための復興資金だが、被災地のためにはほとんど使われていないことが判り、問題になっているとのこと。

    どうやら、政府が掲げた、「日本の再生なくして被災地の復興はない」という文言が、こうした復興資金の垂れ流しを許したという背景があるらしい。

    そのために、復興資金が、被災地とは直接関係もない東京の競技場修復工事に使われたり、一部の中小企業にいたっては、それこそ地震被害とは何の結びつきもないのに、日本再生のためという屁理屈をつけて融資を申請したというところもあったそうだ。

    経営していた印刷所を津波で流され、借金の返済もままならない被災地の印刷屋さんは、何度も経営資金の融通をお願いしたが門前払いを食わされたと、心底憤っていた。

    「東北人が優しいから、舐められているとしか思えない」

    そんな霞が関への怒りが、被災者の間には確実に広がり始めている。

    この災害は、文字通り東日本大震災である。東日本(主に東北)以外の関係者に復興資金を回すこと自体が、そもそも間違っているのではないだろうか。

    お昼の報道番組では、「東京のひび割れを直す方が、東北の人々の生活よりも優先されるなんて絶対に変だ。『東北の復興なくして、日本の再生はない』----これが本来の政府の言葉だろう」と、コメンテーターたちが口々に反論していた。




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Posted by ちよみ at 17:39Comments(0)ちょっと、一息 29

よもやま話 3

よもやま話 3icon03



    
    雨が降っている・・・。

    こんな鬱々とした日は、 時々、誰かれなしのブログをクリックして開けてしまう。(因みに、ナガブロではありません)

    途端、目に飛び込んできた文章・・・は、

    旦那と妻ブロガーののろけ話のオンパレード。(ーДー;)

    なんて、ブログを開けてしまったのか----と、ガックリくる。

    しかし、何でも書いていいとはいっても、良くもここまで旦那LOVEを声高に叫べるものだなァ。

    幸せな人は、その幸せ感を誰かにアピールし、自慢したくて仕方がなくなるようだ。

    自分の旦那のことをハンサムだとか、素敵だとか----「女房妬くほど亭主モテもせず」という言葉を知らないのかね?

    ま、まだ新婚さんなのかもしれないが、変わったブログもあったもんだ。




    そういえば、この間の「ネット依存症のママが増えている」の番組で取り上げていたのだが、近頃は「ヌードになるママ」というのも流行っているらしい。

    妻がヌードになることを許す夫も夫だが、そんなヌード大好き妻(バツ2)曰く、

    「自分が綺麗だということを確認することで、変わり映えのない所帯じみた生活に張りが生まれる」

    とのことだった。だが、子供たちは、

    「どうせ写真を撮るなら、服を着て撮って欲しい」

    と、呆れていた。子供たちの感性の方が至極まとものように思うのだが、彼女は自分のヌードが美しいと信じて疑わない。

    傍から見れば、自己陶酔型が病的に高じているとしか思えないのだが、彼女自身がやたらにハイテンションのため、周囲も既に諦めムードだ。 

    こりゃ、三度目の離婚も秒読みか・・・?と、思わせるほどの勘違いぶりだった。

    司会者の女優も眉をひそめながらVTRを観ていたが、近頃の主婦は、「子供のことよりも自分の方が大事」という人が多いようである。

    どうやら、こうした自分大好き現象も、がむしゃらに自己啓発活動にのめり込む近頃の主婦たちの目立ちたい願望と、間違いなく根底でリンクしているものと思われる。




    良い母親と悪い母親を見分けることは簡単だ。

    作った料理を「まずい!」と、子供が言ったとしても、それを叱ることなく、どうしたら子供がおいしく食べてくれるかを考えるのが良い母親。

    作った料理を子供が「おいしい」と、言わないとブチ切れ、おいしそうに食べることを強要するのが悪い母親だという。

    まあ、そもそも、うまかろうがまずかろうが、料理を作る母親はまだいい方で、まったく自分では台所に立たないような母親もいる。

    子供も母親自身も他人が作る料理を食べ、食事はいつも家族バラバラに摂る。

    子供と夫は家で店屋物やコンビニ弁当などで食事を済ませ、母親は友人と外食などという家庭も、最近では珍しくなくなったそうだ。 

    「お袋の味」を知らずに育つ子供の将来は、いったいどうなるのであろうか?

    「お袋の味」というものは、人間の味覚の原点である。つまり、食に関する心張棒がないということが、人の性格にどういう影響をもたらすのか?

    それは、誰もが推して知るべしであろう。



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Posted by ちよみ at 17:34Comments(0)ちょっと、一息 29

それでも有名になりたいのか?

それでも有名になりたいのか?icon10




    最近、疑問を感じないではいられない風潮が、社会に流行っている。

    聞いた話では、ある女性は、自分の子供が病気で亡くなったことを手記にして出版し、講演までも行なって収入を得ているといい、また、ある女性は、夫と離婚したことをエッセイにまとめて出版し、これまた講演をして歩いているという。

    また、ある女性は、姑の介護の苦労話を書いて出版し、またまた講演をしたりテレビ出演までもしているらしい。

    (テレビ出演をすることで、何か特別自分が偉くなったように思い込んでいる女性も少なくないようだ)

    彼女たちの年齢は、おしなべて30代後半から40代である。

    そして、とてもそんな悲惨な体験をして来たとは思えないほど、やつれた風もなく、おしゃれで、若々しく、洗練されていて、ダイエットにも励んでいるのかスタイルも抜群である。

    たぶん、自分は見られているという自意識もハンパないのだと思う。

    それにしても、いったい何が、彼女たちを、これほどの有名願望に目覚めさせたのだろうか?

    我が子が幼くして亡くなることは、確かに究極の悲劇である。

    しかし、そんなことは普通の生活をしていれば、身の周りにごまんとある話なのだ。

    わたしの祖父母も、三人の子供を戦争や病気で若くして亡くしているし、近所の夫婦も最愛の娘さんを20歳そこそこで交通事故で亡くしている。

    だが、そうした親が、そのことを手記にして出版しようなどと思うことは決してない。

    子供の死を売名行為に使うなど、親として絶対にしてはならないことだという理性があるからだ。

    離婚にしても、姑の介護にしても、またしかりである。

    そのこと自体は、当人にとっては地獄の苦しみだったり、あり得ないほどショックなことではあるかもしれないが、ほとんどの人は、そうした辛い体験をしても手記を出版しようなどとは考えないはずである。

    そういう女性たちには、おそらく彼女たちなりの、

    「辛く苦しい体験は、何もあなただけではない」

    と、いうことを皆に知って欲しいから----と、いう理屈もあるのだろうが、ほとんどの人たちには、

    「何を偉そうに・・・。あなたの経験なんかよりも、わたしの方が大変な目に遭っているわ」

    と、いう気持ちの方が大きいはずである。

    つまり、手記を書いたり講演をしている女性たちは、そんな今の自分の姿にただ酔っているだけなのだ。

    子供や夫、姑をダシに使って、単に自身が有名になりたいがために・・・。

    他人の経験は、結局は他人の痛みに過ぎない。

    自分の痛みは、自分にしか判らないのが、人間なのである。

    そのことを知っていれば、自分の体験談などおこがましくて、おいそれとは語れないはずなのだが、自分を悲劇のヒロインと信じてしまっている女性には、そんな常識は通用しないのだろうな。
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Posted by ちよみ at 15:42Comments(0)ちょっと、一息 29

フェイスブックでのぼやきは中傷にあたるのか?

フェイスブックでのぼやきは
中傷にあたるのか?diary




    和歌山県印南町立印南小学校の40代女性教諭がインターネットの会員制交流サイト「フェイスブック」に「モンスターやっつけた」などと保護者を中傷する書き込みをしていたことが分かった。同校は15日、教諭を担任から外し、自宅待機にした。県教委が処分を検討している。

    町教委によると、教諭は保護者面談について、7月22日に「明日から面談始まる。あー怖っ!地獄の3日間!」▽同24日に「今日のモンスター、いっぱいほめて、機嫌よくお引き取りいただきました」▽同25日に「はぁー!モンスター、態度悪い上に遅刻かよ!」「おーわった♪おーわった♪モンスターやっつけた~っと」--などと書き込んでいた。

    公開範囲が限定されておらず誰でも見られる状態だった。教諭は同校に勤めていることは公表していなかったが、顔写真などから特定された。教諭は町教委に「モンスターは特定の保護者を指したのではない。面談の緊張から、面白がって大げさに書いてしまった。申し訳ない」などと釈明しているという。発覚した今月12日に、教諭は町教委の指示を受け、フェイスブックの会員登録を削除した。(YAHOO!ニュース)



    保護者面談とは、教師にとって、これほどまでに神経をすり減らす一大仕事のようだ。

    この女性教諭も、その極度の心労から解放された勢いで、フェイスブックに本音を書き込んでしまったのだと思うが、公開範囲を限定していなかったことが、失敗だったということだろう。

    それにしても、フェイスブックというものは、昔で言えば交換日記の類と考えていいのではないかと思う。

    つまり、特定の人たちだけの間で読むことが出来る、かなりプライベートな性質の書き物のはずだから、顔写真から筆者を特定するというのも、プライバシーの侵害のようにも思えるのだが・・・。

    いや、もしかしたら、如何に筆者を特定できたとはいえ、それを読んだ者にとやかくいう権利などないはずなのだ。

    一方では、自由に物が書き込める場所を作っておきながら、それを活用すれば文句を言われるなど、明らかに矛盾している。

    今回の件に関しては、公開範囲限定をしていなかったことを、脇が甘かったと指摘されても仕方がないのだろうが、勤務する小学校が特定されていたわけではなさそうだし、教師も何処かで日々溜まるうっぷんのガス抜きをしなければならないのだとしたら、ネットでぼやくぐらいは大目に見てもいいのではないかと思う。

    むしろ、「モンスター・ペアレント」に対処する心労を何処へも吐き出すことが出来ずに、内面へ鬱積させた教師の方が、よほど恐ろしい。

    フェイスブックの詳しい使い方は、わたしにはよく判らないが、これを腹の立つことや日々の悩みのはけ口とするのならば、せめて写真は顔が特定しにくいものをアップするとか、もう少し工夫をした方が賢明だったように思われる。



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Posted by ちよみ at 18:02Comments(0)ちょっと、一息 29

ネット依存症のママが増えている

ネット依存症のママが増えているicon25



    「戦闘中」が「逃走中」に比べてイマイチ観ている側の気が乗らないのは何故かといえば、参加者の背景にドラマがないからだという理由があるように思える。

    もしも、彼らの間に何らかの因縁にまつわる宿命的な設定が出来て、「忍」にも少し人間性のようなものが見えたら、ゲームの内容はかなり濃くなるのではないかと思うのだが・・・。

    このままだと、やはり面白さの軍配は「逃走中」に上がらざるを得ないのだろうな。




    少し前まで、主婦の依存症と言えば「アルコール依存症」「買い物依存症」「外出依存症」などが良く聞くものだったのだが、最近は「ネット依存症」の母親が増えているという話題を、あるテレビ番組で取り上げていた。

    番組中に出て来た若い母親は、一歳になる子供がいるのだが、慣れない土地での生活で周囲に友だちもなく、子供の悩みなども相談できる相手がいなかったため、インターネットの世界に子育てについての救いを求めてしまったのだという。

    彼女は、夫を会社へ送り出すと即座にパソコンに向かい、さまざまな子育てに関するウェブサイトの記事を読み漁った。

    やがて、パソコンの前に座っている時間は一日八時間にものぼり、夫が出勤する時も見送ることなく、夜間も操作にのめり込んだ。

    お腹が空いた子供が、傍らのベビーベッドで泣き出すと、

    「煩わしい!」

    とばかりに、左腕に抱え込んで授乳しつつ、右手でマウスを操作し続けたのだという。

    そんな生活が一年半も続いた頃、子供に異変が起きていることに彼女は気付いた。

    同じ年頃の他の子供たちが既に片言の言葉をしゃべっているのに、我が子は何故か未だに一言も言葉を発しないのだ。

    赤ん坊は、最も身近にいる母親との毎日のコミュニケーションから自然と言葉を覚えて行くのだが、一日の大半をパソコンに向かっている母親は、ほとんど子供との会話というものをしない。

    子供が言葉を覚えられないのは当たり前なのである。

    これにショックを受けた彼女は、パソコンに向かう時間を一日三時間と決めた。それでも、インターネット依存症はまだ完ぺきには直ってはいないようであった。

    子育ての悩みを解決しようと始めたパソコンが、逆に子供を蔑ろにする道具となってしまっていたわけである。

    番組司会者の女優は、「本末転倒だ」と、呆れていた。

    インターネットの向こうには、自分と同じような悩みを持つ多くの母親がいると思うことで、彼女は寂しさを紛らわせることが出来たのだろうが、それは別の言葉でいうならば単なる現実逃避にしか過ぎない。

    「一歳からの最も子供の成長に母親の愛情が必要な時期に、このような接し方しかされないなんて可哀そう。『まだ小さいから蔑ろにされたことなど覚えていないから良いか・・・』なんて、笑っている場合ではない。わたしは、パソコンを使うことが出来ないけれど、今になって考えれば、子育てにはその方が良かったのかもしれない」

    司会者の女優は、何とも腑に落ちない顔で、そう話した。

    確かに、インターネットの世界には踏み込んだら簡単には這い上がれない、一種の麻薬のような魅力があるといわれる。

    もしも、自分がネット依存症ではないかと思う人は、昼間も夜間もパソコンを操作し続けるなど、現実の方がネット社会の付属品のようになってしまわないうちに、自分の異常を自覚し、少しずつでもパソコンから離れる生活を取り戻すことだと、番組コメンテーターの医師は、語っていた。  続きを読む


Posted by ちよみ at 12:04Comments(2)ちょっと、一息 29

本当の責任は誰にあるのか?

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    自称・ハーバード大学客員講師の森口尚史氏のips細胞臨床実用化疑惑だが、どうやらほぼ作り話だったということで落ち着きそうだ。

    森口氏の当時の行動を精査すれば、ips細胞を心筋に移植した一例目の手術を行なった翌日には日本に帰っていなくてはならないという矛盾が生じているということもあるそうで、先の発言を翻して、一例目の手術は昨年六月に行なったと、話したともいう。

    彼の記者会見の様子を観ていた心理学者の見解では、激しい貧乏ゆすりや目をつむっての応答の仕方からして、

    「一生懸命自分の頭の中で架空の想像を立ち上げているという状態。貧乏ゆすりは、早くこの会見を終わらせて、ここからいなくなりたいとの気持ちを表わしている」

    と、テレビ番組中で語っていた。

    しかし、森口氏は、どうして一連の問題が大ごとになる前、一部マスコミのインタビューを受けた時、

    「ああ、あれは読売新聞の勇み足ですよ。わたしは、冗談のつもりで話したのに、まさか一面トップに掲載するとは思わなかった」

    とでも、さっさと嘘を認めてしまっていれば、ここまで追い詰められることもなかったろうと思うのだが・・・。

    実際の経歴からすれば、保健衛生の分野では決して恥ずかしくない研究者の森口氏に、何がそこまで見栄を張らせたのかが疑問である。

    ともあれ、森口氏が今後何らかの罪に問われるのかは、素人のわたしなどには皆目分からないことだが、そんな素人なりにも不思議に思うのは、むしろ、読売新聞の記者が、どうしてこの一連のスクープ記事を取材する際、しっかりとした裏取りをしなかったのか----と、いうことの方である。

    マスコミ関係の仕事をしていれば、記者の手元には、毎日山のような情報があちらこちらから入って来る。

    それらの情報のどれが真実で、どれが嘘かを見抜き選別するのが、記者に課せられた大事な仕事のはずなのだ。

    よしんば真実であろうと思ったとしても、さらに多方面から検証をかけ、より本物であるという確信を得てからでなければ記事になど書けないのが普通だと思うのだが、この記事を上げた記者は、それほどまでも功名心に逸ったというのであろうか。

    この記事を読んで、暗闇に一縷の希望を見出した難病の患者の気持ちを思うと、実はぬか喜びだったと知ったのちの落胆は想像に難くない。

    この虚偽報道により社会を騒がせた本当の責任は、一体誰にあるのだろうか?

    もしも、読売新聞社側が当方も被害者だというようなコメントを出すようなことがあったとしたら、それは筋が違うように思うのだが・・・。

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Posted by ちよみ at 17:56Comments(0)ちょっと、一息 29

よもやま話 2

よもやま話 2volunteer



   
    「オスプレイ」って、どういう意味なのかと検索してみたら、猛禽類の「ミサゴ」という鳥だということが判った。

    でも、あれって、「ミサゴ」というよりは、金魚の出目金に似ていると思うんだけれど・・・。



    ヤフー知恵袋に、もうすぐ結婚式を控えている女性から、こんな投稿があった。

    「義理の母(53歳)が、結婚式にミニのワンピースで出席したいと言っている。義母は、いつも若づくりで、ミニスカートなども良く穿いているのだが、いくらなんでも結婚式にミニのワンピースというのは非常識だと思う。

    わたしの実母は、留袖で出席すると言っている。義理の母にもロングドレスぐらいは着て欲しいと思うのだが、彼女はがんを患っていて、あと五年は生きられないという。

    そんなこともあるので、結婚式の服ぐらい自由にさせてあげたいとも思うが、やはり、わたしにとっても大事な結婚式なのだから、ミニは勘弁して欲しい。

    彼は、自分の母親の希望をかなえてあげたいようだが、義理の母をどう説得したらいいのか悩んでいる」

    
    これに対するベストアンサーは、

    「結婚式にミニのワンピースは、あまりに非常識です。病気のこともあるなら、余計に亡くなったのち笑い者にならないためにも、ちゃんとした格好で出席してもらうことです」

    と、いうものだった。

    それにしても、この投稿者と回答者のやり取りを読んでいて、何だかかなり違和感を覚えた。

    「あと五年は生きられないようだ」とか、「亡くなったのちに笑い者にならないように」など、あまりに義理の母親を軽く扱っているとしか思えない。

    健康な人から見る病人のイメージとは、この程度のものなんだなァ・・・と、考えると、健康な人とはかくも冷酷なものかということを実感するばかりだ。

    話が逸れたが、要は、義理の母親にミニのワンピースを着せたくないということなのだろうが、最近の風潮として、日々の自分たちの非常識はちゃっかり棚に上げて、結婚式にはこういう服装はいけないなどのことには、やたらに厳しいことを言う人たちが多くなったようである。

    政財界のお歴々が集う社交界の晩さん会でもあるまいし、結婚式にミニのワンピースぐらいどうってことないじゃないかと思うのだが・・・。

    さすがにギンギラど派手なパンクロッカーのようないで立ちだとでもいうのなら、いささか問題だが、そうでもないのであれば、義理の母親には着たい物を着て出席してもらえばいいのだ。

    そして、思い切り人生を有意義に楽しんで免疫力を高め、病気など打ち負かしてしまえばいいのである。

    結婚式は一度きりなんだから自分の納得の行くものに----などと、自分本位のことばかり考えずに、結婚式のホステスである花嫁は、出席者がどうしたら楽しんでくれるかを第一に考えるべきではないのだろうか。

    招待状を出す花嫁は、お客さまではない。

    客をもてなす側であることを忘れてはいけないと思う。




    ところで、知恵袋を読んでいると、姑と嫁のバトルが良く登場する。

    投稿者は、ほとんどがお嫁さんの側なのだが、まあ、世代的にもパソコンや携帯を簡単に操作できる姑はあまりいないのかもしれない。

    そんな相談の大半は、姑が息子可愛さにお嫁さんに何かと嫌みを言ったり難題を押し付けたりするというものだ。

    中には、がんを患う姑がもはやヒステリー状態となり、お嫁さんに向かって、

    「お前なんか息子の嫁にふさわしくない!とっとと出て行け!お前と一緒になって、息子はダメになった。このままお前と一緒にいたら、息子は殺される。この人殺し!」

    などと暴言を吐くので、もう限界だ。どうしたらいいか?----という投稿もあった。

    息子もこの実母の言葉にはさすがにキレて、

    「もう、いい加減にしろ!おれは少しもダメになんかなっていないし、殺されもしない。おれたちに干渉するな」

    と、言い返したそうだが、姑のヒステリーはますますひどくなる一方だという。

    だが、こういう姑は、どんなに出来た嫁が来ても、関係なくまた激情にかられ泣き叫ぶだけであろう。

    お嫁さんとしては、また発作が始まったと思い、完全無視するしかない。

    この姑にしてみれば、最愛の息子が、何処の馬の骨とも判らない女と同じ屋根の下に暮らしていると思うだけでも、身震いし吐き気がするほど嫌なのだから、がんにもなったのだろうが、だからといって無理やり離縁することなど出来るわけもなく・・・。

    同居しているのでないとしたら、とにかく、その一時は、頭の上を嵐が過ぎ去ることを待つしかないであろう。
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Posted by ちよみ at 12:03Comments(4)ちょっと、一息 29

「この人、嫌い!」と、思う時

「この人、嫌い!」と、思う時icon07




    「この人、嫌い!」と、思う時は、どんな時か----というアンケート調査があったそうだ。

    何だか、無性に馬が合わない。長話をしていると、必ず嫌な思いをする。

    時々、人を小馬鹿にしたような表情をするので、ムカっとくる。

    そんな人は、あなたにも一人や二人必ずいるはずなのだ。

    では、そのアンケート結果だが-----。


    性格としては、
    
    「思いやりのない人」

    「強い人にへつらい、弱いものいじめをする人。大人げ無い人。人を傷つけるような事を言う人」

    「あからさまに自慢する人や初対面なのに異様に馴れ馴れしい人。そして、しつこい人。自分のことを勘違いしてる人に嫌悪感を持ちます」

    「異性(男性)でイヤだと思うのは容姿がいい人(または裕福・頭がいい人)が、容姿が優れてない人(または貧乏・頭の回転がよくない人)を、あからさまに見下して、馬鹿にする人。ですね。その人の薄っぺらな人間性が見えてしまいます」

    「女を紹介してもらうことばかり考えてる。『お金ないんだよねー』とか言って最後払わない。もしくは少な目に払う」

    「性に限らず全てにおいてですが 相手に対する思いやりのない自分勝手な行動や性格は許せませんね」

    という意見があったそうだ。





    見た目や仕草では、

    「不潔・マナーを守れない人」

    「髪の毛が伸びてて不潔に見える人。肩にふけが落ちてるのを見るとぞーっとする。靴が汚れている、またはぼろぼろになってる靴を履いている人」

    「爪に汚れがいっぱいたまっていたりするとかなりぞっとします」

    「街の真ん中でタバコを吸う人、ポイ捨てする人、ツバを吐く人。公共マナーが駄目な人はどんなにカッコ良くても、私は駄目だと思います。(中略)…AV女優の誰々がグラビアアイドルの誰々が最高とか詳しい人も結構引きます」

    と、いう意見が・・・。



    これらの意見を総合すれば、結局は、相手に対する「思いやり」が欠如している人は、嫌われるということのようだ。

    では、「思いやり」とは、いったい何なのだろうか?

    早い話が、相手の身になって考える---ということなのだが、要は、想像力の問題なのである。

    こういうことを言えば、相手がどう思うか?不愉快に感じないか?

    自分の話は、相手に退屈だと思われていないか?こんな格好をしていると、相手からどう思われるだろうか?

    そういう細かな心配りが出来るか否かが、その人の好き嫌いを決めるということなのだろう。

    最近は殊に、上記にもある、

    「あからさまに自慢する人や初対面なのに異様に馴れ馴れしい人。そして、しつこい人。自分のことを勘違いしてる人に嫌悪感を持ちます」

    こういう理由で嫌われる人が多くなったらしい。

    自慢する人や自分のことを勘違いしている人は、確かに増えて来ているようだ。

    そして、そういう人は、おしなべて馴れ馴れしくて、しつこい。相手が、自分の意見に納得してくれないと、いつまでも自己主張をやめないのも、特徴である。

    そういう嫌われやすい人は、もう少し相手の立場も尊重し、自分を控えめにするべきであろう。

    もしも、あなたの話が常に、相手のことはさて置き、自分だけの関心事や身の周りのことばかりに終始していると気付いたら、あなたも知らず知らずの間に、皆から嫌悪感を懐かれている可能性が大なのである。

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Posted by ちよみ at 17:49Comments(0)ちょっと、一息 29

安心感とは何なのか?

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    もしも、あなたがトイレの個室へ入っていた時、常に誰かにのぞかれているのではないか---という気持ちを持っていたとしたら、安心して用を足せないのと同じように、人が不安になるのは、自分の内面が誰かに知られているのではないだろうか?---と、感じた時だという。

    つまり、人は誰からも干渉されないという自分だけの世界を持てた時、安心出来るのである。

    そして、その安心感があってこそ、人は人としての役割を果たすことが出来るのだそうだ。

    安心感を覚えている時は、勉強にも集中出来るし、仕事にも前向きに取り組める。他人からいらぬ口出しをされることがないと思うだけでも、自由に能力を発揮することが可能になるのである。

    統合失調症の人が常に不安感と戦っているわけは、自分だけの世界が持てず、いつも誰かに内面をのぞかれているという緊張を強いられているからだともいわれるのだ。

    また、自閉的な人が他人との接点を受け入れようとしない理由も、他人の存在を消し去りたいがための拒絶的心理なのだという。そうしなければ、心の安定が保てないからなのである。

    では、何故、人は時々自分の内面を他人からのぞかれているような不安に襲われるのであろうか?

    それは、自分に自信がないということに他ならない。

    自信がないことを相手に見透かされるのではないか?

    間違っていることや弱点を知られるのではないか?

    誰もその人の能力に関心など寄せてはいないにもかかわらず、勝手にそんな気持ちが心の中で増幅され、ますます不安感を育てるのだという。

    ところが、顔を合わせるだけでも、そうして不安感を掻き立てる相手もいれば、まったく不安や緊張を覚えないという相手もいる。

    不安や緊張を覚えずに済む相手とは、自分とはまったくかけ離れた存在か、もしくは肉親のように何もかもを知られている相手かである。

    これらの人とは自分自身を比べる必要がないので、安心感を得やすいのだそうである。

    要は、中途半端に似た相手が現われた場合、最も人は不安を感じるのかもしれない。

    では、どうしたらいたずらに不安を感じる必要がなくなるのであろうか?

    それは、自分に自信を持つことだという。内面をのぞかれても、恥ずかしくないという一種の開き直りを作ることが大事だそうだ。

    過剰防衛の心理や虚栄心が、むしろ不安感を増殖させる原因なのだということだった。



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Posted by ちよみ at 12:06Comments(0)ちょっと、一息 29

よもやま話

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    某ナガブロガーさんの記事に「昔、旧志賀高原ホテルでバイトしていました」との記述があったそうですが、同ホテルの総務課に正社員として勤務していたわたしの従姉とはまったくの別人ですので、お間違えのないようにご了承ください。<(_ _)>



    今日の北信ローカル「りふれ」から----。

    中野市壁田北信合同庁舎の近辺で女性が散歩していると、キツネが出て来て足元にまとわりつくほど近寄って来るという。

    キツネって、あまり人には懐かないと聞いたのだが、珍しいこともあるものだ。

    記事には写真も掲載されているが、しっかり大人のキツネだ。

    今年は熊だけではなく、他の動物も山から下りて来ることが多いのかもしれない。




    ここまで急激に気温が下がると、何を着たらいいのか判らなくなる。

    雪が降るほどではないので、真冬の格好になるにはまだ早いような気もするし、かと言って、ストーブを焚くわけではないので、長袖でも薄着では寒い。

    朝から何度タンスを開け閉めしたことか・・・。

    秋は嫌いな季節ではないが、洋服には毎年頭を悩ませる。

    それにしても、病気になってからは、ほとんど新しい衣類を買うことがない。

    興味がなくなったのが最たる原因だ。

    ファッションへの執着は、スタイルに自信がある時までだな。

    人間、命の危機を感じた途端、そんなものは正直ど~でも良くなってしまうものだ。

    服なんて、暑さ寒さをしのげれば何だっていいだろう----と、思う。

    まあ、これもO型特有の俯瞰視から来る意見なんだろうけれど・・・ね。




    高齢者の介護をしている人は、おしなべて声が大きいことを発見。

    いつも耳の遠い高齢者を相手に話をしているので、自然と声のボリュームをあげてしまうのだろう。

    元気がいいと言えばそうなのだろうが、いきなりこの声で挨拶されては、普通の人はやや面食らう。

    これも一種の職業癖なのだろうな。

    


    もう一つ「りふれ」から、北信地方の方言コーナーに、

    「母ちゃん!魚ぎってきたで、ぎょって食いや」

    という投稿があったが、何を言っているのか皆目見当もつかない。

    どなたか、お判りになる方はいるだろうか?

    方言も、ここまで来ると、わたし世代には歯が立たない。






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Posted by ちよみ at 18:08Comments(2)ちょっと、一息 29

虚偽か?真実か?

虚偽か?真実か?face06





    この秋は、カメムシ(通称ヘッピリムシ)が大量発生している。

    この間なんて、外湯へ持って行ったバスタオルの間に一匹挟まっていて、危うくそのまま湯上りの身体を拭きそうになってしまった。(・_・;)

    奴らは何処に潜んでいるか判らない。(ーー;)

    隣家の奥さんは、「窓を開けておくと、裏の杉林からすごい数が飛び込んで来るので、気が気じゃないわ」と、言う。

    洗濯物を取り込む際も、要注意だ。




    ノーベル賞受賞が決まった山中教授は、ヒトの皮膚細胞に遺伝子を注入してiPS細胞を作り出す段階で留まっているのに対し、自称・ハーバード大学客員講師の森口尚史氏は、肝臓の細胞に化学物質を加えてiPS細胞を作り出したうえ、実際に患者に移植したと主張しています。ところが、大学側は「彼は在籍していない」「いかなる研究も承認していない」と森口氏との関係を否定しています。

    森口氏は今年2月以降、心不全の患者6人に、患者本人の肝臓から作ったiPS細胞を心臓に注入し、治療に成功したとしています。これに対し、ハーバード大学は、森口氏が1999年から2年間、提携病院の客員研究員だったことは認めながらも、「手術を承認したことはなく、森口氏本人も大学や病院とは関係はない」としています。
    森口尚史氏:「ハーバード大医学部の客員講師の肩書で発表させて頂いてますので。(証明する)書類は日本に帰ったら家にありますので」
    森口氏は11日、ニューヨークで開かれている学会で研究成果を発表する予定でしたが、姿を見せませんでした。主催者側は、研究内容に疑問があるとして森口氏のポスターなどを撤去しました。(YAHOO!ニュース)


    このニュースが出た時点で、(?_?)だったのだが、この報道には山中教授もビックリだろう。

    森口氏の主張するips細胞は、肝臓から採取した細胞に二種類の化学物質を加えてips細胞を作るというものらしいが、山中教授の方は、皮膚細胞に四種類の遺伝子を導入して作るというもので、この際発がん関連遺伝子も因子に加わるために、細胞のがん化が起きることが問題となっているのだそうだ。

    ただ、この発がん関連遺伝子を除いた三因子だけでも、ips細胞を作ることは可能だそうだが、作出効果がかなり低下するともいわれる。

    果たして、森口氏は、この難題をどうやって解決したのであろうか?

    そして、細胞移植は、何処の病院でどのようにして行なったのだろうか?

    ぜひとも訊いてみたい。


    で・・・、

    iPS細胞の心筋移植問題で、東京医科歯科大学は12日、日本人研究者森口尚史氏がiPS細胞を使って、C型肝炎の薬の効果的な組み合わせを発見したとする2010年5月の読売新聞の報道について、同大で研究を行った事実はないと発表した。(YAHOO!ニュース)


    こんなこともあったんだなァ。

    専門家でさえ、山中教授がノーベル賞を取るまでは、この問題にあまり関心がなかったということなのだろうな。

    もしも、関心があったのならば、2010年の報道があった時点で大騒ぎになっていたはずだから。

    こうした疑義の研究が続々出て来る可能性も捨てきれないので、京都大学はips細胞の一連の研究について特許を取ろうと考えているのかもしれない。

    そうなれば、今度は京大の認可なしでは他の大学病院などはips細胞治療が出来ないということになるのだろうか?

    社会倫理の観点も含めて、この研究の前途には極めて難しい問題が山積しているようだ。





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Posted by ちよみ at 10:03Comments(0)ちょっと、一息 29

DQNネームがすごいことになっている

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    俗にいうDQNネームとか、キラキラネームにとんでもないものが出て来たようだ。

    そのとんでもないDQNネームの現在1位は2つあり、「賢一郎(けんいちろう)」と「ララ桜桃(ららさくらんぼ)」だという。

    「ララ桜桃」って、果たして人の名前なんだろうか?

    が、しかし、「賢一郎」というのはいたって一般的な名前だと思うのだが、これにもしっかりとDQNになる理由があり、この名前、なんと女の子につけられたのだという。

    この「賢一郎」さんには妹がいて、彼女は「誠太郎」と名付けられているそうで、目がパッチリした姉妹らしいのだが、やはりというか、姉妹共にスポーツ刈りに近いショートヘアで、服も女の子っぽいのは着てないらしい。

    その他にランクインした名前をみてみると、「嗣音羽(つぉねぱ)」「戦争(せんそう)」「犯士(ひろし)」「神通嗣(かぃなおつぐ)」「交愛(こあ)」「愛して(あいして)」「野象味(のぞみ)」「真羅(まら)」「真汰恋(またれ)」などもあるそうで、

    「こんな名前、先生だって読めないだろう」

    「こんな名前にならなくて良かった」

    などの感想も聞かれるという。

    ところが、驚いたことに、この「賢一郎」「誠太郎」だが、わたしの親の世代にはさほど珍しくもないらしい。

    女性でも、男と間違われるような名前を付けられた人は、大勢いたのだそうだ。

    実は、わたしの母方の祖母の名前も、男性以外の何者でもないような名前である。

    誤って召集令状が配達されたというようなエピソードもあるくらいだ。

    軍国主義の時代、女の子でもお国のために戦う人になるようにと、わざと男性名を付ける親も多かったのだろう。

    それにしても、今の平和な時代にこのようなDQNネームを付けられた子供たちは、どんな生き方をするのだろうか?

    女の子に男の子のような名前を付けたいのなら、せめて「光(ひかる)」「純」「樹(いつき)」「葵」「真咲」「真琴」のような男女どちらにも通用する名前にしたらどうかと考える。





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Posted by ちよみ at 15:39Comments(0)ちょっと、一息 29

「相棒season11」

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    10日にスタートした水谷豊(60)主演のテレビ朝日の人気ドラマ「相棒season11」(水曜後9・00、初回のみ後8・00)の初回平均視聴率が19・9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことが11日、分かった。初回は2時間9分の拡大版で放送された。

    大台にはわずかながら届かなかったが、初回としてはシリーズ最高だった前作の「相棒10」の19・7%を上回るシリーズ最高の出だしとなった。

    放送開始12周年を迎えた大人気刑事ドラマシリーズの第11弾。今シリーズで水谷演じる主人公・杉下右京の“相棒”の三代目として成宮寛貴(29)が参加。成宮のほかにも、元宝塚歌劇団トップスターの真飛聖(35)、石坂浩二(71)らも新レギュラーとして加わった。(YAHOO!ニュース)




    「相棒season11」----の初回は、高視聴率だったようだ。

    三代目相棒の成宮寛貴が、どんな演技を見せるのか、ファンの好奇心を掻き立てたためだろう。

    成宮の役どころは、警察庁幹部(石坂浩二)の息子ということで、警察組織の複雑さに悩む第三次反抗期の「おぼっちゃま」。

    曲がったことが大嫌いな熱血刑事だった初代相棒の亀山薫(寺脇康文)と、育ちの良さと聡明さが前面に出ていた二代目相棒の神戸尊(及川光博)を足して二で割ったような感じといえばいいのかもしれない。

    つまり、今度の杉下右京は、若い甲斐亨刑事の先生役という側面が大きいようである。

    で、初回スペシャルだが、事件の舞台は治外法権下の香港の総領事館内という設定のために、香港警察は介入出来ず、一種の密室殺人の体をなしていた。

    最後の総領事館内での長い謎解きのシーンなどは、アガサ・クリスティーミステリーを彷彿とさせる推理小説マニアにはたまらない演出となっていたが、右京の台詞で理詰めに解き明かされて行く犯行の手口や犯人の正体等の説明は、どちらかというと勧善懲悪に慣れているお年寄りたちには、途中で飽きが来てしまうものだったかもしれない。

    しかし、一つの屋敷内や船内などで殺人事件が起きるというストーリーが大好きなわたしなどは、かなり楽しめたストーリー構成となっていた。

    ただ、甲斐亨の恋人の存在は、視聴者に認知されるまでにはかなり時間を要するのではないだろうかとも思われた。

    演じる成宮がどちらかといえば童顔なのに比べ、真飛聖演じるキャビンアテンダントの恋人が大人っぽ過ぎるように思えるのだ。

    役者の実年齢も女性の方が年上とあって、二人の口げんかのシーンも、甲斐が姉を相手に拗ねているようにしか見えなかった。

    相棒ファンの視線は厳しい。

    二代目相棒の神戸尊の人気が高かっただけに、右京の相棒に甲斐亨がふさわしくないとなれば、非難殺到ともなり兼ねない。 

    これからは、成宮がどうやって先輩二人とは違う独自色を作り上げながら演技の味を出し、甲斐亨刑事に息を吹き込み血を通わせて行くかが課題だろう。

    今後の新「相棒」の成長に期待したい。 



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Posted by ちよみ at 17:41Comments(2)ちょっと、一息 29

安藤美姫とモロゾフコーチ

安藤美姫とモロゾフコーチhealth





    フィギュアスケート前世界女王の安藤美姫(24=トヨタ自動車)が来季限りでの現役引退を明言した。9日、日本スケート連盟を通じて、指導者不在による調整不足で、GP(グランプリ)シリーズの中国杯(11月2~4日、上海)とフランス杯(11月16~18日、パリ)の欠場を発表。同夜に日刊スポーツの取材に応じ、今後の半年間を完全休養し、五輪シーズンとなる来季でアマチュアを引退する決意を明らかにした。来季はファンのためにいずれかの試合で最後の演技をすることを誓ったが、14年2月のソチ五輪は「今は考えていない」と話した。

    日本スケート連盟を通じて今季GP欠場という決断を発表した夜、安藤は自分の気持ちを確かめるように、現在の正直な思いを口にした。

    安藤 はっきり言って来季がラストのシーズンと思っています。どの試合でもいいので、もう1度出させていただいて演技をさせていただけたら。今まで支えてくれた方のためにも、恥ずかしくない演技がしたい。今までやってきたことを100%出したい。

    GPシリーズ欠場を発表した理由も、今まで応援してくれたファンのために万全の演技で有終を見届けてもらいたかったからだった。現状ではそれは無理だった。だから今季は休養という苦渋の決断をするしかなかった。(中略)

    安藤 やはり、コーチが決まらなかったことが大きいです。ニコライ(・モロゾフ)コーチに信頼を置いていたので…。3月に今季は指導できないと言われ、それ以降も面と向かっては(コーチ関係の解消)言われてなかったんですが、結果的にそうなってしまいました。(YAHOO!ニュース)




    安藤美姫----やはり、モロゾフコーチとの決別が未だに尾を引いているようだ。

    信頼を置いていたという意味が、コーチとしてというよりも人間として----と、いう部分が大きかったのだと思う。

    以前、あるテレビ番組で取り上げていたのだが、日本の某大学のリンクで、安藤が織田信成、高橋大輔らとモロゾフコーチを囲んで談笑していた時も、

    「彼(モロゾフ)は、見た目はクールな大人だけれど中身は子供」

    と、言いながらはしゃいでいたことがあった。

    その笑顔から察しても、あの頃から既に安藤の中でのモロゾフの位置が、コーチ以上の存在になってしまっているのではないかと思った。

    アスリートたちが口にする言葉に、「何のために競技をするのかが判らなくなった時、最もモチベーションが下がる」というものがあるが、人間の心理としてやる気を高めるためには、「頑張れば、誰かが喜んでくれる」という気持ちがあるといわれる。

    「自分を応援してくれる国民の皆さんのために頑張る」

    しかしながら、この思いだけではモチベーションはそう長続きはしない。

    人が心底から頑張るためには、誰か特定の一人の存在が必要なのである。

    それが愛する者のためであれば、さらに効果は大きくなる。

    おそらく安藤は、モロゾフコーチに褒めて、喜んでもらいたいために、肩を脱臼しても競技を続けて来たのだろう。

    もしかしたら安藤という女性は、コーチに恋愛感情に似た思いを懐かなければ、本当の力が発揮できないような体質なのかもしれない。

    だとしたら、これから新しい恋人(コーチ)を見付けるのはかなり難しいだろう。

    そして、裏を返せば、もしも彼女の前にモロゾフの才能や魅力を超えるような素晴らしい男性コーチが現われた時は、何年ブランクを挟んでも、再び競技会へ復活する可能性も大なのであろう。


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Posted by ちよみ at 20:57Comments(2)ちょっと、一息 29